昔 両替商という商売があったそうですが
これは、
1000円札を もっていくと 990円分の小銭と買う関して10円が手数料みたいな商売なのですか?
現在でいうと何に近いのでしょうか?

A 回答 (3件)

回答者:Eivisさんのご指摘のURLの内容の通り,大阪と江戸との貨幣として銀と金の扱いが違うことから,両替商が出来たことですが,

銀行を金行といわないのかも銀が通用の主力であったことからでしょうか.いまの職業にたとえるならば、外国の通貨交換業--両替商,銀行でしょうか.国内為替も金貸しも扱っていたのですから,銀行ですか.
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今の銀行ですね。


今でも銀行の外壁には「両替商」と書いてあります。今度行ったらよく見て下さい。

参考URL:http://www.ae.wakwak.com/~tntweb/juken/socialstu …
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古い話のことであれば下記URLを見ると出ています。



http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/feature_sanpo …

新しい話では、上の駅構内の両替商が10、000円につき100円の手数料で営業していたのですが、為替の自由化か何かの折以来
ニ、三年前に休業または廃業したはずです。
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Q両替商の両替料とは

江戸の両替商はどう言う料金の取立てをしてたのですか?金額の高による率で取るのですか?

Aベストアンサー

 mersessさん こんにちは 参考になさってください。

 街道筋の宿に、為替が使われ始めてから、「銭小売」という看板を出し、
旅人を相手の両替屋が現れました。
 店へ出向くも良し、また、旅籠まで出張ってくることもありました。

 そのときの両替は、1朱=250文に対し、12~20文の手数料をとった
ようです。(約5%~8%)
 ただ、旅先ですから、けっこうボラれることもあったようです。

 一方、江戸期には、行商とか小物売買などでは現金扱いをしていました
が、なにせ銭は重量がありますので、その度に持ち歩くことはせずに、掛
けでやりとりしました。
 そのとき、百文を百緡(さし)といって紐で括り、実際は96文でした。
これで、掛けを精算しましたから、この場合の手数料相当は4文(4%)
ということになります。

 以上は、銭両替の話しで、小両替につぃては、ANo.2さんの仰るとおり
です。

Q鎖国の意味・両替商について~歴史~

こんにちは。
社会の歴史の質問をさせていただきます。
☆鎖国の意味を教えてください。鎖国とは、『朱印状、朱印船貿易、島原・天草いっき』←これらの出来事のことを鎖国というのでしょうか?教材には〔1639年、来航を禁止された国はどこか。(=ポルトガル)また、これでほぼ完成した体制を何というか(=鎖国)〕と書かれておりました。
鎖国の部分がよく分かりません。

☆〔貨幣の両替や、預金・貸し付け・為替などを扱った金融業者は何か。(=両替商)〕と書かれておりました。金融業者の部分に疑問を持ちました。江戸時代の両替商とは、今でいう金融業者という意味ですか?


誰か、回答をよろしくお願いいたします(o^o^o)

Aベストアンサー

鎖国とは、海外との交流(文化や貿易)を制限したことを言います。
まるっきり海外と関係を持たなくなったわけではなく、一部(朝鮮、中国、オランダ等)の
国とは交流がありました。

鎖国は一度に始まったわけではなく、徐々に制限をしていきました。
そのため、どこから鎖国が始まったのかの決めるために、1639年のポルトガル船入港禁止を
鎖国の始まりとしました。これは、鎖国が終わってから決められたものです。


江戸時代における両替商ですが、両替商には「本両替」、「脇両替」の二種類ありました。
「脇両替」は、金や銀などをオカネに替える商売です。
銀座って言葉は、ここから来ました。(なぜか金座はない)

「本両替」は問題文にあるような預金・貸し付け・為替を行なっていました。

円をドルに変換したり、お金を細かくしたりする行為を差すようになりましたが
元々両替商は、両替と金融を扱う商人のことを言ってました。

Q【日本史・瀬戸方久のわらしべ長者物語で物乞いをしていたら小銭が貰えて、その小銭を携えて海に行って取れ

【日本史・瀬戸方久のわらしべ長者物語で物乞いをしていたら小銭が貰えて、その小銭を携えて海に行って取れ過ぎた魚を漁師から買って、村に行って干物にして売って、売ったお金で老夫婦が畳むと言う茶屋を買って安く茶を出して、茶屋をやっていたら旅人から何処其処で戦はあるという情報を聞いたら、戦の地に行って飯と薬を売り、戦が終われば戦場に散らばっている武器を持ち帰り蔵が建って物乞いから商人になったという伝説の話。

で、戦が終わって持ち帰ったのは武器の他に「人間の死体」も含まれていたという。

死体をどうしたのでしょう?

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Aベストアンサー

ソースが不明なので、「むかしばなし(フィクション)」としての存在すら信用できない。


>瀬戸方久は死体からどうやってお金を得たのでしょうか?

その話には「死体を持ち帰った」ことや「死体からお金を得た」という記述があるのでしょうか。


ところで、あなたの脳内では歴史と昔話は同じものなのでしょうか。

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