都道府県穴埋めゲーム

僕の人生は終わりました。

かつて僕を教えた教師が言いました。
「二十を過ぎる前に良い師に出会え。そして学べ。それまでに誰とも会わなかった奴は、あきらめろ」
ハタチをすぎても、僕に「良い師」なる人物はあらわれませんでした。

師を得られなかった僕は、書物にそれを求めました。
何冊もの本の中から、
「三十を過ぎるまでになんでもいいから極めろ」
という言葉をみつけました。

この言葉を真に受けた僕は、いろんなことに挑戦しました。
しかし、そのどれもに失敗しました。
できると思っていたのです。「俺は才能がある」と信じていたのです。
若かったです。
若かったゆえに、僕は大馬鹿者でした。

今僕は、三十を過ぎようとしています。

振り返れば僕は、何一つ積み重ねてきませんでした。
特技はありません。
腕には技術もないし、履歴書に書けるキャリアもありませんし、
信頼できる仲間も友人もいません。
つまり、僕という人間はからっぽなのです。

しかし、これをお読みの方ならばこう仰るかもしれません。
「今からでも遅くないから何か学んだりすればいい」
「死んだつもりでゼロからはじめればいい」

本当にそうでしょうか。
年齢はあっという間に積み重なるし、それに応じて身体機能は低下してゆきます。
もう若いときのようにはいきません。
学ぶ時間は削られてゆくし、たとえ学び終えたとしても、
もうそのころには人生を折り返すときでしょう。
第一、なんでもかでもしくじって何一つ極めたことのない男が、これから何を極められますか。この年ばかり取った無能者に、これからいったい何ができましょうか。

「年四十にして悪(にく)まるるばそれ終わらんのみ」
四十を過ぎてもダメな奴は一生ダメだという孔子の教えです。近ごろはこの言葉ばかりが頭にこびりついて離れません。
二十から三十まではあっという間でした。
たぶんここからの十年など、もっと早いでしょう。いま僕の心には、
もはや人生が終わってしまったという絶望感しかありません。

近ごろでは、例の秋葉原の事件を起こした容疑者のように、いつか自分が暴発してあのような残虐行為に走るのではないかと、
自己不信にさえ陥るようになりました。
自分がどこかでのたれ死ぬのはいっこうかまいませんが、それでは(こんな馬鹿野郎でも)育ててくれた親兄弟親類縁者や恩師に申し訳がたたないし、まして他人を傷つけるなど絶対嫌です。

あまりにも馬鹿げた質問なのは承知しています。
しかし、僕には相談できる相手もいませんし、僕はこの問題を自力で解決できるほどの知能は持ち合わせていないのです。

僕はどうしたらいいんでしょうか。
助けてください。

A 回答 (23件中1~10件)

質問を読んで、本当はすごく前向きでポジティブな方が一時的にへこんでいるだけだとの印象を受けました。

物にならないし失敗するけどチャレンジし続ける、それも一つの生き方です。そんな自分を肯定して、少しのんびりしてみてもいいのではないのでしょうか。
私の例で恐縮ですが、私も物にならなかった、失敗したということは数多くあり、それについて悩みも多いのですが、そのうちの1つを紹介します。
私は高卒です。大学に行ける学力はあったのですが、その当時の自分の軽率さのために行きそびれました。あとになってそれを後悔し、大学に入ろうとしましたがいろんな事情で結局行けませんでした。35歳を過ぎてからようやく通信制の大学にもぐり込むことができましたが、現役からずいぶん離れてしまっているので、授業の内容になかなかついていけず、また、仕事をしながらなので、7回生にしてまだ必要単位の4分の1も取れていません。来年には年限退学になりますが、再入学して勉強を続けるつもりですし、できれば大学院まで行きたいです。そうすると卒業まで一生かかるかもしれませんし、また、覚悟しています。(その分お金もかかります。)ちなみに20年ぐらい勉強している中国語は、去年やっと検定3級に合格することができました。
孔子の言葉をご存じなら、太公望呂尚の話もご存じではないですか?
一生かけて何か1つをものにする、それでいい、と最近思うようになりました。太公望のように70歳過ぎてやっと芽がでたら、もっといいんですが・・・。
アドバイスにはなってないと思いますがこんな人もいるということを読んでいただければ・・・と思います
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こんにちは。



xboytomさんが今まで具体的に何をされてきたのかよくわかりませんが、質問文を読んだ限りで私が思ったことを書かせて頂きます。

xboytomさんは今までの行動や勉強が、世間で言うところの「技術」とか「信頼関係」に結びついていないことに失望していらっしゃるのではないかと感じました。本当はその努力をされたことそのものが価値のあることなのですが、確かに履歴書だけ見ればただ遊んでいただけの人と変わらないのかもしれませんね。

それでも自暴自棄になって他人を傷つけない心はお持ちのようなので、私としては今のうちに外国に出て実際に多くの文化に触れてみることをお勧めします。できれば色々な国、しかも長期の方がいいですが、1ヶ月くらいでもいいです。今まで何のために努力してきたのかが何となくでも感覚としてつかめると思います。そうしたら次には何をすればいいのか考えられるようになるはずです。

今まで読んできた本、勉強してきたこと、まだ活かされていないだけで絶対無駄にはなりません。個人的にはあなたはきっといい方向に行けると思っています。まじめで素直という、普通の人にはなかなかない素質を持っているからです。
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 誰か有名な人の言葉に当てはまらないからダメだというなら、思想家の吉本隆明さんの言葉を贈りましょう。



「生涯現役」
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太宰治を読まれてはいかがでしょうか。

人生の孤独と悲哀が描かれています。
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私、師との出会いは50歳でした。



本当に必要なら、師は何歳でも現れるし、出会いがあることでしょう。
まだ、師に出会わないとすれば、まだ師の必要性がないと言う事でしょう。

もっとも、漠然と待っていても師など現れませんし、見つかりもしない事でしょう。
どの様な師が欲しいか、はっきりしないと・・・

また、師は難しいです・・・
中国の諺に、師は取るな、弟子は取るな・・・と言うものがあるそうです。

師の選択を誤ると、人生を棒に振ります。
何処かの宗教みたいに、サリンなどと言うものを蒔く羽目にもなります。

その辺の事もよくよく勘案されて、師を探されますように。
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不謹慎だが、文章を読むに、貴方には文才があると思う。



一度小説を書いてみてはいかがか?

まだまだ物にできるものはある。
諦めずに目標を持って頑張ってほしい。
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>第一、なんでもかでもしくじって何一つ極めたことのない男が、これから何を極められ


>ますか。この年ばかり取った無能者に、これからいったい何ができましょうか。

ここの発想が間違い
「極める事」を目的としているから物事失敗する
大体できる人ほど「極める」という言葉を避けます
これは「極める」という事がどれだけ難しいかを知っているからです
たった一つの事でも人生をかけて極める事ができるかどうか・・・

それに「極める」とは、何か好きなものがあり、それに集中しまくり、結果「極める」のです


今までに色んな事にチャレンジされてきたんですよね
その中で何(どんな意味)があったのか、そこに気がついていないのが問題
もしかしたらら物凄く広く浅くチャレンジされてきたのかも知れません
それで得られる経験もありますが、「極める」に到着する為の経験には繋がらない可能性大
よくあるのが、広く浅いチャレンジでは「極める」には繋がらないと気がつく経験になり易い


先述の通り「極める」という行為は究極であり、そんな簡単な事ではありません
現時点で「極めたい」と思う行為すら見つかっていない様子ですしね

そこで一つご質問者様に言葉を送りたいと思います

 「BestよりBetterを求めよ」

変な虚栄心があるからBestを求めてしまう
またBestとは非常に難しいものであり、到達しずらいモノである為、失敗し易い
だからこそBetterを求める
AとBを比較してどっちがいいかを判断し、それを求める
状況や現在の自分の能力、先の展開等を考慮してBetterなモノを求める
これを意識すると生きていき易くなります
また、これは「極める」に繋がりますよ
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一つだけ大きな問題があるとすれば、質問者さまが求めているものが


極めて抽象的だというその一点のみ。

人は「偉人」になるのでなく、何かを成し遂げて偉人と呼ばれるだけです。
人は金持ちになろうとしてなるのでなく何かを通じて金持ちになるのです。
人は幸せになろうとして幸せになれるのでなく何かを通じて幸せを
感じるのです。

人は頑張ろうとして頑張れるわけではない。求めるものがあるから
頑張れるのです。

基本的に自分の価値観と他人の価値観が混在しているのではないで
しょうか。他人が認めることでないと自分にとっても価値が無い。だから
まず他人に認められたい。そう考えていると目標自体が定まらない。

まず、今晩何を食うか。
第一目標 美味い焼肉
第二目標 今まで食おうとおもっていけなかった池袋のラーメン
第三目標 デパ地下で買ったまい泉のかつサンドとトマトサラダ

そういうあたりから自分の意思を実現することを考えましょう。

それと、整理しなくちゃいけないのは
「やるべきこと と やりたいこと」

おそらくは、やるべきことを先送りにしてきた結果、やりたいことをやる
時間がなくなってきているのでしょう。
もうしょうがないから、謝金返済以外のやるべきことは後回し。
捨てることのリストを作って頭の中から消去。そのうえでやるべきことを
しっかりやりましょう。

そういうふうにして皆生きてます。たいしたことないです。
そうやっていくうちにすっきりしますから。
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>僕の人生は終わりました。


 そうですか。終わったんですか。ご苦労様でした。

>僕はどうしたらいいんでしょうか。
>助けてください。
 あれ、終わったんじゃないんですか。結局、「どうしたらいいか」をききたいんですよね。

まとめると
1.二十歳までに「良き師」に出会えなかった。
2.三十(歳)すぎるまでになんでもいいから極めろ
>ということばを信じいろいろやってみたが極められなかった
3.四十を過ぎてもダメな奴は一生ダメだ
>という孔子の教えに怯えている。
というわけですよね。

それに対するわたしの感想。
1.「良き師」はいつでもどこでもいる。要はあなたに「感じ取るこころ」があるかどうかです。人は新緑の葉から滴る水滴にも万物の理(ことわり)を感じ学ぶことができる(と思う)。「感じ取る力」は内省力です。いくら外部にもとめても、ましてや目の前に「師」たる人(物)がいても、この「感じ取る力」なくしては一生どころか何度生まれ変わっても「出会い」はない。まず、「師」を外部に求めた時点であなたは負けを約束された。だから今「敗北感」に満ちている。
2.三十(歳)までに極められるものは何か。形而下的に云えば
 ある種のスポーツ
 囲碁、将棋、麻雀系のゲーム、賭け事…
 数学、物理、プログラミング…
あたりでしょうか。これはほんの一握りの才能に恵まれた人たちが、その他大勢の他者より抜群に優れているという「相対的優位」を意味するにすぎない。ほとんどの人は「負け」ているものです。質問者さんはこういうことを言っているのかいな。頭の悪い人(失礼!)の質問って自分で分かってないから、意味が焦点に集まらず拡散するから、答える方も落ち着かないな。どういったものをどうなれば「極める」のかという「補足要求」をします。まあ、答えられればの話だけど(期待はしてません)。
3.四十(歳)すぎて「ダメ」とは何を指すのか。40歳で、働いていて、妻と子どもが二人くらいいて、家にローンが25年くらい残っていて、子どもの教育費に結構かかるから趣味にかける費用を削れとことあるごとに妻に言われている、大してうだつの上がらない平均的日本人の男(ちなみにわたしのことではない)は、質問者の言う「ダメな奴」なの。じゃ、そこらじゅうダメな奴だらけじゃない。そういうこと言ってるのかなあ。孔子の生きた時代の平均寿命は多分40歳くらいで、人生の幕引きの時期に何事かをなしていなければ「ダメ」ということなのかいな。多分、前後の文脈があるそうだけど、質問者にその「補足要求」して応えられえるだけの「力」があるのかな。これも応えられたらでいいから応えて。

いろいろ理屈をいうけれど、結局、「自分は当初思っていたことが何一つ『満足できるレベル』には至っていない、「どうにかして」ということじゃないのかな。違ってるかな。
「どうにかして」っていっても「誰もどうにもできない」相談だよね。自分の文章を客観視してみてそう思わないかな。で、あろうことか自分のストレス耐性のなさを棚上げして、「自殺したらみんなに申し訳ない」などと口走る始末。他の「道学者さん」達みたいに「甘ったれるな」とは言わないものの、こういうのをどこかで「青春病患者」と言っていたなと思いだすくらいかな。

だけど(上のように辛辣なことを記したしたけれど)、別に「あまりにも馬鹿げた質問」だとも思っていない。それは通過すべき、クリアすべき「ハードル」だと思っている。

そろそろ処方を…
まず、

>振り返れば僕は、何一つ積み重ねてきませんでした。
>特技はありません。
>腕には技術もないし、履歴書に書けるキャリアもありませんし、
>信頼できる仲間も友人もいません。
>つまり、僕という人間はからっぽなのです

という、今はやりの軽佻浮薄な表現を借りるなら、「自分をあまりネガティヴにとらえ過ぎない」ようにすることが大切。とはいえ、「向上心があるから」こういった「ネガティヴ」な感情が出てくる。ある意味「正常な反応」なんだよね。でも、これも程度問題。自己評価の低すぎる人は、「魅力がない」ものです。人も寄ってこないし、ましてや女もそう。あまり自分の自分で貶めない。もっと言えば、自己卑下から肯定的なものは生まれにくい。こえは古今東西もっとも真理に近い。自己卑下や自己憐憫は「クセ」になるから注意しよう。自己卑下している時間は確実に質問者の「進歩」は止まっている。無駄なことをするには「人生は短すぎる」。

あまり質問者のことを論うばかりだと、説得力がないから「わたし」のことを少し。

わたしの「師」は、
1.まず書籍。木造家屋が毎日きしむくらいの本がある。(最近、オークションで売りに出した;;)
2.自分で勝手に「師」だと思っているひとは3人。自分で「すごい」と思った人(詳細は膨大で書けない、書かない)。その人の存在が現在の自分を規定している。もちろん自分で選んだわけで当の「師」にはそういう思いは伝えてはいない(当たり前)。

「極める」について
1.現在探究している「テーマ」がいくつかある。多分、死ぬまでに「満足できるレベル」にいかないのは確定。でも「探究」していることには満足している。(ところで、応えていてばかばかしくなってきたけれど、その「何冊もの本の中から、『三十を過ぎるまでになんでもいいから極めろ」』いう言葉をみつけました」らしいけど、具体的に書名を書いてもらえるかな(補足要求)。個別に粉砕します)
2.「極める」などと肩肘はらずに、他の道学士先生方の言うように「好きなことに集中」してみればいいじゃない。昔ね(自分のこと)、一世を風靡したような吉本隆明(まだ存命じゃ)という評論家が、「一つのことを10年間真剣にやればその道の専門家になれる」とどこかで書いていた。また、「あることが自分に向いていないというのは、10年間真剣に向き合ってなおかつ物にならなかったとき初めて言えることだ」などということばを真に受けて現在に至っているわけです。

なんか面倒くさくなってきたから、そろそろ結論。

>助けてください。
助けられません。この世の誰もあなたを助けられません。乾いたこころは自分で潤す(潤す方法を見つける)しかないのです。なぜなら、誰かに教えられたら、きっといつかどこかで「自分にあっていない」という不満がでます。
>僕はどうしたらいいんでしょうか。
質問の仕方を工夫しましょう。本当に困っているにしても、回答しやすい質問を工夫するくらいの余裕はあるでしょう。

(教訓)正しく質問しないと正しい回答は得られない(アラブの諺の変形版)

不尽。
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気持ちはわかるのですが、その考え方自体が全てをダメな方向に動かしている気がしてなりません。


相談できる相手がいないと思うからいない、
問題解決できる知能がないと思うから出来ない、
ってことはないのでしょうか?

まずは、本来の自分を見つけるところが必要だと思いました。
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