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三連休ですね。発達障害という言葉の流行について、皆さんどうお感じになっていますか?

教えて!gooでは、この哲学カテと人生相談カテの二つが人気のようですが、この二つのカテゴリーでは、発達障害という言葉が多く使われています。

さて、この”発達障害”という言葉が若者の間で何故こんなに使われているのでしょう。
アニメの影響なのでしょうか?

皆さん、教えてください。

A 回答 (4件)

へー。

流行ってるんですか。
ところで、知的な遅れのある人に、所謂健常者たちの中で日常を過ごしてもらい、何ヶ月か共同作業をしていると、メキメキと知的な遅れが改善されます。表情も豊かになり、言葉もハッキリしてきます。
引っ張られて、良くなるんですね。周りの人間が、個人にいかに影響するかを物語っています。

発達障害と言う言葉の流行があるとするならそれは、優生思想から派生したものと思います。
要するに、話が噛み合わないのは、発達障害だから、どうしようもないことだから仕方ない、この様に言う事で話とは関係ない次元で拗れを決着させようと言う事だと思います。

私個人は、優れた人は確かにいると思うんですが、もっと大事なことは、優れた関係性を持つことが出来るか、と言うことだと思います。優れた人間関係を持てるか、素晴らしい出会いをすることが出来るか、そう言うことが大事なのであって、頭が良いとか悪いとか、障害があるとかないとか、そう言うことじゃないと思うんです。

世の中には、障害によって見限られた人々と言うのが確かに存在しています。発達障害だから、と言うことも、一種の見切りを付けていると言うことなのだと思います。
しかし人間の差異と言うものはボーダーラインで仕切れるものではなく地続きなのです。ここから上は障害者、未満なら健常者、と言うわけにはいかないのです。
私もかつて病気によって転落したことのある人間ですから、健常者と言われる人々の思考も、障害者と言われる人々の気持ち、何方もある程度は分かります。そこに明確な線引きなどないと言うことも。

結論を言えば、確かに精神状態や身体の機能は健常者の方が高く、意識も明晰で、人生も楽しいのですが、人間としてはむしろ劣っていることが少なくない。
障害者の方はと言えば、精神状態や身体機能は低く意識もやや不明瞭なところもあるが、人間としては優れていることが多いのです。
不思議ですが、泥(障害)の中にいる方が、人間性が発揮されやすいのです。
ここで言う人間性とは何か、それは一種の諦観による人間世界の喜怒哀楽の超越なのだと思います。
健常な人は場合によっては痛みを知らないことがある。しかし障害を持つ人は例外なく痛みを知っています。その点で、諦観を生じやすく、世間(の喜怒哀楽)を超越した生き方に近いのかもしれません。
とは言え、苦行などに身を投じるのは馬鹿げたことで、他人の痛みを理解出来ない者が、形式に囚われてやるものですから。
一番良いのは、痛みを知っている健常者と言うことになるでしょう。

ちと脱線したでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「発達障害と言う言葉の流行があるとするならそれは、優生思想から派生したものと思います。
要するに、話が噛み合わないのは、発達障害だから、どうしようもないことだから仕方ない、この様に言う事で話とは関係ない次元で拗れを決着させようと言う事だと思います」
⇒そうですね。
そういう意図で使っているのでしょうね。

「世の中には、障害によって見限られた人々と言うのが確かに存在しています。発達障害だから、と言うことも、一種の見切りを付けていると言うことなのだと思います。
しかし・・・・・・・健常者と言われる人々の思考も、障害者と言われる人々の気持ち、何方もある程度は分かります。そこに明確な線引きなどないと言うことも」
⇒私も、そう思いますね。

「一番良いのは、痛みを知っている健常者と言うことになるでしょう。ちと脱線したでしょうか」
⇒おっしゃる通りですね。

脱線どころか、的確なご意見と拝聴しました。

お礼日時:2017/09/17 08:14

流行していると言うか、この言葉自体を発しても、その用語のニュアンスの多様性から、明確に批判されないと言う事でしょう。


ある状態を意味しているだけと考えれば、それが差別的・蔑視にはつながりませんが、要は、その意味性を受け手に委ねられると言う安全性が確保されていると言えるんでしょう。
反論されても、そういう意味じゃないっていくらでも言えるわけですよ。
むしろ、そう受け取る人自身に問題があると言う事が言えてしまうわけです。
本質的には、差別用語と言うのは、そのような性質を持っています。
アニメとかは、関係無いでしょう。
精神医学従事者においては、これは個性としての傾向を意味していて、当事者及び関係者が生活に支障が無ければ、疾病として理解する必要は無いと言う人もいます。(脳機能の発達障害の場合)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「流行していると言うか、この言葉自体を発しても、その用語のニュアンスの多様性から、明確に批判されないと言う事でしょう」
⇒まあ、そうなのかもしれませんね。

お礼日時:2017/09/16 16:23

たぶん、ここ最近でこのQ&Aサイトの哲学カテゴリで使われ始めた最初の発言は下記質問のno.38だと思う。



同じような内容で何度質問しても しかるべき反論や批判が出ないのは 賛同したということでしょうか https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9765610.html
 no.38の発達障害発言部分のみ抜粋。
  4.客観的事実を否定しようとし続けるあなたは、その異常な言動から
  認知機能障害を伴う発達障害の可能性が高いと判断できる。

発達障害と言う言葉がQ&Aサイトの哲学カテゴリで使われることが多くなったのか?
若者の間で使われることが多くなったのか?
Q&Aサイトで使われることと若者の間で使われることに相関があるのか?
は分かりません。

現実に発達障害と診断がでて対処法を模索し、対処している人にマイナスにならないようになるといいなとおもいます。そのためには、分類、症状、原因、対処法が分かってるといいです。それが間違っていると困ります。下記はアスペルガー障害と診断された人が自分のことを説明してるので正しいのでしょう。


no.1では父方の遺伝性が強い。ケアされないと大変になる。とのこと。もしかすると、遺伝的要素を持っていても、幼少期に発見してケアすると、あんまり大変にならないのかもしれない。そうすると、隠す傾向があると発見が遅れて大変になりやすいので良くないです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうですね。
精神医学面での”発達障害”に関しては、ここで論じることではないでしょうね。

お礼日時:2017/09/16 16:01

そうかもですね(^^;


がしかし、表沙汰になってなかっただけで昔からあったようです。日本は欧米諸国からするとかなり遅れてます。
それ故にオープンではなく隠そうとする‼
それが又よくないですね(^^;
発達障害は父方の遺伝性が強くケアされなかった為 大変なめに‼
子供のケアだけでも大変なのに主人の事まで無理(TT)
子供が成人したら離婚予定です‼
それくらい質が悪い‼
当事者は苦労してるんです(TT)
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。

”発達障害”という言葉。
「表沙汰になってなかっただけで昔からあったようです」
⇒まあ、言葉自体はあったでしょうね。
ネットの質疑応酬で、相手を”発達障害”だと表現するケースが目立つものですから。

「子供のケアだけでも大変なのに主人の事まで無理(TT) 子供が成人したら離婚予定です‼ それくらい質が悪い‼ 当事者は苦労してるんです(TT)」
⇒ご苦労が多いのですね~。

お礼日時:2017/09/16 10:13

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Q《猛禽と仔羊》:ニーチェの道徳観

次の文章は 読むに堪えますか?

▲ (ニーチェ:《猛禽と仔羊》) ~~~~~~~~~~~~~~~
――だがわれわれは引き返そう。《よい( Gut )》のもう一つの起源の
問題 すなわち《反感( Ressentiment )》をもった人間が考え出した
《よい》の問題がその解決を待っているから。

――仔羊どもが大きな猛禽を恨むのは異とするに足りないことだ。しか
しそれは 大きな猛禽が小さな仔羊を捉えることを咎め立てる理由には
ならない。

また仔羊どもが 《あの猛禽は〈悪い( Böse)》 従って 猛禽になる
べく遠いもの むしろその反対物が すなわち仔羊が――〈善い( Gut )〉
というわけではないか》と互いの間で言い合うとしても この理想の樹立
にはいささかの難ずべき点もない。

もっとも 猛禽の方ではこれに幾らか嘲笑的な眼を向けながら 《俺たち
は奴らを あの善良な仔羊どもをちっとも恨んでなんかいない。俺たちは
奴らを愛してさえいるのだ。柔らかい仔羊より旨いものはないから》とお
そらく独り言を言うであろう。 

――強さに対してそれが強さとして現われないことを要求し 暴圧欲・圧
服欲・敵対欲・抵抗欲・祝勝欲でないことを要求するのは 弱さに対して
それが弱さとして現われないことを要求するのと全く同様に不合理である。

ある量の力とは それと同量の衝動・意志・活動の謂いである――という
よりはむしろ まさにその衝動作用・意志作用・活動作用そのものにほか
ならない。それがそうでなく見えるのは ただ すべての作用を作用者に
よって すなわち《主体》によって制約されたものと理解し かつ誤解す
るあの言語の誘惑(および言語のうちで化石となった理性の根本的誤謬)
に引きずられるからにすぎない。

[・・・(力とその作用 あるいはつまり逆に言って 作用と作用者=主体
とを分けて捉えるのは 例の《イデア》論にそそのかされたアヤマチだと
論じている。省略します)・・・]

作用が一切なのだ。



[・・・(今度は チカラにも《原因としてのチカラと作用としてのチカラ
とがある》といったあやまった見方をすることがあると論じている。省き
ます。ただしこのような言葉=観念の誘惑にみちびかれることからの派生
的なあやまちだというものが 次に挙げられている。)・・・]

内攻して蔭で燃え続けている復讐と憎悪の感情が 強者は自由に弱者にな
れるし 猛禽は自由に仔羊になれるというこの信仰を自分のために利用し 
その上この信仰を他のあらゆる信仰にもまして熱心に保持するとしても 
それは別に異とすべきことではない。――実にこの信仰によってこそ彼ら
は 猛禽に対して猛禽であることの責めを負わせる権利を獲得するのだ・
・・。

抑圧された者 蹂躙された者 圧服された者が 無力の執念深い奸計から 
《われわれは悪人とは別なものに すなわち善人になろうではないか。そ
してその善人とは 暴圧を加えない者 何人(なんぴと)をも傷つけない
者 攻撃しない者 返報しない者 復讐を神にゆだねる者 われわれのよ
うに隠遁している者 あらゆる邪悪を避け およそ人生に求むるところ少
ない者の謂(い)いであって われわれと同じく 辛抱強い者 謙遜な者 
公正な者のことだ》――と言って自らを宥(なだ)めるとき この言葉が
冷静に かつ先入見に囚われることなしに聴かれたとしても それは本当
は 《われわれ弱者は何といっても弱いのだ。われわれはわれわれの力に
余ることは何一つしないから善人なのだ》というより以上の意味はもって
いない。

[・・・(長くなるのでもう省略に従います。書かれていることは このよ
うに《仔羊》たることに甘んじる《弱者》たちは その何もしない方針を 
信仰としての主体・つまりその魂の成せるわざだと言って 《自己欺瞞》
に落ち入っているという批判である。そのくだりで この断章は終えられ
ている。)・・・]

(ニーチェ / 木場深定訳:『道徳の系譜』 第一論文 《善と悪》・《よ
いとわるい》 十三 (訳:1940/1964改版))
 
・独文:http://www.nietzschesource.org/#eKGWB/GM
・英訳:http://nietzsche.holtof.com/Nietzsche_on_the_genealogy_of_morals/on_the_genealogy_of_morals.htm

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ ここで ニーチェは 次のように言っていますか?

(あ) 拉致された小羊は 猛禽に文句をつける理由はない。

(い) 《行為者》なる人間というのは まぼろしの観念論であって 世
界は《行為》のみから成る。拉致された弱い者が 拉致する強い者に何を
言っても それは まぼろしのごとくでっち上げた《道徳》とそしてルサ
ンチマンのなせるわざであるに過ぎない。

次の文章は 読むに堪えますか?

▲ (ニーチェ:《猛禽と仔羊》) ~~~~~~~~~~~~~~~
――だがわれわれは引き返そう。《よい( Gut )》のもう一つの起源の
問題 すなわち《反感( Ressentiment )》をもった人間が考え出した
《よい》の問題がその解決を待っているから。

――仔羊どもが大きな猛禽を恨むのは異とするに足りないことだ。しか
しそれは 大きな猛禽が小さな仔羊を捉えることを咎め立てる理由には
ならない。

また仔羊どもが 《あの猛禽は〈悪い( Böse)》 従って 猛...続きを読む

Aベストアンサー

お礼ありがとうございます。
誤解があるようですが、私が記載しているのは、ニーチェが述べた事、及びニーチェの論と思われる事です。(ニーチェの論を全て詳細に検証する事は不可能ですから、これが完全なものである保証はありません)
したがって、あくまでニーチェが論として述べた事であって、それが仮説では無く、実証されたものと言う事はありません。
ニーチェが論として述べている以上、ニーチェは確信していると言う事を前提としていると言うだけです。(なお、ニーチェが提起した問題は、読者に考えて欲しいと記載している以上、ニーチェも自説が完全とは判断してはいないでしょう)
「よい」とは何か?、「わるい」とは何か?と言う事は、ニーチェは自分の「よい」、「わるい」しか述べていません。
第一論文ー17で述べている以上、これはみんなで考えて欲しいと言う事です。(その問題提起とは、「善」、「悪」の起源及び、その価値についてです)
なお、第二論文ー「罪」、「疚しい良心」および関連問題、第三論文ー禁欲主義の理想の意味するもの、でさらなる論争を求めています。(第二論文は、その性格上、社会を扱います)
あくまで、この論文集は、「善悪の彼岸」で問題を提起したつもりだったのが、そのように読み取る読者が少なかったので、論文の体裁で、論争を巻き起こす事を意図したものなのでしょう。(批判しやすいように、あえて明確に記載しています)

お礼ありがとうございます。
誤解があるようですが、私が記載しているのは、ニーチェが述べた事、及びニーチェの論と思われる事です。(ニーチェの論を全て詳細に検証する事は不可能ですから、これが完全なものである保証はありません)
したがって、あくまでニーチェが論として述べた事であって、それが仮説では無く、実証されたものと言う事はありません。
ニーチェが論として述べている以上、ニーチェは確信していると言う事を前提としていると言うだけです。(なお、ニーチェが提起した問題は、読者に考えて欲...続きを読む

Q¿ 不倫がどうぢゃこうぢゃと 弱者の反感(ルサンチマン)がかまびすしくなった あぁ 世も末ぢゃわい

1. 弱者は 勇気も度胸もなく 浮気もできないというだけではないか。

2. そのやからがつくった倫理をやぶったからと言って 何をさわぐのか?

3. 高貴な強者は ビッグバンの初めから そのチカラへの意志で生きて
いる。きわめてうつくしい振る舞いだ。文句あっか?

4. 倫理道徳は 高貴な人種のつよさ・うつくしさに対するやっかみから
弱者が勝手につくった。

5. 天皇家も この《倫理》に合わせて 側室を排除した。あぁ 世も末
ぢゃわい。


☆ 教えて! ぐー。

Aベストアンサー

No.7です、

bragelloneさん、素直なコメントですね。


「つまり 《倫理・道徳》というものは 《つぶやき氏(=ニーチェ)》によれば 弱者が勝手にその弱さに合わせて都合よいようにつくったに過ぎない・・・と言ってるんです」
⇒そうなのですか。

ニーチェが心から、そのように言ってるとすれば、それはニーチェがおかしいですね。

何故ならば、倫理・道徳がなければ、社会は混乱の極みだからです。
倫理・道徳がある中で、密かに浮気がある、ということであれば何も問題はないでしょう。

つまり、浮気は”弱者は勇気も度胸もなく”とは無関係でしょうね。

Q先天的総合判断は可能か、、、その事例の是非について。

カントの本は難しすぎて読んでも理解できないので、岩崎武雄先生が日本語で書いた「カント」という解説本を読んでいます。

カントの純粋理性批判は、先天的総合判断が可能かどうかを吟味しているが、これがその中心テーマだそうです。

その記述の中に、総合的判断の事例として「7+5が12である」というものが載っていましたが、これに関して疑問に思うので質問します。

質問1:私たちが、四則演算、とくに加法の法則が成立する公理系を選択している以上、7+5が12になることは、一般(すなわち加法の法則が成立)における特殊(7+5は加法の一例)を挙げただけですから、分析的判断になるのではないでしょうか?

質問2:別のソースには「三角形の内角の和が二直角である」という例も見られるようですが、これもリーマン幾何学の中から、あえて意図的に曲率がゼロの空間を選んだから内角の和が180度になるわけであって、一般のもとに特殊の例を包摂するにすぎず、やはり分析的判断ではないでしょうか?

質問3:数学的な事例以外で、「なるほど、、、」と納得できる分析判断の事例をご存知でしたら、ご教示ください。

蛇足ではございますが、岩崎先生の解説本を読んでいると、カントの目指した認識論的主観主義は破綻しているのではないかと思えてきたところです。
これに関して、ご意見、ご主張のある方は、上記の質問の回答に加えて、お考えをご教授ください。

どうぞよろしくお願いします。

合掌

カントの本は難しすぎて読んでも理解できないので、岩崎武雄先生が日本語で書いた「カント」という解説本を読んでいます。

カントの純粋理性批判は、先天的総合判断が可能かどうかを吟味しているが、これがその中心テーマだそうです。

その記述の中に、総合的判断の事例として「7+5が12である」というものが載っていましたが、これに関して疑問に思うので質問します。

質問1:私たちが、四則演算、とくに加法の法則が成立する公理系を選択している以上、7+5が12になることは、一般(すなわち加...続きを読む

Aベストアンサー

質問文に書かれている「総合的判断」は、「先天的総合判断」の事なんでしょうか?
まずは、「総合的判断」かどうかを吟味しましょう。
カントの定義では、「総合的判断」とは、主語に述語の概念を含んでいない場合です。
質問1.主語は、7+5であり、述語は12です。
述語である12が7+5に含まれているかが問題になります。
ここで、この判断が、分析的判断だとすると、7+5に12が含まれていなければいけません。
一見したところ、7+5に12は含まれていません。 したがって、総合的判断と言えます。
質問2.主語は、三角形の内角の和、述語は180°です。
三角形の内角の和に180°は含まれていません。 したがって、総合的判断と言えます。
質問3.分析判断の例はいくらでも考えられます。
例.死者は生者では無い。
例.独身者は、未婚である。
主語の概念が、主語とは別の言葉で表現できる場合は、それを結合すれば、分析判断となります。
ここで、質問1と質問2は、総合的判断と言えますが、それが先天的かどうかは、さらに吟味しなければいけません。
カントの時代は別としては、現代の数学においては、公理の真・偽は判断されません。
つまり、公理は先天的では無いわけです。(ユークリッド幾何学においては、公理は先天的もしくは、常識的に正しいと判断されるものとされていましたが、現代ではそのような解釈では無く、あくまで公理が成り立つ場合の形式的操作と考えられています)
したがって、現代においては、質問1.質問2の例は、総合的判断ではあるが、先天的総合判断ではありません。

質問文に書かれている「総合的判断」は、「先天的総合判断」の事なんでしょうか?
まずは、「総合的判断」かどうかを吟味しましょう。
カントの定義では、「総合的判断」とは、主語に述語の概念を含んでいない場合です。
質問1.主語は、7+5であり、述語は12です。
述語である12が7+5に含まれているかが問題になります。
ここで、この判断が、分析的判断だとすると、7+5に12が含まれていなければいけません。
一見したところ、7+5に12は含まれていません。 したがって、総合的判断と言えま...続きを読む

Qこの世界の行き詰まりを 三点突破だ!

A 国連に代わる――あるいは 並存してもよいはずですが――村際連合(インタ
ムライズム)によって世界を主導するシステムを!

1. 国家のレベルの国民政府による主導方式は もうふるい。
   ムラ(市町村)の市民政府がそれぞれ主役である。

2. ムラムラのネットワークが 世界をあたらしくつくりなおす。

3. 世界のムラどうしでムラ議会議員を互選する。

4. 世界中のムラムラのあいだで市民が互いに互いを知るようにする。
   つまり ひとの交流をすべてのムラビトがというほど推し進める。

5. いくらでも色んなよいアイディアを出し合ってこれを実行して行く。

6. 経済は それぞれのムラがインタナショナルなインタムライズムの場(市
場)へと企業それぞれを巻き込む必要がある。(連携でしょうが)。



B 《普遍神》論によって宗教という宗教の揚棄を!

7. 宗教にかんして オシへは二の次であって 個人の《わが固有の時》とし
ての信仰について それを一般論として知っておく。神は 普遍神だということ
だ。
  
8. すなわち わが固有の時に憩う《わが非思考の庭》なる信仰は類型として
だれにとっても 同じひとつであるということ。

  A. ブラフマニズム:梵我一如
   梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神
   我:アートマン・・・・・ミクロコスモス。霊我

  B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論)
   無梵:シューニャター(空)・ゼロ
   無我:アン‐アートマン;ニルワーナ

  C. ブディズム:仏仏一如(=有神論)
   仏:アミターバ・ブッダ(阿弥陀如来)
      / マハーワイローチャナ(大日如来)
   仏:タターガタ・ガルバ(如来蔵)・ブッダター(仏性)

  D. クリスチアニズム:霊霊一如
   霊:神・聖霊
   霊:《神の宮なるわれ》

  E. (プラトン?):霊霊一如
   霊:宇宙霊魂(プシュケー・コスムー) / 世界霊魂(アニマ・ムンディ)
   霊:《われ》

  F. 《もののあはれを知る》
   霊:かみ(超自然および自然)
   霊:われ(自然本性)

  G. ユダヤイズム:霊霊一如
   霊:ヤハヱ―;(エローホ=神)
   霊:われ

  H. イスラーム:霊霊一如
   霊:アッラーフ(イラーハ=神)
   霊:われ

9. このあたかも霊のつるぎによって世界をリセットしよう。




C やっぱし《アース役はつらいよ》の全国的・世界的大合唱で ハラスメント
について本人に自省させるのがよいのでは?

10. 何気なく ♪あぁ アース役はつらいよ♪ とつぶやけばよい。

11. パワハラ・セクハラ・あるいはイヂメに際して みんなで合唱へと持
って行くとよい。

12. 半分は 減るのではないか?
    半分は あたまも気持ちもすっきりするのではないか?
    世界へも広げよう。

13. 無理をせずに 生産性が上がるのでは?
    社会保障費が省けて 財政再建に寄与するのでは?
    つまり 健康年齢(健康寿命)が上がるのでは?

14. その情況にあって いま横になっている人たちの半分は やおら起き
上がって来るのでは?


☆ ご見解をおしえて ぐー。

A 国連に代わる――あるいは 並存してもよいはずですが――村際連合(インタ
ムライズム)によって世界を主導するシステムを!

1. 国家のレベルの国民政府による主導方式は もうふるい。
   ムラ(市町村)の市民政府がそれぞれ主役である。

2. ムラムラのネットワークが 世界をあたらしくつくりなおす。

3. 世界のムラどうしでムラ議会議員を互選する。

4. 世界中のムラムラのあいだで市民が互いに互いを知るようにする。
   つまり ひとの交流をすべてのムラビトがというほど...続きを読む

Aベストアンサー

Aについてです。
国と言うのはいつ頃できたのでしょうね。
現代は、インターネットによる横のつながりによって、新しい共同体や経済の形が現れて来ているように思います。
それがインタムライズムというものの具体的な現れになるのかなと、ふと思いました。一人一人の意見や意思をダイレクトに吸い上げ、ビッグデータとしてそれを人工知能が処理すれば、一人一人が持つ小さな望みを、全体に反映する事も無理ではありません。今まで切り捨てられたり矮小化されたりと不当な扱いを受けて来た市井の人々に、力を復権させられるかもしれません。

Aベストアンサー

No.25です。
前回でもう終わりにするつもりでしたが・・・

> ☆ この回答は 残念ながら 回答には成っていないと申し上げなければ
> なりません。
>
> ただの可能性を――そしてそのひとつのみを――言い当てた。だけのもの
> だからです。

それはおかしいですね。
貴方のご質問は
「同じような内容で何度質問しても しかるべき反論や批判が出ないのは 賛同したということでしょうか」
です。
ですので、「賛同してない例」を上げました。
1件でも賛同してないという例が挙がれば、「全ての『しかるべき反論や批判を行わなかった人』が賛同しているとは言えない」ということになります。(もちろん、その例が荒唐無稽なら別ですが。)
逆に、貴方の質問の回答として「賛同した」と言うには、「全ての『しかるべき反論や批判を行わなかった人』が賛同しているという根拠を示す必要がある」のです。もしくは、「賛同していない例は存在しない」ということを示すのでも良いでしょう。

また、あくまでも「可能性」であって、事実とは限らない、というご指摘かと思いますが、何しろ、私は「しかるべき反論や批判を行わなかった人」本人ではありませんので、可能性以外を指摘しようがありません。
「事実」以外不要、とのことでしたら、ご質問文に「私の過去質問に回答をした人、または、回答しないまでも見たことのある人限定で」と書くべきでしたね。

貴方の求める回答は何でしょうか?
互いに意見を戦わせ、議論をしたいのだと受け取りましたが、貴方の態度はそれと正反対に感じられます。
もしも、過去質問においてもそのようなやり取りしかないのであれば、回答者様たちは、それを不毛に感じて「しかるべき反論や批判」をする意欲を失ったのでは・・・と思いました。
まあ、過去質問を拝見してませんので、単なる感想です。

この回答にどのような返信をいただいても、私はもう回答はいたしません。
さすがに少々疲れました。
ご了承ください。

No.25です。
前回でもう終わりにするつもりでしたが・・・

> ☆ この回答は 残念ながら 回答には成っていないと申し上げなければ
> なりません。
>
> ただの可能性を――そしてそのひとつのみを――言い当てた。だけのもの
> だからです。

それはおかしいですね。
貴方のご質問は
「同じような内容で何度質問しても しかるべき反論や批判が出ないのは 賛同したということでしょうか」
です。
ですので、「賛同してない例」を上げました。
1件でも賛同してないという例が挙がれば、「全ての『しかるべき反論や批判...続きを読む

Q非戦論という一つのベクトルをも おもてに出してよいのではないだろうか

主戦論を前提とした常識ないし定説で 国際関係論が考えられている
ように見受けられます。

その一色というあり方を修正し さらに補強する手も 考えられるの
ではないか。

《非常識》な市民としては 実際のところ 非戦論が優勢なのではな
いか。

――真夏の夜の夢。

Aベストアンサー

非戦論や戦闘否定論は、特に
真新しいわけではありません。

日本の旧左翼の中にも時折、
主張を聞いたことがあります。

個人的には同意する部分も多々
あるのですが、主戦論者から、
「あなたは自分の家族が危害
を被る可能性がある際も闘わない

Q今ちまたで、流行りのス昆布貴方は好きですか?ベビーラーメンと比べてどうですか?

今ちまたで、流行りのス昆布貴方は好きですか?ベビーラーメンと比べてどうですか?

Aベストアンサー

いい加減なこと言うでない。
ス昆布がちまたで流行ってるって誰が言った。
今ちまたで流行ってるのはカルビーのカールだろが。

Q自分は 普通ではない

自分は普通ではないと周りから思われたくはないですか!

それとも、誰に何を思われようと感知せずですか!

Aベストアンサー

いえ、全く。
私は普通だと考えているのに、他者から異常と言われることは多々あります。

Qセリーグ優勝は クウキの所為か?

▲ 江夏氏 37年前の広島連覇を回想「自分もその空気に乗せられて
いった」 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
9/19(火) 9:00配信 スポニチアネックス
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170919-00000076-spnannex-base

△ 〔19〕80年は開幕前から「勝てる」感覚があった。

△ 79年は広島に移って2年目。春にサチ(衣笠祥雄氏)が「おい、
今年は優勝するぞ」と言った。

△ 当時のカープはまた雰囲気が違った。チーム一丸というのかな。自
分もその空気に乗せられていった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ つまり 《八百長》か? という問いです。

ひいきのチームが弱い。しかし そのやっかみを超えて 哲学としての
問いです。

日本人の社会におけるプロ野球界としては クウキの支配する場合があ
るか? クウキは誰がつくり 醸し出すのか?

Aベストアンサー

あなたの言うように(言霊効果)で、チーム内の誰かの言葉がチーム内にスッキリと受け入れられて、イップスやスランプに陥らない状態を作っているのも考えられるでしょうか。

統計的には、優勝するチームは接戦を制している数が多いと思います。接戦を勝ち切ったほうはすがすがしいですが、負けたほうは疲れがどっと出るのではないかと思います。どちらも疲れているには違いないが、勝ちを得たほうと負けたほうと、心理的な部分で回復の度合いが違うということもあるでしょうか。

あとは打線のつながりが良いかどうかは監督の采配ですが、チーム一人一人の状態がどれくらい読めるかが重要なのでしょうか。

Qこころのきずがなほらないことがあるか

▲ (アウグスティヌス:《心の欠けなる傷》について) ~~~
 かの全能者は 
 最初の人(アダムとエワ)からであれ 
 その後に加えられたわたしたちの意志からであれ
 わたしたちに起こっている悪を
 その満ちあふれる恩恵によって
 滅ぼしている。
    (『ユリアヌス駁論』1・5 金子晴勇訳)
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☆ のではないか? 

信仰の有る無しにかかわらず。

それでこそ普遍神である。

Aベストアンサー

生まれつき備わっているもの。それは、神が無条件で与えた必要最小限の、<命>としての資質と意力。資質とは理性と感性。意力とは文字通り生きようというエネルギー。これらの能力が芽を出すのは、置かれた環境次第による。

人の場合、親がその環境を整えなければ<命>は生命、とは成り得ない。
心の傷が生まれつきのものなら、神でさえ直せない。言い換えればその傷は神が与えたのだ。

生きることで生じる傷は他者から受けたものであるはず。ただ、自身に因がある場合もあるか、とは思う。

☆ ブラジュロンヌさんの云わんとすることは、何となく分かっているつもりですが、それがいまだにうまく言葉にできないでいます。


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