A 回答 (10件)
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No.10
- 回答日時:
こんにちは。
あれっ?まだ締め切られていませんね。
ちょっと面白いので私も混ぜてください。
昔、似たような考えを持って、友達と話をしたりしてみました。
ポイントは、「物理現象から完全に切り離された場合、僕の深層人格って何? あれっ?何も残らない?」
「魂」の存在は、他の方のいうように物理的にも認識の上でも定義ができないため、肯定も否定もできず、したがって明確な回答は成立しにくいですが、質問者さんも「自由意志」という単語を使っておられるように、「僕自身の本質的(深層的)人格」というように置き換えると少し考えやすくなりますね。
「本質的人格」は、感覚に左右されず、外世界から切り離されても残る「何かの認識」・・・。
(少なくとも、熱いお茶をすすって「あちちっ」と思うのは本質的人格ではない・・・)
さて、次のような性格の方を考えましょう
①食いしん坊。焼肉が好きなほか、チョコレートのついたドーナッツも好き。
②スポーツ好き。サッカーがそこそこ上手で、地元クラブではエース。地元プロチームも熱心に応援
③テレビドラマで誰かが怒鳴られているシーンは辛い。ついチャネルを変えてしまう。自分が仕事で大失敗して信用してくれていたはずの上司から怒鳴られて以来のトラウマ。
④お母さんを尊敬している。父の病気の頃の介護と仕事を両立。妻に同じことは求めなていないが母としての強さは期待してしまう。
さて、物理現象から切り離してみましょう
①焼肉もドーナツも食の感覚からの脳内での連動なので、深層としては何も感じないし何の衝動もない。
②肉体操作であるサッカーの感触がなくなる。連動した誇りもない。視覚を否定するとつまらないので、
プロリーグの試合だけは認識できるとすると、ひとまず、「楽しさ」は残る。ただし、プレーを自分に重ねることはないので楽しさは半減。
③記憶も完全否定するとつまらないので、ある程度は残るとすると、「辛さ」は残る。ただし、社会とのつながりは消滅するので、何のために辛いかの意味は無限に小さくなる。
④こちらも記憶の連動だが、「他者を肯定的に評価する」指向だけは残るとする。しかし、母・妻とのつながりも前提にならないので、「評価」の機会も無限に小さくなる。
・・・ということで、物理現象から切り離した「本質的人格」は、無限にオトボケでボーっとしているフヌケ状態ですね。まあ、朝日を感じながらたっぷり朝寝しているときの感覚でしょうか。
もちろん、ただのオトボケとは異なり、「目の前で自転車でコケた人」について、無視して通り過ぎるか、思わず手を差し伸べるかというような点で差は出ますが、いずれにしても、日常の多くは物理的意味での感覚とその組み合わせからの人格が表面に出ますので、「本質的人格」はほとんど眠っている状態かと。
ということで、ご質問の点は、いわば漸近線で、「意思決定に関与していない」という断定はできないが、物理的連動を徐々に除外していくと、「意思決定への関与度は無限に小さくなるね」というように感じます。
さてさて、いかがでしょうか。
どのようなことがきっかけでこの問題を考えておられるかわかりませんが、多少なりともお役に立てば幸いです。
(まあ、「死の恐怖」などの重そうな話題について、酒を飲みながら、ちょっとゲーム的に論じあった昔の日々の記憶でもあります。もっとも、こんなことを書いていられるのも、一時、”死の恐怖”と真面目に対峙するハメになり、後にそれを脱したからなのですが、それについてはまた機会があれば・・・)
No.8
- 回答日時:
#2です
ゲーデルの不完全性定理まで行かなくても、大丈夫です。
証明可能な「こころ・魂」が存在したとします。自分自身(こころ・魂)が、自分自身(こころ・魂)を証明しようとする段階で、あるいは、意思決定に関与しているかどうかの証明が正しいか正しくないかを証明しようとする段階で、意思決定は存在し得ます。
言い換えれば、「「「考えている自分自身」を考えていこうとする自己参照系」を、続けようとする、あるいは、途中で止めようとする意思決定」、更には、そういった意思決定の存在を確認したいという思い・願望・・・そういった状態が生み出され続ける限り、「こころ・魂」は、輝き続けていると言えるのではないでしょうか?
「魂・こころ」あるいは「意思決定」の概念は、本質的には「存在証明」の対象ではなく「関連性」の中に生まれ続けるものでしょう。
「にこごり」。。。別の視点。。。
http://jinen.exblog.jp/501221/
==========
「関係(場)」の記述はできるが、「どうしてそういう関係(場)があるのか」については、まったくもって「科学」は無力なのです。「そういう関係が認められるから、みんなが経験できるから、だれもそうでないことを観測できないから、そうある」としか、いいようがない。
逆説的になりますが、磁石と磁場の関係が、「物質的な私」と「心」との関係にたとえられるのなら、「心」とは、「物質的な私」と「物質的な全体」との関係そのものという考え方もできると思います。
==========
No.7
- 回答日時:
>申し訳ありません 言い訳ではあるのですが 自分で考えても結論が出ません
考えてないからですよ。考えた気になっているだけで、考え方そのものが根本的に間違っているからです。
№1の私の回答を理解できてないでしょ。
定義もできていないものを定義しないまま考えたところで答らしい答えなんか出るわけないんです。出たとしてもそれは単なる妄想の産物であって、立証にもなりません。それはあなたの頭の中であっても同じです。
あなたは科学的な思考が全くできていないし、そもそも科学的思考が身についていない。
自分では「考えて」いるんでしょうけど、それは「考えて」いないんです。
>一旦 自由意志から離れますが 人の自我や 意識 心などに霊魂のような非物質的な物が関係していないとゆう証明はできるのでしょうか? 投げやりな質問で申し訳ありません
№1での私の回答を理解していないからこんなアホくさい質問が出てくる。
霊魂の定義がいつ定まったんですか?
定義が定まってもいない霊魂が「非物質」だといつ証明できたんですか?
No.6
- 回答日時:
脳が意思決定をするプロセスが全て科学で説明できる。
つまり必然的に起こる脳内の化学反応、物理現象を完璧に予測することができる→意思決定は物理現象
科学が完璧に完成したのならば、魂の有無も明らかで、それがどのような物理現象を引き起こしているのかも明らかになります。
よって思考に魂が関与しても上記のプロセスにそれを加えるだけで説明できるはずです。
それが関与するか否かはわかりません。
と僕は思いました。
No.5
- 回答日時:
自由意志を否定すると平行空間に分岐する仮説も否定してしまいます。
バタフライ効果も、量子論も否定し、放射性物質が崩壊する時間が「絶対に分からない(不思議だが、公理らしい)」ことも否定します。多分ゲーデルの不完全公理と矛盾するでしょう。ところで面白いのはこの世界の定数群が変わると生物は発生しないという計算結果になるそうです。光文社新書「宇宙のダークエネルギー」にかいてあります。そんな事だろうと思っていましたが、書かれるとガッカリします、我々は孤独なのです。No.4
- 回答日時:
№1と3で回答した者ですがお礼を受けて再回答します。
>以前の回答していただいたかたの自由意志の定義は
>「行動決定には必ず意識が先行している」
>なのですが これ以外に定義はありますか?
知りませんが、それが公的に認められた一般的な定義なのですか?
その回答者個人が考えている定義に過ぎないのではないのですか?
その中の「意識」は定義づけられていますか?
あなたは少しは自分で考えているのですか?
なんだか考える努力すらしていないように見受けられるのですが・・・
申し訳ありません 言い訳ではあるのですが 自分で考えても結論が出ません
一旦 自由意志から離れますが 人の自我や 意識 心などに霊魂のような非物質的な物が関係していないとゆう証明はできるのでしょうか? 投げやりな質問で申し訳ありません
No.2
- 回答日時:
著名な科学者たちにおいても様々に考えられていて、結論は出ていないのが本質でしょう。
関連した書籍としては「宇宙に法則はあるのか」 ジョン・D・バロウ 著、松浦俊輔 訳、青土社
が、ありますが、naki0710さんへの直接的な回答としては、私が過去に回答させて頂いた、下記が参考になると思います。
「唯物主義に生きがいはありますか?」
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/6177884.html?best_f …
また、関連して、稚拙ブログでも、関連事項を扱っています。
「こころ」。。。科学的に扱うことが可能か。。。
http://jinen.exblog.jp/3967535/
上記からの三部作を含め、「こころ」にて、ブログ内検索していただくと、多くの記述があります。
それらのうち、比較的まとまっているものを下記に改変・引用しておきます。
「こころ」の能動性・内発性・主体性。。。そして閉鎖系と開放系。。。二元論と一元論。。。
http://jinen.exblog.jp/5577118/
から改変・引用
「こころ」という「もの」を考えていくと、下記のような「こと」が潜んでいることを、認識・推論可能であろう。
1.「こころ」に能動性・内発性・主体性を見出すということ
2.「こころ」は開放系であるということ
3.「こころ」は二元論的に捕らえられうるにもかかわらず、総体として一元論的にも扱い得るべきものであるということ
ところで、「こころ」が物質的側面のみ、科学的知でのみ記述可能だと仮定すれば、以下のように述べることもできるであろう。。。反論は、後で記述する。。。
1.「こころ」に能動性・内発性・主体性を見出すということは、幻影であり、何らかの(内部・外部からの)物理的な刺激によって、そのように見受けられるだけである。たとえば、心筋細胞は、非線形な周期運動同士が相互に影響しあって、一定のリズムを刻み始めるなどから類推可能。
2.「こころ」は、脳の機能的側面であり、強いて開放系として捉える筋合いのものではなく、脳という器官に限局した閉鎖系として捉えても、なんら不都合はない。
3.科学者の多くは、特に、量子力学でのコペンハーゲン的な思考を行おうとする人々は、「こころ」を二元論的に捉えようとしている。すなわち、「こころ」は一元論的に記述可能であるが、閉鎖系ゆえ、「他から切り離してしまうことができる」ということ。
といった、記述である。
さて、上記意見は、正しいのであろうか?
上記意見が正しいと仮定するのであれば、その裏返しに近い下記意見も正しいと仮定せざるを得ないのではないだろうか?
外部ないし内部からの何らかの刺激が「ある」ことによって、「こころ」の能動性・内発性・主体性が生まれうると仮定しても、それら(内部および外部からの)「刺激」を含めて、「こころ」と再定義することが、本来の「こころ」に近いのではないのだろうか?
なぜなら「能動性・内発性・主体性」と呼び習わされていることの原因が、「こころ」の外側にあるとすれば、それは、「受動性・外発性・主体性のなさ」に繋がるがゆえ、本来的な「こころ」とは、いえないのではないのだろうか?(※)
そういった意味から、「こころ」を脳に限局した閉鎖系として捉えるならば、それは、本来的に認識されうる「こころ」から逸脱してしまう危険性を孕んではいないだろうか?それゆえ、「開放系」として捉えるべきものではないのだろうか?
「こころ」が開放系であるならば、それは一元論的であると言うべきなのではないだろうか?逆に、閉鎖系であるならば、それは、二元論的であるというべきなのではないだろうか?
おそらくこのような閉鎖系の幻影が、量子力学系におけるコペンハーゲン的解釈を選択したがる人々にとって、一元論的でありながら、二元論的な方向へ向かわしめる原動力となっているのではないのだろうか?
(※) 内発性・外発性、能動的・受動的を決定する「こころ」の境界を考えるとき、「こころ」を人工的に作ることが出来る(というより、作った上で、管理・制御が出来る)という立場に立てば、「こころ」の内発性・能動性は失われる(すなわち、境界が無限小へ退縮する)。しかし、「こころ」は人工的に作ることが出来ない(ないし、作ることが出来ても、「こころ」が発動したとたん、管理・制御が出来ない)のであれば、「内発性・能動性」の境界は外側へとふくらみ始める。
この境界こそが、「こころ」を定義すると思われる。
エヴェレットの多世界解釈を受け入れようとする人々は、「こころ」を一元論的に扱おうとする人々である。究極の開放系・一元論信奉者といって過言ではない。
申し訳ありませんURLを見てもイマイチよくわかりませんでした
以前の回答で仮に将来 物理法則が完全に解明され 脳の意思決定過程が物質の物理法則だけで説明ができることが分かったとすると 魂は存在しないか あるいは存在したとしても意思決定に関与していないと証明されるとあります この主張は正しいのでしょうか?
わたしは霊魂のようなものが存在し それが人格 や意思決定に少なからず影響していると思いたいのですが それはあり得ないと 唯物論は証明されるものでしょうか?
No.1
- 回答日時:
科学はまず定義し、定義したものが正しいかどうかを立証します。
現状では科学は「魂」とか「霊魂」について、定義することができていません。
定義づけることができていない以上、観測も測定もできませんので証明することは出来ません。
>仮に将来、物理法則が完璧に解明され、脳の意志決定過程が物質の物理法則だけで説明できることが分かったとすると、魂は存在しないか、あるいは存在したとしても意志決定に関与していない、ということが証明されます。
>とありましたが これは正しいのでしょうか?
上記の理由により「魂」が何なのか定義づけできていなければ、脳の意思決定過程について解明できたとしても「魂」について何らかの証明や否定をすることはできません。よって、正しくありません。
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