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私たちのDNAは普通の物質で出来ています 物質はエネルギーと性質出て出来ています。

受精卵から生まれて発達するまで人間は特別なものを食べる訳ではありません。

普通の物質しかないのに 何で脳にクオリアなる感覚質が出来るのか?

それよりも全てのものが持つ性質こそが我々脳にも在ってクオリア?を形成し

性質こそが精神を形成しているのではないでしょうか?

A 回答 (2件)

#1です。



別の側面から少し。。。

ハードプロブレムとしてのクオリアは、「この」私と、「それ以外」との相互作用、やり取りがあってこその問題となります。
すなわち、「個」の問題ではなく、実のところ「全体の中での動き」の問題になるでしょう。
従って、そういった観点から見ても、分析的・解析的な論考のみでは、片手落ちであると言えるのでは無いでしょうか?

言いかえれば、
「性質こそが精神を形成しているのではないでしょうか?」
に対する私論は、正確には
「それぞれの個にとっての精神は、個のみならず、個を取り巻く全てのものと、それらとの関係との動的な流れの中で生み出され続けているものであり、個にとってクオリアと感じ取られ、言葉に翻訳されうるものは、そういった動的な全体像の、静止画としての一断面にしか過ぎない。」となります。
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この回答へのお礼

Thank you

確かに精神は外界とつながっています。地球あっての精神、宇宙あっての精神です。

ただ地球や宇宙の性質と繋がっているので あながち 精神は性質で出来ていると言って過言ではありません。

個と言っても、飽くまでどこまでも相対的な相互作用ですからその中に存在を見出すならば

その個性を持って「個」と見做すしかありません。

お礼日時:2017/09/01 16:24

仰っておられるのは還元論ですかね。


あるいは、性質二元論?
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/性質二元論

クオリアとか心とか意識といったレベルでなくても、例えば雪の結晶から心筋の律動的な動きや集団でのホタルの同期した点滅等、「自己組織化」と呼ばれる現象が理解されてきています。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/自己組織化
下記の後半から最後の部分では、自己組織化の観点から、粘菌と脳の状態の相同性について触れられています。
http://www.es.hokudai.ac.jp/wp-content/uploads/2 …
こういったレベルでの思考から下記の様な思索へと拡張した考え方も出てきています。

http://www.ypg.ias.sci.waseda.ac.jp/_userdata/HP集合知から集合意識へ_.pdf

https://www.amazon.co.jp/群れは意識をもつ-個の自由と集団の秩序-PHPサイエンス・ワールド新書-郡司ぺギオー幸夫/dp/4569809502

これらを引っくるめて「性質」と一言の元で片付けられるのであれば、クオリア、生命、心、意識と呼ばれるあらゆるものは、まさに「性質」でしょう。

で、そうやって「理解したつもり」になったとして、「私が私であるところ」、他の誰でもない「この」私という感覚・認識(いわゆるクオリア)、すなわち自我の根底、自己を認識する「この」自己がどうこうなるといったことでもなく、「それで、私の何が分かったって言いたいわけ!」と、凄まれたら、返す言葉も見つからないでしょうね。
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この回答へのお礼

Thank you

それで私の何が分かったって言いたい訳?と凄まれたら

クオリアも生命も心も意識も動植物の獲得形質の性質も物性も実はみんな同じ質だったんだよと

言ってみるつもりです。

私の場合「性質」と「存在」というキーワードがあって

「存在は性質を持ったエネルギーである」と定義しているので 性質が共通しているのは当然と言う事になります。

存在とは(個性ある)性質を持ったエネルギー(質量を含む) と言う事なので何の問題もないと言う事です。

お礼日時:2017/09/01 16:17

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