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うちは浄土宗です。
今お勤めの勉強していて、良く分からなくなってしまいました。
西方浄土阿弥陀仏
六方如来
十方如来
ってなんですか?
四方は、東・南・西・北
六方は、東・南・西・北・上・下
だと書いてありました。
十方は、?で分かりません。
四方、六方、十方にそれぞれ神様が居ると言う事ですよか?
何の神様が四方、六方、十方に居るのですか?
後、弥陀如来って阿弥陀如来ですよね?どうして方角の先頭に如来つきますか?ネットで検索しても良く分かりません。

A 回答 (3件)

> 西方浄土阿弥陀仏 六方如来 十方如来 ってなんですか?


西方浄土阿弥陀仏=西方浄土の無量寿如来、六方如来=六方界の如来、十方如来=十方界の如来 です。 3つの表現の違いはあっても、おなじのを指し示しています。
浪速の名芸人、日本の至宝、人類の宝と言い表すようなものです。

> 四方は(東・南・西・北)、六方は(東・南・西・北・上・下)だと書いてありました。十方は、?で分かりません。
十方は(東・南・西・北・上・下・四隅)です。(東方、南西北方、四維上下)とも言います。
日本は前後左右のような表現方法が多いですが、中国などでは方向方位で表現することが多いので、こうなります。

> 四方、六方、十方にそれぞれ神様が居ると言う事ですよか?
それでも「よかとです」 普通は神様とは言いません。 様をつけて呼ぶのなら仏様かもしてませんが、佛・仏、如来のようにいうことが多いです。 それぞれにいると言うのは、あってるような、違っているような、、、 四箇所、六拠点、十ポイントに各2名というような数限定で考えているのではなくて、あちこちもうたくさんの場所に、また時間的にも過去も含めて、全部を対象にして、それぞれに数え切れないほど多くの仏をイメージしているのです。 ですが、それも、違う隔絶した存在ではなくて、どれも同じようなものと考えてもいいのです。 
『東方に恒河沙のごとき等の(ガンジス川の河の砂の数ほどたくさんの)諸仏、南西北方および上下ひとつひとつの方に恒河沙のごとき等の諸仏、各本国において、その舌相を出して、遍く三千大千世界に覆って、誠実の言を説きたまう。汝等衆生皆まさにこの一切諸仏諸護念経を信ずべし。云何か護念と名づく。もし衆生有って、阿弥陀仏を称念すること、もしは七日および一日、下十声乃至一声一念等に至るまで必ず往生を得。この事を証誠す。故に『護念経』と名づく。また云く、六方の如来、舌を舒べて証す。専ら名号を称すれば、西方に至る。かしこに到って華開いて妙法を聞けば、十地の願行自然に彰わる。』
『釈迦仏、この経を説きたまう時に、皆十方世界に各恒河沙諸仏有して、その舌相を舒べて、遍く三千世界に覆って、一切衆生、阿弥陀仏を念ずれば、仏の大悲本願力に乗ずるが故に、決定して極楽世界に生ずることを得と証誠す』

> 何の神様が四方、六方、十方に居るのですか?
たぶん、「神様はあそこにだけいる」のだと、私は救われないのではないか、先祖や子孫は救われないのではないかと不安になる人も出てくるのではないでしょうか。 時間と空間の制約を受けることのない抽象的なものだと、それはそれで知的すぎて他力救済の主体になりにくいのでしょう。なるべく具体的に名前があった方がいい、しかも、どこにでも来てくれるスーパーな存在で、数百年よりも前(親の親の親の親の親の、、、)でも、子の孫の孫の孫の孫の、、でも、個人を救ってくれる存在をイメージすると、遍く三千世界に仏はいた方がいいのでしょう。名前を数億のように多く付けても覚えられないから、そこんとこは、ちょっと適当に、、、、 だから、如来の固有名詞は、阿閦如来、阿弥陀如来、釈迦如来、大日如来(毘盧遮那仏)、薬師如来くらい。 (五十音順)
三千世界は、{《[(日月・須弥山・四天下・四王天・三十三天・夜摩天・兜率天・楽変化天・他化自在天・梵世天を含む世界)を一世界とする。これを千個合して小千世界]、小千世界を千個合して中千世界》、中千世界を千個合して大千世界(三千世界)}という。千*千*千なので三・千=十億世界。三千大千世界ともいう。

> 弥陀如来って阿弥陀如来ですよね?どうして方角の先頭に如来つきますか?
「人ありて、七日七夜および一生を尽して、一心にもつぱら阿弥陀仏を念じて往生を願ずれば、この人はつねに六方恒河沙等の仏、ともに来りて護念したまふことを得。ゆゑに護念経と名づく」って教説があります。 どの仏に頼んでも、その仏は今他のことに忙しいかもしれないとなると、代表電話番号にもなっている阿弥陀仏/阿弥陀如来に念じておけば、数十兆の仏の中から数十億の仏が自分の所に来て、守って、救って、極楽行きを保証してくれるっていう発想です。 他力本願は、自力の修行戒律も求めない、徹底した易行なのです。 もっとすごく、唱名、題目だけというのもあります。 そこまではいきすぎだろうとすると、南無阿弥陀仏だけではなくて、国別番号、市外局番を代表番号にも付けて、そうなってきます。
で、阿弥陀仏。阿弥陀如来は、過去ではなくて現在の実在する浄土にいて、そこは、この自分のいる娑婆世界から、西方(何せ中国ですから、仏教を導入改変するよりもはるか昔から、東には海と東夷のイメージが、砂漠を越えたはるか西には文明文物を作り出す社会があるイメージがあったので)の代表の所在は、方向としては西方で、距離?は、この自分のいる娑婆世界から十億仏国土離れているとしたのです。 それで、「そのことをちゃんと知っていることを示すため」"西方極楽浄土"で(現在も阿弥陀がいて)という世界に、自分の死後には(現在の世界と並行世界になっている"西方極楽浄土")への往生を願うのです。
アメリカのトランプ大統領、日本の安倍首相、北朝鮮の金正恩、東京都の小池知事、北欧のスエーデン、南米チリのようなもので、修飾する語を付けて言った方が、なんだか知っている雰囲気が醸し出されるのだと思ってもいいのだと思います。
東方は、阿閦如来と薬師瑠璃光如来の世界があります。
 ~~~  ~~~  ~~~  ~~~
釈尊は阿難にお告げになった。無量寿如来(阿弥陀)の偉大な力をもっ光明は、最も尊くて第一のものであり、諸仏のいかなる光明も及ぶことができない。ある時はこの仏の光明は、百の諸仏の世界を照らし、ある時は、千の諸仏の世界を照らす。これを要約すれば、東方にあるガンジス河の砂の数にも等しい無数の仏の国を照らしているのであり、同様に南方、西方、北方、四隅、上下の十方にある無数の国々を照らしているのである。また時には七尺の距離を照らし、または一由旬、二由旬、三由旬・四由旬・五由旬を照らし、だんだんと範囲を広げていって、一仏の国土を照らすこととなる。このようなわけで阿弥陀仏を、無量光仏、無辺光仏、無擬光仏、無対光仏、焔王光仏、清浄光仏、歓喜光仏、智慧光仏、不断光仏、難思光仏、無称光仏、超日月光仏と呼びたてまつる。(一人?の仏でも、呼び名はたくさんあるのです)
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浄土宗は法然・親鸞の両師の、浄土三部経に書かれた浄土思想ですね



如来とは仏です 神ではありません
十法とは宇宙です
仏とは 貴方の生命です 宇宙です

西方に浄土などありません
阿弥陀仏は架空の仏です

私は浄土三部経に疑問を抱いている一人です
現実逃避の厭世主義に見えます
本来の仏教は現実を離れては存在しません
人間を「強く」「善く」「賢」くします 

浄土と言っても 地獄といっても
自分の命の中にあると説きます

釈迦の法華経によると
幸福な家庭は浄土です
苦しんでいる人のいる場所が地獄です

この世にも あの世にもいない阿弥陀仏を
利用し 私服をこやす坊主に疑問をいだきます

仏教は 一個の生命を 宇宙を説いたものです 
科学的にも 論理的にも いつの時代にも 誰にでも
当てはまる 究極の法則を説いています

浄土宗はその真逆なのです 
 



法則 http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage17.htm
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十方は +東南、東北、西南、西北

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