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日本はかつて米国から石油を止められたことが原因で、真珠湾を奇襲攻撃して太平洋戦争に突入しました。
戦争の目的として南方の資源確保がありましたが、実際にインドネシアなどから石油が日本に輸送されたのでしょうか?
戦時中に、石油などの資源を南方から日本まで持ってくることができたとは聞いたことがありません。また、タンカーは当時の日本にあったんでしょうか?
お詳しい方、どうぞお教えください。
よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

実際に、日本は、シンガポールと門司を結ぶ高速の「ヒ船団(ヒ号船団)」と、ボルネオ島ミリと門司をマニラ経由で結ぶ低速の「ミ船団(ミ号船団)」の2種類の石油タンカー船団を設定し、戦争序盤の南方作戦で占領した東南アジアから石油を本国に輸送しました。

 ヒ船団の主要任務は、占領下のオランダ領東インドから産出する石油を、日本本土に輸送することでした。大型高速のタンカーを中心に構成され、フィリピン方面へ増援部隊を送る軍隊輸送船も多く加入しました。 戦略的に重要な船団として優先的に護衛されましたが、アメリカ海軍の潜水艦や航空機による攻撃で大きな損害を受け、沖縄へのアメリカ軍上陸が迫った1945年(昭和20年)3月に運航停止となりました。 一方ボルネオ島西岸のミリ油田は日本と距離的に近いという利点があったものの、遠浅の地形かつ港湾設備も不十分で大型タンカーの運用に不向きであったことから、当初あまり活用されていませんでしたが、1944年(昭和19年)4月になって日本海軍は従来の方針を変え、ミリ産油輸送のための特別船団としてミ船団を開設しました。 ミ船団も、戦況の悪化により航路やミリの危険が増えたため、開設から半年余りの1944年11月末に廃止されました。
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この回答へのお礼

日本軍優勢だった頃は、南方から日本本土への石油輸送がなされていたが、戦局悪化によりそれらも途絶えた、ということですね。
詳しく教えてくださり、大変参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2017/09/23 15:19

>石油などの資源を南方から日本まで持ってくることができたとは聞いたことがありません。



太平洋戦争も中期以降になると潜水艦の通商破壊戦と航空機による輸送船攻撃で
南方に石油があっても、内地に運ぶ術が無くなったの。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2017/09/23 22:13

真珠湾攻撃と同時にインドネシア占領、オランダは石油井戸を爆破、日本技術者が修復する、昭和19年10月フィリピン沖開戦、米空母を撃沈する予定が日本海軍敗退、制海権を失えば石油輸送は潜水艦のえじき、youtubeの覆面石油部隊の生き残り技術者が証言している。

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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2017/09/22 10:31

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