専門家に聞いた!繰り返す痔の原因は!? >>

世界史の勉強方法を教えてください。
ひたすら書いたり教科書を読み返したりして覚えるだけでしょうか?


前のテストまでは語群がたくさんあって記号だったので調子こいてたのですが、今回は語群が無いと言っていたので焦ってます。
よろしくお願い致します。

A 回答 (1件)

世界史は白地図に書き込みながら勉強すると、覚えやすいです。

「世界史 白地図」で検索すると、いくつか無料サイトが見つかります。そこからプリントした白地図に、「どこで、いつ、何がどうなったか」をびっしり書き込むわけです。あるいは、大きな書店で白地図帳(付きの参考書)も売ってるようです。
例えばアメリカ独立戦争なら、ボストン茶会事件、レキシントンで開戦、フィラデルフィアの第2回大陸会議で独立宣言、サラトガの戦い、フランスの参戦、ヨークタウンの戦いでワシントンとラファイエット勝利、パリ条約で終結などですが、場所を確かめつつ記入していきます。さらに、それらより前のこと(原因)、それらより後のこと(及ぼした影響)についても、調べて地図の枠外に書き込みましょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2017/09/02 01:31

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Qイギリスは、スペイン無敵艦隊に勝たのにアメリカ独立戦争に負けた訳は?

イギリスは、スペイン無敵艦隊に勝たのにアメリカ独立戦争に負けた訳は?

Aベストアンサー

スペインの無敵艦隊と言っても、実際の戦力はイギリス艦隊と大差ないものだった。
スペイン艦隊は、オランダからイギリス占領のための陸軍を輸送するのが目的で、戦艦と足の遅い大型輸送船からなりたっていた。 それに対し、イギリス艦隊は、小型で高速の戦艦を主力としていた。 (戦艦の数ではイギリス軍のほうが多く、船はスペインのほうが大きく重武装。) スペイン艦隊は、陸軍との合流前は、極力イギリス海軍との戦闘を避けるように命令されていた。 オランダで陸軍と合流する直前に、両艦隊は出会った。スペイン艦隊は、戦闘をさけようとするが、速度の違いから追いつかれ戦闘になった。イギリス艦隊は、近づくと撃破されるため、遠距離から攻撃したが、スペイン艦隊に決定打を与えられないものの、スペイン艦隊を北方に追い払う事に成功した。 スペイン艦隊は、地中海艦隊、大西洋艦隊、ポルトガル艦隊などの混成艦隊であったため、この時点でバラバラになってしまい、各個にブリテン島の北を迂回してスペインへ戻ろうとしたが、その途中で暴風雨にあい、壊滅的損害を受ける事になった。

一方、イギリスがアメリカ独立戦争に負けた理由は以下の通り。
1.アメリカ人はもともとイギリスから移り住んだ人=同国人であるという意識から、他の国を侵略するときとは心象が違った

2.大西洋を横断して戦いに行くため、本国側で戦場に対する認識が遅れ、的確な指示を出せなかった

3.同じく海を渡るため補給線が重要になるが、なかなかアメリカ大陸側に拠点を作れなかった

4.ヨーロッパ諸国の多くが13植民地側についたため、ほぼ四面楚歌状態だった

5.13植民地には共通の首都というべき場所がなく、全ての方面を占領しなければイギリスの勝利にはならなかった

6.武器の開発は13植民地側のほうが進んでいた

7.イギリス側についた人々と連携が取れていなかった

スペインの無敵艦隊と言っても、実際の戦力はイギリス艦隊と大差ないものだった。
スペイン艦隊は、オランダからイギリス占領のための陸軍を輸送するのが目的で、戦艦と足の遅い大型輸送船からなりたっていた。 それに対し、イギリス艦隊は、小型で高速の戦艦を主力としていた。 (戦艦の数ではイギリス軍のほうが多く、船はスペインのほうが大きく重武装。) スペイン艦隊は、陸軍との合流前は、極力イギリス海軍との戦闘を避けるように命令されていた。 オランダで陸軍と合流する直前に、両艦隊は出会った。...続きを読む

Q世界史の「滅亡」の定義って?

唐やらアッバース朝やら〇〇家やらが滅亡したりしてますが、滅亡 ってなんなんでしょうか?
王様の一族郎党皆殺しですか?それとも王様の〇親等までとかでしょうか
「断絶」とはどう違うのでしょうか
ご回答よろしくお願いします

Aベストアンサー

王朝の滅亡は、その王朝が支配者の座から降りる事です。
王朝の断絶は、その王朝の血筋が消滅する事です。



例えば、ブルボン朝はフランス革命で滅亡しました。
しかしその後、王政復古をしています。


ブルボン朝の滅亡→ブルボン朝はフランスの支配者から脱落した。(また支配者に返り咲く事は可能)
ブルボン朝の断絶→ブルボン朝の血筋は皆殺し。(ルイ16世の弟もみんな血筋は死んでいるので、王政復古は不可能。)



このような意味の違いがあります。

Qなぜ昔の都?が置かれた場所に、港町が少ないのでしょうか? 京都も奈良も、九州の大宰府も安芸国の西条も

なぜ昔の都?が置かれた場所に、港町が少ないのでしょうか? 京都も奈良も、九州の大宰府も安芸国の西条も、海と接していません 貿易や輸送の観点からいくと海辺が有利で発展しやすいと思うのですが… 古代の日本人はなぜあえて山の中に中心部を置いたのでしょうか??

Aベストアンサー

治水や排水の能力がない時代には、川の下流域は沼地として放置されていたか、そうでなくても、たびたび洪水になって多数の人が住んだり大規模に耕作するのにむいていないからです。
排水能力がなければ、ひとたび洪水になれば、自然に水がひくまで待つことしかできませんから、多人数が定住するような「都」は作れないです。

耕作したり人が住んだりするには、水を供給する(灌漑)と、多すぎる水を排出する(排水)、の2つがセットで必要です。
このうち、排水は灌漑に比べて技術的に圧倒的に難しいです。
灌漑は、つまり、高所にある水源から、低地にある畑にむけて水路を作れば、勝手に流れていくわけですが、
排水は、低地の畑から水をくみ上げないといけません。
また、灌漑は、1ヶ所にある水源から、多数にある畑に水を配るものですが、
排水は、多数の畑から余分な水を集めてきて、1ヶ所にまとめて捨てなければいけません。
いずれにせよ、排水は灌漑に比べて大変です。

歴史上、大規模な灌漑システムは古代文明の時代からありますが、
大規模な排水システムができたのは、16世紀くらいのオランダ(風車を利用したシステム)が最初です。それまで、大規模な排水システムというのは、世界中どこにもありませんでした。

四大文明(エジプト、メソポタミア、中国、インダス)は、みな、
基本的には乾燥している(排水の心配をする必要がない)土地で、水の供給(灌漑)のみを考えればよい、という土地で発展しています。

日本でも同様で、例えば、各地の府中と呼ばれる町の多くは、排水の心配をあまりしなくてよい、川の中流域の扇状地が多いです。
また、耕作が大変そうな山奥に棚田があったりするのも、棚田であれば排水が簡単(弁を開ければ余分な水は勝手に流れていく)だからです。

治水や排水の能力がない時代には、川の下流域は沼地として放置されていたか、そうでなくても、たびたび洪水になって多数の人が住んだり大規模に耕作するのにむいていないからです。
排水能力がなければ、ひとたび洪水になれば、自然に水がひくまで待つことしかできませんから、多人数が定住するような「都」は作れないです。

耕作したり人が住んだりするには、水を供給する(灌漑)と、多すぎる水を排出する(排水)、の2つがセットで必要です。
このうち、排水は灌漑に比べて技術的に圧倒的に難しいです。
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Q大胆に主力製品を変化させた日本の企業の事例を一つ、どなたか教えていただけないでしょうか

大胆に主力製品を変化させた日本の企業の事例を一つ、どなたか教えていただけないでしょうか

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自動車のトヨタ。元は紡績の機械メイン。
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現在、富士フィルムが、写真フィルムやビデオテープ路線から、化粧品、医薬関係に転換中。

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Qフィクションとかにおける中世欧州は実は近世だということについて

以前どこかで、ラノベとかゲームとかにある中世ヨーロッパ世界観というのは、実は近世のほうに近いということを聞いたのですが、もしそうなら具体的にはどんなところが近世っぽいと思いますか?

Aベストアンサー

まずは、ここを見てください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/歴史上の推定都市人口
古代アレキサンドリアとか長安とか、人口50万~100万ですが、中世ヨーロッパだと、人口10万の都市でさえ超レアです。
※スペインは当時イスラムなのでノーカウント。ビザンツ(=イスタンブール)も、西ヨーロッパとまるで政治文化が違うのでノーカウント。

よって、
王都の人口が相当多いという描写があると、それだけでアウトです。
で、何故大都市が無いか、というと、中世ヨーロッパは自給自足社会で商業が発達しておらず、物々交換でかなり間に合ってしまうほどなので、物流が発達していないために人口集中が不可能だから。

つまり、
港町で商業が盛んな都市。  中世ヨーロッパにはほとんど存在しない。全く無い、というわけでは無いけど。
冒険者が商隊の護衛。村では宿屋に泊まる。村でも貨幣で買い物できる。  全部、近世以降のできごと。

中世ヨーロッパはド田舎であって、イスラム(スペイン含む)やビザンツ帝国が先進国に当たります。
イスラムやビザンツなら、冒険者がいても不思議は無いけれど。。。

まずは、ここを見てください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/歴史上の推定都市人口
古代アレキサンドリアとか長安とか、人口50万~100万ですが、中世ヨーロッパだと、人口10万の都市でさえ超レアです。
※スペインは当時イスラムなのでノーカウント。ビザンツ(=イスタンブール)も、西ヨーロッパとまるで政治文化が違うのでノーカウント。

よって、
王都の人口が相当多いという描写があると、それだけでアウトです。
で、何故大都市が無いか、というと、中世ヨーロッパは自給自足社会で商業が発達して...続きを読む

Q戦後、社会主義国家が世界中に成立したのは何故でしょうか?

ソ連の崩壊を以て、社会主義は資本主義に負けたと言われますが、第二次世界大戦の後に、世界中で社会主義国家が成立し、完全な資本主義国と言えるのはアメリカと西欧と日本だけになりました。

70年前にソ連の周辺国を始めとして世界のあらゆる場所で社会主義国が成立し、中国やベトナム、キューバでは資本主義が社会主義に敗退する結果になったのは何故なのでしょうか。

Aベストアンサー

理由は「植民地支配から独立する時に左翼主義者を共産国が応援したから」です。

フランス革命とアメリカ独立はどちらも18世紀後半のことですが、この後ヨーロッパは20世紀初頭にかけて、民主主義革命が相次ぎます。もっともこれには立憲君主制も含みますが、今までの絶対君主制が崩壊していくわけです。
 
これがヨーロッパで進んだ背景にはイギリスの産業革命の影響もあります。産業革命は農本主義とイコールだった絶対君主制に風穴をあけ「資本を投下する自由」ということで、階級社会よりも資本を持って居る人を優先する「資本主義社会」への変革を推進したからです。

資本主義社会は階級にかかわらず「資本を持っていれば自由に経済活動ができる」ことを要求し、その結果として富の再分配システムでもある政治システムが民主主義(多数決主義)に変わることを推し進めたからです。

しかし、主に19世紀の資本主義への変革は農民を労働者に変えただけで、君主による搾取よりもひどく、再分配システムはうまく機能していませんでした。また民主主義社会への転換は革命によるものでしたので「革命的手法による民衆の幸福の追求」は権利とされていて、そこにマルクス=レーニン主義が入って、1917年のソビエト革命につながっていくわけです。
これにより、ロシアとその周辺地域は社会主義的な体制になっていきます。

重要なのは、20世紀の初頭、第2次世界大戦までは意外に共産主義がうまく機能したことです。理由は様々ですが、現代ほどには自由経済ではなかったし、農民を労働者に変化させる工業化も各国で中途半端だったために「モノを作って生活を成り立たせる」ということが資本主義でも共産主義でもあまり違いが出なかった、からでしょう。
生産性に違いが無いなら、共産主義的な労働のありかたも一定の評価を受けていたのです。

ですから第2次大戦前の共産主義国は非常に強大な経済力も、人民動員力もあり、近代国家としてかなりの力をもっていたのです。そのため、ソ連は多くの国へ共産主義を広げる機会を狙っており、中国でも毛沢東の人民解放軍はソ連から軍事的援助をもらっていました。

第2次世界大戦の結果は誰でもご存知だと思いますが、ここで問題なのは「西側諸国の荒廃」と「日本の敗戦」です。
日本が敗戦したことにより、ソ連は朝鮮半島に容易に進出し、中国も人民解放軍が優勢になって手本主義側である国民党軍を大陸から追い出すことに成功しています。

つまり日本が抑えていたアジア大陸の共産化に歯止めが効かなくなり、結果としてアメリカは朝鮮戦争・ベトナム戦争とアジアの共産化に対応することに迫られることになるわけです。

同様に、それまで植民地支配していたヨーロッパ各国も戦争で荒廃したため、植民地統治能力を失い、各地で植民地が独立していきます。イギリスはインドを失いますが、この地域はソ連から見ても中国から見ても中央アジア山脈が邪魔をしているので、共産化には至りませんでしたが、中国大陸と接していたベトナム、ラオス、カンボジアは日本撤退とフランス再統治に反対してインドシナ戦争を行い、その結果フランスが撤退すると、今度は民主主義国か共産主義国かで独立のための指導権争いを行い、激しい内戦に突入していきます。

同様に、ヨーロッパでも第一大戦の結果ドイツの敗戦により、オーストリア=ハンガリー帝国が弱体化し、事実上この地域がヨーロッパを共産主義から守ってきた地域だったため、この辺りの国はドイツとソ連で分割されるか、独立時に共産主義政府が樹立されることが多くなり、ナチスドイツの侵攻の結果一時的に王国に戻ったり、明主義勢力がもりかえしたものの、ナチスドイツの敗戦とともに多くの国がソ連の永世国家になっていきます。このように衛星国になったヨーロッパの国を東欧というわけです。


第二次大戦後、なぜ社会主義国が生まれたかというと、その地域を支配していた日本や西洋国という植民地支配国家が撤退し、権力の空白、無政府状態が現れたからです。日本やドイツは占領されなすすべがありませんでしたし、ドイツはソ連に分割統治までされています。

日本国土は、ドイツ分割を反省したアメリカのおかげで分割されることはありませんでしたが、その代り日本が撤退して権力の空白ができた朝鮮半島にソ連がすかさず入って、傀儡国家である北朝鮮を作ってしまいました。

東欧にしてもアジアにしても、日本と戦った地域の西洋国はその後の独立機運を抑えるほどの国力をすでに持っていなかったので、各地が独立し、結果としてソ連から多大な支援を受けた共産勢力が優勢な状態であったといえます。
もっともカンボジアなどはタイが共産国を嫌ったこと(王国なので危機感を持った)、イギリスやアメリカなども積極的に民主勢力を支援したことなどから、逆に激しい内戦を呼んでしまいます。

ベトナムに至っては、大戦中ホー・チ・ミンはアメリカからも援助をもらっており、戦後の独立処理で共産主義の対立の時にアメリカがあまりにも主権を侵しすぎたので、ベトナム戦争になっていくのです。結果アメリカは負け、ホー・チ・ミンですら共産主義をえらんだわけです。

結局第2次世界大戦でアメリカを除いた資本主義国が疲弊し、植民地の支配ができなくなり独立機運の高まりに共産国が援助したことが大きな理由であり、当時のソ連はアメリカと宇宙開発競争ができるぐらい、経済に余裕のある国であったわけです。またソ連は地上を移動するだけでの軍事援助など各国に影響を及ぼすことができますが、アメリカは本国から船で移動しないと影響力を行使できず、それが結局朝鮮戦争での苦難・ベトナム戦争の敗北につながっていくのです。

第2次世界大戦前は、西洋と米ソ、そして日本しか独立国はありませんでしたから、戦争終結で起きた権力の空白が当時強大だったソ連の台頭を許すことになったのです。

理由は「植民地支配から独立する時に左翼主義者を共産国が応援したから」です。

フランス革命とアメリカ独立はどちらも18世紀後半のことですが、この後ヨーロッパは20世紀初頭にかけて、民主主義革命が相次ぎます。もっともこれには立憲君主制も含みますが、今までの絶対君主制が崩壊していくわけです。
 
これがヨーロッパで進んだ背景にはイギリスの産業革命の影響もあります。産業革命は農本主義とイコールだった絶対君主制に風穴をあけ「資本を投下する自由」ということで、階級社会よりも資本を持って居る...続きを読む

Q日本がドイツより長く戦争を続けられた理由は何ですか?

第2次世界大戦で、日本はドイツが降伏した後もしばらく戦い続け、原爆を2発落とされてようやく降伏します。
日本、ドイツ、イタリアの3国のうち、日本がドイツよりも長く戦争を続けた・続けることが可能だった理由は何でしょうか?
ドイツは本土決戦を行い首都陥落まで徹底抗戦したのに、日本本土は空爆はあったものの戦場になっていませんでした。

Aベストアンサー

日本が島国だったこと、ドイツが陸続きの国であり、ソ連と戦闘があったことが戦争終結の時期に違いが出た原因です。

ドイツが戦った相手は当初はイギリス・フランスなどのヨーロッパ諸国とソ連、つまり陸続きの攻防戦です。ドイツは優秀な兵器をもち、特にアメリカに対してはUボートが活躍してアメリカからの物資援助もアメリカの軍艦も寄せ付けませんでした。

また、機甲師団も優秀でヨーロッパ戦線で瞬く間にフランスやソ連の一部を占領していったわけです。ですからいわゆる西部戦線は順調であったといえます。

しかし、ソ連と対決している東部戦線はソ連の全面的な対決姿勢により、不利な状況が続き、結果としてソ連の反撃とそれに呼応したアメリカのノルマンディー上陸作戦により、窮地に立たされます。

ソ連は対ドイツ戦に集中するため、日本とは日ソ中立条約で対抗しない姿勢でしたので、日本よりもドイツの降伏が早かったのはこれがもっとも大きな理由のひとつになるでしょう。

日本の場合、戦線としては二つありました。
・中国大陸から東南アジアに延びる植民地での陸軍の戦闘
・戦略的要所を抑えるための太平洋でのアメリカとの戦闘
です。

植民地に置いてある軍隊は本国に比べれば2流であり、日本陸軍の快進撃は「本国が近く補給などが受けやすいかどうか」で違いがでました。本国から遠い、各国の植民地の軍隊は日本軍に負け続け、本国からの補給も行き届いていなかったといえます。

アメリカはこれらにも援助していたわけですが、アジア大陸はアメリカ本土からも遠いこと、アジア大陸に行くには日本の哨戒網を突破することが必要だったために、アメリカと日本の戦いは主に太平洋での海洋戦になっていきます。

アメリカは「とにかく日本がもっている島々を攻略しないとダメだ」ということで、ミッドウエー海戦で有利になると日本の要衝である、パラオやガダルカナル島、グアム島やサイパン島などを攻略していきます。

アメリカが予想外だったのは、日本軍が全滅するまで戦いをやめなかったことでしょう。これにより日本本土攻撃がどんどん遅くなっていったわけです。

陸地の戦いは、一旦均衡が破れれば一気に本土に迫ることができます。ドイツは結局東部戦線も西部戦線も失い、両側から押しつぶされる形で敗戦に至ります。

その時、日本のほうは「まだ島嶼部を攻略中」であり、島嶼部はひとつづつつぶさないと、思わぬ反撃を受けることになります。ですからパラオなど南太平洋のアメリカ本土に近いところから丹念につぶして行って、サイパンを攻略したら本土爆撃をしつつ、沖縄・硫黄島そしてようやく日本本土に総攻撃ができるところまで行ったのが、ドイツ降伏の後だったわけです。

また、日本は最大兵力を動員できるソ連と中立状態でしたから、ソ連との戦いを考慮しないで戦争を進められました。ソ連はドイツ降伏後、アメリカの要請で対日戦線を開く予定でしたが、広いユーラシア大陸の西側から東側に兵員を移動するだけで半年かかり、それが結局日本の降伏を遅らせる原因にもなっていきます。

結局日本が最後まで本土決戦を避けられたのは「島国だったから」にほかなりません。島国の戦略の最大のものは「敵が本土に至る前に殲滅する」ということです。

ですから、日本は大戦前から太平洋上の各島嶼を戦略的拠点として整備し、アメリカはそれをひとつづつつぶさないと本土にたどり着けなかった、ということです。ただ、ソ連が最初から戦争に参加していれば、満州と朝鮮さらに日本海でも海戦が必要になり、日本海軍も二方面作戦を強いられて降伏の時期は早まったでしょう。

ということで、ドイツよりも長く戦争が出来たのは
・アメリカとの戦いは海戦が主体だったこと
・ソ連との開戦が終戦時までなかったこと
ということでしょう。

日本が島国だったこと、ドイツが陸続きの国であり、ソ連と戦闘があったことが戦争終結の時期に違いが出た原因です。

ドイツが戦った相手は当初はイギリス・フランスなどのヨーロッパ諸国とソ連、つまり陸続きの攻防戦です。ドイツは優秀な兵器をもち、特にアメリカに対してはUボートが活躍してアメリカからの物資援助もアメリカの軍艦も寄せ付けませんでした。

また、機甲師団も優秀でヨーロッパ戦線で瞬く間にフランスやソ連の一部を占領していったわけです。ですからいわゆる西部戦線は順調であったといえま...続きを読む

Q私はミッドウェー海戦などについて深く授業でやりたいと思ってます。 これらを学ぶのは日本史ですか?世界

私はミッドウェー海戦などについて深く授業でやりたいと思ってます。
これらを学ぶのは日本史ですか?世界史ですか??
それともやりませんか?

Aベストアンサー

高校の歴史でしたらどちらでも出てはきますが、最低限のことしかやりません。
一番詳しい日本史教科書でも「1942年6月のミッドウェー海戦の敗北を転機に戦局がしだいに不利になった」くらいしか出てきません。
空母4隻を失っただのなんだのは先生が説明の際に話してくれるくらいでしょうね。
歴史は流れが大事ですので、木を見て森を見ず状態になっては台無しですから仕方ありません。
最近はどこの学校でもあまり聞きませんが地歴研究部という部活動があれば、そういったところで深く掘り下げて研究もできるでしょうが…。

図書館などで文献をあさったり、戦記物を読む程度ではまだ不満で、本当に深くやりたいというなら、
大学の史学科の近現代史のゼミに入るしかないでしょうね。

Q倭寇が歴史エンターテイメントの題材にならない理由

西洋では、海賊は「パイレーツ・オブ・カリビアン」「カリブの海賊」などエンターテイメントの題材になっており、日本の漫画である「ワンピース」も、日本的というより西洋的な海賊を描いているといえます。

日本人は時代劇やチャンバラといった日本の歴史エンターテイメントは結構好きだと思いますが、日本の海賊である倭寇がその題材になることがほとんどないのは何故でしょうか?

Aベストアンサー

カリブの海賊だけが特別で、その他はただの
賊だったからだと思います。

カリブの海賊は、一時期、英国海軍の下請け
みたいなことをやっていたからです。

つまり、体制側の海賊です。

当時のカリブ海は、イギリス領土でしたが
スペインの攻撃があり、イギリス海軍だけでは
手薄だったので、海賊に特別免許を与え
領土を守る、ということをやりました。

つまり、その時は正義の味方だったのです。

その他の海賊はただの犯罪者ですから
英雄視するわけにはいかなかったのでしょう。

ちなみに、倭寇は元寇の報復だ、という
有力な説があります。


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