プロが教えるわが家の防犯対策術!

 私は中学生の時に陸上部に入りました。
 入った理由はその頃が成長期のピークで、学年で2位の50mタイムを出したからです。本音は特に陸上にも興味は無く本当は野球部に入りたかったんですが、坊主が嫌という理由とその学校の陸上部が強豪チームだったから、「カッコいいかな~」という安易な気持ちでした。
 一年間続けたんですが、周りのメンバーがタイムを伸なす中で自分のタイムが伸びなくなり、過酷な環境での練習から持病だったアトピーも酷くなった為に退部しました。
 辞めた時に思ったんですが、その部活動で結果が全然出ていないのに続けている人に対して疑問があったんです。
 「なんで、試合にも出れない実力なのに頑張っているんだろう・・・」
 野球のようにチームプレーが特徴のスポーツで強豪チームだったら自分の誇りにもなり得るという気持ちが働くのは解かりますが、陸上という個人プレー中心のスポーツにおいて試合に出ない人は他人の雑用ばかりする立場になってしまいます。そこで何を得るんだろう・・・。と単純に疑問に思ってしまいます。私以外のメンバーの仲が良かったり、退部後の人間関係などを考えてその人達は続けていたのかもしれないんですが、私には理解できない感覚です。
 この疑問と同じくして、弱小学校で部活を真面目にやっている人っていますよね?。サークル感覚で皆の仲が良くて楽しくやっているのなら解かるんですが、先輩・後輩の上下関係もきついくせにろくに勝てないチームで頑張っている人を目にすると、疑問になってしまいます。
 これらの状況下での部活動参加について意味を感じる方のご意見を頂きたいです。

A 回答 (4件)

>「なんで、試合にも出れない実力なのに


>頑張っているんだろう・・・」

 試合に出られる実力がつくために,試合に出られるメンバーに追いつき追い越せるようにするために頑張っているのですよ。

>野球のようにチームプレーが特徴のスポーツで
>強豪チームだったら自分の誇りにもなり得ると
>いう気持ちが働くのは解かりますが、陸上とい
>う個人プレー中心のスポーツにおいて試合に出
>ない人は他人の雑用ばかりする立場になってし
>まいます。そこで何を得るんだろう・・・。
>と単純に疑問に思ってしまいます。

 逆質問になってしまいますが,なぜ「野球(団体種目)なら雑用を頑張るのも理解できるけど,陸上(個人種目)なら雑用を頑張るのは理解できない」のでしょうか?

>先輩・後輩の上下関係もきついくせにろくに
>勝てないチームで頑張っている人を目にする
>と、疑問になってしまいます。

 私も高校時代(5,6年前になりますが),部活動やってましてチームはくじ運に恵まれれば県でベスト8くらいというレベル,私自身は3年生最後の大会ではベンチ入りできたものの公式戦出場話というあなたの言葉を借りれば「何で頑張っているのかわからない」立場だったわけですけど,先日今の選手たち(私の後輩たち)が頑張って県2位まで登りつめたという朗報を耳にしました。今、「ろくに勝てないチーム」が未来永劫「ろくに勝てないチーム」であるとは限りません。今現在勝てないチームであるからこそ,勝てるチームになるために自分たちより上のレベルの相手に追いつき、追い越すために頑張るのです。あきらめなかったから、頑張ったからといってレギュラーじゃなかった者がレギュラーになれる,弱小チームが強豪チームになれるとは限りません。でもあきらめたら、頑張らなかったらレギュラーじゃない人はレギュラーじゃないままだし,弱小チームは弱小チームのままです。
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部活をやる意義って「勝つ」ことだけじゃないと思います。

強豪チームだからとか、レギュラーになれるから、大会に出れるから・・・そんな理由で部活をやってる人ってそんなに多くないと思いますよ。結果がでないことなんて、最後までやってみなくちゃわからないと思います。

部活ってそりゃあ、結果が伴なったらなおいいでしょうが、続けることに意味があるんじゃないでしょうか。私は中学時代はバレー部、高校時代は陸上部に所属していましたが、そんな強いチームじゃなかったし、最初は選手に選ばれなかったりもしました。つらかったことだってたくさんありましたが、やめなくて良かったと思っています。それは、最後には選手に選ばれるようになったし、最後まで何かをやり遂げた時の達成感が素晴らしかったからです。この気持ちは、最後までやり遂げた人にしかわからないでしょうけど。

「勝つ」ということにそこまで執着する必要なんてないと、私は思います。むしろ私にはoremoteruさんの考えがよくわからないくらいです。

つらくても、そこから得る喜びもあったと思います。
部活をやめて他のことに時間を使うことも、それはそれでいいものなのかもしれないな~とは思いますけど。
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長年かけて同じ事をやり遂げた暁に得る物は


誰が何と言おうと絶対にあります。例え補欠で終わってもね。
やらなかった人には一生掛かっても理解できないことが
そこにはあります。

ただそれはお互い様で、途中でケツを割り、逃げ出した人生も、
我々にはもう経験できないことですから、
その代わりにあなたが得た物を我々には一生理解できません。
遊んでいたら・バイトをしていたら・勉強していたら。
そっちの方が良かったかも知れませんが、どうしようもない。

ちょっと例が外れるかも知れませんが、子供の頃親にたくさん遊んでもらった人生が価値ある物なら、
全然遊んでもらえなかった人生も同じくらい価値はあると思いません?
でもお互いがお互いの経験を共有することはできませんし、意見を戦わせても無駄ですよね。
お互い後悔しても無駄なので議論自体に意味がない様な気がしますが・・・。
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そういう人は生真面目な人が多いですよ。

やり遂げる事に意義があると思っているのでしょう。

規則が厳しいのが嫌で野球部を退部した私など散々「根性無し」呼ばわりされましたから途中で辞める事が許せないのでしょう。

考え方は人それぞれですが、私は無駄な時間を費やしているなと思います。年中野球で他の事をやる時間が無い事に耐えられませんでした。

辞めたおかげでバイトもできたし遊びにも行けたし髪も伸ばせたし三年間続けていたらと思うとゾッとします。部活以外は何も高校生活残らないですよ。やり遂げた満足感より高校生活を満喫できなかった後悔や試合に出れなかった負け犬意識の方が大きいんじゃないですかね。
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