最速怪談選手権

プラモデルには 現実,非現実問わず多種多様のものがあります。
戦車や戦闘機などの実在の兵器、アニメに登場するロボット、車バイクなどの乗り物、建造物などがあります。
そのうち戦車や戦闘機などは現実世界で人の生死に深く関わっています。
これらの模型をつくることはモラルという点で責められるべきなのでしょうか?

また、モラルという点で比較すると現実世界の人間の生死に一切関わっていないガンダムなどのロボットのプラモデルは、実在の兵器のプラモデルよりも”マシ”なんでしょうか?

みなさんの意見を聞かせてください。

A 回答 (7件)

 プラモデルとモラルの問題ですが、実戦を経験した人から見ると、プラモデルであっても兵器を見るのは嫌だという人がいます。

戦時中の嫌な記憶を思い出すからでしょう。

 しかし、子供の視点で見る限りはプラモデル作りは趣味や娯楽であり、戦争と繋げて考えない方が良いのではないかと思います。プラモデル作りはオモチャを創作する楽しみであって、戦争とは無関係な遊びです。男の子はカッコいい兵器が好きなだけで、戦争の好き嫌いとは別問題です。

 私も子供時代は数多くのプラモデルを作りましたし、ジオラマを製作して写真撮影していた時期もあります。しかし、現実に兵器に乗って戦争をしたいとは思いません。あくまでも遊びとして楽しんでいただけのものです。戦争というハイリスクな賭けで生命を危険に晒すのは愚かだと思います。

 プラモデルを作るのは好きでしたが、実際の兵器展示会上に行って本物の兵器を見ようとは考えない方です。本物の兵器を見なかったわけではないですが、どうも本物の兵器はプラモデルとは違って現実の重みが大きいせいか、遊びが入る余地がありません。戦争の歴史の忌まわしさが感じられるからです。

 アニメのロボットが現実の兵器よりもモラル上マシであるかという問いですが、そういう認識は仮想現実が殺人事件に繋がっている現在では、逆に危険だろうと思います。オウム事件の例がありますし、アニメ映画の話が軍の政治宣伝に使われて現実の戦争に繋がったのが第二次世界大戦だったという歴史的事実を忘れてはいけません。

 むしろ、実在した過去の兵器のプラモデルを作る方がモラル上も健全だろうと思います。なぜならば、過去の戦争で使われた旧式な兵器が、戦術も作戦も大きく異なるハイテク兵器時代の現在の戦争で再び使われる可能性はほとんど無いからです。

 プラモデルが好きな人は実際に戦争を戦いたいとは思わない人が多いようです。ナイフや銃を集めている人の方が危険な方向に走りやすいのではないでしょうか。
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そういうことを考えながら作ったり眺めたりするのは良いことではないかなと思います。


逆に何も感じないとか言うのも変ですね。

しかし兵器でも、製作者の美しさとか強さとかいう形への思いは投影されているわけで、そういう物は観賞に値するのではないかとも思います。

戦争の良くないところとか歴史の客観的な判断とかそれはそれでしっかり考えての上ならば良いと思います。

私のクロスカントリースキーの板を眺めて「北海道の自衛隊にいた頃を思い出すから大嫌いだ」と言う知り合いがいたのですが、それと自分とは関係ないとは言え、その人はそういう気持ちでいるんだなということは知っていて良かったとも思った物です。

「ドイツの機械はかっこいいからナチもかっこいい」だとか「ナチは悪いからドイツの機械も悪い」という発想からはちょっと離れたスタンス・思考というのは大事なんではないかとも思います。
反面、広島型原爆の模型がかっこいいと思えるかというとそれもあり得ないように思うのです。
複雑な気持ちとか、矛盾する考えとか、人間の中には同時にある物ではないでしょうか。
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別に気にする必要は無いと思います。


あなたの論法で言えば、極端な話、殺人や戦争映画を撮って、大多数の人に見せることは兵器のプラモデルを作るよりもっと大問題になりませんか?
私は昔、LSとういメーカーの拳銃のプラモデルを作る事を趣味にしていました。内部のメカニズムや、その銃の設計や時代背景を調べたりすることが楽しかった。そして市販の塗料でいかに金属に見せるかの技術も培いました。所詮は模型ですし、個人で楽しむ事に何の障害ありましょう?責めを求める人もいないでしょう。
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所詮はオモチャです。

何でもかんでも「けしからん」として、規制しようとする人間が
増えてきています。だからこそ、こんな質問が出てくるのでしょう。アニメキャラに人権が
というのと同じです。虚構と現実の区別をつけましょう。

まずは「モラル」とは何なのか。質問者にとってそれを考え直す契機になるでしょう。
熟慮を期待します。
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以前、故 小松崎茂さん(プラモデルの箱絵の第一人者)と何度かお会いしたことがあり、


ある時、平和主義者の同席者が、
「何故、小松崎先生は戦艦や爆撃機などの兵器の絵を描くのですか?」と質問した時のことを引用します。

その時の答えは、戦後間もない頃に遡るそうですが、
「日本は物資が乏しく戦争には負けたが、
先人たちは欧米と互角以上に張り合える技術(兵器)を築いて来た。
これからは兵器では無いにしろ、
君たちはまた、世界に誇れる技術を開発出来るんだ、諦めるな! 頑張れ!」という、
敗戦や身内を亡くしたりして落ち込む少年たちを応援する想いで描いたと述べていました。

一理あると思いました。

例えば「零戦」と言えば、世界トップクラスの旋回能力を持っていたことは
当時の少年ならば誰もが知っていること。
(不時着した零戦を回収、研究され、グラマンに対抗機を造られるまでは恐らく世界一)

戦後、GHQにより航空機開発を禁止されていましたが
零戦の模型を手にして遊ぶ少年には
「日本だってその気になれば、世界一良い飛行機を造れるんだ!」の気持ちが湧いていたに違いありません。
その心意気と惜しまぬ努力が戦後の経済成長を支えたと言っても過言ではないでしょう。

過去、戦争体験者の世代の方達がそれらのプラモを見て
嫌悪感を抱いている様子を感じたことは無かったです。

ただ、流石にエノラゲイや原爆、水爆、火炎放射器、ナパーム弾など
いかにも敵国の兵器プラモであれば「モラルに反する」という感情が湧くと思います。

戦勝国にとっては「兵器プラモ=モラルに反する」の図式は成り立たないと思いますが、
ドイツでハーケンクロイツ(逆卍)にモザイクが掛かるように
日本ではそれらの非人道的兵器は拒絶反応を受けるでしょう。

また、ガンダムやエヴァンゲリオンの世代でないからかも知れませんが、
それらはターミネーターと同様に「想像の産物」なので
兵器という感覚で捉え辛いもの(玩具?)に思います。

例えば「これ一個で地球が粉々になる爆弾」のプラモがあったとしても
モラルに反すると言い切れない感覚に似ています。
警察や自衛隊が所有している銃などの殺人兵器も兵器ですが、悪ではありません。

「天安門事件 戦車と人民の事実セット」なんかがあったら
モラルハザードに大きな一石を投じることになるのでしょうが。
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そもそも兵器ってモラルに反しているのか疑問です。



兵器は戦争の道具でもありますが、
おおむね、現代においては「自国防衛のための道具」です。

兵器=戦争=よくない という観点で兵器をなくしてしまえば、
先の尖閣諸島問題とか、竹島、北方領土問題などというのは、
守れずに丸裸になりますし、自国防衛は国際的にも認められた権利です。
※今回の領土問題の件は海上保安庁ですが、自衛隊も監視には出ています。

植民地時代と違い、現代は他国を軍事的に奪う行為は禁止されています。
また、昔であってもそれはその時代の考え方もありますし、
世界はまだ広かった時代ですから、
早く未開拓の地へ行って領土を広げた方がいいんじゃないかという
考え方は理解できなくはないです。

元々男子は機械などが好きですし、
車でも消防車とか特殊車両好きだったりしますよね。
でも火事が好きで、犯罪が好きで特殊車両が好きなわけではなく、
純粋に「かっこいいな」って思っている人が大半だと思います。

エアガンマニアや武器(槍、刀など)マニアなどもいますが、
別に人殺しが好きだからと言うより、そのものが好きなはずです。

深く言えば、車だって年間1万人の死者を出しているわけですから、
遺族にとってはいい感じはしないでしょうし、
飛行機だって墜落事故、船だって沈没事故、
城は昔の要塞ですし、甲冑は昔の軍事的な装甲服ですよね。

映画だって死人が出るシーンは珍しくないですし、
サスペンスなんて毎回人が死んでますし、名探偵○ナンなんて、
アニメなのに死体だらけ(笑)
実際、似たような事件に遭遇した家族からすれば面白くはないでしょうね。

変に敏感になることはないと思いますよ。
考えすぎず、趣味は趣味として楽しんでいいと思います。
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昔、趣味で複数の戦車などのブラモデルを作って、戦場を再現して写真を撮ってたけど、モラルの事を言われた事はないですね。


所詮はブラモデルなんで。
ただ、最近は第二次世界大戦の頃の戦車、戦闘機のブラモデルが無いのは、その辺りが関係してるのかな?
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