
1. 初めに(原初的に) 《こと=事》に感応して 《ことだま=事霊》
を心に見止めるがごとく思い描き ほとんど同時に《ことだま=言霊》と
しても捉えた。かも知れない。
2. コトが 事と言とで同時であったとしても・そうだとしても 問題
は そのあと第二次に 事の端 ⇒ 言の葉 ⇒ 言葉そのものに《言霊》があ
ると見なすようになった。のではないか?
3. 《言葉を発すると そのまま それの表わす中身の事が起こる》と
いう《言霊》の思想は 人為的にナラハシとして後で出来たこの第二次の
ほうを言うのではないだろうか。
4. まだ根拠も論拠も乏しい状態にあり 資料収集の段階でさえあるか
も知れないのですが ひょっとしたら 一点突破するかのごとくよきヒラ
メキが得られるかも知れない。みなさんのお知恵を拝借です。
5. 問い求めのねらいは 言霊の思想(ナラハシ)が 例の差別表現と
いう社会現象とかかわっているのではないかという見方にあります。
6. もし言葉の霊力そのものは 人びとの社会的な慣習として 自然の
生成によるのではなく 第二次の人工的な展開であると捉えられ得たなら
世界は・話は 変わって来る。
7. 人間の生まれつきそなわった自然本性には 基本的に言って 言葉
が その内容としての事を起こすといったチカラはそなわっていない。言
いかえると 言霊の思想は われわれの自然本性がそれを支えているもの
ではないと。
8. なお・ちなみに この仮説をくつがえす次のような説を見かけまし
た。不利になりますが 掲げます。
▲ (関根正雄:古代イスラエルにおける《言霊(?)》 ~~~~~~
9. 我々は祝福というと おそらくすぐ神に祝福されるというふうに考
える。《創世記》一二章の一節から三節でもそう書いてある。
10. けれどももっと遡って旧約の中で祝福とか呪いという問題を探っ
てみると 神との関係が初めにはない。・・・
11. というのは 神との結びつきは旧約の伝承を探ると二次的なので
ある(ショットロフ)。
12. 要するに〔第一次のは〕言葉のもつそれ自身の祝福の力および呪
いの力である。これは宗教的にいえばいわゆる呪術の段階である。
13. ところが旧約ではきわめてすみやかに神とのかかわりをもたせら
れて 《あなたは祝福されている》《あなたは呪われている》という言葉
が神との関係で用いられはじめており・・・(以下省略)。
(関根正雄:『古代イスラエルの思想』2004〔初出=1982〕p.63 )
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
14. 質問をかかげるわれわれは この(12)の命題のその以前に
(1)および(2)の歴史を仮説しています。
A 回答 (2件)
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No.2
- 回答日時:
こんにちは。
言霊が問題になるのは、人間の意志や意思が介在しない単なる自然現象ではなく、意志や意思が関係する現象の場合ですよね。
この場合、赤ちゃんはともかく、我々は、それが意識に上るかどうかは別にして、単なる反射、習慣化した行動を除き、言葉で思考し、それを現象として具現化する。こうした過程を言霊によるものと考えれば、事に先行し、言葉があるということになるのではないですか。
具体的な行動は起こさなかったけれど、思ったことが実現される場合、これはおそらく神さま(あるいは悪魔)が思いを汲み取って実現してくれたのでしょう。
単なる偶然かもしれませんが、古代人の多くが採用していた〈呪術の論理〉にしたがえば、そういうことになるのでしょう。
我々現代日本人(の多く)はこのように考えませんが、しかし、食事のとき「合い箸」はいまだに禁じられていますので、我々も前近代的な〈呪術の論理〉からまったく無縁というわけではないでしょう。現に、他人に不幸が訪れればいいと思い、それが実現したとき、我々は何がしかの疚しさや後ろめたさを感じますから・・・。
旧約の創世記でも、神が「光あれ」と言って、光が現出した。
また、新約では「はじめにロゴス(ことば)ありき」です。
これは、神をヒトに模した、擬人的な考えですけれども、これを額面通りに受け取れば、概念、言葉、イデアが事物に先行しているということになるのではないですか。
そして、
すくなくとも、行為、行為の結果として引き起こされる現象の場合、このように考えないわけにはいかないのではないでしょうか。
ヒトがこの世に出現する前にすでにモノやコトはあったでしょうから、言葉よりも、モノやコト、物質と現象の方が歴史的に先行していると思いますが、これとは、また、別な話なのでしょう。
ご回答をありがとうございます。ありがたいですね。
★ 言霊が問題になるのは・・・意志や意思が関係する現象の場合
ですよね。
☆ これはまた《意志やハカリゴト》が絡むと 問題がむつかしく
なるように思います。
意志がなくても・善意の(知らなかった)場合にも 言霊は効果が
あるらしい。のでは?
◇ 食事のとき「合い箸」はいまだに禁じられています
▲ (骨の合い箸)~~~
https://www.e-sogi.com/faq/21.html
「箸」が「橋」と音が共通なことから、「この世とあの世の橋渡し」
という意味で、三途の川を皆で渡し、送ってあげようという気持ち
を表した
~~~~~~~~~~
☆ 葬式でも何でもないときには 《合い箸》はご法度。――ナラ
ハシは知っていましたが 謂われに無知でした。
◇ 概念、言葉、イデアが事物に先行しているということになるの
ではないですか。
☆ そうであり得ると考えます。つまり:
◇ 言葉よりも、モノやコト、物質と現象の方が歴史的に先行して
いると思いますが、これとは、また、別な話なのでしょう。
☆ といった見方に関するかぎり 《言葉≒概念》としての広い意
味での言霊が 事件に先行していると人は捉えるのでしょう。
この見方をさらに掘り下げたい。
空で放電現象という《事》があって これを《いかづち / かみなり》
という《言》で受けた。
この原初のコトダマは その事たる霊的現象を事霊と捉え その内
に言葉としての言霊が潜む。
雷つまり神鳴りは 事であり 神というからにはその《事》に《い
か(厳)つ(の)ち(霊)》という言霊が宿ると捉えられた。
雷光は 稲の生育に 霊の息吹きを吹きかけるという観想によって
《いなつるび(稲と雷電との交接)》と言い あるいは《いなづま
(稲妻もしくは稲夫)》と表現した。生育というよりは 稲が孕む
ということのようです。
つまり 初めに事霊=言霊としてのコトダマが 初めにあって――
そのあと《言葉霊》が分立するかのように一般に言霊として持たれ
るに到った。
稲光と口に言い出すことによってその言葉の霊が 稲に実を成らせ
る。
《のりと・のろひ・まじなひ・言祝ぎ》は 第一次の《事霊=言霊》
の現象を再現しようという意志を持ったとき 第二次的な《言霊》
とし働くと見るに到った。
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