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真っ直ぐなものから曲がったものを見ると曲がって見える。
曲がったものから真っ直ぐなものを見ても曲がって見える。
では曲がったものから見て真っ直ぐに見えるものとは何か?
それは同じく曲がったものである。
だからもともと曲がったものには曲がった世の中が一番いいってことだろ。

A 回答 (5件)

人の道様 こんばんは



少し違います。
心が綺麗で真っ直ぐな人は、何を見ても美しく観えます。
心が曲がった人は、何を見ても疑います。歪んで見えるのでしょう。
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相対性理論の数式は完全であり真です。

そして、私は相対性理論の篤い信者です。

しかし、その解釈には様々あります。①「時間と空間そのもの」が変化するのか、②時計が遅れ定規が収縮するので「時間と空間の座標」が変化するのか、③時間と空間が変化して見えるだけなのか、等々あります。

私は、②と解釈する者です。以下私の考えを説明します。

粒子は、光速に近づくに従って動き難くなります。ですから、高速で移動する時計は構成する粒子が動き難くなるので遅れます。私の肉体を構成する粒子も動き難くなるので、時計と一緒に高速で移動する私は、ゆっくりと動き・思考し・年を取ります。
私がゆっくりとなるので、自分が持っている時計が遅れていることに気が付きません。逆に、静止している人は速く動き・思考し・年を取っていると見えます。また、静止している人が持っている時計は、速く進んで見えます。まるで、自分に流れる時間が遅くなった様です。

しかし、決して私に流れる時間そのものが遅くなった訳ではありません。私や時計と言う物質が動き難くなっただけです。
また、高速で原子が移動すると、電子は動き難くなり回転速度が落ち遠心力が弱まり、原子核の電磁気力に引かれより小さい軌道を回ります。この仕組みにより、高速移動する定規は「ローレンツ収縮」します。定規が縮むので距離は逆に長く測定されます。しかし、自分自身が移動しているのでその分距離は短く測定されます。距離はその差引となります。

この遅れた時計と収縮した定規を使い、動きながら時間や距離を測定するので、高速移動する慣性系では「時間と空間の座標」が変化します。「時間と空間の座標」が変化すると、光の速度は常に一定に測定されます。
また、強い重力が粒子に掛ると粒子は動き難くなります。ですから、高速移動した時と同じ現象が起こります。つまり、高重力場では、時計が遅れ定規が収縮するので「時間と空間の座標」が変化します。

詳細は、下記のホームページを参照下さい。
http://www.geocities.jp/labyrinth125064/tokusyus …
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視点は点。

対象(物自体)は4次元時空。だから客観は成立しない。
間主観性だけが問題として残る。
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《真っ直ぐなること》と《曲がっていること》とを区別するのは


相対的な程度問題についてしか 認識し思考し判断することの出
来ない人間です。

あるいはつまり 《世の中》は 一般に曲がったものに満ちてい
ると同時に 相対的な程度において真っ直ぐに見えるものも あ
ると言えばある。というわけでしょう。


★ だからもともと曲がったものには曲がった世の中が一番いい
ってことだろ。
☆ そもそも曲がったものというのを認識したということは 真
っ直ぐなものもあると知っていることです。

そして この一文については 《も と も と 曲がったもの》
という規定が成されています。これは どういうことか?

つまり ぢゃあ もともと曲がったものが 部分的に真っ直ぐな
ものに成る場合もある・・・ってことですかね?


結論:
相対性理論をかかげて 世の中を観てひとつの極を思い描きこれ
を思い込み 勘違いのはなはだしい見解と成ってもいいやという
ような――つまりそれも 相対性理論の許容する範囲だと思って
世の中の人びとに甘えて行くような――お子さま理論を提唱して
います。
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そういうことです。



水清ければ魚住まず、です。



漁父の辞
屈原

「世の中はすべて濁っているのに、私ひとりだけが清らかである」

漁夫が言った。
「聖人は物ごとにこだわらず、世の中とともに推移することができるものです。
世の中の人が皆濁っているなら、なぜ泥をかきまぜて水を濁らせ、その濁った波をあげないのですか(=濁った世の中の人たちと同調しないのですか)」
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