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アナタは死刑制度に反対ですか?賛成ですか?また、なぜそう思うのですか?
ご意見をください。

ちなみに私は賛成派で、その理由は様々ありますが、一番の理由は凶悪な犯罪は命をもって償うべきだと思うからです。

かたや、死刑廃止論者の主な理由は、
(1)冤罪の可能性(2)死刑執行の残虐性(3)抑止効果への疑問(4)死刑は何の解決にもならない(5)死刑執行人の苦悩などです。
私は、どれも賛同できません。

(1)この論点を貫くならば、刑罰廃止論となるのが正しい。
そして、刑罰廃止論は実際に少なくない勢力としてあるのだから、それを堂々と唱えればよい。
死刑は取り返しがつかないと言う者もいるが、やはり懲役刑でも取り返しはつかない。
そもそも、人間のつくるものには必ず欠陥・副作用があるのであるから、副作用のために全てを廃止するという思想は現実的妥当性を獲得しない。
人命尊重・副作用を認めないというならば、死刑より圧倒的に犠牲者の多い自動車事故廃絶のために自動車の生産・使用を禁止したらどうなのだ。
経済的利便性のために年間一万人を越える人命犠牲を黙認している者が死刑廃止と言うのは筋違いである。
また、冤罪はなくさなければならないが、それは死刑独自の論点ではない。

(2)死刑制度への批判であって、死刑思想への批判とはなりえない。無痛の執行法が確立されれば死刑廃止の論拠とはなりえない。
ガス室にて既に解決されているとも言える(ガス室は一見残酷に思へるが、現存する死刑方法の中でもつとも苦しみが少ないとされる)。
むしろ、終身刑の方が残虐であるとさえ思える。

(3)威嚇作用がないはずがない。死刑制度に犯罪を防止する作用があるなら、日本に凶悪犯罪なんて起きないはずだという人もいる。
コンビニのカメラは立派に万引き防止に役立つが万びきが一切無くなるわけではない。
人は常に、意識的であれ無意識的であれ、リスクが大きいものほど手を出しにくいのは当然だ。

(4)正にその通りである。
しかし、一般に誰も死刑に解決などを求めてはいない。
「戦争ではテロは解決しない」というスローガンも昨今叫ばれているが、これも同じ。

(5)死刑執行に限らず、仕事はすべて苦悩がつきものである。
職務なら遂行する。当たり前のことができないなら、職を辞せばよい。
敵国の命令によって動いている敵兵を殺す自軍人を見れば理解できるかと。

以上のことを踏まえて皆様のご意見・(筋が通っている)反論をどうぞお願いします。

A 回答 (7件)

そうですね、どちらかといえば死刑反対です。

ただ「死刑制度をなくせ」ということではありません。「死刑制度の不要な世の中になってほしい」というのが私の考えです。

私は、死刑というのは、ある種の「必要悪」であると思います。社会を運営していくために、法という制度がある。そしてその制度の中に刑罰があり、死刑も含まれます。したがって、どのような刑によって犯罪者に罰を与えるかというのは、その社会がどのようなものであるかによると思うのです。その社会において必要にして十分な刑罰というのが求められるわけです。

そう考えると、日本において死刑があるのは、「死刑という制度が今の日本という社会においてはまだ必要だから」だろうと思います。そして死刑を廃止している国は、死刑という制度がなくともやっていけるような社会のあり方を思い描いている、ということなのだと思います。

そう考えると、これまでの人間社会の歴史と刑罰の歴史を考えたとき、「死刑が存続し続ける社会」と「死刑が廃止される社会」のどちらが未来の私たちがあるべき社会の姿だろうか、といえば、「死刑があり続ける社会」とは思えないのです。やはり「死刑のない社会」が、将来的に目指すべき世の中の有り様ではないかと思います。今のまま、死刑制度を維持し、毎年何人も処刑される世の中と、死刑制度がなくともやっていける世の中と、そのどちらを目指すべきか?といえば、おそらくは後者であろうと思うのです。

米国を見ると、死刑を廃止している州と、存続している州とでは、廃止している州のほうが犯罪発生率も低く治安も安定している傾向にあります(もちろん例外はありますが、だいたいの傾向として、ということです)。これは、死刑廃止により凶悪犯罪が減ったというより、そもそも凶悪犯罪の少ない治安の安定した州ほど死刑廃止に移行しやすかった、ということでしょう。すなわち、「死刑がなくともいい社会」というのは、治安が安定し、人権の意識の高い社会であると想像できます。

私は、日本もそういう社会になってほしい。ですから、「死刑を廃止したい」のではなく、「死刑を廃止してもいいような社会にしたい」のです。死刑の是非は、死刑制度単体で考えるべきものではなく、「社会がどうあるべきか」によって決められるべき性格のものでしょう。死刑制度をどうするか、ではなく、「どういう社会にしたいか」を考えるべきです。その社会の姿によって、死刑制度をどうすべきかは自ずから決まってくるはずです。今の社会はそのままで、死刑制度だけをどうしろ、というのは理にかなわないように思えます。考えるべきは「社会のあり方」でしょう。
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この回答へのお礼

冤罪はあってはいけないことですが、最悪の場合 遺族に相当の賠償金を払うしかないだろう。

お礼日時:2011/02/03 23:15

個人意見、死刑制度以前から思っていたこと。



基本、殺人犯は有無を言わさず全員死刑(年齢関係なし)
これくらいしないと、犯罪も無くならないし、収容所も無駄な税金で犯罪者に飯食わしたりしなくてすむ。

人を殺めた対価として自分の命を無くすることは、正当である。
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この回答へのお礼

過剰防衛で人を殺めてしまっても死刑ですかね?

お礼日時:2011/02/03 20:11

30代男性


死刑についての質問は結構あるのですが、議論が拡散するので、スルーしていたのですが、
御質問者様のように 論点を網羅してくださるとようやく議論が進む気がいたします。

結論としては 私の意見は御質問者様と同じです。。(反論できずすみません)

ただ、厳しいことを言えば、死ねばいいのか?という問題もあり、例えば一家の大黒柱を殺害して子どもが残された場合、など、金銭面でも将来真っ暗なわけですから、
犯罪者には強制労働を課して、幾らになるかわかりませんが、稼いだお金を被害者家族に還元するなどの手段もアリかと思っています(拷問など無意味な懲罰が目的ではありません。)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
被害者の補償の点ですね。これ、かなりないがしろにされがちです。
ちょっと例えはちがいますが、子供が犬に噛まれて大怪我をしたら、犬を保健所に連れて行って殺傷処分すれば すむ問題でもないし。犬は生かしていてもいいので、 飼い主にはキチンと慰藉料を払ってもらいたいのは私だけでしょうか?

お礼日時:2011/02/02 23:07

ほな頭を反対派にセットしてカキコ。



冤罪は死刑反対の論拠のひとつで全部でないから、そればかり強調する刑罰反対と違うし独自論点でないて当たり前。すべて無くすでなく死刑だけなくそいう話。どれも反論になてないか論点のすり替え。取り返しつかないのは命取り戻せないて話で懲役で取り返しつかない部分と違う。これも反論になてないか論点のすり替え。自動車は刑罰と無関係だから論点のすり替え。

残虐性は残虐の意味がずれとる。死刑自体が残虐で思想そのもの。反対派の言う残虐の意味を理解できてへんから反論になてない。

抑止効果は死刑廃止した国とかでそれまで死刑対象だた犯罪が別に増加してないてデータあるのは知っとる?

何の解決にもてのは認めてくれておおきに。

苦悩は命を奪う仕事をその他大勢と同列で論じるのは論点のすり替え。軍人と執行人とは人殺せ殺せて洗脳的訓練受けてるかどうかで全然違うからこれも同列で論じるのは論点のすり替え。

でどうよ?
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死刑はなくせないと思います。

私は、消極的ではありますが、応報刑論と目的刑論を支持します。

「近代法治主義」なんて大上段からものを言わなくても、「刑罰廃止」なんてとんでもないことです。このようなものは、日本を犯罪者の天国にしたい人たちの考え方ではないでしょうか?

どうも、世間一般では、死刑を抑止論(刑罰は、犯罪を抑止する目的であるとする考え方)だけで云々する人が多いみたいですが、もちろん、それだけでは十分でないことは明らかです。受け売りですが、刑罰についての考え方は、抑止論の他に、目的刑論・応報刑論があるようです。

応報刑論というのは、刑罰は犯罪に対する因果応報であるとする考え方で、目的刑論と対立する考え方のようです。人の命を奪った者は、その命を差し出すのが筋であるということですが、近代法治主義に向かう過程で情状酌量の考え方が導入され、人を殺めたら問答無用で死刑という乱暴な司法判断が消滅したことは良いことだと考えます。

もう一つの目的刑論は、さらに特別予防と一般予防に分類されるようです。
特別予防とは、「刑罰は、犯罪者を教育によって矯正することを目的とする」考え方のようですが、前科者の再犯率が高いことからもわかるように、現状では全く機能していないと見るべきですね(これは同時に、抑止論の限界も示唆しているのでは?)。実効的な犯罪者矯正プログラムが完成すれば話は別ですが。
一般予防は、「刑罰は、無辜の民を犯罪者から守ることを目的とする」考えで、近年の刑事事件の判決文で、「一般予防の観点から云々」という言い回しが増えていると思われるので、現在の主流の考え方であると見て、まず間違いないでしょう。

一般予防を達成するには、極刑として死刑か終身刑を採用するしかありません。憲法では「残虐な刑罰の禁止」をしておりますが、たしかに、死刑よりも終身刑が残虐でないとは言い切れない部分もありますし、冤罪の場合、どちらも取り返しがつかないこともそうです。足利事件の菅家利和さんの貴重な17年半は完全に償うことはできませんし。

しかし、刑事裁判に万全を期することは当然として、誤審の虞があるからと言って、死刑に対して怯んではならないと思います。欧米では死刑廃止が大勢を占めていると聞きますが、日本に死刑があるのは、「命は命で償うべし」と言う、我が国独自の考えが連綿として受け継がれて来た結果なのですから。執行する刑務官の苦痛を言いたてる人もおりますが、これは、健全な法治のための尊い負担であると考えるべきではないでしょうか?

死刑は何かの問題を解決する目的であるのではなく、応報と治安のためにあると思います。
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賛成派です。


理由は、他者の人生を理不尽に奪っておいてのうのうと生きるのは、
とても許されるべきではないし、被害者やその家族の心情を考えれば
当然と考えます。

死刑廃止論者の主な理由には、わたしも全く賛同はできません。
(1)冤罪の可能性:それは捜査や裁判などの別問題である。
(2)死刑執行の残虐性:加害者の行いのほうが余程残虐だと思うが。
(3)抑止効果への疑問:これも別問題である。
(4)死刑は何の解決にもならない:死刑が無くなれば解決するのか。
(5)死刑執行人の苦悩:嫌なら辞めればよい。

綺麗な言葉を並べるだけでは、被害者が救われません。
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この回答へのお礼

>綺麗な言葉を並べるだけでは、被害者が救われません。
被害者の救済のことを考えるのなら、補償の問題も考えないと。

お礼日時:2011/02/03 23:11

反論??


ディベートは苦手ですね。

死刑執行は3人が係わるって本当ですかね?
同時にボタンを押して直接係わった人が誰であるのか当人にも分からないようにしているとか。。。

聞いた話で事実を調べてはいませんが、ちょっと興味深くないですか?
事実であれば(5)について、より説得力を増すのではないかと思われます。
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この回答へのお礼

>同時にボタンを押して直接係わった人が誰であるのか当人にも分からないようにしているとか。。。
これならもっといい方法が。 最後の食事には豪華に酒もつけてあげ、タバコも吸わせてあげる。 それ以降は、水だけで絶食させる。

お礼日時:2011/02/03 23:14

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