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太平洋戦争で有名なゼロ戦は戦時中は「レイ戦」と呼ばれていたということを聴いたのですが、これと同様に例えば、ゼロ戦の場合、二一型や
五二型等がありますが、この型式は「ニジュウイチ型」と呼ぶのが正しいのか、それとも「ニイイチ型」と呼ぶのが正しいのか、どなたか教えてください。また、紫電二一型などの他の戦闘機も型式の呼び方はどうなっていたのでしょうか?合わせて教えていただければ幸いです。

A 回答 (3件)

元、航空エンジニアです。



日本製航空機の呼び方は、戦後も変わっていません。

一般的な呼び方のゼロ戦を例にします。

ゼロ戦は、昭和12年に試作されたため、試作機の時の名称は「12試艦上戦闘機」でした。最初の数字が昭和の年数で、次の「試」が試作であること、その後が使用目的で、この場合「戦闘機」です。

昭和16年初頭に正式化しました。この時試作に着いた改称名が「零式艦上戦闘機11型」でした。この年が、日本が太古から使用しているとされる皇歴(初代天皇が即位した年から起算した年数)が2600年だったため、最後の数字「0」をとってこれを漢字の「零」と霊魂の霊にかけて、「零式艦上戦闘機」と着けたと聞いています。

この「零」という漢字、零という読みはないです。では何でゼロ戦なのか。ゼロ戦という言い方は、戦時中の戦闘機乗りが言いにくいから言っていた通称であった上に、戦後に、アメリカが零戦のことを「ゼロ・ファイター」と読んでいたことが知れたためと言われています。言いやすいですし、「れいせん」と呼ぶよりも。

そして後に付く数字ですが、10位が機体の設計(改設計)回数、1位がエンジンの変更回数を表します。

試作機の正式名称改正後は、当然初期設計で最初のエンジンですから10位が「1」、1位が「1」で「11型」になります。航空業界ではこれを「じゅういち型」と読みません。機体設計回数とエンジン選定回数をきちんと分けて「いちいち型」と読みます。

翼端を折り曲げられるようにした最初の艦載機は、1回設計を変更したので「21型(にいいち型)」、速度向上を狙ってエンジンのパワーアップと翼端を切り落とした機種が「32型(さんにー型)」、32型が航続距離が短すぎたので翼端を元に戻した(設計を元に戻した)機種が「22型(にーにー型)」、4は死を意味するので使わず、そのあとに機体設計を変えたのが「52型(ごーにー型)」です。他にも53型、63型、等もありました。

小改良をした場合は、「甲・乙・丙・丁」というような記号をつけます。知られている物では「零式艦上戦闘機 52甲型・52乙型」と言った物があります。

こうした数字の番号の振り方読み方は、海軍機は全て同様です。紫電と紫電改にしてもそうです。

紫電は中翼(胴体の中間付近に主翼が着いている型式)の戦闘機でしたが、降着装置に大きな不具合があったり、中翼故に視界が悪い問題もあり、これを改良した戦闘機を設計しました。これが最初の紫電11型に対して紫電21型でした。

紫電改と呼ばれた機体の正式名は、「紫電21型」です。翼位置を低翼(胴体の最も低い位置に取り付けた物。当時の軍用機はほぼこの方法)に変更して視界の悪さ、降着装置の不具合を解消したのですが、大きく設計変更がされたことで外観が大きく変わったため、一般には正式名「紫電21型」ではなく「紫電改」と呼ばれていたようですね。

最後に、最初に戦後も変わらないと言いましたが、その証拠となる機体を紹介しましょう。

戦後日本が初めて開発製造した旅客機、YS11をご存じかと思います。二オンの航空機製造メーカーが資本を出し合って設立した合資会社「日本航空機製造」が製造した機体で、民間機としては147機だったか、そのくらい作られました。既に民間機としては引退していますが、現在も自衛隊機が飛んでますよね。

この機種、型式は「YS」です。これは会社の所在地の頭文字で、Yは横浜のY、Sは杉田のSです。本社は今の日本飛行機株式会社内にあったようですね。そして数字ですが、機体設計が最初のまま、エンジン選定も最初のまま変更無しです。したがってYS11は、一般に言われている「わいえすじゅういち」は通称で、正式名は「わいえすいちいち」です。
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この回答へのお礼

早々のご回答ありがとうございました。
非常によくわかる説明で、同じエンジニア(といっても私の場合、建築系ですが・・・)として納得のいく、技術調査報告書を見ているような胸のすく解説でした。私は、趣味でジオラマを製作しているのですが、
子供が小さい時に始めたものですから、子供が喜ぶジブリシリーズの映画やエヴァンゲリオンのジオラマといったアニメ物中心でしたが、子供も大きくなり、太平洋戦争当時の戦闘機の模型を作り始めたのですが、エンジニアの習性で、製作する前に製作対象の世界観や詳しい情報を仕入れた上で、それらの情報を踏まえたなら、こういう作り方や塗装でなければならないと決めてからでしか製作をしない、まわりくどいやり方をしています。お蔭様で納得の上で戦闘機を製作することができます。本当にありがとうございました。

お礼日時:2009/12/08 20:38

母(91歳)は当時「レイ戦」と呼んだそうですが搭乗者は戦時下でも正確に形式名で呼ぶ、参考URLは「90式水上初錬」をご覧下さい。



参考URL:http://www1.ttcn.ne.jp/~JIBUNSHI
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この回答へのお礼

早々のご回答ありがとうございます。
やはり「レイセン」と呼んでいたんですね。
参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/12/08 20:22

 「ゼロ戦」の正式な名称は「零式艦上戦闘機」ですから、略称としては「レイセン」が正しいでしょう。

ただし、戦時中の新聞などでは「兵士達からはセロセンと呼ばれており・・・」といった記述があり、現場では「ゼロセン」の呼び名の方が一般的だったようです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B6%E5%BC%8F% …

 「二一型」や「五二型」はそれぞれ「ニイイチ型」、「ゴウニ型」でしょう。最初の桁が機体の改修回数を、次の桁がエンジンの換装回数を表します。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B6%E5%BC%8F% …

 「紫電二一型(いわゆる紫電改)」も同様でしょう。「紫電一一型」は中翼機でしたが、これを低翼機としたのが「紫電二一型」です。
 「九二式戦闘機」は「キュウ二式」、「九五式艦上戦闘機」は「キュウゴ式」ですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E4%BA%8C% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E4%BA%94% …
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この回答へのお礼

早々のご回答ありがとうございました。
非常に参考になりました。

お礼日時:2009/12/08 20:40

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