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チェチェン問題が深刻化しています。

旧ソ連邦の時代の共和国には「ウクライナ」や「カザフスタン」のようにCIS(独立国家共同体)となったところと、バルト三国「リトアニア」などのように完全に独立できた国と、「チェチェン」や「ブリヤート共和国」のように現在もロシア連邦に含まれる共和国に分かれますが、CIS(独立国家共同体)化した国と、そうでないほかの共同体の違いは?(なぜ、独立国家になれないのか? なれたのか?) また、なぜ(どういう経緯で)バルト三国が完全にロシアから独立できたのか?

具体的なことを御存知の方いらっしゃいましたら、わかりやすく教えてください。混乱を避けるためにある程度専門的な知識がある方の回答のみに限らせてください。また、わかりやすい参考文献等(書籍)ございましたら、教えてください。

A 回答 (2件)

旧ソ連邦は15の連邦内共和国から構成されていました。

こらら15共和国は、ソ連邦の解体と同時に独立国となります。それに対しチェチェン(当時はチェチェン・イングーシ)などは、15共和国の1つであったロシア共和国の、さらに中に置かれていた“自治共和国”扱いの地域だったのです。だからソ連邦解体が独立を意味しないのです。
ロシアにしてみれば、チェチェンの独立を許せば今度はロシア連邦の崩壊の危機を招きます。石油産出地であるチェチェンが独立すれば、他の資源埋蔵地域が後を追うことは必至となります。
バルト3国の扱いが他の12共和国と違うのは、これら3国はもともとがソ連邦ではなく第2次大戦以前の1940年までは完全な独立国であったこと、それゆえバルト3国のソ連邦併合自体が西側諸国に支持されていなかったことがあります。西側諸国がバルト3国の完全独立を後押ししたのです。なお、バルト3国はロシアから独立したのではなくソ連邦から独立したのであって、そういう意味ではロシアと同格ですのでお間違えのないように。
チェチェンの最初の独立宣言は1990年11月27日のチェチェン人民代議員大会で採択されています。これはソ連邦崩壊どころか1991年8月の保守派のクーデター失敗よりも前のことでした。しかしこの当時、このニュースはまるでジョークのように扱われ、バルト3国の独立宣言とは“格”の違いを見せつけられました。西側諸国から相手にされず、ロシア国内のの民族問題として扱われてしまったことが、現在の悲劇に繋がったのです。
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この回答へのお礼

早くて、わかりやすい回答ありがとうございます。
また、質問すると思うのでその時は、どうぞよろしく。
「共和国」と「自治共和国」の違いはなんでしょうか?

民族問題は、私たちの想像を絶する根深いものがありますが、どうかより多くの人が平穏な日々を送れるように願ってやみません。

お礼日時:2004/09/05 12:02

ソ連時代の行政区画には、共和国、自治共和国、自治州などに区分され、それらは民族の構成比率や民族の人口によって定められていたのです。

いずれもソ連崩壊で独立できたのは共和国だけでした。なぜなら自治共和国以下は各共和国に含まれる存在であって、ソ連の崩壊とは無関係だからです。ソ連とは15の共和国の連合であって、ソ連が崩壊しても、それより下の単位が崩壊することにはなりません。

もちろんこれはチェチェン、イングーシ、オセチアのようなロシア共和国の中の自治共和国だけの話ではなく、グルジアのアフハジアなどの自治共和国でも同様です。

いわば各共和国が独立したのは、ソ連という接着剤がなくなったことによる棚ボタであり、他力本願です。しかし自治共和国以下が独立しようとすれば棚ボタはないわけですから自力本願で行かなければなりません。でも結局、各共和国の軍事力の方が強かったわけで、結局、独立戦争を勝利する力がなかったから独立できなかったのです。

もし本当に独立したければインドネシアやベトナムのように独立戦争を勝ち進まなくてはならないでしょう。ラオスやカンボジアはフランスが撤退したことにより独立しましたし、南北朝鮮は日本が敗退したことで独立しましたが、15の共和国のケースはこちらに近いでしょう。
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この回答へのお礼

わかりやすく解説いただきありがとうございました。

また、お礼が遅くなったことお許しください。

お礼日時:2004/10/09 19:56

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