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犯罪を犯した人の人権を守るために「死刑廃止」を訴えている人がいます。現在、テレビで報道されている母子殺害事件の被害者の方は、いろんな掲示板で死刑反対を訴える人から中傷されたりしているようです。

私の考えは、人を殺した人に人権があるとは思えません。「冤罪」だった場合、死刑執行されたら取り返しがつかないと言う人もいますが、現在の科学の進歩により証拠は揃っていると思います。決定的な証拠がないのに死刑になるのはいけないと思いますが、証拠があるのであれば、死刑は確定されても致し方ないのではないかと・・・。

皆さんは、死刑はあってもいいと思いますか?それとも反対ですか?それぞれの理由も教えてください。難しい問題なので誹謗・中傷にならない程度にお答えくださいませ。

A 回答 (52件中1~10件)

光市母子殺人事件のニュースも落ち着いてきて、


52件ほどの回答も、伸び悩みですね。

そこで、

「皆さんは、死刑はあってもいいと思いますか?それとも反対ですか?」

に対する庶民の日常感覚的な回答。

どーでもいいです。
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No.13です。



冤罪の話が出ていますが、「冤罪の疑いの入る余地のない事件のみ死刑賛成」というのが私の考えです。

たとえば、例の宅間。
衆人環視の中で、幼児を次々と殺害しましたね。
あの事件に冤罪の入り込む余地はありませんよね。
どんな優秀な弁護士でも、あれを「なかったこと」にすることは不可能です。

そういう事件に限り、「人を殺したら(一人でも!)死刑」であるべきだと思います。

そして、更に大事なのは「再犯防止」でしょう。
当該凶悪犯を二度と世に出さないことだと思います。
ですから、終身刑が導入されるのであれば、死刑は廃止されても良いと思います。

ただ、「死刑は合法的な殺人」とは思いません。
法を破って他者の命を奪った者を、法の名のもとに排除することは当然ではないでしょうか。
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死刑反対、


する利益をあんまり感じないからです。
加害者一人を死刑にするまでの訴訟利益って
加害者の究極的な更正、社会奉仕、遺族感情の回復等でも
まだ釣り合いが取れないぐらいだと思うんです
もっと言えば加害者の罪への罰って死刑では甘すぎる
とも思えます
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行政法関係による不特定多数への無差別殺人がほぼ無罪なので.個人が行った殺人などの処罰に.10年以上の懲役とか死刑は重過ぎます。



死刑は廃止して.最高10年くらいに減刑すべきでしょう。
初犯ならば.検察庁の決定が出た時点で市民生活にもどしても良いでしょう。

「行政法関係による不特定多数への無差別殺人」の例としては.細菌の話題では.
アイフル等のサラ金業者や職場でのいじめによる自殺。
海外からの米輸入に伴う.低価格米購買者の餓死(前回の輸入で中東で訳30万人死亡)
国権としての武力行使による無差別殺人(イラク空爆をすることを承知の上で自衛隊が米軍木に燃料を補給したことは.空爆によるイラク人無差別殺人の共犯の用件を満たしています)
アスベスト被害の大部分を占める肺ガンについて放置し20万人を殺すことを続けた厚生省。同じようなものに.予防接種・血液製剤なとがあります。

これらがほぼ無罪なので個人が行った殺人などについても同程度に減刑すべきと考えています。
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今さら投稿するのも気が引けますが、条件付で死刑制度存続派です。



多くの意見にあるように、悪質性の高い殺人に対する罪として「死刑」の次が「実質15年(未成年なら7年)程度の懲役刑」は軽すぎると考えます。

理想で言えば、「終身刑」もしくは「仮出獄の無い、より長期の懲役刑」に、自分が犯した罪への反省の気持ちを生まれさせるような更正プログラムを加えて運用することができるならとは思いますが、現状のままで死刑のみを廃止することには賛成できません。
(安定した社会の存続という意味で危機感を覚えます。)

なお、少し調べた限りでは、加害者が18歳未満なら「死刑」を「無期懲役」に減刑するのですが、今、話題のの事件に限って言えば、加害者は事件当時、確かに未成年でしたが、18歳に達していたため、「死刑」の適用は可能だったと思います。
当然、被害者の家族もそれを知っていて「死刑」求めたと思いますし、検察も求刑しています。
乱文失礼致しました。
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No11です。


死刑反対論者に多いのが「死刑が乱発されすぎる」ですが、ホントにそうですか?
現在じゃ「人を2人以上」「世間が震撼する」方法で「殺害」しても死刑判決はなかなか出ません。
人一人殺しても15年も有ればちゃんと出所してきます。
精神障害者では半年も病院に居れば大手を振って出てきます。

どこが「乱発」なんでしょうか?

でも「殺害」された被害者は魔法でもない限り復活なんてしません。

死刑反対論者に聞きたい。
被害者に対してどうやって罪をつぐなうんだ?
まさか「刑務所に15年」が被害者に対しての罪を償ったなんて「妄言」言うなよな。 被害者の家族親族は一生重荷を背負って生きていくんだ。 あまりにも「甘すぎる」

世間が「こいつは死刑にされて方が楽だ」位同情できる位の事なんかかんがえているのか?
それと引き替えなら考えてもいいと思う。

「被害者の人権より加害者の人権の方が重い」なんて「暴言」はく弁護士が居る限り「死刑賛成」である。
こんな弁護士こそ処罰するべきだ。
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No.35 patofuさん


は、ここでは、数少ない死刑反対論者の方ですね。
僕は普通のみなさんと同じ一般庶民で、通常の生活では「死刑」について考えることは皆無です。
僕と同じく、死刑賛成、という方は、ワイドショー的なマスコミからの情報しか知らず、多分、法律に関しても無知な方が多いでしょうね。

しかし、不思議ですね。
No.35 のpatofuさんなどのように、死刑反対論者の方には、どこか知的そうな人が多い。
また、統計的に見ても、死刑反対論者の方は、日本人の何割か確実に存在しますね。
もし、討論する機会があれば、永遠に決着がつかなそうですね。

そこで、「死刑はあってもいいと思いますか?それとも反対ですか?」に対する、一つの結論。

ビミョー

です。いろいろ考えれば考えるほど迷います。
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 本質から外れたどうでもいいことを並べる人が何人かいるので、ちゃんと潰しておきます。



● 「本当に人が人を裁いていいのか?」という疑問

 いいとか悪いとか言ういい加減な概念で死刑制度を考えることがそもそも誤りです。秩序と自律性のある平和な社会があって始めてそういう寝ぼけた話が言えるのであって、極端なことを言えば内戦下のコンゴのような社会では、いつ村ごと皆殺しになるのかも分かりません。
 皆殺しをしにきた軍隊に対しては実力で撃退するしか手が無いように、秩序と自律性のある平和な社会の維持のためにはそれを乱す異分子を除去したり、紊乱行動を抑止しなければなりません。そのためには異分子や紊乱行動者に対してサンクション(社会的制裁)を与える必要があります。
 サンクションの決定とは、人が人を裁くことです。言い換えれば、それをしなければ、秩序ある平和な社会は維持できません。むろんときには判断を誤ることもあり、自責の念にさいなまれることもあるでしょう。しかし、秩序維持とは、そういう覚悟を持って遂行しなければならない仕事です。寝ぼけた甘々な発想しかできない状態の人間に、批判する資格はありません。

● 冤罪

 いかなるシステムでもエラーをゼロにはできません。
 特に、社会システムでエラーをゼロにすることを考えたら、チェック機構が山ほど付いた非常に重たい誰も使いたくない仕組みになるのがオチで、しかもそれでもゼロにはなりません。
 死刑というシステムの目的は秩序ある安定した社会の維持なのですから、その目的に鑑みて許容できる冤罪の確率を考えてシステムの重さを設定すればいいだけの話であって、エラーがゼロであるべきという発想がすでに間違っています。

● 合法的に人を殺すことが異常

 この発想が異常ですね。
 論点が完全にずれています。
 法(この場合、刑法)の目的は、秩序ある安定した社会の維持ですから、特定の個人がその目的に反したら排除するのは適切な行動ですし、排除の手段が殺害であっても、不思議ではありません。
 ヒトの集まりが社会を形成している以上、そこにはルールが無ければ秩序と安定は維持できません。ルールをどうしても守れなさそうな人間と判定された者については、退場させるのが合理的な判断というものです。
 論点とするべきは、この「判定」の方法や内容やプロセスであって、退場(含死刑)という処置自体ではありません。ここを勘違いすると、無法地帯を招きます。

この回答への補足

皆様、ご回答ありがとうございました。全ての回答にお返事を書きたいところですが、40件以上もご回答いただきましたので、時間的に無理なため回答No.46の欄を使ってお礼を書かさせていただきます。また、いろいろと回答を見てきましたが、やはり基本的には死刑には「賛成」である気持ちは変わりません。

私は、今回の母子殺害事件を見て「死刑とはなんだろう?」とか「加害者の一次的な快楽により殺されて、加害者の人権とか言っていいのか?」と、思ったのでアンケートを実施しました。全ての殺人を犯した犯人を「死刑にしろ。」とは言うつもりはありません。私は、福祉関係の仕事をしています。人間にはいろんな人がいるし、外の世界を見ることもなく視野の狭い中で介護疲れで要介護者を殺めてしまう人もいます。ときと場合により、情状酌量する余地がある場合もあると思います。証拠・自白が揃っていないのに死刑確定・執行もあってはならないとも思います。ただ、極悪非道な人間が生きていていいのか?自分の家族がこんなことになったら許せないと思います。ものすごくリアルに考えてみました。自分の家族が自分の知らないところで殺されて、無残な姿を見せられたら、どう考えても犯人を恨むと思います。

確かに、マスコミに踊らされている部分もあると思います。マスコミは、視聴率が上がるように作っていることは否むことができません。(こういう書き方をすると、また反対論が出てくるかとは思いますが。)肝心なところはカットされる・・・これは私が経験したことです。ですから、いろんな事件の裏側や本当のところを国民が理解して論議を交わしているとは思えませんが、自分の身に起きたときの事を考えると、死刑はあっていいのではないかと思います。

ただし、冤罪に関して参考になるご回答がありました。科学の進歩と言えど、それを扱う人間に問題があることが分かりました。

他にも、いろいろと私の意見もありますが、今すぐにここに書いていいものか分かりません。お答えいただいた方のどの答えが正しいとかは私には判断いたしかねます。今の私の感情論でポイントを付けるのは公正さに欠けると思いますので、今回はポイントを発行せずに締め切る予定です。なにとぞご了承ください。

補足日時:2006/04/19 23:06
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「死刑」は存続させるべきだと思います。



なぜなら、奪った命をもとに戻すことが出来ない以上、せめて、「死刑」という形で、遺族を慰撫できるのではないかと思うからです。

犯人にも、人権がある。
犯人にも、生きる権利があり、それを合法的「殺人」で奪う権利は誰にもない。
犯人にも、家族がいる。

等々、死刑反対の方はおしゃいます。
犯人にも人権がある。
けれど、死刑を言い渡されるような罪を犯した人に、「人権」て有るのでしょうか?
人権て、人としての権利ですよね?
それでは、人とは何でしょうか?
私にとって、「人」とは、ある程度の理性がある生物だと思っています。
自己の欲望や、利益のために、人の生を奪うことがいけないことという、理性を持たない生物が、本当に「人」なのでしょうか?
その時点で「人」であることを、捨てたのだと思うのですが。

そして、合法的「殺人」とわざと強い「殺人」という言葉の魔力を利用しているとしか思えません。
犯人にも家族がいる。確かにいるでしょうね。
けれど、その家族のことも考えず、罪を犯したのは誰でもない、犯人です。
そのことを、無視していかにも世間が犯人の家族を傷つけるというのは、詭弁です。

私は、「死刑反対論」を唱える方に伺いたいです。

例えば、「アウシュビッツ」や「南京大虐殺」そうしたことにも、死刑がなくても良いっておしゃれますか?

戦争中という大きな流れの中のこと、こうしたこととは違う。
そうおしゃいますか?

1人2人殺したのと訳が違うとおしゃいますか?

殺された人、一人一人に人生があり、家族もいました。

その違いは何ですか?

「死刑反対論」を唱える方に伺いたいです。

「合法的殺人」に至らしめたものは何ですか?
おのずと、答えは出るのではないでしょうか?

結果を招いたのは犯人自身なのです。
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冤罪の可能性が一片でもある場合には許されません。

(たとえば、和歌山の毒入りカレー事件などは直接証拠が乏しいので死刑にすべきではないでしょう。)しかし、冤罪の恐れがまったく無く、犯行に情状酌量の余地が無い、という場合には、殺された人数、計画性の有無、これらに関係なく死刑(というより人権剥奪刑)を適用するべきだと存じます。

>国際的には死刑廃止の流れになっている。

ここの「国際的」は、ほぼ例外なくキリスト教国です。
キリスト教の価値観における「罪」はすべて「神の意思に逆らったこと(つまり、汝殺すなかれ、という十戒に逆らったこと)」であって、人を殺したことそのものが罪ではないのです。
したがって、罪に対する罰も神のみが与えうる。だから、新しい犯行を重ねないように終身刑にして社会から隔離すればよい、最後の審判の日が訪れれば、神の手によって罰が加えられる、そういう考えがあっての流れなのです。

無論、国民皆がこの考えに納得しているのならそれでもよいでしょう。しかし、日本でこの考えが受け入れられるとは到底思えません。(私も受け入れられません)

死刑廃止を口にするとき、この点も考慮に入れる必要があるでしょう。問題の事件の新しい弁護士も、熱心なクリスチャンであると聞いています。

キリスト教は一神教であり、他の教えや考えを尊重する、という点においては過去においても現在においても不十分です。(捕鯨の問題などでもこの問題が出てきます。)そのことも考えにいれて、死刑廃止論には当たらないといけない、と考えます。

いろいろと暴言を吐いてしまったように思います。不愉快な気分になられた方がおられましたら、改めてお詫びしたいと思います。妄言多謝。
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