人生でいちばんスベッた瞬間

下記のニュースがありました。偏差値重視の教育は街づくりにおいて問題となるのでしょうか。このニュースを読んでも私は今一つすっきりしませんでした。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190518-0000 …
> 安藤さんは『地方都市は生き残れるか』と題して講演。近年の国内のまちづくりについて「どこの駅前にも似たようなホテルが建つなど、個性のないまちづくりに陥っている」と指摘し、地方都市が生き残るために「まちづくりに関わる人物が、これまでに培ってきた経験や知識が重要になる」との持論を述べた。

> そのうえで、とくに若い世代で、そのような人物が育ちにくい現状を「偏差値重視の教育が問題。自分の意見をしっかりと持った若い世代を育てるのが重要で、まちづくりは人づくりに他ならない」と結論付けていた。

個性のない街並み問題については下記に通じる話ですよね。
http://www.city.tachikawa.lg.jp/toshikeikaku/shi …
> 良い景観の条件として「その場所がどのような場所なのかを認識する手がかりになるものや特徴が良く見えること」がそのひとつですが、立川の夜の景観はどうでしょうか。市内には、地域の歴史を感じられるものや、自然の豊かな緑道など、特徴あるものが点在していますが、その個性が夜の景観に十分に活かされているでしょうか。


検索したところ次のような記事もありました。

https://kenja.jp/10138_20190423/2/
>安藤と出口は、偏差値教育の必要性を認めつつも、今後の教育に最も必要なのは、個性を大事にすることだという。

個性を大事にすべきという主張は良いと思いますが。街づくりに結びついてくる気がしません。

A 回答 (6件)

ご質問の「街づくり」や「偏差値重視の教育」について、私は素人に過ぎず、理屈をこねるのもおかしいかも知れません。

それでも、物事を考える方法として、まずテキスト批評からと思うのです。この場合のテキストは、建築家、安藤忠雄さんの講演の概要ですね。
そこで、「ポジショントーク」が浮かび上がってきます。私ら庶民も身過ぎ世過ぎのため、せこい計算をして物を言いますが、安藤忠雄のようなその道を究めた専門家・高名な文化人でも、ポジショントークをするようです。彼は高卒で東大教授にまでなった人ですから、立場上、偏差値重視の教育を批判することが求められるわけです。

話は飛びますが、文豪の森鴎外も意外とポジショントークをする人でした。鴎外は東大医学部出の秀才で陸軍に入り、官費でドイツ留学して先進の科学を修め、またヨーロッパ文化の香気にも接しました。帰国後は軍医(単なる軍医というより軍官僚、テクノクラート)のかたわら、盛んに文筆活動をおこないました。評論活動も、文芸評論だけでなく文化・社会にまで及びました。
そのとき森は、明治前半という早い時期の「洋行帰り」として、知識人として、いわゆる「欧米では……」論法を期待されていました。しかし、そこは賢く立ち回って、「いや、欧米が何でも日本にまさっているわけじゃありませんよ」論法を取りました。彼の信念というより、西洋かぶれとして攻撃されるのを避けるためだったようです。私のゲスの勘繰りだけでなく、鴎外自身がポロっとそういう種明かしをしてるんです。どこに書いてあったか、今すぐには引用できないのですが。
陸軍内で、鴎外に対する批判もあったようです。日本精神の固まりのような所ですからね。政府要人でも、森有礼などが欧化主義者として憎まれ、暗殺されています。しかし、鴎外ともあろう人が、世渡りのために論を曲げたという疑惑を持たれているとは。例の脚気(かっけ)論争でも、海軍の洋食導入を良しとせず、「日本人は米食中心が正しい」みたいな主張をおこないました。
軍医の最高位、軍医総監にまで出世した人です。陸軍の最高実力者・山県有朋に接近するため、常磐会という歌会を興したことも知られています。まあ鴎外の文章はすばらしいし、和漢洋の文芸に通暁した人だったことは確かなのですが。

さて話を戻して安藤の講演ですが、「どこの駅前にも似たようなホテルが建つ」は、たとえばアメリカなどでも同じだったんですよ。まあ私は自分で調べたわけじゃありませんが、小田実が『何でも見てやろう』で書いてました。1950年代後半に世界一周して、アメリカではハーバードの知識人と交わり(小田は東大で古代ギリシャ語・ギリシャ哲学を学んでいる)、さらにだだっ広い大陸をレンタカーで旅行しました。それによりますと、十数キロか数十キロ走るたびに、ある程度の規模の町が出現する。町の中心部は似たり寄ったりの作りだ。ありきたりのホテル、チェーン展開しているドラッグストア、……。
つまり、アメリカは偏差値重視の教育じゃなくても「個性のない街並み」ですから、安藤の論理はつながってないんです。ご質問者が「今一つすっきりしませんでした」というのも、もっともです。

詳しく言うと、アメリカでも飛行機に乗って何百キロも飛べば、街並みの違いは出てくるでしょうが、車旅行の距離の範囲では個性のない街並みの連続ということです。そこに小田は味気無さを感じるが、アメリカの力強さとも考えているようです。
例えば米軍が海外に大挙して展開するとき、基地建設はもちろんのこと、コーラのボトリング工場を誘致することが多い。アメリカ本土から原液が輸送され、現地で瓶詰めされる。地の果てであろうとも、コーラが飲める限り、そこはアメリカの覇権が及ぶところ、兵隊たちも自信がわいてくる。
同様に今日の日本でも、どんな地方に飛ばされても、全国展開のコンビニが見つかる限り、気力がわいてくるでしょう。これでひとまず生きていける。確かに個性はないのですが。
逆に言うと、各地方の一人一人が個性を発揮して、思い思いのビルを建てたりしたら、街並みもガチャガチャして統一感がなくなるでしょう。また、全国展開の便利な店の看板が見当たらなかったら、よそから来た人は戸惑うでしょう。物事は一長一短があります。駅から少し離れたところは個性的な街並みであって欲しいが、駅前はむしろ無個性な方が、よそ者にもやさしいと考えられます。

というような意見も、安藤忠雄は当然知っているはずです。にもかかわらず、彼はポジショントークして、「偏差値教育――個性のないまちづくり」という図式的なことを言っているのではないでしょうか。
彼は「叩き上げ」と見られがちですが、むしろ若いころから知的で、大学には行かなくても自己流の英才教育(?)を工夫して、海外に雄飛した人です。出世して、前述の鴎外のように信念というより自分の立ち位置を考えてトークしているかも知れません。それに対して、ご質問者のように「今一つすっきりしませんでした」という感想も出てくるでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2019/05/23 20:56

価値判断の基準が、ご自身の経験が源なので、そのような視点になったように思います。



サッカーと同じで、ストライカー11人でチームを構成しても、役に立たない。

世の中、個性だらけになっても、まとまりがつかず、社会が崩壊するでしょう。

「どこの駅前にも似たようなホテルが建つなど、個性のないまちづくりに陥っている」と
言っても、それは「よそ者」の視点であって、そこに生活する住人にとっては、
他に代えがたい街だと思います。

結局、個性や創造性というものは、ある程度の比率で才能を発揮できる人材が
出てくるのが望ましいですが、それを阻害しているのが、「偏差値教育」と言うのは
少し違うと思います。

今の教育制度に「何かを加える」なら理解できますが、偏差値教育犯人説なら、
少し変です。

仮に、個性豊かな人材を大量生産できても、それで街並みが変わるなんてことは
無いと思います。
仮にそのようなお考えであれば、失礼ながら「建築家の増長」でしょう。
そのような建築家に依頼するオーナーは稀有でしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2019/05/21 22:27

かつて、中国や韓国では科挙という官僚登用制度


がありました。

倍率数千倍、数万倍という試験でしたが
この制度が、中韓衰退の原因になった、という
説があります。

試験が出来る能力と、行政能力は一致しない
からです。

日本は、世襲意識が強いので、科挙の制度は
採用しませんでした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2019/05/21 22:26

いずれにせよ、


立川の夜の景観は、
偏差値とか言わなくても、
日本人なら誰でも認識できるほど、
充分すぎるほど個性的だと思いますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2019/05/20 20:46

安藤忠雄さんは叩き上げの人で、元プロボクサーで、そこから著名な建築家になり、中卒なのに東大で教鞭を取った、そういう尊敬すべき人ですね。



まず偏差値教育というか、テストの点数を重視する教育というのは、誰かが決めた試験範囲があって、その枠組の中で高い点数を取れる人が偉いという教育ですね。これは言いかえると、誰かが敷いたレールの上を上手に走るやつが偉いという教育です。

出口治明さんは、世界を変えるのは『よそ者、若者、馬鹿者』と言います。御紹介のリンクでは変態と言ってますし、出口先生の母校の京大では『変人』と言ってます。栄光学園のイモニイ先生は変態と言ってます。ともかく、誰かが決めた枠組みを外れたアイデアを出して、それを実行できる人間じゃないと、世界は変えられないんです。
https://toyokeizai.net/articles/-/280179


今の日本の教育は、どうでしょう?
先生の言う事を良く聞かないといけません。皆と同じ事をしないと、変わった奴はイジメられます。
そういう環境で、世界を変えるような傑物が生まれるでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2019/05/20 20:45

論理的な話の流れになっていないのが問題よね。


要約の仕方が悪いのかもしれないけど、結論にたいして話の筋道が全く見えない。

日本の街は個人や企業によって作られている。
これらの人が街並みの景観を気にするような街づくりにお金を使う心があるかという問題なのだとすると、
それが、偏差値のみを重視する教育制度によって、大切なところを育てるのが忘れられてしまっているのではないか?
などという流れにしてくれれば、なんとなく納得できそうな気もするが、、、
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2019/05/20 20:43

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