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こんにちは、大学生です。
昔、サークルで、「哲学研究会」の人と話していた時、たまたま音楽の話題になりました。
クラシックのお勧めを聞かれ、個人的にはサティとラヴェルが好きだと答えたら、そいつは、
「サティやラヴェルが好きな人は軽いというのが哲学研究会のスタンダード」と
ぬかしやがりました。(ちなみに何を聞いていれば哲学研究会で中身のある人だと思われるのかは質問しませんでした。)
自分は3歳からピアノを習っており、サティとラヴェルが好きだという事には自分なりの美学が(仰々しい言葉ですみませんが)ありました。
その人は両親の意向で入れられた音楽中学から、あまりにも素質がないため普通高校に転校した人です。
もちろんカラオケでも「にしおかすみこ」なみの音痴でした。しかもサティとラヴェルのCDを一枚通して聞いた事さえないらしいのです。サティをバカにする資格があるとは思えません。
こんなくだらない質問で申し訳ありませんが、サティとラヴェルに軽い印象を持っている方は割と多いのでしょうか。少しでも気になった方は回答してくださいますと幸いです。

A 回答 (7件)

まず、回答が遅れたことを、


率直にお詫び申し上げます。

サティのほうはあいにく良く判りませんが
ラヴェルに関しては・・・・・・・・。

>ラヴェルが好きな人は軽いというのが
哲学研究会のスタンダード

信じられない・・・・・・・・・・・・・・
オー・マイ・ゴッド・・・・・・・・・・・
なんちゅう哲学研究会だ・・・・・

おそらく、その方々は、
ラヴェルのオーケストレーションを
生演奏で体験した事がないのかと思われます。
でなければよほどひどい演奏だったか。
とてもそうとしか思えない・・・・・・・。

十年位前、アラン・ギルバートさんの指揮、
札幌交響楽団の演奏で
ラヴェルの「マ・メール・ロワ」を
聴いた事がありましたが、

ホール中の空気が震え、
今まで体験した事がない美しい音響が・・・・・・

後で音楽に詳しい人にその事を話しましたら、
「ああ、ラヴェルは音響をとても上手に使って
作曲する事で有名だからね。
CDだとほとんどその良さは再現できないから・・・。」

無知うんぬんの問題というより
最高級の体験の機会を取り逃がしているのでは。

普段であればこんなに遅れた回答は
あえてしないで通り過ぎるのですが、

>少しでも気になった方は回答してください

少し気になるどころか、
とても看過できませんでした。
よって回答させていただきました。
重ねて、お詫び申し上げます。

あの感動はいまだに忘れられません。
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ラベルは、一本跳んだところがあります。

顔を見てもわかります。ボレロも同じメロディーを延々と繰り返す、一種の偏執狂的なところがある。とても軽いとは思いませんが。

フランスの音楽家は、ドイツと対抗して、ベートーベンやブラームスの真似ととられるのを嫌うところがありますから、思いっきりはずしてきます。そんなところが軽いと感じられるのかもしれません。

ドビッシーもその典型ですが、彼の弦楽四重奏なんか、ドイツ的な臭いがします。
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哲学のカテで訊いてみては。



それと、
多分その人はジグノベディーとボレロしか知らないんじゃないでしょうか。
世間の偏見イメージでは他にも、ラベルがドビュッシーと、サティーがリチャード・クレイダーマンとセットでいっしょになっている人も結構多いような気もしますw。

↓の方に洒落をかましたコメントがありますが、伝わっていないんでしょうね・・・。
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 「ドイツ音楽」こそが正当な音楽で、他の音楽は亜流だ。


 音楽の「3大B」は「バッハ、ベートーベン、ブラームス」であり、音楽芸術はドイツにおいて生まれ、発展した。バッハの「平均律」は音楽の旧約聖書であり、ベートーベンのピアノソナタは音楽の新約聖書である。
 崇高な芸術音楽はドイツ音楽であり、それ以外の国の音楽は、表面的で深みに欠ける。

 といった「ドイツ音楽至上主義」が日本には蔓延していますね。フランス音楽は、享楽的で軽薄で深みに欠ける、という意味で「軽い」と言われているのだと思います。
 それは一種の教条主義的なものではありますが、一面音楽の本質に起因するものでもあります。

 限られたスペースなので、詳しい話は

   岡田 暁生・著「西洋音楽史 ―「クラシック」の黄昏」(中公新書)¥819

を見ていただくとして、19世紀ヨーロッパには、
(1)虚飾を廃し宗教や哲学に比肩するような「深さ」や「内面性」を求める音楽
  →ドイツ音楽であり、暗い客席でかしこまって、静かにありがたい演奏を聴く。
(2)パリに象徴されるグランド・オペラ/ヴィルトゥオーゾ・サロン音楽
  →サロン、社交場でのあくなき豪奢の追求と俗物化(成金化)。
という2つの流れがあったとのことです。

 良し悪しではなく、音楽の在り方として、「芸術」としてのとらえ方と、「楽しみ」としてのとらえ方の、両面性があるということです。
 どちらか一方の立場に立つと、互いに相手の見方が変わってくるので、両面性を認識して、2つの異なった立場があることを認めた上で議論しないと、ご質問のような「極端な見方」が出現することになってしまいます。

 ただし、最初に書いたように、日本には学校教育の影響か、「ドイツ音楽至上主義」に立つクラシック音楽愛好家が多いことは確かなようです。
(ポピュラー音楽はアメリカ、美術はフランス、というように、レッテルを張りたがるのが日本人なのでしょうか)
 
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フランス音楽は,


ドビュッシーもラヴェルもサティもエスプリが効いているというか,お洒落で,大好きです.
交響詩などは軽いとは思いませんが,ピアノ小品は「軽く」聴けますね.
しかし,バカにした意味ではなく,親しみやすいという意味です.

フォーレとフランクはちょっと構えますけど・・・

でも,本当に何を聴いていればいいんですかね.
マーラー,ブルックナー?
プロコとかショスタコ?
スクリャービン?

そんな人はモーツァルトもバカにするんですかね.
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軽いという印象は無いですね。

ベートーベンでもモーツァルトでもブラームスでも何でもいいですが、ある時代の独墺系の作曲家が「硬い」という印象はありますが。

自分はクラシックは近代・現代音楽から入ったので、そういう音楽が‘判断基準’になっていると言われても否定はしません。
クラシックというのはロマンや古典から入るライトリスナーがやはり多いと思いますが、そういうディアトニックや機能和声や規則的リズムにガチガチに縛られた色気の無い音楽だけをずっと聞いてきたリスナーが、比較論として近代音楽のことを「軽い」と判断してしまうというのもうなずけます。(あくまで自分視点の意見です。)


ちなみに、自分からしてみれば「芸術に哲学なんて不要。んなもん野暮。」って思ってます。(笑)その彼が「哲学研究会の人」とのことで、やはり納得。彼が芸術に求めている‘もの’もなんとなく伺えます。長くなるので詳しくは触れませんが、少なくとも自分とは違うのだろうということは言えると思います。


ラヴェルの音楽は(他のクラシックの人気作曲家同様に)大衆的な側面があるのは確かです。
でもサティを「軽い」等という者は、何もわかっていないと思います。人気・知名度のあるクラシックというのは多くは大衆音楽から生まれたものですが、その中にあって、サティは確実に難解な部類に入る音楽です。西洋音楽においての前衛音楽の祖と言ってもいいかもしれません。少ない音数でありながら、かなり頭を使わないと消化することは出来ないクセのある音楽だと思います。


それからもう一点。いくらクラシック好きとは言っていても、ドビュッシーを語りながら「一番好きなのは‘月の光’とか‘夢’」なんて言うリスナーは山程いるのです。その作曲家を消化出来ているのかいないのかもわからないような、そんなリスナーが溢れているクラシックリスナーの中で、「○○が好き=軽い」もしくは「○○が好き=堅物」等というレッテルなんてどれもあてにはならないですよ。「胎教にいいから」という動機でちょっとかじった主婦と、散々数を聴きアカデミックな面からとことん追求しているマニアックなリスナー(あるいは専門家)、このどちらも同じ作曲家を支持していたとして、どちらも「軽い人間」と言うのは無理ありません?
つまり、「ラヴェル好きは軽い」なんていう彼も、ラヴェル、あるいは彼が好きな作曲家を、どのくらい理解できているのか、自分からしてみれば全く信用出来ないです。彼の言葉を真に受けるにしても、最低限もう少し彼の音楽の趣味や音楽に対する姿勢を知ってからですよ。
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ゴールドブレンド赤ラベル は比較的、軽いコーヒーだったと思いますが




ラベル「ピアノ協奏曲」は比較的軽妙ながらもとても美しい。

ラベル「左手のためのピアノ協奏曲」は事故で右手を失った人のためにかかれた曲だけに少し重苦しくも美しい。


サティ「最後から2番目の思想」など、タイトルに軽いイメージがある。曲風は古典的クラシックよりも現代クラシックで軽妙です。

ベートーベンやブルックナーなどに比べると確かに軽いかもしれないが、中身の薄い軽さではないと思う。気にする必要はない・・・
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