【解消】質問投稿時のカテゴリ選択の不具合について

はてな匿名ダイアリーで面白い投稿を見つけました。
詭弁のガイドライン(詭弁の特徴のガイドラインとも)のようなものです。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%EB%CC%CA%DB%A4%CE …
この内容についての賛否や、追加すべき事柄を教えてください。


事実関係の間違いを指摘されたときのネットの人間の反応。
https://anond.hatelabo.jp/20180601225244
※一部表現を標準的に修正した。

A: 「1+1は3である」

B:「いや、1+1は2ですよね」

議論でこのようなやりとりがあった場合。

パターン1「いきなり定義の範囲が広くなる」
A「2も3も誤差のうちでしょう。±1の違いくらいよくあるし、私の言いたいことの本質ではない」


パターン2「いきなり定義の範囲が広くなる」
A「2だろうが3だろうが50だろうが数字であることには変わりありませんよね? わたしが言いたいのは、1+1の答えは数字である、ということなのにどうしてそうやって悪意ある解釈をなさるんですか?」


パターン3「相手の属性を否定する」
A「Bさんはご飯にシナモンをつけて食べる主義の人です。そのような主義の人に算数ができるわけはない」


パターン4「仲間を呼ぶ」
A「RT:C『またAさんに算数で絡んでいるバカがいる。おつかれさまです。」 RT:D『普通に考えて1+1は3なんだけど、頭の悪い人にはわかんないんだなあ』」


パターン5「とにかく間違いを認めない」
A「いや、1+1は3ですよね? 世間一般的にも3なんですが」


パターン6「無視する」
A「これは今朝食べたカレーライスの画像です」


パターン7「自分で togetter にまとめる」
A「『1+1=3? それとも2? 算数を巡る大論争』をまとめました! - togetter」


パターン8「論理の根本から覆しておいて自覚がない」
A「1+1の話なんていつしました? 私が言いたかったのは、1×1=3だということです。ちゃんと文章を読んでいればわかるはずですが」


パターン9「たとえ話だと言い張る」
A「1+1というのはあくまでたとえ話なのであって、議論の本質ではないです」


パターン10「間違いを認めないまま、いつのまにか考えを修正してなかったことにしている」
A「別の考え方をしてみてください。2+2は4ですよね」

B「そりゃまあ」

A「4は1+1+1+1の和ですよね。ところで1+1は2なんですけど、このたび新発売になった豆腐のカレー味ってどう思います?」


パターン11「間違った相対主義」
A「算数の答えはひとそれぞれっていいますか、1+1が2の人もいてもいいと思いますよ」


パターン12「間違った相対主義2(勝手な取引)」
A「は? 1+1が2なら別に1+1が4だったり5だったりしてもいいってことになるんだが? おまえはそれでいいの?」


パターン13「間違った政治主義」
A「1+1が2だと主張する人によって、これまで社会は歪められてきたんです。1+1=3は間違いかもしれませんが、世の中をずっとよくしてくれる」


パターン14「後づけでパラメータをいじる」
A「よく見て下さい。これは1+1=ではなくて田んぼの「田」の字を解体したものです。私が言いたかったのは田=3ということだったんです」


下記はコメントとして寄せられた意見。

・自分にとって都合のいい結論を根拠にする。
A「1+0=2だぞ。だから1+1=3だ。」


・投稿自体を止める(無視するに近いか?)
A「もう来ません」


・相手の意見を黙殺・相手のアカウントをブロック・相手の投稿を違反として通報


・お礼を言う(これは単なる反応としてだけの投稿であり、詭弁とは全く異なると思われる。)
A「議論になってよかったです」


・「直接の関係が無い話を根拠とする」
A「1×3=3なので、1+1=3です」


・相手と同じ間違いを犯す
C「そもそも1+1が幾つになるのかは公理系によるので、Aさんの発言もBさんの発言も解を一つに限定している点で同じ間違いを犯していますよね」
さて、Aの間違いを指摘して悦に言っていたつもりが、窮地に立たされてしまったB!


・(パターン8かパターン9に近い?)
「いや、本質的に大事なのは1+2=4だってことなんだけど。1+1が2か3かっていうのはこの際どうでもいい。」


・ソースロンダリングをする(下記の内容をソースロンダリングとして紹介しているのは、実際には恐らく誤りであると思われる)
A「ほら、ここに1+1は3って書いてありますよ」と言ってURLを記載。それが5ちゃんねるのコピーペーストブログ、まとめサイト、知名度はあるがその分野に関しては素人のブログの類。で、公式刊行された古い紙媒体資料などで誤りを指摘されるとアカウントを削除し逃亡する。

質問者からの補足コメント

  • ・感情論的に不安を煽る。
    A「1+1=2と主張して問題が発生したらどのように責任を取るつもりでしょうか。1+1=2と認めるリスクを他の人にも要求するのですか?」

      補足日時:2018/06/09 14:06
  • 質問のタイトルを間違えました。
    正しくは、「1+1=3ではないと事実関係の間違いを指摘されたときのネットの人間の反応について。(詭弁について)」ですね。
    それと、パターン1とパターン2の見出しが同じですね。
    パターン1「いきなり定義の範囲が広くなる」
    パターン2「いきなり定義の範囲がとても広くなる」
    すみません。

      補足日時:2018/06/09 16:55

A 回答 (11件中1~10件)

自分に有利な条件をつけてくる。



1+1=2 というのを証明してみろ。
納得する答だったら、私も1+1=3であることを証明してやる。
(判定するのが第三者でないのでフェアではない)

これ実際に言われたことです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
先ほどの質問の件(https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10541753.html)ですね。

お礼日時:2018/06/08 21:59

1+1は何故2なのか。



現在の宇宙では、①無から有は生じません。また、②有は無にはなりません。①が起これば1+1=3や4・・・になります。また、②が起これば1+1=0になります。しかし、①も②も起こりません。ですから、1+1=2です。

ですから、1+1≠2になるためには、無から有が生じ、又は有が無にならなければなりません。しかし、現時点でそれは論理上矛盾します。ですから、1+1=2です。

しかし、この宇宙の始まりにおいて③「0+0=1」が起こりました。
物質の因果関係は、原因が結果を生じ、その結果が原因となり更に結果を生じると言う形になります。したがって、宇宙の始まりは原因なくして結果を生じなければなりません。つまり、無から有が生じた(0+0=1が起こった)のです。故に、この宇宙では、「1+1=2+0+0=2+1=3」も真です。

この様に我々の宇宙では、1+1=2とは限らないのです。

詳細は、下記ホームページを参照ください。
http://beach26.webcrow.jp/ititasuitihani.html
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この回答へのお礼

ありがとうございます。観点が違うのような話ですね。

お礼日時:2018/06/12 19:16

・感情論的に不安を煽る。


A「1+1=2と主張して問題が発生したらどのように責任を取るつもりでしょうか。1+1=2と認めるリスクを他の人にも要求するのですか?」

このようなとき、

B「わたしはあなたの言う 1 + 1 = 3 という主張に対して充分に恐怖を覚えています。あなたは、どこかの会社に勤務していて、会社の経理上のごまかし 2 という数字を 3 に書き換えていることに気づいた。あなたは、それを上に伝えたが、あなたのほうが会社を辞めることになった。あなたはこのことを告発したいが、方法がわからない。まずはあなたがこの世に存在していることを世界に知らしめることによってそののちに会社を告発するおつもりなのですか?」

と聞いたほうがよいのかと思っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2018/06/12 19:14

一般社会において、人と人が議論をする目的は、「哲学の違い」を明らかにすること、


といっていいと思います。
お互いの哲学の違いが明らかになった場合、そこから先の議論は、少なくとも一定の時間をお
かなければ不毛になることでしょう。

1+1=2にせよ、1+1=3にせよ、それを主張する根拠は突き詰めれば、何かを信ずる、という
ことになると考えています。つまり所謂「哲学」ですね。
ですから、論理力とか説得力が対等である限り、議論は平行線になると思います。

また、№5で申し上げたかったことは、相手の哲学を認めずに、頭から否定してかかっている
ケースのことで(これはとても多いと思う)、自分が正しいという独善的態度であるがゆえに、
詭弁を平然と言ってくるということで、この場合は、ほぼ議論は不毛になりますから、時間を
置いたり関係性を改善したりすることが、有意義な議論のためには必要なことでしょう。

人間がある主張をするということが、他人にそれを認めるリスクを要求する、ということならば
それは相手の人の自主性あるいは自律性を認めないということになりませんか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2018/06/12 19:11

「1 + 1 は、どう考えても 3 である。

」というひとがいて、彼は 数字と記号の数を数えていたかもしれない。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2018/06/12 19:10

追加ですが、こうした詭弁に共通するものとして、相手に論点を


明確につかませまいとする意図が感じられます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2018/06/12 19:10

「1 + 1 は 0 と 2 のあいだだ。

」というひとがいるとき、彼は二つのベクトルのなす角度を考慮したいと考えているかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2018/06/12 19:10

興味深いご指摘だと思います。



世にあふれているこうした「詭弁」についてはパターン化し、把握しておくことは
有意義でしょう。
また、「詭弁」は進化をし複雑化し、それに様々なテクニックと結びつくでしょう
から、それを見抜こうという心構えを忘れない様にしたいと思います。

いずれにしても、こうした詭弁を弄する人たちは、相手を抑え込んで自分の支配下に
おこうという意識に囚われていて、真理を掘り下げてゆこうという目的は「ない」と
思っていいと思います。
従って、こうした人たちとの議論は不毛であり、適当と思える段階で打ち切ることが
必要でしょう。

それがよくできるためには、こちらの論理的思考を磨いておく必要があるでしょう。
そういう時代になってきたと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2018/06/12 19:09

それはファシズムの講義を断片化した物でしょう。

ファシズムにおいては数学までもねじ曲がります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2018/06/12 19:06

数学は現実に即したものでなければいけないと思います。



先日、友人二人と美味しいミカンを食べようと思いました。
ミカンを探すと二個しかありませんでした。
これはまずい、三人いるのにどうしようかと考えました。
1+1=2なんです。
そこで、一個づつ友人に渡しました。
そうしたら、友人が私も食べなさいと少しづつ分けてくれました。
1+1=3になったんです。

現実は、いつも同じとはいかないのが普通なのですね。
そういえば、よく子供の時、食べ物の分け方で喧嘩したのを思い出しました。
世の中には同じものが存在しないのが、当たり前なのですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2018/06/12 19:06

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