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善悪を聞きたいわけではなくて北海道民を見捨てて逃げた背景です
50万人は陸自の3倍以上ですよね?
石原寛治はなぜ北方領土が日本の領土でなくソ連の治める土地ですと肯定したのでしょう?

A 回答 (7件)

北海道民を見捨てて逃げた、は関東軍との混同ですかね。

北方領土を守備していた第五方面軍は逃げていませんし、北海道本島は侵攻を受けていませんので北海道民も見捨てられてはおりません。

>つまりソ連軍が住民の日本人を虐殺するのを関東軍が見物していて合法だったということですか
 ⇒混同するにしてもちょっとななめ上すぎませんかね。逃げおおせたのは高級将校が中心だったようで、逃げちゃっていますので虐殺を見物なんかしておりません。合法とか違法とかといった話でもありませんね。ちなみに関東軍でも現地にとどまって住民避難のための援護戦闘を行った部隊も多々あります。いつの時代でもエライ奴らには卑怯者が多いということかと。

 ちなみに終戦日がどうこうという方もいますが、日ソ中立宣言を一方的に破棄したというのは言い逃れのできない事実だと思います。
 なお、石原莞爾は1941年には現役を退いています。終戦後に何を言ったかはわかりませんが、ただの民間人の発言です。理由はわかりません。
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関東軍はもともと中華民国からの租借地だった関東州の守備や


南満州鉄道租借地の警備を目的としたもの。
中国の関東州(万里の長城の山海関より東側にある満州全域)の総軍。
統括地は満州なので、北海道はあまり関係ありません。


北海道については、統括は(第一総軍)第5方面軍で、
逃げるどころかソ連軍と戦闘しています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%A0%E5%AE%88 …
この戦闘の評価にはいろいろありますが、
この抵抗で日本の正式な降伏までに北海道が占領されませんでした。
ちなみに、よく言われる「日本で地上戦があったのは沖縄だけ」は
この占守島と硫黄島があるので間違いです。


この戦いにおける背景は、日本がポツダム宣言を受諾して武装解除中、
北海道を侵略する目的で進行したソ連軍を一時撃退しましたが、
当時の日本陸軍は全ての戦闘を停止していたため
方面軍司令官の判断で戦闘停止を指示されました。
しかし、ソ連はアメリカの抗議を無視して戦闘を継続し、
降伏文書調印後まで侵略しました。



現在のロシアでは、

日露戦争による侵略で失われたロシアの土地を正当に奪還したもの。
(樺太千島交換条約のものでこの説明は誤りです)
日本からの譲渡は円滑に行われ、日本側は平和裏に本土に帰還した。
(占島などの守備隊と一部住民はシベリアに抑留され、
強制労働させられましたのでこれも嘘)

と教育していますので、現在の北方領土の住人は戦闘の実情について
何も知らずに暮らしています。
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<つまりソ連軍が住民の日本人を虐殺するのを関東軍が見物していて合法だったということですか>



日本は8月15日を終戦記念日としていますが、軍隊に対しては8月16日に自衛の為の戦闘行動以外の戦闘行動を停止するように命令を出し、その後小出し気味に戦闘停止命令が出たようですが、最終的には8月25日零時以降の全面的な戦闘行動停止が命令されているようです。

ソ連は8月15日を停戦の日とは全く認めず満州、千島等に進行し、降伏文書(1945.9.2)が外交的に結ばれた日を終戦日として、それまでは戦闘を続けたという理屈のようです。

この辺の詳細は私にはわかりませんが、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、カナダ、ロシアでは、9月2日を対日勝戦記念日(Victory over Japan Day)と呼んでいます。お国柄とかいろいろあるのでしょうね。日本人にとってソ連がいまだにイヤな相手である理由の一つになっていると思われます。
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ソ連対日宣戦布告


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E9%80%A3 …
真珠湾と違って正々堂々やってるんですね。で反論が難しいから終戦記念日を815に設定する以外に被害者アピールする方法がありません。
日本以外の国の地図では北方領土はロシアの領土です。
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日本陸軍は北方領土から逃げてはいません。

 ただし、住民も日本陸軍の兵士も侵攻してきたソ連軍に抵抗せずに北方領土は無血占領されました。 8月18日にアメリカ大統領ハリー・S・トルーマンがスターリンに対して北海道占領を認めない旨の書簡を送ったのをふまえて、8月22日以降にソ連軍との戦闘中止命令が出されたためです。
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終戦直後、日ソ中立条約を破って(ヤルタ秘密協定により)


北方領土=千島・樺太に侵攻したソ連軍に対して日本軍の1部は頑強に抵抗しました。

スターリンは武装解除を無視して制圧を目論んだため
大本営から武装解除を命じられていた日本軍の守備隊も自己防衛として戦うことになります。

しかし守備隊も壊滅、生き残った兵士、降伏した兵士は捕虜となり、シベリアへ送られました…

その結果が今の北海道なのですから
赤化されずに済んだと考えれば、まだましな結果ではないでしょうか。
もちろん、火事場泥棒のソ連としてはアメリカも意識していたと思いますし、
(実際、択捉島の守備隊は戦わずに降伏したため
既にアメリカ軍がいるのではないかと?日本軍の将校をしつこく尋問したそうです)
よって日本軍守備隊の抵抗だけで北海道侵攻を防いだとは思いません。

ところで貴方は満州と北方領土をゴッチャに考えていませんか…?
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第二次世界大戦の敗戦時の事でしょうか?


逃げたというよりも、1945年8月14日に日本がポツダム宣言を受諾したので、1945年8月28日から9月5日にかけて進行してきたソ連軍に抵抗出来なかっただけだと思うのですが…
石原寛治の件はよく知りません。
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この回答へのお礼

つまりソ連軍が住民の日本人を虐殺するのを関東軍が見物していて合法だったということですか

お礼日時:2017/09/02 17:56

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