祝Queenの日!フレディ・マーキュリーの年代別ファッション&ヒットソングまとめ

高校の頃、教科書で学び、最近改めて読み直しましたが、大学になった今でも私が成長してないのか(^^;読後の感想は変わりませんでした。
文体が美しかったり、文学的要素はあるのだと思います。が、確か自分をモデルにした小説だったと思いますが、内容がどうも私には、筆者が「自分はエリートな男な上に、女にももてるんだ」と自慢しているようにしか感じられないのです。そもそも、女をあんな目に合わせて、それを小説化するとはどういうことだと私は思ってしまいます。
しかし、教科書にも載る程の文学ということは、何か内容的にもすばらしいところがある気がします。
そこで、私とは違い、この小説の内容はこんないいところがあると理解できる方、是非どんなところか教えて下さい。
この作品に対して違った見方をしてみたいです。

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A 回答 (6件)

#5です。


ひとつ書き忘れていました。

もちろんこの話は明治のそれも前期の話ですが、おそらく第二次世界大戦前くらいの大学生や大学卒業者には、時代によって多少の差はあったとしても、「自分が修めた学問を国のために生かすことは自分たちの責任」という問題意識はあったと思うんです。
だから国に対する責任と、個人の思いの間で引き裂かれた豊太郎の苦しみも、リアルに実感できたんでしょう。

ところが戦後、大学生の数も増え、大学生も大学卒業者も、なんらエリートではなくなってしまう。
そして「日本」に対する意識もどんどん希薄になっていきます。
わたしたちは帰国して官職に就こうとする豊太郎のことを、「これから出世コースに乗るんだ」ぐらいにしか意識できないですよね。
そこで単純に、「自分の出世のために女性に対してひどいことをした人間」としてしか見なすことができない。

わたしも高校生の時に、「責任を伴わない優しさなんて無意味だ」(恥ずかしい…)なんて豊太郎を批判する感想文を書いた記憶があります。
やっぱり『舞姫』、キライでした。
確かにいまの時代、『舞姫』を何の予備知識もなく読むのはむずかしいなーと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます☆
そうですね、戦後と戦前では日本に対する意識の差がある感じがします。違う時代の文学を学ぶ時は、その時代の背景を知ることが大事になってくるのですね。
今まで、そこまで文学の時代背景を気にしないで読んでいた私ですが、今回のことで時代背景がいかに大事かということに気づきました。
今後、何かを読む時は、時代背景に注目していきたいです。新たな文学に対する見方、楽しみ方を教えて頂き、本当にうれしいです!!
ありがとうございましたm(____)m

お礼日時:2004/09/11 05:29

明治文学の一愛好者として回答させていただきます。



まず、ほかの回答のなかにも誤解していらっしゃる方がいるようですが、『舞姫』に出てくる太田豊太郎は森鴎外の創作人物です。
にもかかわらず、『坊ちゃん』の主人公と夏目漱石をだれも同一視することはないのに、鴎外と豊太郎を平気で同一視して解釈しようとする人が多いことが不思議です。
まず、鴎外=豊太郎とする見方を捨ててください。

>女をあんな目に合わせて、それを小説化するとはどういうことだ

鴎外がElise Wiegertという女性と恋愛関係にあったことはいくつもの資料が指摘するところです。

けれども、鴎外が帰国した二ヶ月後の明治二十一年九月十二日、彼女は鴎外のあとを追って来日、築地の精養軒ホテルに一ヶ月滞在した後、帰国します(鴎外は、二十二年後、48歳という年齢になって、その経験をもとに『普請中』という短編を書いています)。

このElise Wiegertがどういった人物なのかはよくわかっていないのですが、とにかく鴎外を追って単身日本に来れるような彼女が、少なくとも作品中の「エリス」とはずいぶん境遇がちがったことは間違いない(当然狂気にも陥っていないし、妊娠の事実も疑わしい)。
むしろ、ごく普通の恋愛だった、と見るべきではないかと思います。

>筆者が「自分はエリートな男な上に、女にももてるんだ」と自慢しているようにしか感じられないのです

自慢がしたいなら、「エリス」を令嬢として描き、そんな極悪非道な仕打ちを書くかわりに、どれだけ彼女が別れをつらがったか、さらに「彼女ったらオレを追っかけて、日本にまできたんだゼ~、どうだ、オレってすごいだろー」と書けば、(文学として成立するかどうかはともかく)作者の自尊心は、はるかに充たされるはずです。

豊太郎はエリスに対してひどい仕打ちをする。
おそらく『舞姫』を読む人のだれもが、太田豊太郎を嫌いになるはずです。
豊太郎の行動を、批判するはずです。
憐憫を持つことはできても、好きにはなれない(たとえば「坊っちゃん」をキライになるのがむずかしいと同じくらい、豊太郎は好きになるのがむずかしい人物です)。

どうして鴎外は、あえて主人公をそのような人物として造型していったか。
また同時に、そんなひどい人間を描いた小説が「明治時代の青春を象徴する小説」(中村光夫『日本の近代小説』岩波新書)として、今日まで読み継がれてきたのか。
そこを読み解いていかなければならないと思います。

この場で読解をやっていく時間もスペースもありませんので、比較的手に入れやすい参考文献をひとつあげておきます。
山崎一穎『森鴎外 明治人の生き方』筑摩新書、とくに第四章「作家誕生 ――『舞姫』を読む」では、読解と作品が誕生した経緯が描かれています。

「鴎外が『舞姫』を発表した時、不特定多数の読者を対象にしてはいない。豊太郎の文脈に添えば、手記の読者として想定可能なものは、「心ある人」であり、豊太郎とエリスとの行実を「あやしみ、又た誹る人」であろう。これを鴎外の文脈で語るならば、エリス(エリーゼ)に代表される西欧の自由と美に象徴される市民精神を自らの手で扼殺した己れの生のあり様を「心ある人」に告白することであり、「この行ありしをあやしみ、又た誹る人」として陸軍軍医部の上官、特に石黒忠悳へ向けられた痛烈な刃であった。おそらく『舞姫』発表は対自家用(鴎外の母や妻登志子)を超えた標的に向けて放たれた小説であり、鴎外としても自己の進退を賭けた表現であったと言える」(引用同)

以下、簡単にわたしの解釈を書きます。
やはりこの小説を読むとき、何よりも忘れてはならないのは、明治という時代の特殊性です。

こんにちのわたしたちは、「日本」というものをそれほど意識せずに生活していますが、江戸末期に生まれた文学者、たとえば坪内逍遙も、二葉亭四迷も、そして鴎外も漱石も、「日本」をどうしていくか、が、自分の人生をどう生きていくか、と表裏の問題としてあった(エリートというのは、そのような社会的重責を課せられた存在でもあったのです)。

とくに鴎外は、ほかの文学者たちが、ともかくも文学を専業(二葉亭の場合はなかなかそういうのもむずかしい側面はありますが)としていたのに対して、陸軍の軍医として、作家とは別の顔を持っていた。

おそらくは鴎外の内面は、公的な生活の充実にもかかわらず、ひどく空虚な部分があったのではないか。
その空虚さとは、当時の日本の「外発的開化」の現状とも結びついていた。
鴎外の創作活動は、その精神的空白を見据え、なんとか埋めようとしたものではなかったか。
その空白は、早くも『舞姫』のなかに胚胎していたと思うのです。

冒頭、豊太郎は自己を恨みます。自分のしたこと、自分の卑しさを、だれよりもよく知っている。
おそらく豊太郎は、どれほど世間的に成功しても、みずからに対する尊敬の念を取り戻すことはできないでしょう。
だれよりも、鴎外がそれを許さないものとして『舞姫』を創作した、と考えることができると思います。

『舞姫』はこの文章で終わります。
「相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡に一点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり」

相沢謙吉とは誰か。
豊太郎を日本に連れ戻した友人は、同時にまた母であり、日本でもあったのではなかったか、と思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます☆
そうですね。エリスは大金がないと日本に来れないし、主人公の自尊心を満たすには、彼女が令嬢の方が都合がいいことを考えると、創作だということがはっきりわかるのですね。
舞姫を読んだ者は主人公を好きにはならないだろう。それなのになぜ作者は書いたか。という発想からの考察が、さすが文学だな。と思いました。
当時のエリートは、直に日本を背負って努力していて、国に逆らうことはできない。他の世界を見て疑問がうかび、それを伝える手段として小説という形をとったということなんですね・・
不特定多数の読者を想定していないことなど、考えもつきませんでした。
このような素晴らしいghostbusterさんの解釈を読ませて頂き、本当に光栄です。自分の浅はかさを知ると共に、この作品を深く考え直すことができました。紹介してくださった読解の本も是非目を通してみようと思います。
何度も読み返して、自分の糧としていきます
私のような文学素人に丁寧に教えて下さり、本当にありがとうございました。m(____)m

お礼日時:2004/09/09 15:20

 不朽の名作ならば一切の予備知識なしでも素晴らしいと読める点が


あまたに見出されなければならないという期待をかけて、時代背景も
何もかもを疎んじて尚、どんな見方ができるのかを探してみました。
 そして、この小説の内容もそれなりに(?)いいぞ、と宣伝っぽく書い
てみたのが以下の紹介文です。
(書いてはみましたが、『舞姫』はわたし好みではないです (^^;)


 豊太郎は、学業を完璧に修め、多国の言葉に精通する比類なき超秀才。
その男が国の任務でドイツへ視察に赴いた。根っからの生真面目ぶりを
発揮し、一心にドイツの文化・学問を学びとった。外国の自由な空気に
触れること3年、男も25歳となった時に最初の変化が訪れた。
『俺はいったい何をしているんだ? 俺は世の中のただの操り人形か?』
しかし、操り人形でなければどうあるべきかが見えない。己の真面目さ
を哂う連中を見ても何一つ感心するものがない。

 手探りで何かを追い求めるような日々を送る男の前に、エリスが登場
する。年は妙齢で、鴎外の筆でも書けないほど(^^;の美女。心も清らで
書も嗜む。男が恋に落ちたのも当然の成行き。
 しかし、よからぬ噂が立って男は免官させられた。友の助けもあって、
男は新聞社の通信員となり、現地でエリスとの日々を送る。その生活は
貧しいもので、学問の道も荒んだが、新聞記者となって得た知識は男の
視野を大きく広げた。また何よりもエリスとの毎日があった。そうして
エリスは妊娠する。

 或る日、友の仲立ちで大臣のお供をすることになった。聡明にして博
学多識な男だが、強い自分の意思、言い換えるなら自我というものが生
来欠けていたのがこの男、友に、いつまでも憑かれただけの恋路に迷っ
ていてどうすると云われてはグラついて、大臣に、ロシアまで同伴願え
ないかと頼まれては、何の判断もなく反射的に「はい」と応えるのであ
った。大臣に着いて二十日も勤めていると信用を得て、本国へ帰って私
に尽くしてくれないかと勧められた。
 エリスを愛してはいるが、故郷を思う念、立身出世を願う念が無くな
った訳ではない。この誘いが本国に帰る最後の機会に思われる。意思の
弱い自分にはもう判断がつかない。順風満帆に歩んできたせいか、逆境
の立場におかれて何一つ判断できない自分の様を男は思い知るのだった。
「彼は何か身の回りに不都合でも?」と大臣が友へ問へば、「なにも」
と友はとぼけた。それが友に逆らえない男の背中を押した。「承ります」
 エリスに何と云えば!? 何ら確たるものも無いままに揺れているだ
けのこの自分は一体……。自責の念に苛まれ茫然自失のまま極寒の街を
彷徨い、男は熱に倒れて数週間寝込んだ。

 男が意識を取り戻した時には、既に周りが変わっていた。エリスは友
の口から全てを聞いたのだ。裏切りを知ったエリスは泣き崩れて、つい
に精神を狂わせてしまった。終日痴呆状態のエリスを医者も見放した。
 生ける屍の如きエリスを抱いて男は涙に明け暮れたが、その日が来て、
男は、胎内の子の手筈と資金をエリスの母に託して、大臣と友と一緒に
本国へと帰っていった。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます☆
書いてくださった紹介文、非常に素晴らしいです(^o^)
途中の豊太郎の心境の変化もわかりやすいです!!
これを読ませていただいて感じたのですが、日本に帰る際に、これが最後の帰国のチャンスとなるかもしれないこと、頼れる友やまわりの圧力を考えると、精神的のかなり追い詰められてしまいますね・・
もし自分がその立場だったら・・私は精神崩壊しそうです。
冒頭の通り、予備知識がなかったとしても、この作品を素晴らしいと思える文でした。心の葛藤が伝わってくる文でした。
ありがとうございましたm(____)m

お礼日時:2004/09/09 13:51

私は高校の国語教師です。


舞姫は何回も扱いました。
この作品のテーマは
「近代エリートの挫折及び自我」なんです。
森鴎外も夏目にしても彼らは
近代日本のエリートなんです。
国費留学してるんですから。
彼らはエリート意識充満人間です。
普通なら彼らは親や上司の言いなりのお見合いを
して良家の女性を妻にして亭主関白の日々を
送ってエリート面して一生を終わるのです。
ところが鴎外はちょっとドイツで可愛い女性に
惑わされた。
しかし実家がそんな恋を許すはずがない。
それに反抗できなかった鴎外は結局自分の
エリート意識に負けたのです。
というより所詮エリスとは遊びだったのでは。
気の狂った妊娠中のエリスを放って帰国するなんて
人間のすることではない。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます☆
テーマはエリートの挫折及び自我。なかなか複雑なテーマです。彼の人生は当時のエリートとしての普通とは違ったのですね。
時代柄きっとエリート意識は相当のものだったのですよね・・
ありがとうございましたm(____)m

お礼日時:2004/09/09 12:44

○軍人・医者・文学者の三冠王である鴎外でなければ、舞姫・ヰタセクスアリス等は発禁措置となっていて不思議無い内容であった。

それだけの自負を抱き当時の軍部検閲に反骨精神をもって、あえて発表した作品との解釈はうがちすぎかもしれないが、好感をもってます。鴎外の軍医としての業績は下記の通り。
1鴎外は文学と医学の博士号を持っていますが、取得は医学博士の方が早く、明治24年8月、29歳の時に手に入れています。 鴎外自身自分が文学者と思っていたことはなかったようで、「鴎外漁史とは誰ぞ」の中でも、自分が文学者であったなら世の中は文学者の多きにたえないだろうと、文学者の弟子は終生とりませんでした。
2さて軍医としての鴎外はどうだったのか。彼は衛生部に所属し、その最高職である軍医総監にまで上りました。
3衛生とは当時最新の概念で、病気を治すのではなく、予防しようというものです。鴎外はドイツ留学時に、衛生学の権威ペッテンコーフェル、細菌学の権威コッホに直接師事しています。
4そして軍医としては数々の著作を著しているのですが、その中で最も大きな業績は明治43年の腸チフス予防接種の全軍実施です。現在日本の三大死因は、脳梗塞、癌、心筋梗塞ですが、同時は、腸チフス、結核、脚気でした。鴎外はその一つの予防に成功したのです。
5反面、脚気問題については、ドイツ留学時にコッホに師事した経験から細菌原因説を主張、ビタミン不足との反論を却下し、それを断行した。その結果結果日清日露戦争では、戦死者よりはるかに多くの兵を脚気で亡すに至った。
○もう一つ、長文ですが、なかなか興味深い論争を紹介します。
近代文学研究会のHomePage
「近代文学研究会」は大阪の高校の国語科教員を中心としたグループです。高校国語の定番作品に加えて、新たに開拓した作品の授業案を検討しています。優れた文学作品を授業で取り組む際、どのような質問や説明が生徒の興味を引き付けるか、具体的な質問や考え方の提案を行っていきたいと考えています。またその基礎として近代文学作品の新たな評価が必要だと考えています。
「舞姫論」http://www.mars.dti.ne.jp/~akaki/maihime.html#ma …
「舞姫論への反論等」http://www.mars.dti.ne.jp/~akaki/
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます☆
そうなのですか。鴎外は三冠王として、かなりの業績を残しているのですね・・!!これだけの能力がある方だからこそ、出せた作品なのですね。
紹介してくださったURLもみてみました。こういった見方もあるのかと驚きました。
すごく奥の深い作品だと思いました。
詳しく書いて頂き、ありがとうございましたm(____)m

お礼日時:2004/09/09 12:16

確かにhanaさんのおっしゃる通りですね。



しかし、女をあんな目に遭わせたことに対して、主人公は罪の意識を持っているような書きっぷりではありませんでしたか?

栄転と恋愛のどちらを選ぶかというのは、多分社会に出て初めてわかるようなもんだと思います。大学生でたとえれば、恋と勉強どっちを優先する、という話になるんでしょうが、あまり現実味を帯びないので。そのへんの葛藤をくんでやることで、主人公の魅力というのがわかってくると思います。

エリートでもてる、そんな自信満々な人間は、おそらくこういう出来事を楽し気に語るようなことはしないでしょう。どこか後悔の念があるからこそ、このことについて微に入り細を穿つ形で語っているのではないかと思うんですが。ひと皮むけば、人間というのは弱いものなのではないでしょうか。

考え方が病的かもしれませんが。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます☆
そうですね、おっしゃられる通り、恋愛と栄転は社会に出てからじゃないとわからないというのがあるのかもしれませんね・・。社会に出てまた読んだら感想がまた変わってきそうですね。
後悔の念があるからこそ、自分1人では抱えきれないといったようなことがあったのかもですね・・人間は弱い・・私もそう思います。
社会人になったらまた改めて読んでみようと思いますっ
新たな考えを与えてくださり、ありがとうございましたm(____)m

お礼日時:2004/09/09 03:00

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Q日本文学における「近代的自我」って、わかりやすく言うとどういうこと?

いまいち、ピンときません。近現代の日本文学を理解する上では必須の概念のようですが。たとえば、封建時代には無かったこういう考え方が、明治以降の思潮として生まれた…というような具体例をふまえて、わかりやすく教えていただけませんか。素人にわかるようにお願いいたします。

Aベストアンサー

明治以降、戦前までの、あるいは現代にいたるまでの日本の文学を貫く大きな主題を「近代的自我の確立」として見ていく、というとらえ方があります。

大雑把に言うと、
西洋近代社会の根本には、近代的自我があった。
それに対して、封建時代を続けていた日本には、近代市民社会というものは存在しない。そして、その核となる近代的自我もない。明治に入って、外圧によって開国を余儀なくされ、西欧列強に植民地化されないために、社会は急激な近代化を遂げた。

けれども、それは、西洋のように、近代的自我が自然な発達段階を経て成熟し、それと軌を一にして市民社会も成熟した、その結果としての文明ではないわけです。
そのギャップを埋めようとして、なんとか個人の内側に「自我」というものを確立しようとして苦闘した、一連の作家がいる、という考え方です。

ではヨーロッパの近代をささえた「自我」とはなんなのか。

これをまた考え始めると、大変なのですが、ここでは簡単に、「わたしとはなんなのか(わたしはなぜわたしなのか、わたしと他者はどうちがうのか、といった一連の質問も含みます)」という問いを立て、それに答えていくこと、としておきます(もし自我とはどういうことか、に興味がおありでしたら、宮沢賢治の作品を自我という観点から読み解いていく見田 宗介『宮沢賢治―存在の祭りの中へ』 岩波現代文庫が大変おもしろく、参考になるのではないかと思います)。

ヨーロッパ社会では、キリスト教の強い支配と、封建的な身分関係のなかにあって、ひとは、社会からも、神からも自由で独立した「わたし」を想定してみようとも思わなかった時代から、近代に入って、自我が哲学の中心的な問題となっていきます(ヨーロッパ社会の中で「個人」という意識がどのように確立していったか、ということに興味がおありでしたら、作田啓一『個人主義の運命』岩波新書を。この本は手に入りにくい本ですが、非常によくまとまっています)。

近代社会を構成するのは、ひとりひとりの市民である。そしてその市民は「自我」を有している。これがヨーロッパの近代を支える思想であり、ヨーロッパの近代文明を裏打ちしているのは、その思想であったわけです。

さて、上でも言ったように、ヨーロッパでは百年~二百年の期間を経て成熟していったところへ、日本は一気に追いつかなくてはならなくなってしまった。

文学も、それまでの戯作文学のように、楽しみのためだけに読むようなものではダメだ、西洋の芸術観に基づいた新しい文学が生まれなければならない、と、そのように考えられるようになった。そうやって、明治二十年代に入って、新しい文学が起こってきます。

その代表的な作品が、二葉亭四迷の『浮雲』、あるいは森鴎外の『舞姫』です(『舞姫』に関してはhttp://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=993639で回答しているので、もし興味がおありでしたら、ご覧になってください)。

両者とも、知識階級の青年を主人公にしています。
主人公は、どういうふうに生きたらいいか考え、悩み、自分が良いと信じる生き方と、社会の現実が相容れないことに悩みます。
つまり、現代までつながってくる問題が、明治二十年代に、初めて登場したのです。

この二葉亭や鴎外がここで提出した問題は、そののち、鴎外自身や漱石によって深められ、あるいは明治四十年以降からは私小説という表現形式をとって現れたりもします。

その現れはさまざまだけれど、いずれも、社会のなかで生きる「わたし」は、社会から独立した存在である、それゆえに、社会とは相容れず、みずからの理想を、社会のなかで体現することもできない、その「わたし」は、いったいどう生きていったらいいのだろうか、ということを、日常生活のなかに描き出そうとするものだった。そういうものが、日本の近現代の文学であった、と概観することもできるわけです。

非常に大雑把に書きましたが、「日本文学における近代的自我の確立」と言ってしまうとずいぶんたいそうなことのようですが、その内容は、そうしたものである、と考えて良いのではないでしょうか。

明治以降、戦前までの、あるいは現代にいたるまでの日本の文学を貫く大きな主題を「近代的自我の確立」として見ていく、というとらえ方があります。

大雑把に言うと、
西洋近代社会の根本には、近代的自我があった。
それに対して、封建時代を続けていた日本には、近代市民社会というものは存在しない。そして、その核となる近代的自我もない。明治に入って、外圧によって開国を余儀なくされ、西欧列強に植民地化されないために、社会は急激な近代化を遂げた。

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この『舞い姫』を読んで自分なりに感じた事は、人間の持つ「二面性」が悲劇的且つ強烈に描写されている、という事です。太田豊太郎の相沢謙吉に対する心中の言葉にそれが見受けられます。。「相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我が脳裡に一点の彼を憎む心今日までも残れりけり。」相沢謙吉という二度と得がたい程の友を持ちながら、その友にエリスとの関係を引き裂かれた形になった豊太郎。ただ引き裂かれたのならまだ救いはありますが、エリスの心理的病が進行し、しかもお腹の中には彼の子供が宿っている。豊太郎としては傍にいたかったであろう事は想像に難くありません。まさに『究極の選択』を描いた問題作とも言えるでしょう。また、作家でもあり医者でもあった鴎外だからこそ、このエリスの救い様の無い悲劇を表現できたとも思えます。この作品は、豊太郎は、結果、愛するエリスよりも仕事をとり、相沢は二人の仲を引き裂き、エリスには悲劇しか残らなかった、という三人の環境を取り巻く要素を心理的に複雑に絡め、豊太郎の「この世に相沢よりも友人と呼べる人間はいない。しかし、彼に対し憎悪の感情がある事もまた事実だ」という人間が誰でも持ち得ている「煩悶」を見事に導き出す鴎外の複雑な思いを描いたものと言えるでしょう。時代背景を考えても、敢えて国際恋愛の難しさを描写した鴎外。エリスは、その現実に対し何を感じたのでしょうか。

(594文字、句読点を含む)

下手な文章ですが、こんな感じで如何です?

この『舞い姫』を読んで自分なりに感じた事は、人間の持つ「二面性」が悲劇的且つ強烈に描写されている、という事です。太田豊太郎の相沢謙吉に対する心中の言葉にそれが見受けられます。。「相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我が脳裡に一点の彼を憎む心今日までも残れりけり。」相沢謙吉という二度と得がたい程の友を持ちながら、その友にエリスとの関係を引き裂かれた形になった豊太郎。ただ引き裂かれたのならまだ救いはありますが、エリスの心理的病が進行し、しかもお腹の中には彼の子供...続きを読む

Q森鴎外「舞姫」の豊太郎をどう思うか

 こんにちは。タイトル通りです。
 以前も似たような質問をさせていただいたのですが、もっと多くの意見を聞かせていただきたいと思い、もう一度質問させていただきました。

 舞姫の主人公・太田豊太郎を、あなたはどう思いますか?
私は無責任だな、言い逃ればかりしているな、と呆れや腹立たしさを感じます。それも含め「舞姫」という作品は大好きです。

 アンケートのようなものなので感じたことをご自由にどうぞ。
どこのシーンにその感情を一番強く感じたかも書いていただけると嬉しいのですが、面倒くさければ、「かっこよかった」など単語レベルでのご回答でも構いません。


よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

豊太郎の苦悩の深さがよく伝わってきて、この作品はとても好きです。

難しい選択ですが、単純に「愛」と「仕事」の二択として考えると、自分の一生を左右する決断として間違ってなかったと思います。本来なら同じ天秤にかけるべきではないのでしょうけど。

廃人になってしまったエリスは本当に気の毒ですね。

でも。。そもそも初めから、豊太郎は日本に帰りたかったんですよね。
もしベルリンに残っても、自分の可能性を捨てた事に一生後悔するでしょう。

良かったシーンというか、ドイツに行ってる間の葛藤とエリスからの手紙がいいですね。
エリスが釘を刺すような内容の文面は、豊太郎の優しい心につけこんだ脅しにもとれますし。

あと最後、相沢に責任転嫁するのは良くないですね。彼のおかげでもあるのに。

Q舞姫について

豊太郎はエリスとなぜ別れたんでしょうか?自分の思ったことでいいので感想を教えてください。

Aベストアンサー

大学時代の授業で教授の言っていた回答を一席。
(私も豊太郎はとんでもない男だ,と思っていたのですよ。じつは。)

鴎外がドイツ留学中に一人の女性(その女性は結婚していた,と記憶しています)と関係を持ち,結局その女性を捨てる事になったというのは事実です。
しかし,ここで考えなければならないのは、今と鴎外の生きていた時代の因習の重みの差です。
彼は長男でした。そしてまた、家を守って行くべき家長となるべき男でした。
その時代,自分の家を背負って行かなければならない,ということは,今の私たちが思うのよりもはるかに重い意味を持っていましたし、周りから押し付けられる重圧もかなりのものだったと思われます。
まして、鴎外は、エリート中のエリートでした。家中の期待を背負った男だったのです。海外で勉強して、これから日本で自分の地場を固めて行く官僚。…そんな彼にとって、異国の女性とのスキャンダルは,その後の出世をすべて捨てなければならないような大事件でした。
彼自身、身体を引き裂かれるような痛みで,捨てた,女。
その女を捨てねばならなかった自分の周りの、非人間的な日本の完了システム,官僚システム。。。それを、人々に,訴えたかった。
その為に,彼は,『舞姫』を書いたのではないか。
彼女との恋を,無かった事にはしない為に。

と言うわけで,豊太郎は,周りの因習に屈して,愛するエリスを捨てたのです。
自分が卑怯者だと,自分を責めながら。
そう考えるのが自然だと思います。

鴎外の、日本の前近代の因習への、ぎりぎりの地点での反抗。
文学の中でしか,叫べなかったのだと思えば…。まあ納得はいきますよね?

豊太郎(=鴎外)は,言い訳の仕様の無いひきょーものには違いありませんが、少なくとも,斬れば血が噴出す人間ではあったのだと思います。
だって,『舞姫』書けば、自分の卑怯さともう一度向き合わなければならないんですもんね?
誰だって,痛いですよ。…これは。
むかつきますが、私は個人的に,鴎外のその弱さが好きです。
人間の弱さを愛する事が,文学だと思いますので。

大学時代の授業で教授の言っていた回答を一席。
(私も豊太郎はとんでもない男だ,と思っていたのですよ。じつは。)

鴎外がドイツ留学中に一人の女性(その女性は結婚していた,と記憶しています)と関係を持ち,結局その女性を捨てる事になったというのは事実です。
しかし,ここで考えなければならないのは、今と鴎外の生きていた時代の因習の重みの差です。
彼は長男でした。そしてまた、家を守って行くべき家長となるべき男でした。
その時代,自分の家を背負って行かなければならない,ということは,今の私...続きを読む

Q森鴎外の舞姫に腹が立つ

こんにちは。タイトルを見て驚かれた方もいらっしゃると思いますが、私は森鴎外の舞姫を読んでいるとイラッとすることが多々あります。

舞姫という作品は大好きなのですが、豊太郎にイラッとします。そのイライラも楽しんでいるのですが、皆さんはどう感じているのか気になり、質問させていただきました。
舞姫を愛している方、ショックに思った方は本当にすみません。

私の理由は、豊太郎が自分を棚に上げて周囲の人を批判したり、責任転嫁をしたりするからです。

ドイツに渡った豊太郎が自我に目覚めた頃、自分を疎む同僚や上司に対し、「疎むは愚かならずや。」と、まるで自分を理解しない同僚や上司に落ち度があるというような言い方をしてみたり、自分の心が弱い事を何度も繰り返してみたり、なんだか悲劇のヒロインを気取っているような気がします。

長くなってしまいましたが、皆さんのイラッとするシーンを教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

舞姫の感想です。
私はイラッというより、「とほほ」な気持ちになります。
豊太郎くんは、お母様や家の概念とやらに洗脳されちゃって、自分にまったく合わない道に進んでしまったのですよね。たまたま小器用だったために、そこそこ出来てしまったのが不幸を招いていますね。
高校の教科書で読んだとき、思ったのは「一番貧乏くじをひいたのは、エリスのお母さんだな」でした。

イラッとしたシーンは、豊太郎くんがロシアの宮廷で「忙しいなあ。仕方ないよね、僕ってできる男だもん」といわんばかりに生き生きと働いているところです。恋するエリスのほうがずっと現実的です。

余談ですが、もし、近くの本屋さんか図書館でで久世番子さんの「よちよち文芸部」(コミックス)を見かけたらぜひ読んでください。舞姫や、教科書に出てくるような名作が独特な観点で解説されています。笑えます。ついでに勉強にもなったりします。

Q森鴎外「舞姫」の「それもならずば母の言葉に。」について

豊太郎がエリスの家まで送り、家の中でエリスが「それもならずば母の言葉に。」と言ったのですが、現代語に訳すと「それも駄目なら母の言うように…」ということは分かりました。しかし、母の言うようにどうするのか分かりません…。分かる方はぜひご解答ください。もしくはこのことについて書いてあるHPなどがあったら、URLを教えていただきたいです。
よろしくお願いしますm(__)m

Aベストアンサー

こんにちは。

だいぶ昔に読んだきりですが、何でも、エリス一家に、どこかの劇場の支配人のような人(?)が、弱みにつけ込んで身勝手な言い分をふっかけてきたのですよね?
お母さんは、不本意ながらもそれに従わなければならない、と娘を諭したのではなかったでしょうか? 
(ちょっとうろ覚え)(^^::
なので
「それが叶わなかったら(このままだったら)母の言うように、その支配人の言いなりになってしまうでしょう」ということではないでしょうか。

どなたからもご回答がないので
ほんの前座として書いてみました。
間違っていたらごめんなさいね。
森鴎外は旧仮名遣いなので、難しいですよね。
(現代語訳でお読みですか?)

Q夏目漱石『こころ』はエゴイズムを描いたのか

似た質問がありますが、少し違う視点から質問しますので皆様、盆休みの間によろしくお願いします。

よく『こころ』はエゴイズムを描いた小説とされますが、何度読んでみてもどうもしっくり来ないのです。
先生のせいでKが自殺することになったのは確かです。けれど、先生はエゴをふりまくタイプではないし、もちろん自覚的なエゴイストではありません。
うまく表現できませんが、先生は何だか流されてそうなってしまった人といった印象を受けるので、普通イメージするような「エゴ」「エゴイズム」ということではくくれないような気がするのですが。
作者がエゴイズムを描いたとすると、どう解釈すればいいのでしょうか。また、他の解釈があれば教えて下さい。

Aベストアンサー

『こころ』は人間の心に潜むエゴイズムを描いた小説である、と、自分の持っている文学事典にも載っていました。

この場合の“エゴイズム”は、
辞書にある“自己の利益を最優先させる態度”と取ればよいと思います。

先生は、Kの恋愛感情を知りながら、Kに自分の気持ちを告げることなく、先回りして、お嬢さんとの仲をまとめてしまった。
この行為が“エゴイズム”なんです。

いまの見方からすると、こういうことってあるよね、という感じではあるのですが。

この恋愛パターンは、中期三部作と言われる『それから』『門』にも出てきます。
『それから』では主人公代助は友人の妻である三千代に恋愛感情を持つ。
『門』での宗助は、友人の妻であった御米を妻にしている。

『こころ』でKが自殺しなかったらどうなっただろう、という仮定を、『門』の中に見ることもできます。
漱石は、宗助と御米の姦通に対して、宗助夫婦から富を奪い、健康を奪い、三人の子を奪うという、という残酷な刑罰を課しています。
漱石にとって、こうしたエゴイズムの発露は、許せないものだったんです。

当時でさえ、こうした漱石の倫理観には、反発する人もあったようで、谷崎潤一郎などは、若い頃“世の中というのは、もっとふしだらな、ルーズなものではなかったか”みたいなことを言っていたようです。

漱石は人間の心の奥深くに巣くうエゴイズムを暴こうとしました。それを白日の下に晒していけば、人々は反省し、自然で自由な世界へいくことができる。それが、後期の“則天去私”の心境とされています。
晩年の『明暗』を読むと、もっとその漱石流のエゴイズムがわかるかもしれません。

『こころ』は人間の心に潜むエゴイズムを描いた小説である、と、自分の持っている文学事典にも載っていました。

この場合の“エゴイズム”は、
辞書にある“自己の利益を最優先させる態度”と取ればよいと思います。

先生は、Kの恋愛感情を知りながら、Kに自分の気持ちを告げることなく、先回りして、お嬢さんとの仲をまとめてしまった。
この行為が“エゴイズム”なんです。

いまの見方からすると、こういうことってあるよね、という感じではあるのですが。

この恋愛パターンは、中期三部作と言われる『...続きを読む

Q日本史Aと日本史Bの違いについて教えてください。

こんにちは、疑問なのですがセンター試験の日本史Aと日本史Bとはどのような違いがあるのでしょうか?
ちょっと気になって調べてみたのですが、ほとんど日本史Bの事しか載っていませんでした。

二つの教科の違いや、選択時の有利不利などを教えてください。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

 日本史Aと日本史Bの違いは、高校での単位数の違いと、教科書で学習する内容の対象が若干違うことです。

 日本史Aは、単位数が2単位など。単位の少ない時間で取り扱う科目です。教科書の内容も近現代史~の内容をメインとした教科書の構成となっています。日本史Bの場合は、大体4単位で、教科書の構成が古代史~スタートし歴史全体の内容を取り扱うものです。

 日本史Aでは、大体どの時代も勉強すると思いますが、教科書の構成上「近現代史」に特化した取扱になっています。また、日本史Bでは、古代史からスタートするので日本史Aの教科書より内容的に若干難しい内容も取り扱います。

 したがって、単位数の違いにより、日本史Aと日本史Bの教科書を使い分けていることです。主に、日本史Aは、職業科の学校で使われています。

 農業高校・商業高校・工業高校など普通科以外の学校で日本史Aの教科書を採択しているケースが多いです。普通科の高校でも日本史Aで近現代をやって、日本史Bで古代から江戸まで勉強して、受験するときは日本史Bで受験するというケースも見られます。

 つまり、日本史Aでは、教科書の構成上、近現代史がメインになりますが、日本史Bでは、古代史からスタートして現代史まで扱うという幅広内容になるということになります。そういうことから、日本史Aで勉強したいようで、勉強していないところ古代史~江戸時代の内容に関しては自力で勉強することが求められます。

 【大学受験での日本史選択】
(1)センター+私大(日本史で受験)する場合
 →「日本史B」を選択
(2)センターのみの場合(日本史A・B両方選択可で2次試験で日本史を必要としない学部学科を受験の場合)
 →「日本史A」を選択(学習時間が少なくてすむ)

 ※私大受験を考えていて、日本史で受験を考えているのであれば「日本史B」を選択するのが無難です。リクルートの進学サイトのURLを載せておくので受験科目の選択に参考にして見てください。

 何らかの参考にならば幸いです♪

参考URL:http://www.shingakunet.com/cgi-bin/shingakunet.cgi

 日本史Aと日本史Bの違いは、高校での単位数の違いと、教科書で学習する内容の対象が若干違うことです。

 日本史Aは、単位数が2単位など。単位の少ない時間で取り扱う科目です。教科書の内容も近現代史~の内容をメインとした教科書の構成となっています。日本史Bの場合は、大体4単位で、教科書の構成が古代史~スタートし歴史全体の内容を取り扱うものです。

 日本史Aでは、大体どの時代も勉強すると思いますが、教科書の構成上「近現代史」に特化した取扱になっています。また、日本史Bでは、古...続きを読む

Q経済学部と経営学部の違いは何でしょうか?

経済学部と経営学部は何がどう違うのでしょうか?
たいした中身の差はないのでしょあか?

経済学部経営学科もてあるみたいですね。
これでますます分からなくなりました。

将来。起業するのなら経営学部の方が良いのでしょうか?
経営、経済にとらわれなくても良いのでしょうか?

どうぞ教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

私自身、経営学部を卒業しましたが経済学部か経営学部で、学習する内容も違ってきます。特に、経済学部経営学科だと、理論や政策などの講義が多くなります。また、経営学部経営学科だと、より「実践的な内容を学習」するといった感じです。

 経営学と経済学は似たようなものですが、経済学は、「理論・政策・歴史」を中心に勉強します。「ミクロ経済学」「マクロ経済学」「経済原論」「財政学」など高校数学の知識が必要になります。経済学は、経営学と比べて数学関係の講義も多くなります。グローバルな問題に対して常に関わっていくのが経済学であり、家計や企業や政府といった単位で経済の仕組みを考えるのが経済学で、それに対して経営学は、経営者として企業をどう動かしていくのか考えるのが経営学です。経営・会計・流通・情報などに興味があるのだったら経営学部です。

 特に、ブランドや洋服に興味があるんだったら「流通論」や「マーケティング」が絡んでくるから経営学部でしょう。「マーケティング」では、企業の戦略や小売業・卸売業・メーカーが一体となって商品の在庫管理などをとりあげたりして、企業側の戦略や業務分析など現場と密接な関係を持った感じの講義がたくさんあります。将来、企業家を目指すのであれば、経済学より、実践的な経営学をお勧めします。特に、中小企業論や社会起業家論などのゼミを選択されると良いと思います。また、大学によっては起業家をよんできてセミナーをひらいたり、ベンチャービジネスをゼミ単位でやっている大学などもあるようです。

 経済学部は、公務員試験に向けた講義が充実しているから、金融や公務員などを目指す人にお勧めでしょう。経営学部は、流通やサービス・金融などを目指す人に向いていると思います。経済学部に比べて、経営学部は、「実務や現場重視」といった感じがあります。商学部は、経営学部に似ていますが、「会計」「流通」「マーケティング」の比重が高くなります。商学部と経営学部は、商学部・経営学部は、ほぼ同じようなカリキュラムで、似たような講義をしているところもかなりあります。

 リクルートの進学系サイトのURLを載せておきます。大学の教授や学生などの情報ものっているので、参考にされてはいかがでしょうか?

参考になれば幸いです♪

 

参考URL:http://www.shingakunet.com/cgi-bin/shingakunet.cgi

私自身、経営学部を卒業しましたが経済学部か経営学部で、学習する内容も違ってきます。特に、経済学部経営学科だと、理論や政策などの講義が多くなります。また、経営学部経営学科だと、より「実践的な内容を学習」するといった感じです。

 経営学と経済学は似たようなものですが、経済学は、「理論・政策・歴史」を中心に勉強します。「ミクロ経済学」「マクロ経済学」「経済原論」「財政学」など高校数学の知識が必要になります。経済学は、経営学と比べて数学関係の講義も多くなります。グローバルな問題...続きを読む

Q夏目漱石は森鴎外をどう思っていたか。

お世話になります。
森鴎外と夏目漱石、ともに日本を代表する作家です。
森鴎外のいくつかの小説には、夏目漱石の名前もしくは夏目漱石をモデルにしたと思われる人物が出て来て、森鴎外が夏目漱石を一目置いていた事が分かるのですが、逆に夏目漱石は森鴎外の事をどう思っていたのでしょうか?2人の間には交流はあったのでしょうか?
そのような事が分かる本などは有るのでしょうか?
宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

まず、漱石と鴎外では、実際の年齢に五歳、差があります。
しかも、漱石が執筆活動に入った時期、鴎外はすでに押しも押されもせぬ大家の位置にあったことを、まず押さえておくべきでしょう。

漱石は明治二十四年、帝大の学生だった当時、正岡子規宛に以下のような内容の手紙を書いています。
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鴎外の作ほめ候とて図らずも大兄の怒りを惹き、申訳も無之(これなく)、是(これ)も小子嗜好の下等な故と只管慚愧致居候(ひたすらざんきいたしをりそうろう)。元来同人の作は僅かに二短篇を見たる迄にて、全体を窺ふ事かたく候得共(そうらえども)、当世の文人中にては先づ一角ある者と存居(ぞんじおり)候ひし、試みに彼が作を評し候はんに、結構を泰西に得、思想を其学問に得、行文(こうぶん)は漢文に胚胎して和俗を混淆したる者と存候。右等の諸分子相聚(あつま)つて、小子の目には一種沈鬱奇雅の特色ある様に思はれ候。(八月二十三日付け:引用は江藤淳『漱石とその時代』第一部から)
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鴎外は明治二十三年一月、『舞姫』を、同年八月『うたかたの記』、明治二十四年一月に『文づかひ』を発表しています。

後の漱石、当時はまだ金之助であった彼が読んだ「二短篇」がなんであったかは明らかではありませんが、この冒頭から、二作品を読んで高く評価した漱石に対して、子規が、それはおかしい、と反論した背景があったことがうかがえます。

江藤淳は『漱石とその時代(第一部)』(新潮全書)のなかで、鴎外の作品は、前年に帝大の英文科に入学してからの漱石の状況を考えながら、この手紙を以下のように解釈しています。

-----(p.202から引用)-----
「洋書に心酔」し、しかもそれを意志的・知的に理解しようと努力するうちに、いつの間にか虐待されつづけていた金之助の感受性を覚醒させずにはおかないものであった。つまり鴎外の小説の「結構は泰西」に仰がれていたが、そこにはまごうかたなき旧い日本――金之助が英文学専攻を決意して以来置き去りにして来た「日本」があったのである。

……『舞姫』に描かれた才子佳人の恋は、舞台こそ独都ベルリンに求められていたが、ほかならぬ晋唐小説の伝統を「文明開化」の時代に復活させた恋である。金之助が鴎外の「二短篇」に見たものは、いわば崩壊しつつある旧い世界像の残照であった。その光を浴びた彼の衝撃がいかに深かったかということは、のちに金之助が英国留学から帰国して発表した小説、『幻影の盾』と『薤露行』に痕跡をとどめている。この二短篇の雅文体の背後には、ほぼ確実に『舞姫』や『文づかひ』の鴎外がいる
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つまり、漱石が英文学の研究から執筆活動へと移っていったのも、鴎外の存在があったことが、理由の一つであったと考えることができます。


後年、両者はそれぞれに、当時の文壇から離れた場所で、それぞれに仕事をするようになります。

このことを中村光夫はこのように指摘しています(『中村光夫全集』第三巻)。ここで「彼等」というのは、漱石と鴎外の両者を指しています。

-----「鴎外と漱石」p.160-----
おそらく彼等が表面冷やかな無関心を装ひながら内心激しい憤怒に燃えてゐたのは当時の文壇といふやうな狭い世界ではなく、むしろこの文壇をひとつの象徴とする或る社会風潮であつた。いはば彼等の誇り高い教養と抜群の見識とは、当時の我国民が無意識のうちに徐々に陥つて行つた或る根深い精神の頽廃を鋭く直観した。そしてこの抗ひ難い社会の風潮に対して勝つ見込のない敵意を燃やしてゐた。…

では彼等がここで生涯を賭して闘つた敵は何かと云へば、それは一口に云つて、近代欧米文明の一面的な輸入の結果たる所謂文明開化の時潮であったと僕は信じてゐる。…明治大正を通じて我国が存立の必要から強ひられて来た欧州文明の物質的側面の急激な輸入と、その結果として我国民の精神の深所に徐々に食ひ入つた或る微妙な歪みを指すのである。
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当時のふたりがなぜ交友をもたなかったのかは、さまざまな事情があったことと思います。

なによりも、漱石が専業作家として活動したのは、わずか十年であったことを忘れてはなりません。成熟するまでに時間がかかり、一人前になってからわずかな時間しか与えられなかった漱石は、自分の生命を削り取って作品に結実させていった、といっても過言ではありません。

二葉亭四迷没後、一時期は同じ職場に籍を置きながら、実質的には交遊がなかった二葉亭に対して、『長谷川君と余』(『思い出す事など』所収 岩波文庫)のように、実に心情にあふれた追悼文を残した漱石ですから、たとえば鴎外が自分より先に亡くなってでもいたら、間違いなく、何らかの追悼文を残したでしょう。

こういう位置にあった鴎外と漱石が、たとえ表面的には交遊がなかったにせよ、互いに反目したり、あるいは嫉妬したり、排斥したりということは、非常に考えにくいと思います。
漱石の弟子宛ての書簡にも、鴎外の名は散見されます。
ともに意識のうちにあったのは、日本や日本の文化の行く末であったことを考えると、互いに深い敬意を抱いていたと理解してかまわないかと思います。

まず、漱石と鴎外では、実際の年齢に五歳、差があります。
しかも、漱石が執筆活動に入った時期、鴎外はすでに押しも押されもせぬ大家の位置にあったことを、まず押さえておくべきでしょう。

漱石は明治二十四年、帝大の学生だった当時、正岡子規宛に以下のような内容の手紙を書いています。
--------
鴎外の作ほめ候とて図らずも大兄の怒りを惹き、申訳も無之(これなく)、是(これ)も小子嗜好の下等な故と只管慚愧致居候(ひたすらざんきいたしをりそうろう)。元来同人の作は僅かに二短篇を見たる迄に...続きを読む


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