準・究極の選択

以前私が行った質問「恋は『駆け引き』するもの?」(http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1285564)への回答の中で、#10のfrauさんが「恋は自分のため、愛は相手のため」という言葉を紹介して下さいましたが、その通りだという気がします。恋と愛は別物だと思います。よく「恋愛」と一括りにされてしまいがちですが、恋をしているうちはまだまだで、相手に対する愛を持つに至って初めて恋愛といえるんじゃないかと思います。

最近TVで観た2本の映画でも、また以前読んだ小説でも、これと同じテーマが扱われていると思います。

映画は『半落ち』と『ザ・ロック』。方や重厚な作りの日本映画、方やテロリストとの戦いを2人の名優、ニコラス・ケイジとショーン・コネリーが演ずるアクション大作。一見全く違うタイプの映画ですが、共通点は「誰かを守る」ということで、前者ではセリフの中に頻繁に「あなたには守るべき人がいますか?」という言葉が登場しますし、後者は守るべき人(婚約者、娘)のために戦う男達の姿を描いています。

また、小説『いま、会いにゆきます』の中でも、澪(妻)から、私は幸せだった、初めて好きになった人と結ばれて、こんなに愛らしい男の子を授かって、そして今でも一緒に幸福に暮しているんだからと言われ、巧(夫)は、自分は不具合を抱えた人間だからきみは幸福だったのかな、と心の中で思います。澪は「あなたは幸福?私はあなたを幸福にしているの?」と訊きます(P.146)。

私は独身なので分からないのですが、結婚する真の目的って、実は自己満足することじゃなくて相手を守りたいからなのではないかと最近思うようになりましたが、真偽のほどは実際どうなのでしょうか?

また、あなたには「守るべき人」はいますか?またそれはなぜですか?

A 回答 (1件)

結婚する、ということを単純に現実として考えれば、究極の目的は「自分の子孫を残すため」ということになるのかと思います。



では、それだけなら誰でもいいんじゃない?と思うかも知れませんが、結局人間には道徳や倫理もありますし、動物的にも一生子供を含めて家族を良質に保たなくてはいけない。だから限られた相手になる。それが結婚の「真」の目的かなと。

相手を守りたい、という考え方も、行き着けば家族や子孫を良質に保ちたい、というところから来ているかなと思います(現実的過ぎですね…)。

つまり種の繁栄 → 良質であって欲しい → 一生を支えあい守りあえる人 → つまり自分にとっても無償の愛情を捧げられる人というように噛み砕いて考えるのはどうでしょうか。そういう意味では、「相手を守りたい」という考えにたどり着きそうですよね。

とはいえ、今ではDINKSのように子供を持たず共働きで一生生活するような夫婦も増えていますし、単に種の繁栄という考え方ではないのは事実ですけれど…。

恋と愛の違いはそこに対する責任感や相互性の違いというのもそういうことだと思います。

恋は一方的にもできるし、それに対して責任を負う必要もありません。一方愛は見返りを求めずに自分を預け、かつ相手も預かれる包容力で、相手に影響を与えている以上責任も伴ってくる、みたいな。

結婚はそれが分かりやすい形になったものですよね。自分の人生の半分を相手に与え、相手の人生の半分を自分が責任持つわけです。

あくまでも私の個人的な考えですが、いかがでしょう…。
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この回答へのお礼

上から4つ目の、「つまり種の…」で始まるパラグラフで、「相手を守る」とは具体的にどういうことなのかを示して頂けたと思います。とても分かり易くご説明頂き、また、論旨も明快だと思いました。ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/27 16:01

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