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哲学

人とは、何故生まれ、何をするために存在しているのか。この疑問について答えを持っている方いらっしゃいますか。

A 回答 (9件)

なぜ生きる?この問に最も肉薄したのはお釈迦様でしょうか?生きる事の本質は苦しみなのだと見抜かれて、故に人は幸せを求めて生きるのだとなる訳です。

そこで究極の幸せ、絶対の幸せ、永遠の幸せとは何だろうとなる訳です。それは生きる苦しみ、死んでもまた、生まれ変わって生きる永遠の苦しみ、苦しみの根元を断ち切ることのだというのです。それは生と死の究極の中間点に着地することが、人生の目的なのではないかと私には思われるのです。
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自己の悪を納得して抹消するためである。

これは誰にも分からない。
まぁ、とにかく、生きよ。
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何故生まれには答えが二つ 何が原因で生まれたか 何を目的に生まれたか。



原因については科学が、生命の太陽エネルギーによる秩序ある発展進化など、その頭に宿った人間とは何か

明らかにしようとしています。精神は性質で出来ていると考えています。

目的は 存在する事です。存在する為に生命40億年の営為はありました。そして今存在し

未来に向けて存在しようとしています。目的は永遠を目指して永遠への存在を実現することです。

目的と価値と意義と意味と正義と愛。

人間は存在する事が目的であり、存在する事が価値であり、存在することに意義があり

存在が意味の根拠であり、みんなで存在することが正義であり、愛も存在を活かし合うものです。

存在とは何かと言うと 存在とは(個性ある)性質を持ったエネルギー(質量を含む)です。
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「人とは、何故生まれ、何をするために存在しているのか」


⇒日本の精神風土にはありませんが、人はエンジョイするために生まれてきたのです。

つまり、エンジョイすることこそ人生なのです。

ですから、学業も労働もエンジョイするために必要なのです。
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実際に生きた人生が、その意味、つまり中身となる。

言葉は月を示した指先に他なりません。人生の意味という言葉が指し示すものは、その人が生きた人生そのものなのです。
故に、一律の答えがあるわけではありません。しかし、答えが無いのでも無い(つまりある)のです。
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「人とは、何故生まれ、何をするために存在しているのか。


 ↑
その前に、何故「人とは」と乱暴に限定するのでしょうか?

皆、一生懸命生きて、それぞれの人生を全うしているのに、その差異を無視して、
「人とは?」と問う。

しかも、その規定によって、普遍性を持つでもなく、再現性を持つでもなく、
精神的な個人の思考で、人毎の「ノイズ」を無視して、「人とは」と
定義する。

勝手に定義して、それが実質として、実社会で、何の役にも立たず、
生産性も無く、精神的な満足だけに終わる。

哲学とは、単なる個人の妄想、マスターベーションだと
言ったら、言いすぎでしょうか?

私には、唯の生物で、細菌と同じ、自己遺伝子の保存を、機械的に
為している、と思えます。

人間だけが特別なんて、驕りでしょう。
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生きている意味



世界の90%の人がわからないまま死んでいきます

人生の意味・・・何をするため

悲しいお話をします
ピエール・ガッサンデー(フランスの哲学者 数学者)の言葉を紹介します
「私は何故、生まれてきたの知らない どう生きれば良いのか
知らないで生きた そして何故死ぬのか 分からないまま死んでいく」
と 悲しく言いました
 有名な哲学者と言えども このありさまです


夢や希望があっても無くても
「何のために」 を学ぶ事 最っとも大事です

人生の意味  それが分からなければ
「意味なく生きる」 さみしい人生になります

人類  太古の昔より
哲学者 文学者 詩人 芸術家 宗教家が
哲人 聖人が 一生かけて答えを求めていた
究極の課題   「何のために」 です

詳しく語ると 超長くなるので カットします

透徹した哲学者 詩人 文学者の答えは
シラー ・・・・・(汝の運命の星は汝の胸中にあり)
ソクラテス・・・・(汝自身を知れ)
デカルト・・・(我思うゆえに我あり)
釈迦・・・・・・(汝自身を省みたずねるが良い)
カント・・・・・(・・・我が上なる星と 我が内なる道徳法則とである)
ユゴー・・・・(・・・空よりも大きな眺めがある それは魂の内部である)
ルソー・・・・(私が語らなければならないのは人間についてである)
カーライル・・・(理想は我々自身の中にある)
等々 世界的な文学者 哲学者 詩人は 口をそろえたように
 (一番大事な答えは貴方の中にある)と言っています

これじゃ 何のことかと思うでしょう

生きている意味・・・結論をいいます
「幸福になるため」です 
 しかし
生と死 を理解できなければ
運命とは 縁とは
又 自分自身の使命が 価値が分からなければ
本当の幸福などありません
そして「何のために」が分からないと
寂しい人生で終わるのです

自分は何処から来て 何処へ行くのか 何のために

ソクラテスの(汝自身を知れ)ですが
詳しくは 哲学の話になりますので
超長くなるので カットします

幸福とは何か
分かり易くご説明します

相対的幸福」と「絶対的幸福」という幸福観を踏まえ、
幸福を聞く力ギとなる具体的な六つの条件を示します。
第1に「充実」、
第2に「深き哲学をもつ」こと、
第3に「信念をもつ」こと、
第4に「朗らか」に生き生きと生きること、
第5に「勇気」、
第6に「包容力」です

 日本の著名な作家の言葉に
「花のいのちは みじかくて 苦しきことのみ 多かりき」(林芙美子)
とあった。花は、ぱっと咲いて、ぱっと散る。長く残るのは苦しきことのみである──と。
人生も事実、そのとおりかもしれない。

 ある哲学者は、一生の終わりに計算してみて
、楽しいことのほうが多かったか、それとも苦しみのほうが多かったか、
その結果によって幸・不幸を決めるしかないかもしれない、と語っている。
 どんなに地位があり、財産があっても、幸福をつかめない人は多い。
どんなにすばらしい結婚をしても、いつかは愛する人と別れなければならない。
愛別離苦は避けられない。
 どんなに有名人になっても、病気で苦しみきって死んでいく人は、たくさんいる。
美しく生まれたために、かえって、人生を不幸にする人も少なくない。

 いったい、幸福は、どこにあるのか。どうすれば幸福になれるのか。
これが人生の根本問題であり、永遠に追求すべき課題である。

 結論的にいえば、「幸福は自分自身をどう確立するか」という問題である
立派な邸宅とか、名声といった外面的な幸せは「相対的幸福」である。
揺るぎない「絶対的幸福」ではない。

どんなに幸福そうな環境にあっても、自分自身がむなしさを感じ、
苦しみを感じていれば、不幸である。
 最高に立派な家の中で、けんかばかりしている人もいる。
皆がうらやむ有名な会社に勤めていても、いつも上司から叱られ、
仕事に疲れ、味けない思いをかみしめている人もいる。

 幸福は“見かけ”のなかにはない。“見栄”のなかにはない。
自分自身が実際に何を感じているか、その生命の実感の問題である。
それを前提に申し上げれば、
幸福の第1条件は、「充実」であろう。
「本当に張りがある」「やりがいがある」「充実がある」──毎日が、
そのように感じられる人は、幸福である。
多忙であっても充実感がある人のほうが、暇でむなしさを感じている人より、幸福である。

幸せそうに見えても、朝から憂うつな気分で1日をスタートする人もいる。
朝、奥さんに叱られ「何で、こんな結婚をしちゃったんだろう」と、
ふさぎこんで1日を出発する──これでは不幸である。充実はない。

だれよりも立派に仕事し、生活を勝利しきって、
あまった時間を「人のため」「社会のため」に使っているのは幸福である

“根性曲がり”の人間が多い現在にあって、苦労しながら、
ただ相手の幸福のために、足を運び、語り、心をくだき、面倒をみる
まさに菩薩であり、これほど偉大な「哲学ある人生」はない。
最高の哲学を実践している事になる
それだけの価値ある哲学をもったということ──
それ自体が幸福である。幸福の第2の条件は、「深き哲学をもつ」ことである。

第3に、「信念をもつ」ことである。何が悪か、何が善か、わからない時代になってきた。
これは世界的傾向である。このままでは、人類は混乱と退廃に向かう以外にない。

“日本国の支配者の地位をゆずろう”というような誘惑、
“父母の頸をはねるぞ”というような脅迫にも紛動されない
何があろうと、厳然と「信念」を貫く そういう「信念」のある人が、必ず幸福になる。

 第4に、「朗らか」に、生き生きと生きることである。
「いつも文句」「いつもグチ」──それでは自分も周囲も不幸である。
いつも前向きに、はつらつと生きている。
人にも「あの人と会うと元気が出る」「気持ちが明るくなる」
と言われる朗らかさがある。その人は幸福である。皆にも希望をあたえる。

いつ会っても、つまらなそうな顔をして、喜びも感激もない。それでは、人生は暗い。
反対に、奥さんに叱られても、「何か浪花節が聞こえるな」。
子どもの成績が悪くても「将来、だんだんよくなる前兆だ」
たとえば、そういうふうに、全部、よい方向に、よい方向に、とらえていく。
その強さ、賢さ、明るさが幸福を生む。
 
すべてを善意で受けとめるといっても、愚かな、お人よしになるという意味ではない。
現実をしっかり見つめつつ、よい方向に受けとめることによって、
実際にその方向にもっていくという「賢明さ」のことである。
そういう「人格」を築き上げれば、いかなる財産よりもすばらしい人生の宝になる。
 
第5の条件は、「勇気」である。
勇気のある人は、何でも乗りきっていける。
勇気のない臆病な人は、人生を楽しめない。それでは不幸である。
 
第6の条件は、「包容力」である。包容力のある人は、皆に安心感をあたえる。
 小さなことで人を責めたり、いちいち騒ぎ立てたり、
そういう心の狭い人は、皆を疲れさせるし、怖がらせる。

 特にリーダーは、怖がらせてはいけない。疲れさせてはならない。
あたたかく、皆が安心して親しめる包容力がなければならない。
大海のごとく広々とした心をもつ人は、自分も幸福である。周囲も幸福である。
 

さて  最後まで読んでくれたかな


次に使命とは何か 価値とは何か
死の意味 真の歓喜とは
自分は何処から来て 何処へ行くのか
「絶対的幸福」とは
超長くなるので カット
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貧乏神はいるのでしょうか貧乏神に何か頼るのですか地獄少女はいるのですか、いつかは、てか火葬場で豪華の炎に焼かれれば綺麗な花咲きます

か、それとも
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時々死にたいな


と思う時もあるし

生きていかないけないな
と思う時もあるし

答えはでませんね

だからわかりません
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