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閻魔さんでよく知られる十王信仰について教えてください 私のところでも古くはこの信仰が盛んであったようでして堂屋もあったようですが今では村のお寺に十王の像が祀られるだけで礼拝する人もないようです。 七日毎に裁判官が変わる裁判が開かれる中 遺族親族は何とか罪一等を減じてもらうために堂屋に詣でては祈ったと聞きますがその願いをどんな仏さんに向かって祈ったのでしょうか。 七日毎に変わる裁判官では節操がないようにも思えるのです。 私としては観音さん(たくさんの観音さんがありまして私には特定できませんが)に向かって という風習があることを期待しています。 更には現存する十王堂(閻魔堂)に観音さんが十王と同居する事例はないでしょうか。

A 回答 (1件)

こんにちは、はじめまして。


お求めになられる回答とはズレてしまうかもしれませんがご容赦ください。

ご承知かとは存じますが以下に列挙しますのが十王です。
()内に記したものはそれぞれの王の本地(本来のお姿)です。

初七日・・・秦広王(不動明王)
二七日・・・初江王(釈迦如来)
三七日・・・宗帝王(文殊菩薩)
四七日・・・五官王(普賢菩薩)
五七日・・・閻魔王(地蔵菩薩)
六七日・・・変成王(弥勒菩薩)
七七日・・・泰山王(薬師如来)
百ケ日・・・平等王(観世音菩薩)
一周忌・・・都弔王(大勢至菩薩)
三回忌・・・五道輪轉王(釈迦如来)

十王と申しますのは本来、悟りを開かれた如来であり、また菩薩なのですが、飽く事無く生死を繰り返し仏の悟りに達しない凡夫を憐れんで、本来のお姿を御隠しになられ憤怒の形相を顕し衆生が冥土に赴く道々に坐して初七日より七七日、百箇日、一周忌、三回忌に至るまで、順次亡者を請け取りその罪業の軽重を量り、亡者の生まれ変わる場所を定める御役目にある仏です。

また極悪・極善の亡者はこれら仏達の面前にて裁判にかけられる事無く死してすぐに浄土、もしくは悪道に堕とされるとの事。

追善供養とは亡者が生前に積み残した善根(徳を積む善行)や、犯した罪障を軽減・消滅させる為に遺族達が亡者本人になり代わりこの世にて善根を積み、少しでも亡者の穢れを払い清め成仏を願うもの・・・。

それぞれ裁判の日に合わせて各王の本地仏に祈るというお考えもあるとは思います。しかし、愚考するにどの仏・菩薩を対象に祈りを捧げるのがベストかというのは問題では無く、それぞれが信奉される仏・菩薩、もしくはご宗旨毎に祀られるご自宅の御本尊に向かって経文及び題目もしくは念仏を唱え追善菩提を念じる事、そして何より大切なのは残された者達が日々の生活に於いても悪事を為さず正しく生きる事こそが肝要であるように思います。亡者の魂の浮き沈みは現世に生きる我々の行いに掛るものと云われます故。

私の考えは以上でございます。
質問者さんのご疑問は晴らすには程遠い回答である事ご容赦ください。

この回答への補足

補足させていただきます 元禄の絵図によりますと十王堂あるいは”どうやしき”と書かれた一角が街道沿いにあり信仰があった様子です。 現在はと言いますとその一角は宅地になっていて その堂屋に祀られたであろう十三王が村の寺にある観音堂に二十四体の観音さんと一緒に祀られているのです。 火災などで十三王の祀り所が当座はということで観音堂に移されそのままになったものか そうではなく追善にあたって観音さんにお願いすることが当地では一般的であったことから一緒に祀ることが合理的(追善する遺族にとって)と考えたのか を考えています。 お寺の行事として観音さんを祀る”りんごまつり”が8月にありますがこれまでに十王、十三王にまつわる祭祀は聞いたことも見たこともありません(年齢が80代の方も記憶にないとのこと)

補足日時:2009/11/25 17:17
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