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不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています。

私は現在大学3年です。

高校生のころ先輩が事故で亡くなりました。
そのとき初めて、
死んだら、いま感じている気持ちや感覚はどこへ行くのだろう
と死について考え、叫び出してしまいそうな凄まじい恐ろしさを感じました。

何回かそのようなことを考えては、恐怖に怯えましたが
その瞬間だけで何事も無く過ごしていました。


しかし、最近になって、死に対する恐怖が頭から離れなくなり
テレビを見ていても、学校で友達と会っても、好きな音楽を聞いていても
死んだら何も分からなくなってしまうのかと思い、
食欲がなくなり、呼吸がしづらくなったり、吐き気を感じたりしました。
恐怖しか頭になく、他になにも考えられず、面白いことがあっても笑えません。

これは異常だとおもい、心療内科に行きました。
そこで、抗不安剤をもらい、4~5日は薬のおかげでだいぶ落ち着きました。

しかし、その後も、いろいろな考えがどんどんと出てきてしまい、
両親が亡くなるのを考えては、涙がでてきてしまったり
そんな気持ちがあるから、少しでも両親に優しくされたり
ただ日常の他愛もない話が出来ただけで泣きそうになってしまいます。

また、少しずつ就職活動も始めなくてはいけない時期なのですが
どうせ死ぬならどうして働くのか
なぜ就職活動をしなくてはいけないのか、と考え始めてしまうのです。

こんな怖い思いを抱くのなら、生まれてこなければよかった、と思ったりもしましたが
せっかく母親が生んでくれた、そしていまの両親と出会うことができたと思うと
そんなこと考えてはいけないなと思いました。


死を考え、生きている意味がわからなくなり、何もやる気が起きません。
いろいろなことを考えすぎて鼓動が早くなったり、手が震えたりします。
このままでは自殺してしまうのではないかと自分が怖くなりました。
実際自殺する勇気なんてこれっぽっちもありませんが。


今まで、部活に打ち込み、学校行事も思い切りたのしみ
はつらつと生きてきた自分が、ふとした瞬間からこんな状態になっていることも怖いです。


死は避けることのできないことだと分かっています。
でも怖くて仕方ありません。
こうやって悩んで、何もできずに毎日すぎていくことも
死に近づいているわけで、とても怖いです。
でも、何かやろう!!という気にもなれません。

どのような心持ちで生きていけばいいのでしょう。
カウンセリングなど受けたほうがいいのでしょうか。
また死が怖くないという方とかいらっしゃいますか?


よくわからない長文でごめんなさい。
どんな観点からでも構いませんので
回答していただけると嬉しいです。

A 回答 (21件中1~10件)

大丈夫ですよ。

安心して下さい。
あなたは異常ではありませんよ。
誰だって同じように恐怖は持っていると思いますよ。
ただ少し、あなたが感受性豊かで人より余計に恐怖を感じているだけです。

ちなみに今の私はまったく恐怖を感じていません。
中学生の頃、病気から一時は死を覚悟した事があります。
もう長くは生きられないと。
さすがにその時は怖かったですが、一晩一人で泣いて諦めました。
そしてもう明日死んでも良いって覚悟したにも関わらず、20年以上経った今でも元気で過ごしています(笑)。
ですから私にとっては既に余生なんです。
なかったかも知れないおまけの人生です。ラッキーでしょ?(笑)

話が逸れてしまい失礼しました。
本題へ

人の一番の恐怖とは知らない事です。
人は怖いものから目をそむけてしまいます。
目をそむけて見ようとしないから余計に怖いのです。

もっと「死」を学んで下さい。
「死」とは「生」なのだと学んで下さい。

私はあるがん患者さんの支援団体の実行委員をボランティアでしていた事があります。
その実行委員の多くが、がん患者さんなのです。
皆、普段は元気で明るい方ばかりなのですが、やはりふと死への恐怖が襲ってくる事があると言います。
それでも少しでも長く行きたいと治療に頑張る人、治療よりも限られた命を活き活きと全うし死んでいく人と色々居てます。
一緒に実行委員していた人が亡くなるのはとても寂しい事なのですが、悲しい事ばかりではないのですよ。
「死」は「生」の一部なのですから。

私からのアドバイスです。
まず病院へ行っての薬の服用やカウンセリングは止めた方が良いです。
解決には至りません。

まだ学生なのだし、ボランティアなどしてみたらどうでしょうか?
楽しく笑って生きるだけが人生ではありませんよ。
ちなみに私が参加していたのは「リレー フォー ライフ」と言う団体・イベントです。
今は日本各地で活動があります。

そして私が感銘を受けた言葉を質問者様に送ります。
「たとえ地球が明日滅ぶとも、君は今日りんごの木を植える」

そんな風に生きたいと思いませんか?
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この回答へのお礼

怖い経験をされたのですね。
だからこそ、その強い精神力があるんですね。
全く恐怖を感じないという方もいらっしゃると知ると
自分も少しはそのような気持ちになれるのかもしれない、と思えました。


>もっと「死」を学んで下さい。
>「死」とは「生」なのだと学んで下さい。

やはり学ぶこと大事ですか。
たまたま本屋で、死についての本が目に入り
少し見てみましたが、
今はそのような文章を読むのも胸が苦しくなってしまうのです。
本が合っていなかったのかもしれませんが。
ほかの回答でご紹介いただいたモノなど、読んでみたいと思います。

mizty0312さんが推めてくださったように
なにか新しく活動してみたら変わるのかもと思いますが
まだ、モヤモヤしたものが離れず
どうせ死ぬ…と怖くなって全く頭が働きません。
もう一歩踏み出せればという感じです。


実際に恐怖を経験された方の貴重な意見が聞けて
ここで相談してよかったと心から思います。
本当に本当にありがとうございました。
もう少し時間がかかるかもしれませんが
だいぶ心身ともに軽くなりました。

お礼日時:2011/09/27 15:20

大丈夫。

俺もそうだったよ。その悩みはみんな持って成長する。いつかは自立しなければいけないでも焦る事はない。一つずつちゃんと覚えていく事が大切。最終的には結婚して家庭を持てればいいんだよ。
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この回答へのお礼

やはり大人になりいろいろなことを経験するにつれて
気持ちは変わっていくものなのでしょうか?!
時間は止められないですもんね。
しっかり自立して、たくさん親孝行したいなと考えています。

まだ吹っ切れてはいないのですが
とにかく目の前のやるべきことを頑張って、
幸せに過ごしたいなと思います。

御回答本当にありがとうございました☆

お礼日時:2011/10/16 16:25

事実、死から逃れられる者はなく。

誰だろうと明日、1週間、半年後と生きている保証はありません。
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この回答へのお礼

お礼遅くなり申し訳ありません。

そうですよね。
いまこの年齢まで健康に生きていられることも、
奇跡のようなものですよね。

事実を受け入れられるようになりたいと思います。

御回答ありがとうございました!

お礼日時:2011/10/16 16:20

私は事故で脳座礁になり意識がなくなり何日か眠り続けたんですね


何日か後に目覚めたのですが
ああ生き返ったって思いました
その時死ぬってことはこれなんだって思いました

何もないよ
怖さも何もない
全てがなくなるだけ
自分がこの世から消えるだけ
そう思いました
何もなくなるんだから考える必要ないよ
その時点で時が切れるって感じかな
スパッと時間が切られた感じ
だから命ある限り何でもやってみようよ
怖いものないしさ
生きてる時だけが何でも出来る
せっかく生まれて来たんだしさ
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりすみません。

まだ恐怖はありますが、
生きていることにすごく感謝できるようになりました!
本当にありがとうございました!

お礼日時:2011/10/16 16:18

今63歳になりますが、昔貴方と同じ事を考えて、長い間苦しんだ経験が在ります。

思春期頃(14歳)に始まって18年間苦しんだ経験です。

貴方の苦悩は良く分かりますので、如何いう方向を目指すと良くなるのかを書いてみます。

貴方の苦しみは『貴方の人格が高いためです。』その意味は人よりも偉いとか、優れていると言う意味ではありません。『より多くの人の気持ちを代弁できる可能性を秘めている』と言う意味です。

人間がより深い苦悩を味わうと言う場合、その人の素質が関係しています、その素質とは『神経質な性格や不安になり易い性格』と言う意味です。そこで神経質や不安になり易いという意味を書いて見ます。

神経質や不安になり易いという意味は、その人本人が『自分自身に敏感』と言う意味があります、では自分自身の何処に敏感か、という事を書いて見ます。

自分自身の『心に敏感』と言う意味です。そこで『心に感情が湧き上がるシステム』をもう少し詳しく書いてみます。

その前に人間の脳の説明をした方が分かり易いと思いますので、ウイキペデアから一つの科学的な研究成果を載せてからにします。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が   『それぞれ独立した意識』   を持っていることを実証した。”

この場合の、左脳に存在する意識が、貴方の自我意識です。右脳に存在する意識が『貴方に感情を湧きあがらせる情報を送る意識です』

この右脳の意識は『人間としての生命活動全てを取りまとめている意識です。心臓も肺もホルモンも交感神経も副交感神経も、全て生命維持のための最適な状態にしてくれている者です。その場その時の最適な条件を、身体にも心にももたらせている、意識です。』

ですがこの意識は『自我意識には』意識出来難くなっていますが、神経質な人や不安になり易い人は『薄々、気が付いています』この事を『人格が高い』と表現しています。

不安になり易い人の代表格が『お釈迦様』です、或は、その後に続く宗教家達です。不安に苛まれる事は『意識地獄』を意味します。この意識地獄を『一切皆苦』と表現しています。

貴方の苦しみがどうして起こるのかを、自分の体験から書いてみます。その苦しみの初めは『漠然とした不安、或は何処から来るのか分からない、得体の知れないもの』と思います。

この苦しみは、人間が死に直面した場合に特に感じる感覚と思います。ですがこの苦しみから人間の『本当の安楽が始まります』この安楽な感覚を『涅槃』と形容しています。

この詳しい事は次の右脳の意識を体現した動画を見た後で書いてみます。

URL:

この動画は右脳の意識をそのまま感じたまま、素直に述べています。この意味するところは、右脳の意識は『始まりと終わりが無い事と、言葉を持っていない事』です。右脳の意識は生命として芽生えた瞬間から働き始める『命の働きそのもの』です。誰にも何も教えてもらわなくとも全てを知っている存在です。

あらゆる草花が、その種としての色や匂いや咲く時期などを『生まれた瞬間には、既に持っている事』と関連しています。そうしてあらゆる生物が生まれた瞬間からその種としての行動や、行動する時期を、これも誰にも習わなくとも知っている事に通じています。

この命そのものの働きを『一切衆生悉有仏性』と表現しています。命そのものの働きを『右脳の人格』と言います。この意識を仏教では『仏』キリスト教では『神』と呼んでいます。

従って全ての人間には『神や仏』が右脳の意識として備わっている事を意味します。

恐怖症が解消する原理を書いてみます。死に直面した場合の恐怖感は『本当の意味では、救いです』自我意識たる心は『右脳からの救いの情報を勘違いして受け取っている事が、恐怖感』となっています。

自我意識たる『我と身体』は死に直面してうろたえていますが、右脳の人格は、その我を救わんとしています。その救いを『拒んでいる事が』恐怖の正体です。人間の自我意識はもの事を割り切って『言葉にして理解する機能から成り立っています。』この機能は、有限しか理解出来ません。

何故ならば『割切れる事を』有限としているからです。言葉で理解する脳の機能は、自ずから有限しか理解出来ない機能と云う事になっています。

それに引き替え右脳の意識は『言葉を話す事が出来ません。』それは割切れない事を専門の機能としているからです。割切れない事を『無限』としています。無限と言う事を永遠と表現しています。右脳の意識は元々、生まれた訳では無い事から、滅する事がありません。

自我意識は、自分には出来ない事を了解します、つまり全てを諦めてしまいます。この全てを諦める事を専門用語では『大死一番』と表現していますが、自我意識には出来ないと観念した時『もう一つの意識=右脳の意識=仏性=神』が出て来て、今まで出来なかった全ての『問題を解決してくれます』

死に対する考え方が根底から替わります。今までは死にたくない一辺倒だった自我意識が『本当は既に自分は永遠の存在』だった事を了解するからです。そのお陰で『肉体や自分の心』の死には頓着しなくなるからです。

此処を持って『生死の問題が解決した事』を意味します。

今までは二つの意識には矛盾がありましたが、その矛盾が解消した事を意味します。心は二度と争う事が無くなります。子供時代と同じで『心には静寂が訪れます。』それはキリスト教においての『神との和解』を意味します。心的な態度はどちらも同じです。

此処を持って死でも何でも受け入れる態度が出来ます。全てを肯定する足場です。絶対肯定と云う事になります。ここに至って『人間の苦しみは、如何言う時であれ、解消する事』を意味します。

もう一つの意識は、人間が無意識の時に『自分の身体と心』を支配しています。オリンピックや優勝が掛かった『一打を打つ場合などでも』自我意識が出て、自我意識がやろうとした場合には、かなり高い確立で失敗する筈です。

優勝できる人は『自我意識が出なくて』無意識の自分に任せる事が出来た人がかなりの確立で、優勝するはずです。メンタル面が強いと言う意味は『自我意識にいかに黙らせる事が出来るのか』に掛かっています。

自我意識がやろうとする事が、神経症や自律神経失調症の元をなしています。自我意識には出来なかったと了解する場合が『完治です』もう一つの意識に任せる時に全ては好転します。

出来ない脳の機能で身体と心と行動を制御していた事を意味します。『心と身体と行動を』自在に出来る時とは、自我意識がでしゃばらない時です、引っ込んでいる事を意味します。

自我意識が『無意識の自分の人格』の先頭に立って歩こうとしない事を、仏教では『自分を忘れる』と道元は表現しています。仏道を習う事は、自分を習う事、、、と言う下りです。

キリスト教では『神の僕となる、、、』と言う表現方法を取っていますが、脳の科学から説明すると同じことを意味します。

貴方の恐怖症も『深い自分自身への理解や洞察力』を磨く中で完治する筈です。その道筋は『禅』を学ぶ中に存在します。或は『森田療法』の中にも存在します。

そのキーワードは『症状の相手をしない事』が前提です。『恐怖症』を治そうとしない態度から治りは始まります。どちらの医療法も『言葉のない世界』がキーワードです。森田では『不問』禅でもやはり『不問』です。

禅は鈴木大拙博士の著作集、森田療法では鈴木知準先生です。この二方のお陰で『恐怖症』が完治した経験が在ります。
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この回答へのお礼

お礼遅くなりすみません。

右脳、左脳の話、興味深いですね。
最近はいろいろと考え始めると、身の回りの様々なものに
疑問を抱いてしまい、頭がおかしくなりそうでした(^^ゞ

同じように悩んでいた方が
恐怖症を克服されたと聞いて希望が見えてきました。
宗教はあまりわからないのですが
あまり考えすぎず生きたいと思います。

御回答ありがとうございました!

お礼日時:2011/10/15 12:08

死の何が怖いかよくわからないですが・・


死んだら何もわからなくなる=自分の意識がなくなるのが怖いというなら睡眠もできないはず。
死ぬまでの痛いのが嫌とか苦しいのが怖いとかならわかりますが。
残されたものが寂しいとかもう会えない無念さはありますけど、形あるものは戦車でも壊れます。
私なんざ死は面白そうで想像するとわくわくしますけどね。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりすみません。

友達に話してみても、やはりそういう反応でした。
死んでも意識が残っている方が怖い、と言われました。
たしかにそれもそうなんですけど…。
この感情はどこに行ってしまうんだろう、と
どうしても恐怖を感じてしまうんです。

でも、多くの人がこういう考え方なんだということを知れてよかったです。
自分が考えすぎてるだけかも、と思えました。

御回答ありがとうございました!

お礼日時:2011/10/15 12:01

私も死ぬの怖いです。

子供達をおいて死にたくない。同級生が病気で亡くなったりするとつらいです。

ただいい死に方というか、幸せな死に方があります。母方の祖父が、老衰でしたが「幸せだ、ありがとう」と婆ちゃんに言い残し、縁側で庭を見ながら亡くなりました。ひ孫が16人。葬式でもみんないい死に方だ、自分もあんな風に死にたい。と言ってました。

納得して安らかに死ぬには…そう考えて生きていくといいのでは
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この回答へのお礼

子供を持つようになると
自分が死ぬということよりも、小さな子供をおいて死ぬわけにはいかない
という気持ちになるのですね。
親って本当に強いですよね。私もそんな人間になりたいです。

たしかに、そういう考え方がありますね。
そのようになるには、やはり健康第一ですね。
健康の大切さに気付かせてもらいました☆
回答ありがとうございました!

お礼日時:2011/10/15 11:40

私も死ぬのは怖いです。



死んだら、今の気持ちも考えも全部なくなるんでしょ?
誰が家族だったとか、何が楽しかったとか、全部忘れるんでしょ?
いやーーーー、怖い!!!

と嘆いていたら、友達に、
そういうふうに考えるから怖いんだよ。
死んだら、天国で楽しく暮らしてるよ。
生きてたときのことだって、ちゃんと覚えてるよ。
誰も死んだあとのことなんて知らないんだから、良いように想像しなよ。
と言われ。なるほど、と妙に納得。(笑)

怖くないように、想像しましょう。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりすみません。

>死んだら、今の気持ちも考えも全部なくなるんでしょ?
>誰が家族だったとか、何が楽しかったとか、全部忘れるんでしょ?
>いやーーーー、怖い!!!

私もまさにこれと全く同じ気持ちでした。
誰が友達だったとかも忘れちゃうんだ…
と考え始めたら、友達を見るだけで辛くて涙が出てきました。

そのお友達のアドバイス的確ですね(^^)
私も友達に話してみたら、意外とみんな楽観的というか
怖いと思っていないみたいでした。
sirococoanさんの回答のおかげでずいぶんと癒されました。
友達、家族との今の時間を大切にしたいという気持ちになれました。


御回答ありがとうございました!

お礼日時:2011/10/15 11:22

こんにちは。



叫び出したい程の恐怖、と書かれているのを見て、
遠い昔に同じような凄まじい恐怖に駆られた瞬間が
あったことを思い出しました。

私の場合は、恐ろしく狭い場所、炭鉱やトンネル、
更に、狭い下水管などで身動きもとれずに落盤や
水没で死ぬ、という圧倒的な恐怖でした。

現実に、それらの事故はかなり起きており、いたいけな
幼児までがその恐怖を現実に体験して苦悶のうちに
命を落しています。

様々な惨い事件のニュースがこれでもか、これでもかと
報道されるたびに、時折そのことがずっと頭から離れず
数日の間、恐怖や怒り・哀しさ、空虚感などがフラッシュ
バックのように鎌首を持ち上げてきます。

自分自身、潜水中に岩場のトンネルに引っかかったり、
さしたる高さではなかったのですが、落下の恐怖など
何度か必死で冷静さを保たねばならなかった状況も
ありました。

乱暴な若者が死を恐れないのが勇気だと勘違いして
いるのはどこの世界でもどの時代でも同じですが、
それは単に考えることが苦手、感じることも苦手、と
いうだけのものです。

あなたが感じた、私が感じた恐怖をモロに感じて堂々と
していられる人はとても少ないでしょう。

特攻隊員でさえ、守る者の未来を思い、大声で歌い、
叫びながら必死で目前の恐怖が一瞬で終わるのだと、
最後の命を振り絞った発狂するほどの凄まじい精神力で
操縦桿を引いたり回頭操作をしないように押さえつけて
死んでいったはずです。

電車に飛び込んでバラバラの肉塊になって飛び散った人。
その瞬間を考えてしまう。

ジェットコースターの脱輪事故で柱に激突した女性。

登山中に崖から落下した人。

水の中で圧倒的な水に全ての隙間を塞がれ、空気の
世界は遥か彼方にある、水を吸い込む直前の人。

狂気の侵入者に何十回も刺され、切られ、バケツを
ひっくり返したような信じられない量の自分達家族の
血の海に、凶刃を振るう鬼畜生が暴れるのに、何一つ
闘うことも出来ずにされてしまった事件。

キッチンで誰知ることもなく、独り包丁の刃を見つめ
指先を当て、滑らせることが出来ずに身動きとれず、
そんな事件のことをツラツラ考えたりもします。

戦争。災害。病気。怪我。

考えすぎだと自分でも思うけれど、一度考えてしまうと
頭の中に何かが焼きついてしまう感じで、どれ程
暗く恐ろしい思考に苛まれたか判りません。

若い頃と違って、肉体的にも精神的にも弱い部分は
出てきましたし、一人身の無謀だった時代も今は
ぼやけた過去でしかありません。
守るものが出来た今となっては、世の中恐ろしいもの
ばかりになってしまいました。

それでも、考えるに任せて考えに考え、感じるに任せて
感じ、震え、怯え、畏れ、怒り、泣き、どれだけ感情的に
揺れ動いたか判りません。

判らないまま何十年か生き続けられて、今日も無事に
暮らすことが出来ました。

遠い昔、子供の頃に分別臭いと思った大人たち。
平凡なのが一番いいんだよ、と随分聞かされたものです。
今は、それが良く判る。

死を恐れ、生きたいと無闇に固く願う。

そのおかげかも知れませんが、他人について、人の心に
ついて、随分と考える機会にも恵まれて来た気がします。

あなたや私のような人は、多分世の中に物凄い数
暮らしていて、多分、平凡な人生をピコピコ生きて
行きます。

ある意味我慢強くて、臆病で、実に人間的です。
この世で大成功する人々は、こういう感覚に無縁な
人が多いような気もします。

今では、死そのものはそれ程怖くはなくなりました。
生命を絶たれる苦痛への恐怖は勿論、今も色濃く
ありますが、同時に苦痛を伴わない死があることも
知りましたし、死の苦痛の実像が自分の想像とは
必ずしも一致しないことも幾たびか知る機会が
ありました。

死への恐怖には多分に準備が出来ていない、
つまり覚悟がないこと、すべきことを為して
いないまま消滅するやりきれなさ、自分がこの世から
無くなってしまってもこの世が何一つ変わらないと
いう事への虚しさ、それでいて何ができるわけでも
ない焦りや不安など、全ては生のあがきとも
言える想いが詰まっている、「恐怖」という袋。
そんなことも随分と考えました。

まだまだ老いたりと言える様な年配ではない、私は
ただの若輩者ですけれど、自分の死への恐れ、
それ自体は自分で生み出した恐怖だと言うことが
朧に感じられる程度には大人になれたようです。

この世での享楽や実利からは遠い、死を恐れる
悩ましい私達の心の姿ですけれど、それ故に
苦労や我慢も少なくない人生ですけれども、
知れば知るほど、考えれば考えるほど、
私を含む無数の人々が 同じように
其々の言葉で考え、同じような気持ちを脳裏に
よぎらせ、沢山たくさん生きていることが実感として
理解できるようになります。

いつしか、自分の中に巣食う孤独感や自尊心の
反語である他人への蔑視や羨望なども色褪せ、
剥げ落ちて行きます。

自分が、この途方もなく広い世界で、たまたま
今日をポコポコ生きている、小さな小さな生き物で
あることが良く判り、同じように沢山の命が傍らに、
そして見晴るかすこの世界のどこにでも、生きて
暮らしていることに新鮮な悦びと、消えていく命の
哀しさと、同時に生まれてくる命の、巨大な動き、
大きな動き、うねり・・・流れ、波のような寄せては
返しの繰り返し・・・を感じるようになって来ました。

私は十数年もすれば、もう、家族と共に平和に暮らす、
ただそれだけで自分の人生に満足できそうです。
今はまだ少し、何かを生み出したい、もっともっと
考えたい、という欲望を捨てきれずにいるのですが。

一昨日も、道路で轢かれて潰れた子猫を見ました。
何が起きたかも判らずに視界一杯に黒い何かが
覆いかぶさり、巨大な衝撃と共に一瞬でこの世から
一つの命が消えてしまったと思います。

あそこにいるのは、自分だった。

もの哀しく、心細く、そして、この巨大な流れの
ようなものに祈らずにはいられません。
何を祈っているのかも良く判りません。

ただ、ひたすら。

世界の片隅で、ただ生きて、ただ死ぬ。

小さな小さな私の目には、家族が太陽系のように
いとおしい素晴らしいものに見えますし、それ以外の
人に対しても、様々な味わいと、自分に重ね合わせて
自分とは異なることに一々驚いたり、瞠目したりしながら
今日一日が暮れようとしています。

そのように。

あるがままに。

結局、自分は自分として感じ考え、そして死を畏れ
生を心から欲する。

渇いた喉を水で潤すように、私達の体の中を
今日も「生」が流れていきます。

良かったなあ。

そうつぶやいて、野良猫は子猫が待つねぐらに
トボトボと帰るのです。

にゃん。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりすみません。

やりたいことや生きがいを見つけ、懸命に生きていくうちに
少しはこの恐怖が和らぐのでしょうか。
そうなることを信じたいですね。

同じような気持ちの方がいると知れただけでも、
すこし落ち着きました。

御回答ありがとうございました!

お礼日時:2011/10/15 11:11

死ぬのも楽しみにしています。

もちろん、自殺する気はありませんよ。

私と同じように考えている人もいるんですよね。
以下のブログを参考にしてください。

http://blog.goo.ne.jp/namagusabose/
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この回答へのお礼

お礼、遅くなりすみません。

そういった考えの人もいらっしゃるんですね!!
すごく羨ましいです。
私もいつか考え方が変わるといいなと思います。

回答ありがとうございました!!

お礼日時:2011/10/08 17:07

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