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ふと目をやった画面には有象無象の人々が光の十字架となり昇天する様が。思わず
「おらといっしょにぱらいそさいぐだあ」
と口走って気づいたのですが、当方この『奇談』なる映画の原作を読んだのは後にも先にも雑誌掲載時ただ一度、三十有余年前小学校の帰りに立読みした時だけです。
無論この文は自らの記憶力を誇るものではありません。現に題は失念しています。

前置きが長くなりました。お聞きしたい事は、こうです。

【時を経ても一瞬にして台詞やストーリーを想起させるだけの衝撃力を持った短編作品が、かつてはあった。それらは今どこにあるのか?】

年代は降りますが萩尾望都『半神』を読み終わって茫然としたまま頁数を数え、たった16枚と気づいた時の驚きも忘れられません。
感受性の強い子供時代に触れたものだから印象づけられただけでなく、短編が掲載される事自体、今や稀なのではないでしょうか。せいぜいオチた連載の代原くらいで、それもウッカリ人気を博すと長編化されてしまう。アイデアや設定と尺は不可分と思われるのに。
終わらない物語を読む幸福は解ります。でも鮮烈な小品に心打たれる喜びも確かにあるはずです。
思えば手塚先生は多くの短編をものしました。
単行本5冊の『デビルマン』(あとから描き加えた悲しくなる付け足しは除く)が大長編だった時代が嘘のようです。
商業的な事情でしょうか。御覧の皆様の中にプロの編集者の方はいらっしゃいませんか?教えて欲しく思います。
読者の方々は、どのようにお考えになりますか?ご意見お聞かせ下さい。

A 回答 (4件)

「半神」ってたったの18ページでしたっけ。

そうか、すごいですね。
私が「良質な短編」で真っ先に思い浮かぶのは、さらに古いですが楠勝平の「おせん」です。
あれらは、短いページ数でなぜこんなに泣かせるんだろうとすごく不思議です。

今のマンガは・・・想像ですが
読む側が「マンガ」という形式に慣れきってしまい、読むスピードが速いですね。
また、この20年くらいの間にいくつもの革命が起こりました。
それは視覚的イメージの革命であったり
(映画やゲームやCGや、様々な映像技術の進化が大きいと思います)
「ドラマ化、アニメ化されれば儲かる」的図式
(マンガでしか表現できないものより、他のメディアにも乗るものが好まれます)、
「キャラ立ち」と言われるような、キャラクターの魅力がイコール
作品の魅力であるような作品の流行・・・

そういう中で、ボロボロになるまで何度も読み返される「良質な短編」より
ブワーっとページをめくりながら、飛び込んでくるイメージを頭の中に滑らせて
スピードの中で快感に浸るような長編マンガがより受け入れられてきたと思います。
しかも、そっちのほうがずっと儲かります。

しかし、今のマンガの中でも、探せば良質な短編はあるような気がします。
一話完結タイプの連載には面白いヒラメキをうまく料理した作品があると思います。
漆原友紀の「蟲師」とか、八房龍之助の短編はアイデアにハッとすることがあります。
西炯子の「Love Song」という短編も、かなり名作だと思います。
個人的趣味なんでオススメはしないですが・・・。
でも、手塚治虫や藤子・F・不二雄のような「短編の天才」と
呼びたくなるような人は、思いつきません。

今は出版不況と言われる状況が続いているので
どうしても「無難に売れる」作品が多くなってしまうけれど
この先また安定期がきたら、
また原点回帰したような「噛めば噛むほど」いい短編が出てくる時代が
来るかもしれない・・・来るといいな、と思っています。
売れない漫画家の希望的観測でした。

この回答への補足

“アルデーラン”じゃなくて“アルデラーン”ですね。失礼しました。

補足日時:2005/12/01 00:44
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この回答へのお礼

愚痴の様な長文の質問に丁寧な素早いご回答、お礼遅れましたが、ありがとうございました。
“映像技術の進化”、成程そうですね。
質問に挙げた十字架の場面も、よもやあの様な形で目にする日が来ようとは思いもしませんでしたが、ワープアウトしたミレニアムファルコン号がアルデーランの欠片に突っ込むのを映画館の座席に身を沈めて見た時から自明だったのかもしれません。
それが一番の理由なら悪い事ではないでしょう。表現の変化という事で納得できます。

実は他社の質問・回答コーナーで'75年頃の川崎ひろこ氏の漫画について質問があり、公式ホームページで確認したところ作品ほとんどが絶版か単行本未収録と知りまして古いものの絶版はまだしも近作が雑誌掲載のみで停まっている事に大変驚いたばかりなのです。
しっかりしたデッサンの硬質な描線は真摯なテーマと相俟って確かに華やかさには欠けるものですが'70年代から今日まで、それこそ“良質な短編”を著わしている作家と思っていましたので。

自己矛盾ですね。そうです、schorlsさんのおっしゃる通り“良質な短編”が失くなったわけではありませんね。挙げられていた『蟲師』は好きな作品ですし波津彬子氏や小椋冬実氏等いまも楽しみにしている作家諸氏も少なくないことは回答を頂いてから改めて思い至った次第です。
漫画家が創造する仕事である以上、表現のスタイルを決して妥協しない作家達が流行の作法でないやり方を(短編であるなしに関わらず)守り、また創り出していくでしょう。でもやはり川崎氏の例の様に不遇である事も事実。
これは商業的な問題でしょうけど、かつて木原敏江氏が
「『ベルばら』『エース』連載時の『週マ』黄金期にNo.3だった私は、とても自由に描かせてもらえて幸運だった」
と発言されているのを記憶しています。せめてこのくらいの余裕が編集側にあって欲しいものです。

何十年も前の一コマを自分が憶えていた事と川崎氏の件、双方への驚きが質問を書かせました。やはり難しい時代なのかもしれません。
せめて発表の場を設け単行本の発売が行なわれるなら購入による協力という意思表示ができますのに。
とりあえず楠、八房、西各氏は書店で見て、感じるものがあれば即買い、とします。
貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/18 22:10

 本当に良質な漫画は少なくなってしまいましたね。

子供に悪影響があるような内容のない・性描写の過激な漫画の方が目立つような気がします。

 ただ、花郁悠紀子さん(波津彬子さんのお姉さんです。20年以上前に亡くなられたのでしたっけ…)の作品などは、何年かおきに、リバイバル・フェアとして、単行本でいっぱい本屋さんに並んでいたことがありました(一部の本屋さんだけだったのかも知れませんが)。能と花をテーマにした「幻の花恋」などは、気高くて本当に良い作品でした。今市子さんの「百鬼夜行抄」(一話完結でどんどん話が進んでいきますが)も惹かれるものがあります。 

 回答になっていなくて、すみません。
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この回答へのお礼

花郁悠紀子さん>はいオバタマですね、大好きです。
名人の噺家が身罷ると「芸も持っていってしまう」と言いますが花郁さんも、そうでした。静謐という言葉の似合う作品は忘れることなんかできません。もちろん『アナスタシアシリーズ』の賑やかな可愛らしさも。あれで覚えたカトルカースを今でも拵えて食べます。事情があって手元に一冊の単行本もないのですが。

子供に悪影響があるような内容のない・性描写の過激な漫画の方が目立つような気がします>そうですね。
コンビニでチラ見して驚いた覚えがあります。いかにも少女漫画の絵柄の作品がスーッとSMかなんかになっちゃう。垣根も何にもない。ファストフードかファミレスと思って入ったら風俗店だったようなものです。
エロい内容のものは昔からあり興味本位で見た事も、とてもナイとは云えませんが(笑)かつてのそれらは、いわば印つきだった気がします。
その本や雑誌からはサインが出ていて、読む方も鉄条網の向こうに自分の意思で行くのだと判っていたとでも云いましょうか、劇薬と知っているから決して一気飲みしないと云いましょうか。
必要以上に排斥されるべきではありませんがアタリマエになっていいものではない。陰翳があるから礼賛もされるので、ああもアケッピロゲでは谷崎も澁澤龍彦も嘆きましょう。
ある意味そんな作品を読まされる側も描かされる側も可哀想です。
'70年代黄金期を知っている世代が親となって、既に文化であるそれらを次世代に伝えてはいるようですが、現役陣にも頑張って頂きたいものです。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/20 01:54

 短編ばかりというわけじゃないですが、エンターブレインの「コミックビーム」なんかは商業主義とはちょっと違う方向で編集されてますね。

もうつぶれるんじゃないかと言われつつ10年経ってしまいました。

参考URL:http://www.enterbrain.co.jp/jp/p_catalog/magazin …
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この回答へのお礼

御回答有難う御座います。『コミックビーム』ですね、見てみます。

お礼日時:2005/11/18 22:25

「おらといっしょにぱらいそさいぐだあ」は、諸星大二郎の妖怪ハンターシリーズ「生命の木」よりですね。


単行本「海竜祭の夜」に収録されています。

編集者ではありませんが、漫画好きとして一言二言。

多種多様の雑誌が発刊されていますが、定期的に出る雑誌と考えれば、読者をひきつける連載ものは必須でしょう。
その作品が人気が出れば、それ目当ての読者は増えますし、購買力が上がります。
逆に読みきりはその作家さんが有名ならまだしも、そうでなければ次に繋がる形は難しいでしょう。

・新人デビューの評価を見るため。
・有名作家の読みきりものとしての話題性。
・テーマを決めた、短編のシリーズもの。
・落ちたときの代原。
このあたりが、よく理由として考えられます。
やはり雑誌を作るにしろ、売り上げがなければ廃刊に追い込まれてしまいますからね・・・。
また漫画家さんとしても、一回こっきりの原稿料より、定期的に連載をもち、収入が安定することを望むでしょう。

ただ雑誌の全てがそうだ~ともいえません。
週刊誌は難しいでしょうが、増刊枠の月刊誌などはよく読みきり短編を載せていますよ。

短編を載せる場所が少ない。
短編では読者受けが難しい。
人気があるものは連載として、販売力をあげる。
連載で作家サイドも恩恵がある。

このあたりが理由だと思います。
一意見ですが、ご参考までに。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。お礼が遅れまして申し訳ないことです。

『妖怪ハンターシリーズ』でしたか。稗田礼二・・郎・かな?思い出してきました。
では厳密には短編ではない?気負いこんで書いたわりにマヌケでした(苦笑)

売れるとか受けるとかいうとイヤラシイ感じがしますが、支持を得るのは大事ですね。おもねってはなりませんが作家が内面に潜り込み過ぎるのも問題だし、要はバランス。
その為の編集者でしょうし〆切や制限があればこそ描けるのだと聞いた事もあります。
ただ、そのバランスがいかにも売上げの方へ傾きすぎではないでしょうか。
No.1schorlsさんへのお礼にも書きましたが片側に稼ぎ頭の作品があったら、もう片側で支持層は薄くとも確かに良質な作品を育てる余裕が望まれますし(昔、角川がアイドル映画で儲けて俳句や短歌の本を出したように)作家には発表の場を設け、内容を重視した原稿料を提供して欲しく思います。
かつて星新一氏は自らのショートショートが頁幾らの計算だったのを長い交渉の末、一作毎の値段に変えてもらったと読みました。漫画界にも星新一が現れれば短編全体への評価も上がるでしょうに。

『生命の木』。単行本は『海竜祭の夜』ですね、探してみます。でも映画化に便乗して違う形で出るかもしれませんね。

お礼日時:2005/11/18 22:16

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