いちばん失敗した人決定戦

歴史的に日本人の子育てはどのように変化してきたかが知りたいです。
あちらこちらからの継ぎはぎなのですが次の流れではどうなのでしょうか?

古代
人類は男性も女性も性別が関係なく周りの人が共同で子どもを養育していたのではないだろうか?と推測される向きもある
https://www.asahi.com/articles/ASN2F3HNTN2DUPQJ0 …
https://www.asahi.com/articles/ASR9652WHR94ULBH0 …

ここから日本になります

江戸時代
父親がガンガン育児をしていた。理由は家の跡継ぎ問題があり、跡継ぎを育成するのは当時は男性の役割だった。
https://president.jp/articles/-/17500

大正時代
母親が家で子どもを見るようにと呼びかけられた時代。当時はなかなか定着に時間がかかったが三歳児神話のルーツが見られる時代
https://president.jp/articles/-/78479

昭和時代(終戦後の高度経済成長期)
三歳児神話と母親が育児に専念するという育児方法が広まった時代
(都市部を中心に、夫は外で労働、妻は家庭で専業主婦という性別役割分担が広まる。)
https://www.mhlw.go.jp/toukei_hakusho/hakusho/ko …

平成時代
母親中心の育児方法や三歳児神話が見直されて、政策的にも父親が育児の世界に戻されていく。
「イクメン」という言葉が登場した時代。


江戸時代の前の育児は記録に残っていないのでしょうか?
当時は便利な家電もなかったので親戚や地域の人との共同の育児の時代だったのかな?とも思うのですが。

A 回答 (4件)

こういうのは、AI、ということで


調べてもらいましたが、
いや、驚きました。
もの凄く優秀。

これじゃ人間から、考える力を
奪うんじゃないか。

以下、コピペ



日本人の子育ての歴史は、時代ごとに大きく変化してきました。社会構造、生活環境、価値観の変化に応じて、子どもへの接し方や教育方法が変わっていった流れを、時代ごとに紹介します。

1. 縄文・弥生時代(約1万5000年前~3世紀)
特徴:共同体の中で子育て(「共同養育」)
縄文時代は狩猟採集社会であり、村全体で子どもを育てるスタイルが一般的だった。
母乳育児が基本で、子どもは長期間母親と密接な関係を築いた(いわゆる「抱き育て」)。
弥生時代になり農耕が始まると、子どもも労働の一部を担うようになり、親の手伝いをしながら成長した。

2. 古墳時代~奈良時代(3世紀~794年)
特徴:身分による養育の違い
貴族階級では、男子は学問や武芸を学ぶために「舎人(とねり)」として仕えたり、女性は早い年齢で結婚することが多かった。
庶民の子どもは、**7歳までは「神の子」**として扱われ、死産や幼児死亡が多かったため、あまり「個」としての意識を持たなかった。
「氏(うじ)」や「部(べ)」といった共同体の中で育てられることが多かった。

3. 平安時代(794年~1185年)
特徴:貴族の子どもは母系中心の養育、庶民は共同体育児
貴族階級では「母方の実家」で育てられることが多く、特に祖父母や乳母が養育を担当した。
乳母(めのと)が実質的な育児を担い、父親はあまり関与しなかった(特に天皇や貴族の家では顕著)。
庶民の子どもは、相変わらず労働力としての役割が強く、小さい頃から農作業や家業の手伝いを行っていた。

4. 鎌倉時代~室町時代(1185年~1573年)
特徴:武士の子育てが確立、厳しい教育が始まる
武士階級では、幼少期から厳しい武芸や学問の鍛錬が求められ、父親も積極的に関わるようになった。
「武士道」の概念が浸透し、耐えること・忠義・礼儀を学ぶことが重視された。
貴族の家庭では相変わらず乳母が育児を担い、父親の関与は限定的だった。
農民の子どもは幼少期から労働に従事し、文字の読み書きは一部の者しか学ばなかった。

5. 江戸時代(1603年~1868年)
特徴:庶民の教育機関(寺子屋)の普及、家父長制の確立
寺子屋(庶民向けの教育機関)が全国に広がり、男子は読み書きを学ぶ機会が増えた。
武士の子どもは、武芸や儒学を学ぶために藩校へ通い、「忠義・仁義」などの道徳教育を受けた。
庶民の子育ては、地域社会の中で支え合う形が多く、「長男が家を継ぐ」という家父長制が明確化。
女子は家事や裁縫を学び、早くから結婚し家庭に入ることが推奨された。

6. 明治~昭和初期(1868年~1945年)
特徴:近代教育の導入、母親中心の育児へ
明治政府が「学制(1872年)」を発布し、義務教育(小学校)の仕組みが整備された。
近代化とともに、母親が家庭で教育を担うようになり、「良妻賢母」思想が広がった。
戦前は、子どもを**「国家のために育てる」**という価値観が強まり、軍国主義教育が浸透。

7. 戦後(1945年~1990年代)
特徴:核家族化、教育熱の高まり
戦後の復興とともに、都市部での核家族化が進み、母親が育児の中心的な存在となった。
1960~70年代には、高度経済成長に伴い教育熱が高まり、受験競争が激化。
1980年代には「過保護・過干渉な親(教育ママ)」が社会問題になった。

8. 現代(1990年代~現在)
特徴:多様化する子育て、少子化の影響
共働き家庭の増加により、保育園や学童保育の需要が高まる。
少子化の進行で、子ども一人あたりにかける教育費が増大。
父親の育児参加が進み、「イクメン(育児に積極的な男性)」という言葉も登場。
2020年代には、**ジェンダー平等の視点から「父親の育児休業」**が推奨されるようになった。



まとめ
日本の子育ては、
① 古代~中世は「共同体育児」
② 江戸時代以降は「家父長制による家庭内育児」
③ 戦後~現代は「母親中心から共働き・多様な育児スタイルへ」
と大きく変化してきました。

特に、近代以降の「核家族化」「教育の高度化」「父親の育児参加」
といった流れは、今後も進んでいくと考えられます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
AIさんには出典も出力してくれる機能があるとなお良かったですね
ちょっと気になったのは「父親の育児休業」の推奨はジェンダー平等の視点だけでなく、育児負担の軽減もあったり、また、2020年代じゃなくて2000年代の間違えなんじゃないかと思いました。

お礼日時:2025/02/09 13:10

平安時代


子育てとは少し違いますが、子は母のものという考えが強く、兄弟でも母が異なれば結婚OKだったりしたはず。
庶民は室町時代まで、産むだけ産んで皆で育てるという感じだったのかな?

江戸時代
安平の世と共に、子供を大切に育てるという考えが庶民にも広まる。その結果、貧しい農村では口減らしという行為が大いに行われることに・・

昭和の戦後
産婦人科医の大いなる進歩によって母子の生存率が飛躍的に高まる。また幼児の死亡率も低くなり、多産の家は激減し、一人一人を大切に育てるという今様のスタイルとなる。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2025/02/09 13:10

前近代は身分制社会ですから、良家の子弟は乳母や「養育係」が教育を行い、親はノータッチです。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2025/01/31 20:12

小さな大人の存在はいました、労働力の一員だったのです。


義務教育が定着して来た明治後半頃から学業に専念する学童と呼ばれる
子供が登場して来たのです。
経済高度成長が始まる昭和以前でも子供は労働を担っていました。
学業に専念する学童の登場は昭和の後半かと。

古事記には伊邪那岐と伊邪那美に共同で国作りをせよと書かれています。
古来より子育ては夫婦の共同作業なのです。
時代が進んで、農民漁民の上に公家、武士の支配層が誕生しました。
育児や躾の方法は各階層で違っていました、農民・漁民・商人の児童が
文字や論語を習い始めたのは江戸時代になってからの事です。

「三つ子の魂、百までも」は神話では無いですよ、現代人が失った
感性を古代人は持っていました(縄文人脳と呼ばれ出してます)
古代人が後世の人に諺として残した言葉なのです。
諺は古代人が残してくれた、知恵の塊なのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2025/01/31 20:12

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