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人生は遺伝します。
自分の子孫は大体自分と同じ人生を歩むので、親が良い人生おくれなければ子も同じですよね。

自分が悲しい人生をおくっているのになぜ子どもなんて産むのでしょうかねぇ。不幸を連鎖させる意味はありません。
種の繁栄の為とか言っちゃう人はさすがにいませんよね。

余談
自殺が非難されますが、何も悪くないと思うのです。自分で悪運を絶つ。これって悲しい人生からの解放。人間が求める自由なのでは?

A 回答 (16件中1~10件)

「貧困スパイラル」なんてのは、かなり前から言われてることだけど、単なる「傾向」であって。


そのスパイラルから脱した事例など、いくらでもあるよ。
すなわち、可能性やら期待はあるワケで、だから子供を産むのでしょう。

一方、「種の繁栄の為」なんてのは摂理であって、自然に組み込まれてるもの。
従い、それも否定はし得ない。

貧困スパイラルなんてのは、実は簡単に抜け出せるしね。
たとえば「日本版カースト制度」などと考えてみれはいい。
それなら、日本から脱出すれば解決する話。
国によっては、「日本人」と言うだけで尊重されるよ。

この事例で言えば、結局のところ「視野の狭さ」とか「行動力の無さ」など、かなり基礎的,初歩的な部分での素養であって、そのレベルの素養が無い日本人など、実は余り居ない。
そんな薄っぺらな壁をブチ破れないことを、「遺伝」などと嘆くだけでは、何も解決しないと言うか。
そもそも解決する気もなく、嘆いているだけのことかと。

まして「悪運を立つ努力」が、「自殺」なんて言う結論は、有り得ないな。
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だから?


自分で輪廻を断ち切りたいならこんなとこで駄弁ってねえでとっとと逝けよ。
さようなら不幸くん(笑)
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親がいい人生を送れなかった場合、子供がいい人生を送れ無い可能性は高い、但し、稀に例外が産まれる。

その例外が種の繁栄を担う可能性があったりする。なので、弱い生物が滅亡するのではなく、適応できなかった者が滅ぶ、という現実がある。あと子孫になると、他の遺伝子を取り込んだりするので、雑種や原種の進化版など数世代経つと全く違うものとなってるのでそれはない。
自殺は悪運を呼ぶし、自殺者の自由というよりも、自殺者に対する周りからの不自由の結果が自殺。人間は社会というものを形成して生き残ってきた。しかし、合理的なわけでは無い。自由への理解が浅いです。もしも自殺者が自殺をする理由はないけど、自分がそうしたい理由もわからずに、そうした場合は自由かもしれ無いけど、基本理由があるよね。それは自殺に追い込まれた(他者から自由を奪われた)ってことだよ。あと自殺させ無い自由の観点が抜けてる。人間の求める自由とは、矛盾していることを認めること。認められることだから。余談は筋が通り過ぎていて、矛盾が無いから正しく無い。矛盾が無い=自己完結している。
間違って無いから正しいとは限ら無い。例えば定義自体が間違えていたり、未知なることにより抜けがあったりする。
間違いだらけでも答えがあっていることもありえる。
自殺が認められて非難されなければ自由なの?
自由だとしたら、自由な人は幸せなのだから、自殺する必要性をなくさないのかな?今回は、悲しい人生を前提にしてるのが定義のミスかな?他には、例えば未知なることやったら、死後の世界、これ俺も答えわからん。
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人生は遺伝します。

??
知識 少ないですよ 結論は早過ぎですよ

同じ親から生まれ 同じ家庭環境で育った兄弟が
正反対の性格であったり 親と全く違う人生を歩む事
普通です  
幼児期に 親の影響を受けるのは 遺伝ではありません

しかし 親の運命(宿命)を 子供も背負う事
ありますね
これとて 遺伝ではありません  何故なら
縁によって 運命(宿命)は変わるからです

古来より その人の運命の捉え方に二つの考えがありました

一つが 宿命論
どんなに努力しても運命は変わらない
自分の境遇をうけいれるしかない
あきらめを植えつける   と言う考えで
結局 希望を奪う間違った考えなのです

もう一つが 偶然論
どんな行いをしようとも 結果には関係ない
人生を無軌道にし 人々を傷つけても 意に介さない
これも 問題の考え方です

しかし 三つ目の考えがあります
因が同じでも そこにどのような縁が結びつくかにより
一人一人に現れる果は異なってくる
と言う考えです これは仏教の考えと同じです


人生は遺伝しません


参考
 悪人 善人
  http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage13.htm


あと 自殺ね
これ 自分が分からない人の選ぶ 勘違い

自分は何処から来て 何処へ行くのか
何のために

これが分からないんですね
 徘徊する ボク老人と同じですね

哲学に学びましょう

①人間を強くします
②人間を善くします 
③人間を賢くします

  詳しくはカットします
 

参考  
何のために
  http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage17.htm
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遺伝して、人生を作用しやすい遺伝子と、そうでない遺伝子があるんじゃないでしょうか。



私は、父親とは、合ったこともないし、母親は、完全に反面教師でした。肉食系で、地道な努力を厭わないタイプです。人生、流されると、えらいことになるのが、親を見てわかっているからです。見た目は、母に似たところもあります。

親は、選べない、と悲嘆したこともありますが、自分が子供をもつときに、子供に悲嘆されないように、毎日コツコツ、努力するしかないんですね。

私は、自殺する人を責める気にはなれません。楽になりたい、という気持ちはよくわかります。でも、楽になるって、そんなに良いことでしょうか。
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人間が他の生物と違って繁栄したのは、遺伝子の進化に


よらず、脳の神経線維の配線が、生後の五感の相関した
刺激によって伸びる=生後の環境に適応して多様化でき
るからです。
その意味で、親=遺伝に100%の原因を求めるのは間違い
です。
環境の刺激に対する対応や自分の努力が大きな要因です。

また、あなたが自殺を肯定するのは自由ですが、自殺
すると、そうした考えは淘汰されるので、自殺の許容が
社会的ルールや常識、正しさになる事はありません。
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「人生は遺伝します」


⇒なるほど。

「自分の子孫は大体自分と同じ人生を歩むので、親が良い人生おくれなければ子も同じですよね」
⇒そうですね。
つまり、肉体的な遺伝ではなく、親の考え方、親の育て方が子供に大きな影響を与えるということでしょうね。

「自殺が非難されますが、何も悪くないと思うのです。自分で悪運を絶つ。これって悲しい人生からの解放。人間が求める自由なのでは?」
⇒おっしゃる意味はよく理解できます。

まあ、自殺が批判されるのは、失恋やいじめなど些細なことで自殺する場合でしょうね。
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遺伝はともかく、少し共感しちゃいます。


幸せを感じられないのに、子供を持とうってあまり心から思えません。
そんな自分の子育ては、子供に不自由な思いをさせそうだから。

ずっと苦しいと、人生終わらせたくもなりますよね
ですが、寿命までなるべく生きます
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例え、血縁関係にある子供でも、「他人が苦しむことで、自分の不幸が少しでも楽になった」と感じる人間が多くいるからです。


今の時代なら、子供は児童手当という手法で稼ぎを得られます。
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子供が欲しいって本能ですからね。


欲しいと思ってなくても妊娠したら母性に目覚めてって人も沢山いますしね。
産む理由なんて口で説明できるようなものじゃないんですよ。
あと、遺伝は気質体質才能です。
人生は遺伝しません。
親の影響力はありますが、
あとは本人次第です。
親のせいにいつまでもしているなら変われないんでしょう。
自殺は反対派です。
自分の行く末を見届けたいですね私なら。
気が狂うまで。
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Qこころのきずがなほらないことがあるか

▲ (アウグスティヌス:《心の欠けなる傷》について) ~~~
 かの全能者は 
 最初の人(アダムとエワ)からであれ 
 その後に加えられたわたしたちの意志からであれ
 わたしたちに起こっている悪を
 その満ちあふれる恩恵によって
 滅ぼしている。
    (『ユリアヌス駁論』1・5 金子晴勇訳)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ のではないか? 

信仰の有る無しにかかわらず。

それでこそ普遍神である。

Aベストアンサー

生まれつき備わっているもの。それは、神が無条件で与えた必要最小限の、<命>としての資質と意力。資質とは理性と感性。意力とは文字通り生きようというエネルギー。これらの能力が芽を出すのは、置かれた環境次第による。

人の場合、親がその環境を整えなければ<命>は生命、とは成り得ない。
心の傷が生まれつきのものなら、神でさえ直せない。言い換えればその傷は神が与えたのだ。

生きることで生じる傷は他者から受けたものであるはず。ただ、自身に因がある場合もあるか、とは思う。

☆ ブラジュロンヌさんの云わんとすることは、何となく分かっているつもりですが、それがいまだにうまく言葉にできないでいます。

Q《猛禽と仔羊》:ニーチェの道徳観

次の文章は 読むに堪えますか?

▲ (ニーチェ:《猛禽と仔羊》) ~~~~~~~~~~~~~~~
――だがわれわれは引き返そう。《よい( Gut )》のもう一つの起源の
問題 すなわち《反感( Ressentiment )》をもった人間が考え出した
《よい》の問題がその解決を待っているから。

――仔羊どもが大きな猛禽を恨むのは異とするに足りないことだ。しか
しそれは 大きな猛禽が小さな仔羊を捉えることを咎め立てる理由には
ならない。

また仔羊どもが 《あの猛禽は〈悪い( Böse)》 従って 猛禽になる
べく遠いもの むしろその反対物が すなわち仔羊が――〈善い( Gut )〉
というわけではないか》と互いの間で言い合うとしても この理想の樹立
にはいささかの難ずべき点もない。

もっとも 猛禽の方ではこれに幾らか嘲笑的な眼を向けながら 《俺たち
は奴らを あの善良な仔羊どもをちっとも恨んでなんかいない。俺たちは
奴らを愛してさえいるのだ。柔らかい仔羊より旨いものはないから》とお
そらく独り言を言うであろう。 

――強さに対してそれが強さとして現われないことを要求し 暴圧欲・圧
服欲・敵対欲・抵抗欲・祝勝欲でないことを要求するのは 弱さに対して
それが弱さとして現われないことを要求するのと全く同様に不合理である。

ある量の力とは それと同量の衝動・意志・活動の謂いである――という
よりはむしろ まさにその衝動作用・意志作用・活動作用そのものにほか
ならない。それがそうでなく見えるのは ただ すべての作用を作用者に
よって すなわち《主体》によって制約されたものと理解し かつ誤解す
るあの言語の誘惑(および言語のうちで化石となった理性の根本的誤謬)
に引きずられるからにすぎない。

[・・・(力とその作用 あるいはつまり逆に言って 作用と作用者=主体
とを分けて捉えるのは 例の《イデア》論にそそのかされたアヤマチだと
論じている。省略します)・・・]

作用が一切なのだ。



[・・・(今度は チカラにも《原因としてのチカラと作用としてのチカラ
とがある》といったあやまった見方をすることがあると論じている。省き
ます。ただしこのような言葉=観念の誘惑にみちびかれることからの派生
的なあやまちだというものが 次に挙げられている。)・・・]

内攻して蔭で燃え続けている復讐と憎悪の感情が 強者は自由に弱者にな
れるし 猛禽は自由に仔羊になれるというこの信仰を自分のために利用し 
その上この信仰を他のあらゆる信仰にもまして熱心に保持するとしても 
それは別に異とすべきことではない。――実にこの信仰によってこそ彼ら
は 猛禽に対して猛禽であることの責めを負わせる権利を獲得するのだ・
・・。

抑圧された者 蹂躙された者 圧服された者が 無力の執念深い奸計から 
《われわれは悪人とは別なものに すなわち善人になろうではないか。そ
してその善人とは 暴圧を加えない者 何人(なんぴと)をも傷つけない
者 攻撃しない者 返報しない者 復讐を神にゆだねる者 われわれのよ
うに隠遁している者 あらゆる邪悪を避け およそ人生に求むるところ少
ない者の謂(い)いであって われわれと同じく 辛抱強い者 謙遜な者 
公正な者のことだ》――と言って自らを宥(なだ)めるとき この言葉が
冷静に かつ先入見に囚われることなしに聴かれたとしても それは本当
は 《われわれ弱者は何といっても弱いのだ。われわれはわれわれの力に
余ることは何一つしないから善人なのだ》というより以上の意味はもって
いない。

[・・・(長くなるのでもう省略に従います。書かれていることは このよ
うに《仔羊》たることに甘んじる《弱者》たちは その何もしない方針を 
信仰としての主体・つまりその魂の成せるわざだと言って 《自己欺瞞》
に落ち入っているという批判である。そのくだりで この断章は終えられ
ている。)・・・]

(ニーチェ / 木場深定訳:『道徳の系譜』 第一論文 《善と悪》・《よ
いとわるい》 十三 (訳:1940/1964改版))
 
・独文:http://www.nietzschesource.org/#eKGWB/GM
・英訳:http://nietzsche.holtof.com/Nietzsche_on_the_genealogy_of_morals/on_the_genealogy_of_morals.htm

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ ここで ニーチェは 次のように言っていますか?

(あ) 拉致された小羊は 猛禽に文句をつける理由はない。

(い) 《行為者》なる人間というのは まぼろしの観念論であって 世
界は《行為》のみから成る。拉致された弱い者が 拉致する強い者に何を
言っても それは まぼろしのごとくでっち上げた《道徳》とそしてルサ
ンチマンのなせるわざであるに過ぎない。

次の文章は 読むに堪えますか?

▲ (ニーチェ:《猛禽と仔羊》) ~~~~~~~~~~~~~~~
――だがわれわれは引き返そう。《よい( Gut )》のもう一つの起源の
問題 すなわち《反感( Ressentiment )》をもった人間が考え出した
《よい》の問題がその解決を待っているから。

――仔羊どもが大きな猛禽を恨むのは異とするに足りないことだ。しか
しそれは 大きな猛禽が小さな仔羊を捉えることを咎め立てる理由には
ならない。

また仔羊どもが 《あの猛禽は〈悪い( Böse)》 従って 猛...続きを読む

Aベストアンサー

お礼ありがとうございます。
誤解があるようですが、私が記載しているのは、ニーチェが述べた事、及びニーチェの論と思われる事です。(ニーチェの論を全て詳細に検証する事は不可能ですから、これが完全なものである保証はありません)
したがって、あくまでニーチェが論として述べた事であって、それが仮説では無く、実証されたものと言う事はありません。
ニーチェが論として述べている以上、ニーチェは確信していると言う事を前提としていると言うだけです。(なお、ニーチェが提起した問題は、読者に考えて欲しいと記載している以上、ニーチェも自説が完全とは判断してはいないでしょう)
「よい」とは何か?、「わるい」とは何か?と言う事は、ニーチェは自分の「よい」、「わるい」しか述べていません。
第一論文ー17で述べている以上、これはみんなで考えて欲しいと言う事です。(その問題提起とは、「善」、「悪」の起源及び、その価値についてです)
なお、第二論文ー「罪」、「疚しい良心」および関連問題、第三論文ー禁欲主義の理想の意味するもの、でさらなる論争を求めています。(第二論文は、その性格上、社会を扱います)
あくまで、この論文集は、「善悪の彼岸」で問題を提起したつもりだったのが、そのように読み取る読者が少なかったので、論文の体裁で、論争を巻き起こす事を意図したものなのでしょう。(批判しやすいように、あえて明確に記載しています)

お礼ありがとうございます。
誤解があるようですが、私が記載しているのは、ニーチェが述べた事、及びニーチェの論と思われる事です。(ニーチェの論を全て詳細に検証する事は不可能ですから、これが完全なものである保証はありません)
したがって、あくまでニーチェが論として述べた事であって、それが仮説では無く、実証されたものと言う事はありません。
ニーチェが論として述べている以上、ニーチェは確信していると言う事を前提としていると言うだけです。(なお、ニーチェが提起した問題は、読者に考えて欲...続きを読む

Q「主」とは誰ですか?

「主」とは誰ですか?
 自分ですか?

Aベストアンサー

その答えは、ご質問者次第では。

「主」を、「しゅ」と読むか、「あるじ」と読むか。

ご質問者が、「支配されるもの」として、自分を認識すれば、「しゅ」と読んで、
宗教世界に浸るかもしれませんし、

「支配されていないもの」として、自分を認識すれば、「あるじ」と読んで、
自分を認識するかも知れません。

結局、気分次第で、読み方、意味が変わると言う事は、
究極、普遍性を持たない「言葉」、と言う意味だと思いますが。

Q¿ 不倫がどうぢゃこうぢゃと 弱者の反感(ルサンチマン)がかまびすしくなった あぁ 世も末ぢゃわい

1. 弱者は 勇気も度胸もなく 浮気もできないというだけではないか。

2. そのやからがつくった倫理をやぶったからと言って 何をさわぐのか?

3. 高貴な強者は ビッグバンの初めから そのチカラへの意志で生きて
いる。きわめてうつくしい振る舞いだ。文句あっか?

4. 倫理道徳は 高貴な人種のつよさ・うつくしさに対するやっかみから
弱者が勝手につくった。

5. 天皇家も この《倫理》に合わせて 側室を排除した。あぁ 世も末
ぢゃわい。


☆ 教えて! ぐー。

Aベストアンサー

No.7です、

bragelloneさん、素直なコメントですね。


「つまり 《倫理・道徳》というものは 《つぶやき氏(=ニーチェ)》によれば 弱者が勝手にその弱さに合わせて都合よいようにつくったに過ぎない・・・と言ってるんです」
⇒そうなのですか。

ニーチェが心から、そのように言ってるとすれば、それはニーチェがおかしいですね。

何故ならば、倫理・道徳がなければ、社会は混乱の極みだからです。
倫理・道徳がある中で、密かに浮気がある、ということであれば何も問題はないでしょう。

つまり、浮気は”弱者は勇気も度胸もなく”とは無関係でしょうね。

Q哲学では、何が正解なのですか? どうやって、正解を求めるのですか? そもそも、正解はないのですか?

自然科学では、言い分が対立した場合、“実験をやろう”、“予測をしよう”、“論理の精密な積み上げをやろう”ということになり、正解が独りでに決まってしまいます。
哲学では、何が正解なのか分りません。各人が、勝手に言っていうだけ、と感じます。
百家繚乱とは言えず、百家争鳴のような気がします。

以下質問です。
哲学では、何が正解なのですか?
どうやって、正解を求めるのですか?
声が大きい(多い)方が正解なのですか?
そもそも、正解はないのですか?

Aベストアンサー

科学哲学が参考になります。https://oshiete.goo.ne.jp/qa/53553.html左記質問のno.2による科学と哲学の違いが良い説明。
 no.2
 「科学哲学」をどういう意味で仰ってるのか、ちと見当が付き
 ませんが、科学が哲学の一分野であるという認識を持っていら
 っしゃるのなら、さほど難しい話ではないと思います。

 テーマが何であれ科学のプロセスを簡単に並べてみると、
 (0)観察をする。
 (1)仮説を立てる。
 (2)仮説から演繹される予想を立てる。
 (3)予想が既知の事実と矛盾しないか先ずチェックする。
 (4)予想を実験で検証する。繰り返し実験を行って再現性を確か
   める。
 (5a) 実験が予想に反するなら仮説を棄却する。あるいは
 (5b) 実験が予想に良く合うなら、ひょっとしたら仮説は正しい
   のかもしれない。
 ということですが、(0)(1)(2)(3)までで終わればまだ「科学」の
 体をなしていない。
 (0)(1)(2)(3)(4)まででもまだ中途半端。
 (0)(1)(2)(4)(5b)というのは、しばしば勘違いの誤謬を含む。
 (0)(1)(2)(3)(4)(5a)となれば、これは立派な「科学」で、失敗報
 告という論文が書けます。既にある理論に対立する理論を構築
 し、検証したが否定された。これは重要な価値を持っている。
 (0)(1)(2)(3)(4)(5b)の場合、形而上学的に(1)を認めちゃうという
 短絡をやらかすと「科学」ではなくなるし、哲学としてもお遊
 びレベル。この場合(1)は「一応の仮説」として提言されるべき
 で、何度も(2)~(5b)のサイクルを回った上でようやく「一応最
 もらしい学説」に昇格する。でも反例が一つ出たら瓦解します
 。だから、哲学としては(0)を追加するなり、(1)を精密化するな
 り、(2)のバリエーションを作るなりして一層深い研究を進める
 べきです。
 かくて、(0)(1)(2)(3)ぐらいのレベルをいろいろ検討して(手間と
 コストを掛けて実験してみる価値のある)良い仮説を構築すると
 ころまでは間違いなく哲学で、ことに(5a)(5b)の次のサイクルを
 方向付ける、(0)(1)(2)(3)こそ哲学の仕事です。その指針として(
 検証不可能であるところの)形而上学があったって、それは構わ
 ない。どの仮説から手を付けようかサイコロ振って決めるというの
 よりも、人間の洞察力を信じたいですね。(しかし何度か旨く行
 った形而上学が、だからといって信仰に化けてしまうのは感心いた
 しません。)

まとめ。科学は哲学の一分野である。テーマが何であれ科学のプロセスを簡単に並べる。
(0)観察をする。
(1)仮説を立てる。
(2)仮説から演繹される予想を立てる。
(3)予想が既知の事実と矛盾しないか先ずチェックする。
(4)予想を実験で検証する。繰り返し実験を行って再現性を確か
  める。
(5a) 実験が予想に反するなら仮説を棄却する。あるいは
(5b) 実験が予想に良く合うなら、ひょっとしたら仮説は正しい
  のかもしれない。
科学は(0)(1)(2)(3)(4)(5a)と(0)(1)(2)(3)(4)(5b)をたくさん集める。(5a)のとき失敗報告という論文が書ける。既にある理論に対立する理論を構築し検証したが否定された。これは重要な価値を持っている。(5b)のとき、類似したたくさんの(5a)とあわせて科学。でも反例が一つ出たら瓦解する。
哲学は(0)(1)(2)(3)ぐらいのレベルをいろいろ検討して(手間とコストを掛けて実験してみる価値のある)良い仮説を構築するところまで。次のサイクルを方向付ける。指針として検証不可能である部分を持つ。

リンク先の質問とno.1~no.83を読んでみると、哲学で意見が対立する場合、範囲の設定、現象の特定、現象の呼び名、現象から推測される予測が異なってくるのだと思う。予測が否定されると、自身の信条が否定されたと強く感じてしまうと、自身の予測に矛盾があるのが自身で認められなかったり、自身の予測の反例となる現象が認められなかったりする。範囲の設定、現象の特定、現象の呼び名が同意できなくなる。論争になる。正解が見つからない感じになる。

声が大きい(多い)方が正解というのは誤り。リンク先のno.2の説明が良い説明だというのはno.20の直感。どうして良いのかは説明できない。✕百家繚乱〇百花繚乱。

科学哲学が参考になります。https://oshiete.goo.ne.jp/qa/53553.html左記質問のno.2による科学と哲学の違いが良い説明。
 no.2
 「科学哲学」をどういう意味で仰ってるのか、ちと見当が付き
 ませんが、科学が哲学の一分野であるという認識を持っていら
 っしゃるのなら、さほど難しい話ではないと思います。

 テーマが何であれ科学のプロセスを簡単に並べてみると、
 (0)観察をする。
 (1)仮説を立てる。
 (2)仮説から演繹される予想を立てる。
 (3)予想が既知の事実と矛盾しないか先ずチェックする。...続きを読む

Qknowledge, inteliigence and wisdom の違いは?

knowledge, inteliigence and wisdom の違いは何でしょうか?

日本語の訳はそれぞれ、

knowledge:知識
intelligence:知性
wisdom:叡智

ということのようですが、訳語のイメージに惑わらされずに、英語の単語の意味を正確に理解したいと思っています。

[質問1]
まず、knowledgeとintelligenceの違いはなんでしょうか。私はknowledgeに帰納法とか演繹推論などのlogicを付加したもがintelligenceかなと思うのですが、いかがでしょうか。
また、intelligenceはknowledgeを包摂する上位概念で、knowledgeはintelliegnceの「部分」と思っていますが、包含関係が成立し、真の部分集合になっていると思ってよいでしょうか。 K ⊂ I


[質問2]
次に、wisdomはintelligenceに価値判断を追加したものかと思うのですが、いかがでしょうか? 
「生命は貴重だ」とか「男女の価値の差はない」とか、「人生は苦である」など、
包含関係以外で「subject is predicate」という価値判断が含まれるのがwisdom、それは含まないのがintelligenceと考えて、よろしいでしょうか?
また、wisdomはintelligenceを包摂する上位概念で、intelligenceはwisdomの「部分」と思っていますが、包含関係が成立し、真の部分集合と思ってよいでしょうか。 I ⊂ W


K ⊂ I ⊂ W

英語の語彙に詳しい哲学関係の専門家からのアドバイスを頂けるとありがたいです。

どうぞよろしくお願いします。

knowledge, inteliigence and wisdom の違いは何でしょうか?

日本語の訳はそれぞれ、

knowledge:知識
intelligence:知性
wisdom:叡智

ということのようですが、訳語のイメージに惑わらされずに、英語の単語の意味を正確に理解したいと思っています。

[質問1]
まず、knowledgeとintelligenceの違いはなんでしょうか。私はknowledgeに帰納法とか演繹推論などのlogicを付加したもがintelligenceかなと思うのですが、いかがでしょうか。
また、intelligenceはknowledgeを包摂する上位概念で、kno...続きを読む

Aベストアンサー

お礼ありがとうございます。
wisdomの難しい所は、intelligenceによらずに、正しい選択と言うか、正しい行いが出来る人がいる事です。
日本語の知恵も同じような概念ですが、知によらない賢さがあると言うニュアンスが、英語ネイティブでも、年齢によらないと言う回答を生んでいるような気がします。
intelligenceは、合理的な思考により、smartに通じますが、それが決してwiseとはならない場合もあります。
また、intelligenceは、他から学ぶ事が可能であると言うか、学ぶ事が出来る能力と言うニュアンスもあるようです。
それに反して、wisdomは、一種の判断能力であり、学習で身につくものでは無いと言うニュアンスが強いようです。

Q信仰には神も仏も要りませぬ

信仰について言えば皆勘違いをしているのでございまする。
ここではっきりと申しておきまする。
信仰とは神や仏を拝むことではないのです。
それゆえ信仰するのに神も仏も要らないのです。
それどころか信仰するのに必要なものは殆ど何も無いのでございまする。
食うメシがなくて腹を空かしていても信仰するのに何の問題もございません。
見栄えの良い仏壇やら、お題目を唱えるのに高いお金を払って御本尊を買う必要など毛頭ございません。
また戒名料やら高額なお布施など要求する坊主らを相手にする必要もございません。
信仰するのに必要なものはただ一つなのでございまする。
ほんとーに信仰するのに必要なものはただ一つなのでございまする。
そのただ一つのものとは夢見る心でございまする。
なぜなら信仰とは夢を見ることに他ならないからでございまする。
布団の中にはいって猫のよーに夢見ることができれば、それはもー立派な信仰者なのでございまする。

Aベストアンサー

たとえそれが師、ブッダ、聖人であったとしても、他人を信じるより自分を信じることの方が優れている。そのように信じられる自分を確立する方が優れている。
また、他の人の欠点や汚点を見てそれを毛嫌いしその人の本質を見ないことよりも、人のまことを信じることの方が優れている。人のまことを信じる人は精進によって自身のまことを知る事になる。

人は普通、頼りなく、しかも表面的な事に流されるゆえ信を確立する事は容易では無い。しかし誰もが持ち得るのが信であり、それをいくら強く抱いても非難される事がないのが信の本質なのである。

静かな夜は貴重な時間である。静かに観じるならより澄んでくるだろう。
夢見ている間は眠っていて目覚める事はない。しかし、夜の間にぐっすり眠っているからこそ、朝にはすっきり目覚める事ができる。朝がいつになるかは人それぞれであり前以て分かることではない。その時が来たならそれがその人のその時なのである。
夢見ている間の寝言の一つや二つは特に何の害もない事で、気にすることはない。

Qシャカも、モハメットも、孔子も、尊敬され、天寿を全うしましたが、なぜ、キリストは、天寿を全うしていな

シャカも、モハメットも、孔子も、尊敬され、天寿を全うしました。
しかし、キリストは、天寿を全うしていません。(できなかったのか。しなかったのか。)
なぜ、キリストだけは、特殊なのですか?

Aベストアンサー

過激で、当時の政治体制を揺るがしかねなかった
からです。

釈迦は穏やかです。既存の政治権力と対立することは
ありません。
モハメットは、自ら戦争を仕掛け、勝利しました。
孔子などは、それこそ政治体制維持の為の教えみたい
なものです。

しかしキリストは違います。
既存の宗教を悪と断じ、体制に真っ向から対立しました。

Aベストアンサー

No.25です。
前回でもう終わりにするつもりでしたが・・・

> ☆ この回答は 残念ながら 回答には成っていないと申し上げなければ
> なりません。
>
> ただの可能性を――そしてそのひとつのみを――言い当てた。だけのもの
> だからです。

それはおかしいですね。
貴方のご質問は
「同じような内容で何度質問しても しかるべき反論や批判が出ないのは 賛同したということでしょうか」
です。
ですので、「賛同してない例」を上げました。
1件でも賛同してないという例が挙がれば、「全ての『しかるべき反論や批判を行わなかった人』が賛同しているとは言えない」ということになります。(もちろん、その例が荒唐無稽なら別ですが。)
逆に、貴方の質問の回答として「賛同した」と言うには、「全ての『しかるべき反論や批判を行わなかった人』が賛同しているという根拠を示す必要がある」のです。もしくは、「賛同していない例は存在しない」ということを示すのでも良いでしょう。

また、あくまでも「可能性」であって、事実とは限らない、というご指摘かと思いますが、何しろ、私は「しかるべき反論や批判を行わなかった人」本人ではありませんので、可能性以外を指摘しようがありません。
「事実」以外不要、とのことでしたら、ご質問文に「私の過去質問に回答をした人、または、回答しないまでも見たことのある人限定で」と書くべきでしたね。

貴方の求める回答は何でしょうか?
互いに意見を戦わせ、議論をしたいのだと受け取りましたが、貴方の態度はそれと正反対に感じられます。
もしも、過去質問においてもそのようなやり取りしかないのであれば、回答者様たちは、それを不毛に感じて「しかるべき反論や批判」をする意欲を失ったのでは・・・と思いました。
まあ、過去質問を拝見してませんので、単なる感想です。

この回答にどのような返信をいただいても、私はもう回答はいたしません。
さすがに少々疲れました。
ご了承ください。

No.25です。
前回でもう終わりにするつもりでしたが・・・

> ☆ この回答は 残念ながら 回答には成っていないと申し上げなければ
> なりません。
>
> ただの可能性を――そしてそのひとつのみを――言い当てた。だけのもの
> だからです。

それはおかしいですね。
貴方のご質問は
「同じような内容で何度質問しても しかるべき反論や批判が出ないのは 賛同したということでしょうか」
です。
ですので、「賛同してない例」を上げました。
1件でも賛同してないという例が挙がれば、「全ての『しかるべき反論や批判...続きを読む

Q人間とは 何でしょうか?

そもそも人間とは何でしょうか?

実存とか精神とか 性善説とか性悪説とかありますが

人間と言う者は 一体何なんでしょうか?

Aベストアンサー

> 人間と言う者は 一体何なんでしょうか?

それを探求し続け、現時点では、その末にすべてを解明する可能性がある、宇宙で唯一の生物・・と言うところじゃないですかね?

もし仮に、「神」とか「宇宙の意思」なんてのが存在し、その意思のもと、人類が何らかの目的とか、何らかの使命を帯びて誕生した生物であれば、宇宙や生命科学の真理に到達するか?
たとえ到達せずとも、その手前くらいまでは辿り着くと思いますが。

やっぱり神などはおらず、人類は特に目的なども無い生物なら、地球と言う惑星に偶発的に発生しただけの生物であって、いずれは死滅する存在じゃないかと。
そんな生物であれば、「人間とは?」などと大上段に考察する必要もなく、多少の知性などはあるものの、本質的にはアメーバーなどと大差は無い生物ってことで良さそうです。

一方、近年の宇宙科学とかでは、「ホンマかいな?」と言う様な発見や研究が多いのですよ。
たとえば、「重力は小さすぎる」なんてのが証明されて、「その力はどこに消えてるのか?」などが研究されるたり、「未知なる『第5の力』がある!」なんてことも言い出しました。
そうなると、高名な学者が「宇宙は少なくとも5次元以上で構成されているが、人間の脳は、まだ3次元までしか感知,認識し得ない」みたいな説を唱えたりもしています。

何か「言いたい放題」みたいな感じなのですが、1つのことが判れば、謎は深まるばかりと言う様相で。
ご質問も、それこそパスカルの時代から存在しつつ、誰も明確に正解を答えられない問いですが。
結局のところ、「人類はまだ、何も判っていない」に等しい状況と言えそうです。

もう一つ、興味深い説があって、宇宙には人類以外の知的生命体がいる存在は、否定されつつあります。
これはちょっと寂しい気もする説ですが、これが事実なら、冒頭の「真理を突き止められる可能性がある、宇宙で唯一の生物」と言うことになります。

また、上でも少し触れましたが、宇宙と脳には各種の関連性が指摘されていて、まあ人類も宇宙の子ですから、関連があって当然ながら、何らか「宇宙の意思」的なものがあって、その様に作られているのかも知れません。

いずれにせよ、人類は未だ「人間とは何か?」に対し、明確な答えを得ておらず。
その答えを得るためには、まだ戦争などの愚かしい行為も繰り返しながら、もっと科学技術などを高める必要性はありそうだし。
戦争などとは無関係に、宇宙や生命科学の真理を探求できる状態になる頃には、完全なる平和なども手に入れねばならないです。

現代に生きる我々に出来ることは、我々の子孫が真理を解き明かすことを願い、我々の時代を少しでも良くする努力をすることではないか?と思います。
また、もし真理に到達すれば、それが「宇宙の意思」そのものと言えそうで。
「人類こそが、宇宙の意思であった」と言えるのかも知れません。
あるいは、人類の産物であるAIなどが、人類の意思を引き継いで、それを実現するのかも知れませんが。
出来れば、私のDNAもちょっとは受け継いだ、人類であって欲しいです。

> 人間と言う者は 一体何なんでしょうか?

それを探求し続け、現時点では、その末にすべてを解明する可能性がある、宇宙で唯一の生物・・と言うところじゃないですかね?

もし仮に、「神」とか「宇宙の意思」なんてのが存在し、その意思のもと、人類が何らかの目的とか、何らかの使命を帯びて誕生した生物であれば、宇宙や生命科学の真理に到達するか?
たとえ到達せずとも、その手前くらいまでは辿り着くと思いますが。

やっぱり神などはおらず、人類は特に目的なども無い生物なら、地球と言う惑星に偶発的に...続きを読む


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