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日本語が乱れて来たと言われて久しいのですが、
皆さん、どの程度気になりますか?
「日本語の乱れ」と聞いてどのようなことを思い出しますか?
例えば「ら抜き言葉」はどうでしょう。聞いてて不愉快に感じますか?
本来は「すみません」が正しいのに、
「すいません」と使われるのをどう思いますか?

ちなみに私は前者の場合、気にはなりますが仕方がないなと思ってしまいます。
何故なら某コンビニのCMで
「食べれる・しゃべれる ミニ○トップ」と歌っていたり、
「たべれる」と入力すると「食べれる」と漢字変換されるところを見ると、
これはもう江湖に認容されていると判断せざるを得ないからです。
後者については、回答が寄せられてからおいおい述べたいと思います。

実は「すいません」と使う私に注意してくれた方がおられまして、
後にその方から酷い仕打ちを受けまして。
それで日本語の乱れってそんなに許されないことなのかと思い、
この質問をさせて頂いた次第なのです。
尚、お礼に数日かかるかもしれませんのでご承知置き下さい。

A 回答 (24件中1~10件)

再びNo.7、No.17の者です。


何度もおじゃまして す「み」ません。

No.19の方へ。

>No17の方、「するまい」も誤った表現とのことですが、

質問から外れていくようなので詳しくは述べませんが、手元の辭書には文法の教科書とはまた違った記述が書いてあり、文法とやらに從っても、結局のところ「するまい」が誤っているのかははっきりしません。

(質問より。)
>「食べれる・しゃべれる ミニ○トップ」と歌っていたり、

このような歌を唄うことが好きな方(←もしいたら。)へのアドバイスです。もし「食べれる」は間違った表現だと言われたら、
「これはあくまで歌に合わせて唄っているんだし、『しゃべれる』と韻を蹈むための例外というものです。」
と答えましょう。


私は文法の教科書を讀んで、改めて學校で習った文法というものは勝手なものだなあ、と思いました。

・「變化しない部分を語幹と言う」と書いてあります。
しかし、「投げる」という語だと、
「なげ-ない」「なげ-ます」「なげ-る」「なげ-るとき」「なげ-れば」「なげ-ろ」
と、「なげ」は共通しているので「なげ」が語幹かと思うと、「な」だけが語幹だと言います。

・五段活用動詞で「ない」が後ろに附く形と「う」が附く形は違いますが、これを同じ未然形としてまとめてよいのか、という疑問が湧きます。
例えば「飛ぶ」という動詞では、「とば ない」と「とぼ う」は、活用語尾が「ば」(ア段)と「ぼ」(オ段)で異なりますが、それをまとめて未然形にしています。

それらは文語の文法に從ったなど理由はあるんでしょうけど、まじめに讀むほど疑問だらけになると思います。

他にもいろいろ言いたいことがたくさんあるんですが、キリがありません。

他の方がおっしゃるように、言葉を整理してみた結果が文法であるはずです。
しかし言葉を整理した結果にすらなっていないようです。

文法の教科書の立場で日本語を見ると、なんだか現實に使われている日本語はとても間違っているように思ってしまいます。

教科書に「投票すまい」や「これる」が誤りだ、などと書いてあっても、
「本當は正しい表現ではないだろうか」
と教科書を鵜呑みにしないのが正しい姿勢です。

文法の教科書は、そのうちコロッと態度を變えて、
やれ、可能の意味で「こられる」というのは間違っているだの、「すごいきれいだ」は正しいだの言い出すでしょう。


>「日本語の乱れ」と聞いてどのようなことを思い出しますか?

人には、自分が育った環境で身に附けた言い回しや發音が正しく、それ以外を誤りと決めつける傾向があります。そのようなことを思い起こします。

「みだれ」というのとは違いますが、なんで モーニング娘。というのは最後に「。」(句點)が附いているのか(句點のように見えて實は句點ではないのか)、理由はあったとしても、私は【はっきり言って】なじめないですね。
しかし、私がなじめないからと言って誤りと言うこともできません。

これくらいで回答は終わりにします。
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この回答へのお礼

深夜にもかかわらず、三度のご回答を有難うございました。
文法…難しいですね。言語学者の間でさえ、白黒付け難い面が多々あるのではないでしょうか。
>『しゃべれる』と韻を蹈むための例外というものです。
この「例外」というのがまた厄介なんですよね。
例外ならば滅多になかろうものなのに、やがて例外が通常を支配していってしまう。
それがやがて>改めて學校で習った文法というものは勝手なものだなあ
という事態に変遷されていくのでしょう。
「語幹」とか「未然形」についてはコメントを控えさせて頂きます。
何だかついて行けない・・・(涙)。
>教科書を鵜呑みにしないのが正しい姿勢です。
そう言い切るのも何だか虚しいですねぇ(笑)。

>自分が育った環境で身に附けた言い回しや發音が正しく、それ以外を誤りと決めつける傾向があります。
それなんですよ、厄介なのは。
自分はそれでいいと思っていても、他人の言葉遣いがどうしても許せない。
許せないだけならまだしも、それを逆恨みして事に移したりする輩がいたりする。
それが怖いのなら相手に合わせればいいのでしょうが、
そこまでする必要があるのか?

ちなみに「モーむす」の最後に句点が付いているのは、
「モーニング娘」では姓名判断上宜しくないからだそうです。
そんなこと、私にとってはどっちゃでもいいことなんですけどね。

お礼日時:2002/09/28 12:35

No.8のSpurです。


追加質問があるようなので、再度登場です。

>「その言い方は間違っている」とその都度注意しますか?

いいえ。何も言いません。

>「日本語をキチンと使えないようなこんな人間とは付き合いたくない」と言って、
>去って行きますか?

自分の部下であったり、これから育てて行きたい相手だった場合は、やはり注意して直してもらうかも知れません。
そうでなければ、その本人が恥を書くだけで、私が困るわけではないので、あえて注意はしないでしょうね。
その程度のことであれば、心の中で、「無知なヤツ」などと思い、付き合い方、話し方のレベルをその人に合わせて落とすでしょうね。

>最近の教師と生徒間の会話は信じられないですね。

同感です。会社内でも同じですよ。先輩や上司と話しているとは思えない者もいます。

>ところで、「先にも書きましたが」という一節が気になるんですが、

私が書いた2行目です。
同じスレッド内で同じようなことを、もう一度言うので、「先にも書いた」と書きました。
このスレッドではなく、もっと前の、別の問題であれば、「先にも」ではなく、「先日も」、「先回も」、「以前にも」と書きます。

>過去の質問か何かでSpurさんと討論したことがありましたっけ?

この掲示板は、Qに対するAやアドバイスを書くところであり、討論する場とは考えていませんので、討論になりそうになったら、そのスレッドに書き込みをすることは中止します。
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#20ですが、再登場です。



「とんでもない」は、
「とんでも+ない」ではなくて、
「とんでもな+い」なので、
「ない」を丁寧にした「ありません」や「ございません」を付けるのは誤用なのです。

「みっともない」を「みっともございません」と言わないのと同じです。

丁寧に言いたい場合は、
「とんでもないことでございます」ですね。

さらにP.S.
なんだかうるさそうにいろいろ書いてしまいましたが、
私の言う「許せない」というのは、
「自分は絶対に使わない」
「子供たちにも使わせない」ということであって、
よその人が使っていても、
間違いを指摘したり、やめさせようとしたり、そういうことは一切しませんので。
単に自分の中だけで許せない、というか居心地が悪いだけなんです。
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この回答へのお礼

何度もお呼び立てして申し訳ありません。
「とんでもないことでございます」が正しいのですか!長ったらしい・・・。
私、そういう言い方をしている方を見聞したことがないです。
今日も料亭で食事する機会があって出掛けたのですが、
そこの仲居さん、「とんでもございません」とお客さんに言ってました。
「本当は《とんでもないことでございます》って言うんですよ」
と、思わず声を掛けそうになりました(汗)。

間違った言い方をしている人を見掛けても、なかなか他人にまでは指摘できないものですね。
せめて自分の家庭内だけでもお互いに注意しあい、
切磋琢磨して美しい日本語を伝承していきたいものです。

お礼日時:2002/09/29 17:27

こんにちは。



私の母は、文法のミスや漢字の読み間違いに厳しい人だったので、成長の後は他人の言葉が気になって仕方がありません。もちろん、ら抜き言葉は使いません。(と思いますが、無意識に使っていたらどうしよう)
いちいち数え上げていたらキリがありませんが、ここ最近一番気になっているのは、自分の子供もしくはペットに対して「~してあげる」という言い方です。

これは相手に対して使う言葉(お子さんに食べさせてあげて下さい)であって、自分の子供、ましてペット(うちの犬に餌をあげる)に使うなんて・・・。絶句。
でもこの「あげる」は確実に浸透しているようで、gooの「出産・育児」「ペット」のカテゴリでは絶句し続けです。
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この回答へのお礼

ご回答を有難うございました。
お母様が厳しいお方だったとか。
本当はそうやって正しく・美しい日本語を子・孫に伝承して行くべきなんですよね。
そうでないと廃れていってしまいます。

自分の子どもやペットに「~してあげる」、これもよく耳にしますね。
私も使いません。育ててるのに・ペットとして飼ってるのに、
主従が逆転してるのはおかしいと思います。
子どもやペットを大切に思う気持ちはよく判りますけどね。

お礼日時:2002/09/29 17:16

#14ですが補足させてください。


私が否定している誤用は「ら抜き」だけではなくて、他にもい~っぱいあるのですが、
たぶん挙げたらキリがないのですが、いくつか挙げれば、
「とんでもございません」
「ちょうどからお預かり致します」
「お荷物の方、ご注文の方、お会計の方」などのホーホー言葉、
「たにんごと」、「じゅんぷうまんぽ」、
他にもどなたかが書いていらっしゃいましたが、
「○○で何々」、などなどです。

kyoko-fanfunさんのご質問に「ら抜き」と「すいません」が挙げられていたので、
その二つについて書かせていただきました。
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この回答へのお礼

再度のご回答を有難うございました。
「とんでもございません」は誤用なんですか!?
ひゃあ、私、お客さんに対してしっかり使っております。
どう述べるのが正しいのでしょうか。教えて頂けますか?
「ちょうどから~」というのは私も常々変だと感じておりまして、
私は金銭を授受する仕事に従事しておりますけれども、
「ちょうど頂きます」と受け答えしています。
ちょうどではない額の時には、「○○円お預かりします」と。

「~の方」も好きではないし、使いません。必要以上の言葉であって、余分だと思うのです。
「じゅんぷうまんぽ」・・・これはもう日本語教育の貧しさというしかないですね。
「いっきいっかい」とか「いちやを報いる」なんていうのもありますね。
「○○で何々」は途中を略した言い方ですので、
間違いではないと思いますが、略さないのが丁寧だと捉えています。
他にもい~っぱいあるそうですが、また教えて頂けたら参考にしたいですし、
この際色々考え直してみたいと思います。

お礼日時:2002/09/28 12:18

 再びNo5の者です


No17の方、「するまい」も誤った表現とのことですが、確かに、中学で教わったのはかなり前の話ですので、記憶もあいまいだったのかも知れません。
 このように、知らず知らずのうちに、文法上は誤った言葉遣いをしていることが多いということを、改めて考えさせられました。
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この回答へのお礼

再度のご回答を有難うございました。
普通の人が国語の文法を習うのは学生の時だけでしょうし、
しかも年配の方になればなる程遠い過去のことになりますから、
習った文法が変わって来てしまっているということは大いに有り得ますね。
要は、その移り変わりを容認できるか・できないかにあるのではないでしょうか。
文法の誤った言葉遣いは何が何でもけしからん!と
おっしゃる方も中にはおいででしょぅから。
そもそも文法とは何ぞや?
そんなに重視しなければいけないのか?という疑問にも発展しそうですし。

お礼日時:2002/09/28 12:01

他の方も言われているように、言葉は移り変わるもの。



文法が先にあるんじゃなくて、言葉が先にあるんです。言葉を整理してみた結果が文法であって、文法が先にあってしゃべってるわけではないですよね。『言葉が乱れている』というのは、主客転倒だと思います。だから、状況に応じて失礼のないようにしゃべれば別に気にしなくていいんじゃないでしょうか。

> 実は「すいません」と使う私に注意してくれた方が
> おられまして、後にその方から酷い仕打ちを受けま
> して。
というのはひどいですね。
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この回答へのお礼

ご回答を有難うございました。
>文法が先にあるんじゃなくて、言葉が先にあるんです。言葉を整理してみた結果が文法であって、
あ、そうですよね。文法というのは後から整理されるものですよね。
誰だって(えーっと、「食べる」の已然形だから・・・)なんて考えながらしゃべってはいませんよね。
ということは、文法通りにしゃべるのではなく、まずはその時代や風潮に併せて口にしても構わないんですよね。
それが間違ってるとか乱れてるとかは、後で整理してみて文法にかなってるのかそうでないのか、
それはもう言語学者さんにお任せってことで。
これはいいアドバイスを頂きました。主客転倒だと開き直ることも視野に入れていこうと思います。

お礼日時:2002/09/28 11:47

既に回答したものです。




「すいません」だってかまわない、と思っている方へのアドバイスです。

「『すみません』が正しく、『すいません』は間違っている」
と言う人は、
言葉は移り變わるものだ、と言われても納得しません。
そのような人に對しては次のように反論してください。

「『すみません』という言い方も正確ではありませぬ。正しくは『すみませぬ』ではありませぬか。」

更に言えば、何がすまないのかきちんと主語を言う必要がある、とつけくわえるとよいでしょう。




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>「投票すまい」は誤りで、「するまい」が正しいんですか。

No.5の「まい」の件ですけど、
私が使った文法の教科書によると、「する」に「まい」がつくときは、「しまい」が正しいそうです。
「するまい」も誤りだそうです。
文法の教科書の記述にも「ゆれ」があるのかもしれませんね。


(ご質問より)
>「食べれる・しゃべれる ミニ○トップ」と歌っていたり、

「しゃべれる」は「しゃべる」の可能動詞ですね。
「たべれる」は「たべる」の可能動詞と思ったのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

未明にもかかわらず、再度のご回答をありがとうございました。
せっかくアドバイスを頂きましたが、そのように逐次説明していたら日が暮れてしまいます・・・(笑)。
それだけならまだいいんですが、その夜密かに放火でもされたら大事ですし・・・(涙)。

「投票するまい」も誤りなんですか?ありゃりゃりゃ、こりゃ一体どう口にしたらいいんでしょう。
あれだけ綿密に教科書検定してるというのに、
記述されている文法って本当に正しいんでしょうかね?
何だか私の足元が大きく揺らいでるような感じがしてきました。
私なんぞは割と単純というか素直というか無頓着というか、
教科書に誤ったことは書いてないと思い込んでる人間ですので。

お礼日時:2002/09/28 11:38

「ら抜け言葉」は、わたくしは使いません。



他人が使うのを聞いた場合、その人の教養の度合いを想像します。というのは冗談ですが、「ら抜け」は方言から広まったものだとも言われています。

小学生のころは「食べらんない」「見らんない」などと、「れ」を「ん」に置き替えて言っていました。

「正しい日本語」は、ない。「美しい日本語」なら、ある。という意見をお持ちの方もいますね。言葉は生き物と言われています。

先日「歌謡チャリティーコンサート」を見ていたら、司会の久保純子が曲紹介の時に
『××さんで○○』と言いました。

この「だれそれ『で』なになに」という曲紹介、大嫌いです(笑)。
ちゃんと「だれそれ『の歌で』なになに」と言うべきです。「だれそれ『の』なになに」でもいい。

最近のアナウンサーって、昔ほど厳しい訓練を受けずに配属されてしまうんです。NHKでも研修期間は短くなりましたから。トホホです。
「サ行」が不明瞭だとか鼻濁音もできないヤカラは、アナウンサーになりたいなんて考えてはいけません(笑)。視聴者が迷惑します。
昼のテレビニュースでは「史実」なのか「手術」なのか「事実」なのか、わからない時がありますね。「サ行」のときに舌を噛んでいるような発音。
自分の声を録音して聞いてみたことないのかなー???
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この回答へのお礼

深夜にもかかわらずのご回答をありがとうございました。
冒頭の「わたくし」からしてオッ・・・。
HNの「グータラ」からはとても想像が及ばないような品格を感じました。

>「ら抜け」は方言から広まったものだとも言われています。
そうなんですか、それならばわたくしは大切にしたいと思いますね。
方言って大好きなんです。温かくて柔らかくて故郷の風という感じがしますから。
>「正しい日本語」は、ない。「美しい日本語」なら、ある。
なるほど、そうですね。東の方では正しくても、
それが西の方でも正しいかというと、決してそんなことはないですものね。
乱暴に聞こえさえしなければいいのかなぁ?

>「だれそれ『で』なになに」という曲紹介、
考えたこともありませんでしたが、嫌いな方もみえるんですね。
こうなるとアナウンサーたる者、余程鍛錬を積まないと
どこでどう非難されるかもと戦々恐々しなければ・・・?
それはオーバーとしても、昨今のアナウンサーの質の低下には辟易しますね。
言葉の泰斗でしょ?アナウンサーって。
>「史実」なのか「手術」なのか「事実」なのか、
ありますねぇ、そういうの。
その他にも「栄養出張」なんていう言い間違いも!
「栄養が」どこへ「出張」するんだ!?なんてツッ込みたくなります。
もう一度「させしすせそさそ」と早口訓練をして欲しいですね。

お礼日時:2002/09/28 11:27

 ご承知のように、言葉は移り変わるものです。



 我々は自分が日本語を覚えた時代を絶対視しがちですが、その前の時代では言葉の意味や活用も違っていたし、将来も違ってくるでしょう。

 たとえばよく槍玉に挙げられる「全然」ですが、歴史的には参考URLのように意味が変遷しています。

 こうなると「正しい日本語って何?」という話になります。

 と言いつつ私は個人的に「“すごい”気になる」という用法が嫌いで「“すごく”気になる」に訂正したくなるのですが、他人が使っているのをあえて指摘しようとはしません。

 それよりもネットに跋扈している、過度の略語や無意味な伏字のほうが気になります。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=284937

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=126309
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この回答へのお礼

深夜にもかかわらずのご回答をありがとうございました。
参考URL、どちらとも読みました。
かの文豪も「全然~肯定文」を使ってたんですか!?
それが正しかったというか、一般的な用法だった訳ですね。
言葉の意味や活用における著しい変遷の見本みたいなものですね。

無意味な伏せ字・・・私も「ミニ○トップ」などと書き込んでしまいました。
このサイトを利用されている諸先輩方々がこうされているようなので、
そうしなければならないものと思い込んでいましたし、
このコンビニに対して「間違った日本語で歌うな」
と批判していると採られてはマズイかな?
と思ったので伏せ字を使った次第なのですが、それこそ無意味でした・・・。
それでは私も今後はやめるようにしたいと思います。

お礼日時:2002/09/27 22:40

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