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成田童夢がオリンピックを目指していたのは「本当にやりたいこと」をするための通過点に過ぎなかった!?

成田童夢さん2018年の4月のことだった。私は「成田童夢 再起不能」というマスコミからの一報に目を疑った。いつも元気で笑顔の絶えない童夢さんが8年振りに出場したスノーボードの大会で、「二度と立ち上がることはできないだろう…」という大怪我をした情報を知り、いてもたってもいられず、彼が苦しんでいるであろう入院先へ駆けつけると、そこにはノホホンとした笑顔でどら焼きを頬張る童夢さんがいた……?

■「再起不能」と報道された大怪我!?


――8年振りにスノーボードの大会へ出場したと思ったら大怪我をして、当初マスコミからは「再起不能」とか恐ろしい情報しか入ってこなかったんだけど、どんな経緯があったの?

ぶっちゃけ優勝賞金の200万円を目当てに出場したんですけど、練習を3日くらいしてみたら「カラダは重いけど、いけるな」と思いまして(笑)。で、本番で滑ってみたらカラダが全くついていけず、ジャンプをしたときに「あ。これは飛び過ぎた」となって、それでもしっかりと着地はしたけど膝が耐え切れず、そのまま腰から背骨にかけて「ドガンッ!」という衝撃音が走り……。

――ソレ絶対にやばいヤツじゃん!

そしたら、誰かに「膝カックン」をされたかのようにその場で尻もちを着いて立てなくなってしまい、病院での診断結果が「腰椎圧迫骨折」でした。でもラッキーだったのが、背骨がお腹側に向かって折れたんですよ。これが背中側に折れていたら脊髄にあたって、下半身不随になる可能性が高かったと……。

――じゃあマスコミの報道は間違っていなかったんだ。まあ童夢さんの入院先に駆け付けたときは、ノホホンとどら焼き頬張っていたけどね!

ご心配をおかけしました~(笑)。

今はすっかり完治し、当時を振り返る童夢さん

■6歳でマスコミデビューをして以来、地獄の日々……。


――童夢さんがマスコミデビューをしたきっかけは?

5歳の頃から父親の趣味だったスキーへ一緒に行くうちに、6歳の頃にはモーグルのコブ斜面を滑れるようになっていました。そこへ実業之日本社さんの『ブルーガイドスキー』という雑誌で、「連載を組ませてもらえないか?」という話をいただいたんですよ。

――6歳で雑誌の連載を持ったの?

はいっ(笑)。 “成田童夢応援団”というタイトルで、「子どもでも滑れるコブ斜面の攻め方」みたいなページを。それから今はなきTBS系列の『モーニングEye』というワイドショー番組の取材を受けてからは火がついたようにいろいろなメディアに出演するようになって、さらにスポーツメーカーからスポンサーもついて……。

――順風満帆じゃないですか!

ただ、元々カメラマンだった父親はカメラメーカーのスポンサーがついていて、スポンサーに対してどう見せなきゃいけないということが一番わかっていたんですね。そこから、「お前もスポンサーを受けたからには必ず成績を出さなくてはいけない」「魅せるメディアにならなくてはいけない」と言われ、それをきっかけに地獄のスパルタ指導の日々が始まりました。

――どのくらい地獄のスパルタだったの?

小学3年から中学までほとんど学校には行かず、ほぼ朝から晩まで季節ごとにスキー、ウェイクボード、スノーボードと一年中各競技の練習の日々でした。

現役時代の様子を語る童夢さん

■自分が本当にしたかったこと


そして中学3年の15歳のとき、当時の自分のスノーボードのレベル的にはプロでもなくアマでもなく中途半端な感じだったんですよね。そこで父親から、「進路はどうするんだ?」と問われて「高校へ行くのか」それとも「スノーボードを続けるのか」と。

――えっ!? 高校に行きながらスノーボードを続けちゃダメなの?

一緒じゃダメだと。なぜならスノーボードにはもうスポンサーが付いていて、スポンサーが付くってことはもうプロである。学業と並行してできるワケがないだろうと。もし高校に行くならスポンサーに迷惑がかかるから、スノーボードは一切辞めろと。

――15歳には重い選択だなぁ~!?

重いですよ~(苦笑) ただ、僕はそのときにはどっちもやりたくなかったんですよね。そもそも、小学校も中学校もほとんど練習やら大会で学校に行ってなかったので、高校へ行くというイメージが全くなかったですし、かといって、ある意味惰性でスノーボードを続ける意味もないな~と思っていたので、どっちも選択する気はなかったです。

――なんと……。

で、僕がやりたかったのが“声優”だったんですよ。なので、意を決してこの思いをそのときに初めて父親に伝えたんですよ。

――おおっ! 感動的な場面になるのか!?

そうしたら父親はなんのことか全く理解ができなかったんですよっ!

――ズコーーー!!(笑)。

今までアスリートな生活しかしていなかった息子がいきなり、「アニメの声を吹き替えたいんですっ!」とか言うもんだから父親も、「待て待て待て……お前は何を言ってるんだ?」にそりゃなりますよね? で、父親から「それってタレントみたいなものか?」と聞かれたので、「ある意味、声のタレントだと思う」と伝えたら、「じゃあスノーボードを続けろ」と言われたんですよ。

――どうしてその結論に!?(苦笑)。

なぜか、「オリンピックに出たら、ソレやっていいぞ」という結論になったので、「わかりました、ではスノーボードを続けます」になりました。

――へー! 声優になるためにスノーボードでオリンピックを目指したと?

はい。もう声優になるためだけに(笑)。

アニメや声優に対する想いを語る童夢さん

高校へ進学することでも、スノーボードを続けることでもなく、本当は声優になりたかった童夢さん。小さいころに『ドラえもん』や『デジタルモンスター』に影響され、「僕も自分が憧れたアニメの世界のひとりになれる声の仕事をしてみたい。声をあてるここの住人になりたい」と思ったのが始まりだそうで。そして、見事にトリノオリンピック出場を果たすことにっ(パチパチ!)。ただ、オリンピックへ出場したときには、すでに声優への道は忘れ、「父親からの呪縛から解放される」安堵感が大きかったそうな(笑)。でも、ちゃんと声優もこなし、その特徴的な声を活かしたDJやヒップホップやラップまでやりとげるのは、さすがスパルタ仕込みのアスリート魂のおかげかな?(苦笑)。今後の成田童夢の活躍にも期待だねっ!☆☆☆

●成田童夢プロフィール
成田童夢1985年9月22日生まれ。大阪市住之江区出身。血液型AB型。トリノオリンピックにてスノーボードハーフパイプ日本代表。現在はアニソンDJパフォーマー、JIBA名誉会長、次元指揮者(アニメ、漫画、ゲーム、声優)、和馬くらぶ東京本部 代表/合同会社夢組CEOと幅広く活躍中!


●インタビュアー:首藤和仁
首藤和仁1970年7月20日生まれ。神奈川県相模原市出身。血液型O型。5歳になる娘から「パパはお風呂にいっぱい入って、キレイになって、ピカピカになって、プリキュアになって!」とお願いされる。48歳の男がこの世でひとりくらいプリキュアを目指してもいいんじゃないか? と思う日々。

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