【あるあるbot連動企画】あるあるbotに投稿したけど採用されなかったあるある募集

「君が代」を歌いたくないだの、歌うのは信条に反するなど、いろいろと難癖をつける人たちがいて暗礁に乗り上げている感じなので、いっそ新国歌を作ったらどうなのでしょうか?
本当は戦後体勢が始まってからすぐやりゃよかったと思うのですが、なんで怠ったんですかね。
今からでも、時代にふさわしい、天皇家を中心にした歌詞ではなく、もっと日本と言うものをとらえなおしたものにすればよくありませんでしょうか。もちろん曲も然りです。ふるめかしい雅楽調であることも必要ないでしょう。

なぜ、こういう議論が今まで出てこないのか逆に不思議なのですが。どうしてでしょうか?

A 回答 (17件中1~10件)

新国歌の提案は、昭和20年代などにいくつもあったそうです。

下記のほか、毎日新聞や朝日新聞もそれぞれ新国歌を募集して発表しました。

a. 緑の山河(昭和26年)クリックすると曲が流れますので、あらかじめ音量にご注意ください。
http://bunbun.boo.jp/okera/mawa/midori_sanga.htm
b. われら愛す(昭和28年)クリックすると曲が流れますので、あらかじめ音量にご注意ください。
http://utagoekissa.kir.jp/wareraaisu.html

a.は日教組が提案したもので、今でも歌われています。あまり広まらなかった一因は、文部省につぶされたせいもあるようです。b.は壽屋(今のサントリー)が提案しました。私企業の提案だったので、広まらなかったのでしょうか。
というわけで、ご質問者のおっしゃる「こういう議論」はかつてあったのですが、国が推し進める「君が代」を凌駕するには至りませんでした。文部省による攻勢については、下記のサイトに少し載っています。

1977年 君が代の国歌化(法学館憲法研究所)
http://www.jicl.jp/now/jiji/backnumber/1977.html
(引用開始)
しかし、新しい国歌制定の民意は、「逆コース」の動きの中で封じ込められて行きました。(中略)
53年には、旧内務省出身の大達茂雄氏が文相に就任し、文部省内の人事や空気が一気に「内務省化」しました。(中略)
この「君が代」が「国歌」として位置づけられたのが、77年の学習指導要領の改訂の際です。(中略)
これにたいして、政府の法解釈責任者のトップである内閣法制局長官は、国会で「文部省が、あるいは文部大臣が特定の歌をわが国の国歌であると決める権限を持っていらっしゃるはずはございません」と答えています
(引用終り)

下記質問に対する私の回答もご覧いただけると幸いです。

国歌
http://okwave.jp/qa4272340.html
国歌国旗に反対の先生達は国際試合での国歌斉唱についても反対なんでしょうか?
http://okwave.jp/qa4746044.html

文科省サイトの関連ページのURLは次のように変わっています。

諸外国における国旗,国歌の取扱い
http://cebc.jp/data/education/gov/jp/tsuuchi/199 …
国旗及び国歌に関する関係資料集(文部省初等中等教育局、平成11年9月)
http://cebc.jp/data/education/gov/jp/tsuuchi/199 …

新国歌は、公募もいいですが、大詩人や大作曲家に委嘱してつくってもらえばいいのにとも思います。西脇順三郎とか武満徹とか、世界レベルの芸術家に。いや、お二人とも亡くなってしまいました。
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アメリカ人の友達に「君が代は暗い」


と言われたから、もうヤダ。
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この回答へのお礼

私も同感ですね

お礼日時:2009/12/02 15:08

今の「君が代」で何の問題もないと思います。


いろいろと難癖をつけたがる人は(声は大きいですが)少数派ですので、気に入らないのなら日本から出て行ってもらえばよいかと思います。そのほうが新国歌を導入するより簡単ですし、合理的です。

国歌に手をつけるとすれば、ギリギリ譲歩できるのが歌詞を現代語訳することぐらいですが、分かっていない人が訳すのならやめるべきでしょう。

国歌とは別に、応援などの場でもっと気軽に使える曲を作るというなら賛成です。その場合も、きちんと日本という国がわかっている作曲家(例えば、すぎやまこういち氏など)が作るのが大前提です。
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>天皇家を中心にした歌詞ではなく、



 国歌「君が代」の何処が天皇家中心の歌詞か理解に苦しみます。君=天皇なんて議論にはあきれます。君=貴方で、本当は目上や年上の方への尊称です。天皇は大王(おおきみ)で「きみ」ではありません。語感からだけで判断されては、マインドコントロールされ、世論操作に利用されるばかりです。戦争に負けたからと言って、全てを否定する勢力が未だ健在なのには大いに驚かされます。

 欧米の価値観は、9.11と共に終焉したと思われます。そのダメ押しが、米国発金融危機なのです。今後は「キリスト教的正義」から、その地方の伝統的正義が求められるようになる時代が来るような気がします。未だにパールハーバーが、だまし討ちと言っている価値観は、もう通用しなくなります。

 戦後の価値観を作り上げたのは、米国の占領政策であり、レッドパージで追われた、ニューディラーが中心であったことを考慮すれば、単に戦後の民主主義が共産主義の隠れ蓑であったことが分かります。それから60年以上経過したのに、国歌の本当の意味すら理解されないなんてなんてことなのでしょう。以前永六輔さんが、国歌をアレンジしてラジオで放送したことがあります。非常に軽快で楽しい曲になっていたことを付け加えます。
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小室哲哉氏に作詞作曲を依頼してもよいでしょう。

でも国歌斉唱は直立不動ではなく歌って踊れるが必須です。

筒美京平氏作曲松本隆氏作詞でも良いけどアイドルに国歌斉唱を頼まないとダメです。
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この回答へのお礼

威勢のよいものにするようにしたいものです。だいぶ受けは違うでしょう。

お礼日時:2009/12/02 15:12

「岩を」じゃありません。

巌(いわお。歴史的仮名遣いは「いはほ」)です。間違えようがないと思うのですが。よほど君が代が嫌いらしい。
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天の世は 千代に八千代に さざれ石の 岩をとなりて コケのむすまで



◎天空の下に生きる人々の繁栄と長久を願う歌となりますよね
まぁ~天の字から天皇を連想する人が居ても支障は在りません。
かくして日本人は新国歌、天の世 により一致団結して地球不況

を克服した・・・と未来の歴史に記される。のかなぁ~
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> 今からでも、時代にふさわしい、天皇家を中心にした歌詞ではなく、もっと日本と言うものをとらえなおしたものにすればよくありませんでしょうか。

もちろん曲も然りです。ふるめかしい雅楽調であることも必要ないでしょう。

全くその通りです。100%同様の考え方を私も持ってますよ。

実は君が代は国民主権原理と齟齬をきたしています。
君が代の『君』とは明らかに天皇、若しくは日本の絶対権力者個人を指しており、この君が代を国歌として採用すれば、君が代は国の絶対権力者の治世が末永く継続する事を願い、彼を支持・補佐する人々は彼を懸命に支え行く、、、こういう思想を表現する歌となります。

この解釈をゆがめる為に色々な試みがなされてきましたが、上記の解釈は厳正中立・公正無比の立場からして厳格に妥当である為、その試みは充分な成果を上げていません。

君が代で謳われている思想の中の、日本が国として末永く続く事は多くの国民の支持する所ですし、その国の継続に国民が協力して参加しようとの意志も多くの国民に支持されるはずの物です。
ですから、君が代の歌を全般に渡って解釈すれば、問題となるのはただ一点、君が代の歌詞の文面中冒頭の『君』という文字唯一つに問題点が集約されます。

ここさえ変えれば全て解決します。あとは変更の必要さえないマットウな思想です。
冒頭の『君』の部分を例えば『我ら』と変更してみれば、あと何の変更を加えるべき必要も無く、国歌は国の理想を表現する歌となり、この歌の思想に反する人々は国賊と言い切ってもあながち間違いではなくなりますね。

君が代は 千代に八千代に さざれ石の 岩をとなりて コケのむすまで
我らの世は 千代に八千代に さざれ石の 岩をとなりて コケのむすまで

それからメロディの変更も希望したい所ですが、こういう短すぎる歌詞ですので雅楽調に長々と言葉を引き伸ばす手法もありかな?とも思ったり、中国国歌風の低知能人民扇動調のメロディでもゲッと来ますので、メロディ変更はよほど上手い作曲家にでも頼らない限り、国民一同の賛同を得るに至るには難しいかもしれません。


ちなみに「我ら」でなくとも「我が(わが)」でも良いし、「和人(わじん・わびと)」でもOKだし、「ヒノモト」でも「ニホン」でも良い。
質問者さん、なんか良い言葉、思いつきません?
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新国歌を作ろうという議論や運動は今までも何度も出ていますよ。


マスコミが取り上げないから知られていないだけです。
古いところでは西岡たかし氏の「遠い世界に」もそうです。
長年多くの人によって運動されているものでは「故郷」(唱歌)を
国歌にというのがあります。長野オリンピックでは最後のほうで
斉唱されましたね。
ちなみに「君が代」を国歌に制定した時代の役人は「主君」という
意味だと思ったようですが、万葉集の思想から言えば短歌における
「君」は恋人の意味だということも長年多くの人が主張されている
ことです。
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嫌がる人間の主張は全てトンデモ論理なので君が代を外す理由には及びません。



歌いやすい高さと全て和音での構成に旧さは関係無いのです。
複雑な音楽や論理を振り回しているとこういう余りにも優しいものを見ると拒絶したくなる気持ちも分かります。

捨ててしまった大事なものが君が代と言うのを分かるにはまだ時間がかかりそうですね。
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