プロが教えるわが家の防犯対策術!

「 ~んです」の過去形は「~んでした」でしょうか。 それに対して、「~んだ」は「~んだった」でしょうか。

例1:気分が悪いんでした/悪いんだった

問題:例1の言い方はできるのでしょうか。
できるなら、どんな場合使うのでしょうか。

例2:「田中さんは”もったいない”と思いつつ、傷んだ野菜の始末をするのでした。」

問題:その「~のでした」はどういう意味でしょうか。そして話す時に文末の「~のでした」は「~んでした」に変更できるのでしょうか。

つまり、「~んだった」とか「~んでした」はどんな場合に使うのでしょうか

以上の二つの質問をお願いします

A 回答 (5件)

その前に、「 ~んです」の過去形は「~んでした」でしょうか。

それに対して、「~んだ」は「~んだった」でしょうか。
の「~ん」の部分は「~の」の変化したものだと言うことは了解済みですね。
「だ」や「です」と「た」(過去や完了)との前後関係は、時により変化します。(「ます」が入るとまた変化します)

動詞「行く<の>でし<た>」 形容詞「美しい<の>でし<た>」  形容動詞「きれいでし<た>」
  「行く<の>だっ<た>」    「美しい<の>だっ<た>」     「きれいだっ<た>」
    (断定→過去)         (断定→過去)           (断定→過去)

  「行っ<た><の>です」    「美しかっ<た><の>です」       「変化なし」
  「行っ<た><の>だ」     「美しかっ<た><の>だ」
     (過去→断定)      「美しかっ<た>です」◎
                     (過去→断定)
 上記から言えること、「形容動詞」については、このような問題に関係無い。なぜかというと、形容動詞そのものが、最初から「だ」や「です」に付いているので、その場所を変化させる必要がないから。

 さて、この中で一番問題になるのは、◎印を付けた「美しかっ<た>です」は「美しいです」と並んで、現代普通に使われ、ほぼ正しい使いかと目されていることです。その特徴は普通「動詞」「形容詞」が「だ」「です」に接続する時は「の」という「準体助詞」が入るのが普通と考えられているのに、その例外になっていることです。

 以下参考までに。 ここでの回答は以上にとどめますが、「動詞・形容詞・その他の活用語(一部の助動詞など)」が、直接「だ」につくという例外があり、過去の質問に「君はこのことに『詳しいのだろう』と「君はこのことに『詳しいだろう』と二つの言い方があるのはなぜか」という質問があった問題に結び付くのですが、かなり特殊な話になるので、ここでは触れません。
    • good
    • 0

個人的な感覚ですが。


・・・です、・・・だ。
断定の助動詞とすれば、その前の・・・・は確定したもの(誰もが同じイメージを持つもの)である必要があります。
言葉で言えば、体言(名詞)、形容詞も姿形の一瞬の画像とすれば該当するのかな。
以上の使い方が正しい前提なら。
>「 ~んです」の過去形は「~んでした」でしょうか。 それに対して、「~んだ」は「~んだった」でしょうか
そういうことになります。
※「ん」は「の」の撥音便、この場合の「の」は準体助詞、「の」の前を体言化する。
>気分が悪いんでした/悪いんだった
何かの、状況描写ではあり得るかもしれません。
自分自身の状況説明では、動詞を過去形にして、断定(報告自体)は現在形が一般的です。
    • good
    • 1

「ん」は撥音便、「の」→「ん」


例 買いたいのです→買いたいんです、走りたいのだ、→走りたいんだ。
~んです、の過去形?、日本語では~に」入る言葉が過去形になります。
上の例、買いたいのです→買いたかったのです、買いたかったんです。
走りたいのだ→走りたかったのだ、走りかったんです。
文章全体の読解力がないので、こんな細かいことで何とかしようともがいています。
~のでした。
~は名詞、または準体代名詞になります(・・・・こと、または・・・・と言うこと)。
例 私のです、私んです→私のでした、私んでした
>気分が悪いんでした/悪いんだった
この例自体、日本語の感性ゼロです。
    • good
    • 0

気分が悪かった「の」です。

「の」がありませんもいいですか?
    • good
    • 0

>例1:気分が悪いんでした/悪いんだった


それでも意味は通じますが、過去の助動詞を組み込む位置がおかしいのです。
気分が悪かっ「た」のです。気分が悪かっ「た」んだ。

例2:「田中さんは”もったいない”と思いつつ、傷んだ野菜の始末をするのでした。」
「の」は準体言で「~ということ」の意味です。動詞を名詞化しますが、それを通じてその動作を客体化客観化します。
単に「する」ではなく、端から見て「そうせざるを得ない状況(巡り合わせ)となった」と主体の意思から切り離す表現になります。

>つまり、「~んだった」とか「~んでした」はどんな場合に使うのでしょうか
「ん」は「の」の撥音便に過ぎませんから「~のだった」とか「~のでした」と同等です。
>どんな場合に使うか
動作主の意思を越えたものによって、そうするしかなかった、そうなる運命であった、という場面で使います。
「田中さん」は、野菜を始末したが、それはしたくてするのでも無く、当然それ以外に何ができようか、と言う場合です。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!