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こんな風に主張している人がいました。他社がもつ製品の名前は借り物なのだから無断で文字で論じるのはマナー違反だ、本で名前を書きますよのようにキチンと許可を得なければいけない、権利者が今訴えて来てないといって許可を得ないで名前を書くのは駄目だのように(大雑把に言うとこのような感じです。別に特集とかですらも無くて中傷でもなくて、本にある数行の記述さえ気に入らなかったようです。この人は別に企業の担当者とかではありません)。
・・・まあ・・・この人かなり批判されていましたけど。

ー モノでも団体でも相手の名前を名指ししたり呼びかけることが全て許可制になると企業とかの単一主体が、特定の言葉を独占したら、評価をコントロール出来るか。 ー

例えば出している商品名・サービス名を言葉として独占する事が出来たならば、他人が無断でネットや本で批評する事は出来ずに、企業が評価をコントロールする事が出来るか。
つまり名称を口にする事や記事などで記載する事を全て許可制にするのです。人と話し合う事や情報交換についても事前許可が必要で、低評価レビューや不買の呼びかけについては、言葉の使用許可を与えません。新聞などは大きく打撃を受けるでしょうが、記事にされない自由も得られるならば企業の不祥事などの拡散を抑えられるのでしょうか??
◆◇◆◇◆上記奨励とかではまったく無くてただの研究目的で想定します。ご安心ください◆◇◆◇◆



現在の裁判所の判断を見ると言葉や文字を特定の主体が独占する事については否定的のように感じます。→後述
まずは言葉や文字が人類の生活にあまりに密着になりすぎている気がします。
人名さえも、「これから、あなたのお名前を質問一郎さんとお呼びしますね」のような許可を得て呼ぶという文化が無いように思います。
また日本国憲法では表現の自由が規定されていて、何か名指しで事実を伝達する事が許可制というのがそもそも感覚的になじまないんじゃないかって気がします。
そのうえ、商品名・サービス名が著作物では無い事、加え、それらを商標(商品名・サービス名とか)としては保護できても説明文章は商標的利用に当たらない・・・つまり言葉の保護制度がない事も原因かなと思います。



で、ここでマナーとか言霊だのようにいって全て許可を得るようにしないと駄目だという風潮にする事って出来ますか。
小説の1984年にあるダブルスピークとかが役に立つのかなとも思ったけど、これだと効果がなんか違いますね。でもアイデアとしては結構使いようがあるのかなって気もします。

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・文字は万人共有の文化的財産ともいうべきものであり、また、本来的には情報伝達という実用的機能を有するものであるから、文字の字体を基礎として含むデザイン書体の表現形態に著作権としての保護を与えるべき創作性を認めることは、一般的には困難であると考えられる。(「Asahi」ロゴマーク事件)

・文字は、視覚的には当該文字固有の字体によって識別され、その多様な組み合わせ等により様々な意味を付与されることによって、人間社会における情報伝達手段を果たしているという特質を有する。したがって、文字自体は、情報伝達手段として、また、言語の著作物を創作する手段として、万人の共有財産とされるべきものである。そして、文字は当該文字固有の字体によって識別されるのであるから、多少の創作的な装飾が加えられた字体であっても、社会的に情報伝達手段として用いられる需要のある字体について、特定人に対し独占排他的な著作権を認めることは、その反面でその範囲について他人の使用を排除してしまう結果になる。そのような事態は、「文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与する」という著作権法の目的(一条)に反するものであるから、これを認めることはできない。(デザイン書体CD-ROM事件)

・しかし,原告は,法人であり,会社であって,広く一般人を対象にして飲
食店営業を行っているのであるから,個人と同様の自己に関する情報をコン
トロールする権利を有するものではない。そして,上記のような原告の要求
を認めれば,原告に本件店舗に関する情報が掲載される媒体を選択し,原告
が望まない場合にはこれを拒絶する自由を与えることになるのであり,その
反面として,他人の表現行為や得られる情報が恣意的に制限されることにな
ってしまうのであって,到底容認できるものではなく,原告の上記主張も理
由がない。(ホームページ情報削除等請求事件)


・〔集会、結社及び表現の自由と通信秘密の保護〕

第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。(日本国憲法)


・『1984年』(1984ねん、Nineteen Eighty-Four)は、イギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説。1949年刊行。単に『1984』とも。  (ウィキペディア)

A 回答 (2件)

否定的に評価を受けずにいるために、特定の語彙、固有名詞を許可なく使用できない、と仮に自身を否定する言葉一切に、使用許可を出さない、という条件で、自己への評価が毀損されることがない、ということなら、次の事を考えたらどうでしょう。

つまり、世間から逐一、その者を黙殺し、評価せず、無き者とするとしたら、その者は、自己への完全否定=自己存在への無視となり、心の傷を受けたり、社会的な関わりと活動が喪失してしまうのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
目から鱗です。
確かに、会話も許可制レビューも宣伝も許可制としたら、「そこまでうるさく言うのなら例え頼まれても話題(相手)になんかするか」という人たちが登場するのが自然かもしれませんね。

お礼日時:2019/08/17 20:05

良くも悪くも、他者からの言葉を受け入れられないと言うのは、その人自身完結した、非社会的存在ですね。

生きてないのと同じです。なぜなら、相手の欠点を補いあって生きることがあって、はじめて社会ですし、欠点の補いあいの仕組みがあるから、我々は延命出来るんですよね。
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この回答へのお礼

その通りですね。

そういえば、東京オリンピックなどの便乗商法(アンブッシュマーケティング)禁止とかで、大会を話題にしていいのはスポンサーだけだのような手法が議論を呼ぶことがありますが。良いのかなとふと思った次第です。

お礼日時:2019/08/28 00:58

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