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はじめて質問をさせていただく大学一年の者です。
約1週間後、大学の倫理学のテストで「ソクラテス・プラトンであれば、人間と動物の違いをどのように述べるかを論じなさい」という問題が出るため
2000字程度でまとめをしなくてはいけないのですが、
どうしても200字程度で書くことがつきてしまいます。
これは私の知識や思考能力の不足が原因なのですが、
もしよろしければ、このテーマについて詳しく分かりやすく回答していただけると
嬉しいです。
また、このようなサイトを知っている方がいらっしゃいましたら、
教えていただければと思います!

ちなみに講義では、人間と動物の違いは「人間は思慮分別を働かせ選択の自由をもっている」というようなことだと学びました。

A 回答 (2件)

回答にはならないかもしれませんが、この質問が気に入りました。


「人間は思慮分別を働かせ選択の自由をもっている」のですか?
昆虫でも危険を感じると思慮分別を働かせ身をかわします。
もし、人間よりも頭の良い生物がいたら、その生物と人間との関係は、今の人間とカラスや犬との関係になるのではないかと思います。
これは物語文学の素材になりそうでソクラテス・プラトンに教えてあげたい発想です。
2000字、文学作品にして教官を喜ばせてあげるというのはいかがでしょうか。
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早い話が、人間は、


大脳辺縁系が他の生物よりも発達している
ってことでしょ?
笑うことができるのは人間だけ、とかね。
そこらへんで攻めていってはどうでしょうか?
なんだか、お役に立てなくてすみません。
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Q動物と人間の違い

動物も人間のように言語のようなものを用いてコミュニケーションをとっています。動物と人間が使う言語にはそれぞれどのような特徴があると思いますか?また違いなどもあれば教えてください。

Aベストアンサー

人間の脳内には『動物として或は生き物として或は命ある者の命を守る』働きとしての脳の機能と、生きてゆく事から学び取ってゆく機能としての能の働きがあります。

もっと簡単に言うなら、『目の前のものや、森羅万象』と同時に反応する機能としての脳の働きと。『目の前のものや、森羅万象』を受け止めようか、受入れないようにし様かとする『分別する機能』から成り立っている脳の働きが存在しています。

始めに書いた機能をもっと簡単に言うならば『仏性=命そのものの働き=神』という事になります。

後者を『自我意識=言葉を持つ事によって生じた機能=分別』という事になります。

一人一人の命は『その命を生まれる前から守っている働き』と云う働きのお陰で生まれた瞬間から適切に働いていて、教えられないにも拘らず、不安や安心を嗅ぎ取って、その環境に順応して命を守って生きることが出来ています。

子供の時代を聖書では天国と形容しています。脳の機能が未発達で脳内の人格が未だ二つになっていない時代を言います。『幼子が天国に一番近い存在』と云う事なります。

脳の機能が完成に近くなる頃、いわゆる思春期頃から、脳内の機能分化が完成に近くなる頃『人間には悩みが生じ始めます』知恵が付いて天国から追放されると云う言い方です。

『命の働きの意思=仏性』は、無意識界と潜在意識界を司っていて、更に、脈拍からホルモンの分泌からその場に応じての呼吸数までも調節しています。命をそのままに働かせる働きという事になります。

他方『我=自我意識』は、意識界を司っている事になります。

天国から追放されたと云う意味は、二つの意識が『同調できなくなる』ことを意味しています。

眠る事を例に取るなら、眠る時には『自我意識』は一旦無くなって『無意識の自分が』体と心を統率した状態になって、それから深い眠りが保障されています。』その状態とは『自我意識が眠ろうとは計らわない状態です。=言い方を替えるなら眠る事さえ忘れ果てた時』本当の眠りが保障されています。

神経症の場合には全て、今言った事が当てはまります。神経症の原因とは無意識の自分に任せて置くなら全てがOKという事ですが、『自我意識が出て無意識の自分になれない事を』意味しています。

二つの意識が同調できなくなる事は、言い方を替えるなら『心に矛盾や対立や分裂』が生じた事を意味しています。

人間の言語は見た事や聞いた事や感じた事を『分別意識』と云うフェルターを通して言葉にすると云う特徴があります。この特徴の為に人間にのみ天国や地獄を知り得る事になります。言い換えるなら『目の前には無い不安におびえる事がある』と云う意味になります。

何の不安の実態も現実には無いにも拘らず『身体と心が』不安と感じて、不安におびえる事があると云う意味になります。

この事を『妄想や地獄』と聖典や仏典では形容しています。

人間には不安解消の道は在るのか?と云う事が宗教の永遠のテーマになっています。具体的にその道を指し示す事が困難なために、簡単に書いてみます。

人間の悩み苦しみとは『心の矛盾』と書いています。心の矛盾の解消がそのまま『不安解消の道』という事になります。

例えば自律神経失調症の場合なら『心の矛盾の解消』とは、自我意識がどんなに頑張っても身体の機能は何一つ自由にならないと云う事を判る事です。『自我意識には出来なかった』と知るところにあります。

例えば不安障害やパニック障害ならば、不安を感じる事が悪い事ではなかったことを納得する中に存在します。不安の元が『自身の不安を感じさせるシステムであった事』を納得して受入れる中に存在します。

心を病む事も悩みを悩むことも今言った事が関係します。自分で自分を病ませたり悩ませていた事を知る中に存在します。

言い方を替えるなら『自身の心の中の識られざる神と和解すると云う事』になります。

自我意識の受けている圧迫は『自分自身の無意識からの圧迫です』その意味するところは『もっと無意識の自分を信頼してもらいたい』と言う要請に他なりません。

我を忘れる機会が在るならその時には、心は=自我意識は休んでいます。自我意識がでしゃばって引っ込みが、付かない状態を『意識地獄=妄想』と呼んでいます。

人間の脳内には『動物として或は生き物として或は命ある者の命を守る』働きとしての脳の機能と、生きてゆく事から学び取ってゆく機能としての能の働きがあります。

もっと簡単に言うなら、『目の前のものや、森羅万象』と同時に反応する機能としての脳の働きと。『目の前のものや、森羅万象』を受け止めようか、受入れないようにし様かとする『分別する機能』から成り立っている脳の働きが存在しています。

始めに書いた機能をもっと簡単に言うならば『仏性=命そのものの働き=神』という事になります。

後者...続きを読む

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q動物と人間の違い?

こんにちは。ちょっと悩んでしまって、1人ではどうしても同じ考えしか出てこないのでみなさんの意見をお聞かせいただければと思っています^^;

動物も植物も含めたこの世界(nature)における「ヒト」とは何なのでしょう?私は「食物連鎖の頂点」とか「文明をもつもの」とかという言葉で漠然ととらえていましたが、もっと根本的にヒトの自然界におけるアイデンティティみたいなものを探りたいのです。

「考える葦」という表現を分かりやすく説明してくださる方、お待ちしていますm(_ _)m

Aベストアンサー

あくまで私の考え方です。

ヒトも自然界の中では生物の1種類でしかないと思います。
ヒトだけが他の生物に対して特別なアイデンティティを持つ、
というのはあくまで人間の自分本位の考え方でしょう。

「食物連鎖の頂点」というのは、たしかに人間を捕まえて
食べてクラス動物は聞きませんが、町のようなものを作って
動物と共存していないだけのような気もしますし、
捕まって食べられない動物は他にもたくさんいます。

「文明を持つもの」というのも、類人猿は文化的な面もあるし、
イルカや鯨のように言語を持っていると考えられる動物もいます。
人間が優れているとはいえ、程度の大小の問題であって、
他の動物にまったくないというものでもないことなので、
「チーターは早く走れる」というのと変わらない気がしますし、
ヒトのアイデンティティを特別視するものではなさそうです。

「ヒトとは」と考えるのは、自分がヒトだからであって、
たとえばヒトが絶滅してから数千万年、数億年後に進化を遂げて
化石を調査できるような文明を持つものが現れたとしたら、
彼らは我々の恐竜と同じような感覚でヒトを見るでしょう。

今までにも地球は何回か、ほとんどの生物が姿を消すような
大規模の大量絶滅を何回か経験していると聞きます。
ヒトが増えて環境汚染をしたとしても、ヒトは苦しむけど、
地球から見たら、今までの何回かの1つにも及ばない程度の
変化であって、ヒトの力なんて自然というレベルで見たら
そんな程度の力しかないような気がします。

あくまで私の考え方です。

ヒトも自然界の中では生物の1種類でしかないと思います。
ヒトだけが他の生物に対して特別なアイデンティティを持つ、
というのはあくまで人間の自分本位の考え方でしょう。

「食物連鎖の頂点」というのは、たしかに人間を捕まえて
食べてクラス動物は聞きませんが、町のようなものを作って
動物と共存していないだけのような気もしますし、
捕まって食べられない動物は他にもたくさんいます。

「文明を持つもの」というのも、類人猿は文化的な面もあるし、
イルカや鯨...続きを読む

Qズバリ!ヒトと他の動物との違い

ヒトと他の動物との違い(ヒトは出来て他の動物は出来ないこと)について
オレが考えるのは、ヒトにしか、道具を作るための道具を作ることは出来ないということ(意味わかると思います)。
ちゅうい!「ヒトには理性(自身の欲望をコントロール)があって、他動物にはない」とか、「ヒトは恋をするが、他動物はしない」なんていう怪しげなやつは抜きで、客観的に見て考えられるものについて回答まってまーす 

Aベストアンサー

ヒトとほかの動物との違い。

生物学的には「直立2足歩行」というのが第1に挙げられます。アウストラロピテクス属やヒト属にあってチンパンジー属にない特徴ですね。ただ2足で歩くだけなら、チンパンジーなどの類人猿は頻繁にしますが、直立というところがポイントですね。頭蓋骨と脊椎とのつながり方が違います。

火の使用もそうですね。日本モンキーセンターだったと思いますが、焚き火に当たるサルというのがいるそうです。しかし、自然状態で恒常的に火を使用するのはヒトにかぎられます。火については、肉などを火にとおすことで消化にエネルギーを費やす必要性が低下し、脳に余分に栄養を回すことができるようになった、という説があるそうです。

言語、芸術、宗教もヒトに特有のものです。ただ、これらはネアンデルタール人にもなかったとされています。ネアンデルタール人が死者を土葬していたのも衛生のためであり、花を捧げているように見えるのも花粉が洞窟に入ってきただけだ、と考える説があります。また、認知考古学者マイセン(ミズンと書かれることが多いですが)は、環境についての知識(博物的知性)、集団のなかで生きていく知識(社会的知性)、道具を使う知識(技術的知性)、言語的知性が独立に進化すると考え、芸術、宗教、トーテムのようなものは、それらをつなぐ流動的知性があってはじめて成立するとしています。
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とくに言語についてはいろいろな説が考えられていますね。そもそも発声器官が違っていますが、言語的知性の点でも違っています。たとえば、チンパンジーに言語を教えても、明瞭な文法は見られません。相手の語順に敏感だったり、自分が発するときに好む語順といった程度ならありますが。言語に代表されるシンボルを使用する能力の進化について書かれた本。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4788506718/

また、言語獲得を支える社会的な知性の点でも異なります。何かを教えるときの周囲のヒトのかかわり方も、チンパンジーとヒトとではまったく異なっています。ヒトのほうが圧倒的におせっかいですね。言語獲得、言語使用の研究にとって社会的基盤という観点が重要であると教えてくれる本。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4326199407/

因果的な思考能力も、ヒトに特有のものです。物理でよく習う力の概念も、ヒトのように明瞭なものはもっていなさそうです。また、他者が意図を理解する能力も、ヒトほど高度な認知には至りません。これらは、動物の行動の分析によって示唆されています。

>「ヒトには理性(自身の欲望をコントロール)があって、他動物にはない」
〔略〕
>なんていう怪しげなやつは抜きで

と書かれていますが、それほど怪しいというわけではありません。自己抑制能力やメタ認知能力として発達心理学、動物心理学などで行動科学的視点から研究されています。これがどこまでヒトに特有のものなのかは、ちょっと失念しました。餌の2選択肢があって少ないほうに手を伸ばせばちゃんと餌がもらえるという実験で、チンパンジーはこの学習に苦労するという結果が出ていたような気がします。記憶違いかもしれません。もし本当だとしても、これだけでチンパンジーに自己抑制能力が完全にないというわけではないですし。ともかく、これが動物とヒトとで認知能力を比較する上で、ひとつの客観的な視点になりうるということは確かです。

>オレが考えるのは、ヒトにしか、道具を作るための道具を作ることは出来ないということ(意味わかると思います)。

道具については、道具を製作するための道具は、ヒト以外の動物にはありません。また、組みたてて作る道具の部品を製作することもありません。短いのを接続して長くして使うという若干例はありますが。道具使用を補助する道具や、道具を使いやすくする加工、将来の使用を予期して適切な道具を選択する、といったことはすることができます。最後の例については、最近の『サイエンス』に載っていましたね。
http://dx.doi.org/10.1126/science.1125456
霊長類以外も含むさまざまな道具使用を動物の認知能力という視点で振り返った総説としては、次の本の最後の章があります。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/192090199X/

ほかの方の補足。

>No. 1

笑いはチンパンジーなどではよく見られますね。動物園に行かれるとわかります。じゃれあっているチンパンジーがものすごく低い声で「ゴッゴッゴッ」と鳴いていることがありますが、それが楽しいときに発せられる笑い声です。ファン・ホーフの説によると、これがそのまま人間の「ワハハハ」という笑い(laugh)の起源になり、霊長類が優位個体に対して服従を示すときに歯を見せる表情が微笑(smile)の起源になったそうです。

役者、とまではいきませんが、ふり遊びのエピソードはあります。チンパンジーは物を引きずって遊ぶことがあるのですが、何かを引きずったふりをして遊んでいたというものです(周りの状況が、たまたまではなくわざとそうした可能性を示しています)。

>No. 2

味つけはしている可能性があります。幸島のニホンザルはイモ洗いで有名で、たしかその幸島だったと思うのですが、何かを海水に浸すのが塩味をつけるためだという説があったような気がします(うろ覚え)。ヒトが自分好みの味に整えることと、どのように関係するのかはわかりませんが。

移動手段については、屋久島のヤクニホンザルだったと思いますが、シカの背中に乗って移動することがあるそうです。遊びだったかもしれません。

病気の手術については、オマキザルが傷口に蜂蜜を塗る行動をしたというエピソードがあります(外科的)。また、チンパンジーが体調の悪いときに薬草的なものを飲む行動が見られるそうです(内科的)。

記憶については、その通りですね。このあいだのBSハイビジョン『アイとアユム』でチンパンジーの数字記憶課題で言われていたことですが、外部記憶に頼ることで、ヒトは瞬間的に大量に記憶しておく能力を失った可能性が考えられるそうです。

>No. 3

楽しみというわけではありませんが、ヒトの戦争のように、チンパンジーの群れどうしでは、相手の群れに大打撃を与えるほど悲惨な殺し合いがおこなわれることがありますね。

事実と説とを織り交ぜて書いてしまい、わかりにくいところがあるかもしれません。また、これらに対立する仮説もあると思います。

ヒトとほかの動物との違い。

生物学的には「直立2足歩行」というのが第1に挙げられます。アウストラロピテクス属やヒト属にあってチンパンジー属にない特徴ですね。ただ2足で歩くだけなら、チンパンジーなどの類人猿は頻繁にしますが、直立というところがポイントですね。頭蓋骨と脊椎とのつながり方が違います。

火の使用もそうですね。日本モンキーセンターだったと思いますが、焚き火に当たるサルというのがいるそうです。しかし、自然状態で恒常的に火を使用するのはヒトにかぎられます。火については、...続きを読む


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