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戦国BASARA3の小早川秀秋について

作中では官職である執金吾から「金吾」と呼ばれていますが小早川秀秋は当時このように呼ばれていたのでしょうか。

また、石田三成のことを彼は「三成くん」と言っていますが史実では関ヶ原合戦当時小早川秀秋は19歳、
石田三成(作中では復讐の鬼となっています)は42歳、大谷吉継(刑部)は41歳ですから親子ほども
年が違うのですね。作中の三成と家康は20代の青年として描かれていますね。
刑部は「浮遊する不気味な輿」に乗っており年齢不詳でミイラのような出で立ちの呪術使いですね。
家康に至っては史実だと58歳のはず。何でもありですね。

A 回答 (2件)

小早川秀秋の当時の通称は実際に「金吾」だったようです。


彼の官職は左衛門督で、左衛門督の唐名が「執金吾」だったため、「金吾」と呼ばれていたそうです。

大谷吉継の輿は、病人でありながら輿に乗って戦場で東軍と戦ったことから由来していると思われます。家紋の「対い蝶」→蝶の形の兜など、元ネタとしては「なるほどそうか」と推測して納得できるものもあるのですが、さすがに大谷の包帯グルグル巻きやキャラクター紹介の文章(今は訂正済み)は日本ハンセン病学会からゲーム制作会社に要望書が送られるほどの騒動になっていました。

何でもあり、というのは今さらこのシリーズに言っても仕方ないかもしれませんが、ちょっと今回はやりすぎだと思いました。刑部について調べているうちに茶会の話で感動してしまって、あの『私が病気で不幸だから皆を不幸にしてやる』というようなキャラ付けの大谷がどうも苦手です。『キモイところが好き』と言うバサラファンの友達が信じられません。

3作目は“正史のゲーム”として海外に進出するらしいですが、誤解が無いか私は心配です…。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%97%A9% …
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この回答へのお礼

返信が大変遅くなりました。
小早川は金吾だたんですね。
でも大谷吉継は自分が不幸だから周りを不幸に・・・って呪いの塊みたいです。
刑部は茶会で三成と仲良くなり最後まで西軍で奮闘したのに残念です。
やはりキャラ紹介に問題があったんですね。訂正前が気になります。

海外進出ですか?誤解あるかもしれませんね。ただでさえ忍者が曲解されているのに。

お礼日時:2010/09/11 00:54

すみません、回答ではないんですが。



BASARAシリーズは、あちこちで言われている通り「突っ込んだら負け」だと思います。
史実ガン無視なんて、今更すぎる気が……。
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この回答へのお礼

シリーズの途中からプレイし始めたのですが3はちょっと・・・ってカンジでした。
無双Orochiシリーズとのギャップもありすぎです。両方プレイしてますが。

お礼日時:2010/09/11 00:56

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