No.39ベストアンサー
- 回答日時:
№20です。
いただいたコメントで やり取りはひとまづ終えることが出来るかと考えます。
★ (№20お礼欄) 結論として、人間にとって都合の良い神、人
間を救うという宗教上の神は存在しないことは明白です。
☆ 人間の言葉で表現された限りでの神は あくまで――その言葉≒
概念をとおして――《考える》対象です。
つまり 思想としてあります。つまり 観念としての神です。
つまり 人間がそのように考えたというだけの神です。
★☆ 要約すると、宗教は愚考だと。宗教上の神ではない神は存在す
ると思いますよ。です。
☆ 一件落着だと思います。おつかれさま。
なんというか…申し訳ないです。
最初に明記しておけば、もっと簡単に共通認識が出来たのでしょうが…
最初に楽をするか、後で苦労するか…ですね。
賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。
私は経験すら忘れてしまう愚者の中でも最弱なのかもしれません…
この私を神がお救いになられないのも納得です(笑)
ありがとうございました。そしてお疲れ様でした。
No.45
- 回答日時:
この世は物質と精神で構成されています。
もし、この世は物質のみで構成されているとしたら、私は何も感じないでしょう。熱いとか赤いと感じている主体が私です。熱いとか赤いと言う感じは、幾ら高性能な顕微鏡で脳の中を覗いても見えません。物質が、熱いや赤いに対応する動きをしているのが見えるだけです。
その動きの刺激を受けて、精神である私が熱いとか赤いと感じているのです。
熱いや赤いは物質ではないので、それを感じている私も物質ではありません。私は、無限の感受性である精神です。
物質の全体を宇宙と言います。質問者さん、それでは「精神の全体」を何と呼んだら良いでしょうか。
そして、この世の始まりを物質のみで説明することは出来ません。物質の因果関係は、原因が結果を生じ、その結果が原因となり更に結果を生じると言う形になります。
従って、宇宙の始まりは原因なくして結果を生じなければなりません。つまり、無から有を生じなければなりません。しかし、それは不可能です。
一方、精神は物質を動かすことが出来ます。精神である私は物質である手を動かすことが出来ます。ですから、宇宙の始まりにおいて最初に動いたものは、「原因から自由な精神」以外にはありません。
質問者さん、この「宇宙を創造した精神」を何と呼んだら良いでしょうか?
ユダヤ教・キリスト教では、外界は神が創造したと信じます。
ここに物が落ちたのは、ここに落ちるように、宇宙が作られているからであると考えます。そして、どうしてここに落ちたのかを追求し、 物体は外から力が加わらなければ、そのまま飛び出した方向へ等速運動を続けるが、落下距離は時間の2乗に比例する為、 放物線を描いて地上に落下し、ここに落ちたことを発見します。
宇宙で起る全てのことは、必然であり意図されたものであると考えます。ですから、一見偶然に思える事柄に対しても、 必然であると確信し、その仕組みを解明しようとします。
ある天才は、「神はサイコロを振らない。」と言いました。 これは、現象を確率で説明しようとする態度に対して、必然な説明をしなければならないと批判したものです。
この様に、西洋では神が宇宙を創造したと言う確信により、自然科学は発達して来ました。
それに比べて、東洋では仏が宇宙を作ったとは考えません。精神の中に仏が存在していると考え、内心の仏を追求します。
宇宙は偶然出来たと考えます。物は色んな所に落ちます。物がここに落ちたのは偶然だと考えては、 落下の法則や万有引力の法則は思いつかないでしょう。
無神論も同様です。ハッキリと必然と分ること意外は偶然であると考えたのでは、人に先駆けて新しいものを発見することは出来ません。
神を持ち出すと、単純に非科学的であると非難する方が居られます。しかし、科学で全ての現象を説明出来るでしょうか。
第一、物質の因果関係のみでは、宇宙の始まりを説明することは出来ません。 物質の因果関係は、原因→結果=原因→結果=原因→結果・・・と続きます。原因があり、その為に結果が生じ、 その結果が原因となり次の結果が生じると言う順番となります。
しかし、これでは最初の原因が存在出来ません。その最初の原因は、何らかの原因により生じなければなりませんが、それがありません。 物質のみでは、宇宙の始まりを説明できないのは自明のことです。
また、コインのゲームを考えて見ます。コインを縦に立て、倒れて表が出れば私が勝ち、裏が出れば貴方が勝ちます。 科学では、このゲームで私が勝つ確率は50%、負ける確率も50%としか言えません。 しかし、現実にはどちらかが勝ち、掛け金を全て手に入れます。それを決めるのは何でしょうか。
これと同じことは、素粒子レベルでは無数に起っています。完全に均衡している状態で、僅かな力が加わり少しの不均衡が生じると、 不均衡が不均衡を呼び次第に大きくなり、終にはコインは倒れます。
確率は50%ですが、ほんの僅かな力が加わることで、表が出たり裏が出たりする。その為に、ある者は人生で成功し、ある者は失敗する。 その僅かな力が精神である可能性はあります。
精神である私は、物質である手を動かすことが出来ます。肉体は動かすか動かさないかで物的に均衡した状態にあります。 ほんの僅かな精神の力を、物的に均衡した物質(脳)に加えることにより、手は動いたり動かなかったりします。 この様に、精神は物質を動かすことが出来ます。
単なる偶然の連続で、この宇宙は進行しているのでしょうか。それとも、何らかの意図があり、僅かな精神の力が加えられているのでしょうか。
正しい知識を得るには、全てのものを疑うことの出来ない自明なものなのか否か問いかけることが必要です。 デカルトは、この方法的懐疑により、全ての知識を自明なものか否か検証して見ました。
その結果、自明なことは唯一つしかないことが判明しました。それは、全てのものを疑っている自分が存在することだけは 疑うことが出来ないと言うことでした。 「我思う故に我あり。」です。それ以外は、正しいと思ってはいたが、そう思っていただけであることが分りました。 これが「無知の知」です。
しかし、自明なものしか信じないのであれば、そこまでです。そこから先は、何を信じるかによります。
心は、その中に宇宙を作り出しています。私たちが感じている宇宙は、心の外の宇宙ではありません。心が作り出した宇宙です。 心の外を覗くことは不可能です。心の外に、宇宙があるのかどうかも分りません。
しかし、心は外界に似せて、心の中に世界を作り出しているのです。心の中では、1+1=0でも、1でも3でも何でも構いません。 心の中に在るものは、消えたり生じたりします。従って1つと1つ在ったものが消え去り0となっても良いし、 新しく生じて3になっても良いのです。決して増えもせず減りもしないと前提して、1+1=2としなければならない必要はありません。
しかし、外界では、無から有は生じませんし、有が消滅して無となることもありません。エネルギー保存の法則が成立します。 従って、1+1=2でなくてはなりません。
心が1+1=2に制約されている事実は、心の中の世界は、外界に出来る限り似せて作られていることを証明しています。 外界に1+1=3を適用すると、その行動は誤りであり、失敗するからです。
従って、外界には、心で感じている様な世界が存在することを前提とせざるを得ません。
宇宙の仕組みを完全に解明した時、物質だけでは説明出来ないことが残されたら、神の存在を証明したことになります。 この様に、宗教は全く科学的な態度であると言えます。
「神の存在」について、私のホームページに纏めました。是非ご参照下さい。
http://catbirdtt.web.fc2.com/syuukyouhahikagakut …
No.44
- 回答日時:
後、キリスト教が日本であまり広まらなかったのは権力者が阻止したからです。
日本は天皇崇拝の国というイメージが強いですからね。他にも理由などありますでしょうが、恐らくこの定説が有力ではないかといいえ、当時の国民のリテラシーが高かったからです。
他国と異なり、当時の日本国民の学力平均は高く、簡単に騙されない知性を持っていました。
------
日本の各地でザビエルは布教するのですが、出会った日本人が彼に決まって尋ねた事があります。それは、「そんなにありがたい教えが、なぜ今まで日本にこなかったのか」ということでした。そして、「そのありがたい教えを聞かなかったわれわれの祖先は、今、どこでどうしているのか」ということだった。
つまり、自分たちは洗礼を受けて救われるかもしれないけれども、洗礼を受けず死んでしまったご先祖はどうなるのか、やっぱり地獄に落ちているのか・・・・・当時の日本人はザビエルにこういう質問を投げかけた。
元来、キリスト教においては、洗礼を受けてない人は皆地獄ですから、ザビエルもそう答えました。すると日本人が追求するわけです。
「あなたの信じている神様というのは、ずいぶん無慈悲だし、無能ではないのか。全能の神というのであれば、私のご先祖様ぐらい救ってくれてもいいではないか」
ザビエルは困ってしまいまして、本国への手紙に次のように書きました。
「日本人は文化水準が高く、よほど立派な宣教師でないと、日本の布教は苦労するであろう」と。当時の中国にも、韓国にも、インドシナにもこうしたキリスト教の急所(?)を突くような人間はいなかったわけです。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=164843
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No.42
- 回答日時:
No.41
- 回答日時:
g27anatoから補足回答します。
本当のところ、なぜ信じることができるのかは他人が計り知るのは難しいかと思います。
何故なら当人の頭の中を覗くことはできないのだし、
直感で信じる人もいれば、とりあえず信じてみたら良かったという人もいるだろうし、
私達常人が理解できない思考回路で、理論立てできるという人もいるかもしれません。
正直言って私自身の中に神はいません。
私にとって神は仮想の存在です。
完全否定する理由がないから、信じてる人を理解するようつとめるだけです。
某宗教団体から勧められたから信じるというのは、それでけでは本当に神を信じてるかどうか…逆に言怪しいと思ってしまいます。
「こうこうこういう理由で私は信じる」と言うなら、信じるのはその人の自由と考えるだけです。
おっしゃるとおりですSTAPと同じです。
本人が信じるのは自由ですが、
もし貴方が押し付けられようとしてるなら、それは貴方にとって神でもなんでもありません。
「ウンザリ」なら何となく分かります。
貴方の周りは相当ウルサいんでしょうね。
信じられないものを信じる義理はないでしょう。
なぜ信じてるかなんて、気にする必要もないだろうと思いますね。
信じるか信じないかは人の勝手。
その根拠だってバラバラなんだから、答えようがない。
…というのが回答でしょうね。
仰る通りですね。
とはいえ、私は彼ら信者に対する解釈が異なりますが。
たぶん、彼らは言語野がやられているんだと思います。
まぁ、平たく言ってしまえば洗脳ですからね。
共通認識を確立するために論理が存在するわけですが、
理屈の破綻した単なる感情(つまるところ信じたいから信じる)で
論理を無視して無理やり理屈めいたことにしようとこじつけるから矛盾が生じるのでしょう。
その矛盾に気づかない知性の低い人々(情報弱者)を利用して利益を得ようとするから汚い組織だなと思うだけですね。
上記までで私は神ではなく宗教を否定しています。
私も私の神を信じていますよ。美少女の姿をした無力な女神を。
おそらくは失敗作である私に哀れみ、救済を図る慈悲深きその御心を。
No.40
- 回答日時:
もう簡単に言っておきます。
もう邪道に進んでいただいても構いませんよ。たしかに日本にはキリスト教徒は数少ないです。でも世界的規模から見てみると、どうですか?全体の四五割以上がキリスト教で埋め尽くされています。良くもこんなにまあ偽の宗教で勉強したいと思ってますよね。しかし、なぜでしょう?なぜ偽の宗教にこんなに入りたい人がたくさんいらっしゃるのでしょうか?僕も最初は思ってましたよ!?確かに聖書に書かれてあることはどれもこれも信じ難いことばかりですよね。僕もそう思います。この世の動物を元にして色々なデザイン、科学が解明されているんです。その動物達は神に設計されていないんでしょうかね?本当にそうでしょうか?自然発生にしては宇宙空間の方もあまりにも僕達にとって恵まれた環境ですよねー。こんな偶然なことがあるんですね。本当にそうなんですかね?w邪道ってなんですか。少数派のことですか?
>全体の四五割以上がキリスト教で埋め尽くされています。
何を根拠に言っているのか示してくださいよ。
以下、日経新聞によるとキリスト教徒は世界人口の約30%、若干イスラム教徒より多いくらいですね。
元の神が同じだから統合して60%にしますか? この二つの宗教はそれをしようとすると喧嘩(聖戦)を始めるでしょうけどね(笑)
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10年のキリスト教徒は約21億7千万人、イスラム教徒は約16億人で、それぞれ世界人口の31.4%と23.2%を占めた。 イスラム教徒が住む地域の出生率が高いことなどから、50年になるとイスラム教徒は27億6千万人(29.7%)となり、キリスト教徒の29億2千万人(31.4%)に人数と比率で急接近する。
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大多数なら正しいんですか?
なら、中国の人口は世界一だから正しい?
アメリカという国が最も軍事力があるから正しい?
安易にもほどがある。それで少数派を殺してきたのが歴史ではありますが、ホロコーストなんかを指示するんですか。
そんなもので信徒が正しいなどと証明できるはずがないですし、愚者が多く集まり力を持ったからといって正しくはないのです。
結論、思考を放棄した者が宗教を信仰する。
何度も何度も言っていますが、思考放棄するからそのような安易で根拠もないものを信じられる。
逆になぜ疑わないのか。楽だからです。宗教を信じれば意志を委ねることになり、そうすれば楽だから。
現在、最も信仰を集めている科学すら、何度も前提を覆されてきた。
したがって誰かが決めたことを何の疑いもせず信じることは、あまりにも脆弱な思考です。
いい加減感情論はやめてください。議論になっていないのがわからないのですか?
根拠を示してください。非論理的で埒が明かない。
No.38
- 回答日時:
#2の者です。
>なぜ根拠なく信仰できるのかを問うています。
根拠は、この世界です。
彼らの無知において、全知全能の第一原因以外に、
この世界の原因・原理の説明がつかないからです。
>根拠は、この世界です。
>彼らの無知において、全知全能の第一原因以外に、
>この世界の原因・原理の説明がつかないからです。
根拠としては曖昧ですね。今は解明できていないことというだけでしょう。
神という概念を持ち出せば、楽に解決できるからですよね。
そしてこの解決は単なる思考放棄であり、解決した気になっているだけなわけですが…
そのことに気づきもしないのでしょうね。このような安易な選択をする者であれば。
No.37
- 回答日時:
宇宙の本体は絶対の(二つのない、相対するもののない、という意味です)大心霊体である。
と、云う捉え方で考えを進めます。人の心は色も形も重さも匂いもないけれど、活動してます。思い、があります。ここでは文字を通して皆それぞれが心に思う事を述べています。
心、精神には”働き・能力”があります。普通には理性・感情・意志の三つがよく挙げられます。
宗教は神と人との関係を、親と子に例えてその世界を表します。
そこで、絶対の大心霊体を親とし、人はその霊体の子供であると当てはめることにします。
そうすると人の精神にある能力は、その親にもあると思えます。
実際には親あっての子供なのだから、親の持つ能力を子供は引き継いでいるといえます。
宇宙の本体である霊体の意志・意の力がこの世の現象となり、その現象は理的な活動をし、人を通して感覚を意識する事となります。
この宇宙は、地球と云う稀有な環境を持つ星を生み出し、その環境ゆえに生命なるものが誕生してしまいました。
その生命は自身の身を維持するために、他の命を糧としなければなりません。
この行為から生物にとっての、楽しみと苦しみが起こります。
親はこの子供の楽しみを見ては安堵し、苦しみを見ては悲しみます。
自身で生み出しながら、どうすることもできない生命の活動に心を痛め、涙します。
これが仏の慈悲の涙であり神の博愛の姿なのでしょう。
神は万能ではなく、だから慈悲の涙を流すしかないのです。
その涙に触れて人は癒されて、そこからまともな信仰心が生まれるのでしょう。
神の博愛、仏の慈悲。
この精神に力あり。
>宗教は神と人との関係を、親と子に例えてその世界を表します。
あなたのいう宗教の因果関係でいえば「鶏が先か、卵が先か」の通り、
いずれ我々が、我々の子孫が神となる日もくるのでしょうね。
>実際には親あっての子供なのだから
子なくしては親足りえないわけです。神はその肩書を得るためには我々の存在が必要なわけで。
子供は生まれることを望んではいない、親が望んだから生まれた、親が幸せになるために生まれたわけですから。
親に恩を感じないのかなどと言うならば、恩着せがましいですよ。子は親を選べないですし、子供は親の所有物ではないのです。
>宇宙の本体である霊体の意志・意の力がこの世の現象となり、その現象は理的な活動をし、人を通して感覚を意識する事となります。
>この宇宙は、地球と云う稀有な環境を持つ星を生み出し、その環境ゆえに生命なるものが誕生してしまいました。
そういった解釈は面白いですね。その無力な神ならば、存在し得るでしょうね。嫌いではありません。
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言及不足でしたので補足します。
なぜ根拠なく信仰できるのかを問うています。
科学の発展に関係なく、論理的に考えれば慈悲深い神など存在しないことは明白でしょう。
人間の上位存在はいる可能性はありますが、それは信仰に値する神とは到底言えませんよね。
宗教上の神は存在しえない。
私やあなたが考えたオリジナルの神ならば、当人にとっては本物の神だと思います。
他者に教えられた「他者が定義した神」、
つまり「宗教上の神」を信じることは自分の神を殺すことではないでしょうか。
私は神は存在するとすれば、宗教上の神では決してないと結論を出しました。
反論するのは自由ですが、根拠のないものは時間の無駄です。
「STAP細胞事件」と同じですよ。「神はいます!(根拠なし)」はウンザリです。
宗教上の全知全能神は存在しえないことは確定しました。
理由は、全人類を救済できないから。
死後救うなどと言っても、それは本当の最善の救いではないですよね。
本当の救いとは、当人の望む形でなければ実現しえない。
全知全能ならなぜ存命中に救わないのですか。
それに死後の救済など、ありえるのか証明できないでしょう。
もし、全人類を救済するのであれば、それは死こそが救いという結論に達します。
神は人を個人を救わない、しかし人類という意味では救うのかもしれませんね。
なんにせよ、神は無能で人間的な精神性を持つわけです。