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変な質問ですみません。
この男性の一生は、幸せだったと思いますか? 不幸せだったと思いますか?

一流大学を卒業し、一流企業に就職し、それなりの地位につき、普通の家族・友人を持ち、月並み以上の財産を得、特に大病も患わなかった。
しかし彼の妻には実は長きにわたる浮気相手がおり、彼はそのことを知らないまま、老年期を迎えあの世に逝った。

A 回答 (19件中1~10件)

月並ながら、『知らぬが仏』かも・・・。


いえ、知っていて「知らぬフリ」なんて場合も有ります。
「大人の世界」では、ネ・・・。

本人が、死ぬ時に、
「幸せだった」
と言って死ねば、それは「幸せな一生」だったと思います。
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 立て続けにすみません。

こういう時にうってつけの話を思い出したので。

 母「あんた、なに浮かん顔してんのんや?」
 息子「お父さんがな、あの子は諦めというんで」
 母「あの子って、さっちゃんか?あの子のなにがあかんの?」
 息子「あの子に別に悪いところはないン。ただ、お父さんが、若い頃に女がおって、あのさっちゃんはその女に産ませた子やと。お前とは腹違いの兄妹になるさかいに、これは諦めてくれと」
 母「えっ!?ほたらあの子、お父さんの子か?」
 息子「そやねん」
 母「なんていうこと…!かまへん。結婚しなさい」
 息子「そやかて、兄妹で夫婦になるかいな」
 母「こうなったら言うけど、あんたお父さんの子やないねん」

 ここで幸せだったのは、父でしょうか母でしょうか息子でしょうか?
 立場によってどうとでも変わりますね。
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 他の人が決めることじゃないんじゃないですか?


 一流大学を卒業し、一流企業に就職し、それなりの地位についていても、その人が並外れた野心の持ち主で、ビル・ゲイツ並に一流の企業のトップに立ち巨万の富を得ないと成功者ではないと考えていたかもしれないし。
 彼の妻には実は長きにわたる浮気相手がおり、彼はそのことを知らないままだったとしても、「結婚したときはこの女ニンフォマニアだなと思ったが、最近ちょっと落ち着いたようだ」くらいにしか考えてなかったかもしれないし。

 私の祖父は、大豪族の家の末っ子に生まれましたが、親が知人の借金の裏書をしてしまったことから財産のすべてを失い、幼いうちにあるとても有名な家に奉公に出されました。
 奉公先の主の「懐刀」と言われるまでに出世し、文化勲章まで受章しましたが、家庭はめちゃくちゃで、よそにたくさんの妾を囲いました。
 そうするうちに妻(私から見て祖母)が、弟子の一人とデキてしまい、妻には長いこと指も触れてないのに妊娠、子供が生まれました。
 しかし祖父は、その子を実子として届け出て、末っ子として育てました。
 また、東京の超高級住宅街に広大な敷地の大邸宅を持っていましたが、詐欺に遭って盗られてしまい、晩年は都心のマンションで暮らしました。
 社会的な名声以外は嫌なことばかりだったと第三者からは見えますが、晩年に「自分は幸せだ」と言っていましたよ。
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>>一流大学を卒業し、一流企業に就職し、それなりの地位につき、普通の家族・友人を持ち、月並み以上の財産を得、特に大病も患わなかった。



ご自分の脳力で・頑張りで・出世をされ、財産もそこそこお持ちでお金に苦労はされることもなく、それに特にこれと言った大病もせず、お亡くなりになられた。
これに関しては『お幸せ』だったことでしょうね。(大病もせず天命を真っ当されたことですので。)

しかし、残念なことに「妻の長年の浮気」を知らずに逝ってしまった。/知らずにいたのだから『幸せ』だったのではないか。/とは想えないですね。

知らないがまま、逝ってしまった・・・これは亡くなられた方にすれば「騙され続けられていた。」/「蔑ろにされていた。」ということになりますよね。

知らないで逝ってしまったとは言うものの、果たして「幸せ」な人生だった。とは言い切れないのではないかと・・・。

繰り返しになりますが、「大病もせず天寿を真っ当された。」これには本当に『お幸せ』であったと言い切れますね。
『しかし彼の妻には実は長きにわたる浮気相手がおり』に関しては『幸せ』だったとは思えない気持ちがありますね。
『不幸』では。と言った感覚(感情)というより“遣る瀬無い”とした情が込み上げてくるようです。
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彼は満足して死んだのでしょ?



だったら幸せです。

幸せか不幸かなんて、主体を変えればどちらにでも取れるものです。

彼を主体としてみれば、人生は幸せだったと思いますよ。

案外知っていたりするかもですよ。

知った上で自分の人生を全うしたのかも。

他人のことはわからないものですから。
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たとえだまされていたとしても、それを知らないままで幸せなのであれば


私はそれでいいと思いますけどね。
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知らなくてもいいことを知ってしまったときにその人間が


どのように感じるかであって、幸せか否かは本人にしかわからないですよね?

でも、何も知らず疑わず過ごせてきたのなら、
それは、本人にとって幸せなことではないのでしょうか?
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これだけでは、わかりません。




彼がそれぞれの出来事に、感謝の気持ちを持てているならば、幸せです。


大事なのは、お手々のシワとシワを合わせること(ありがとうが言える人生)です。
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知らないままにあの世に逝ったのでしたら、幸せだったのではないでしょうか?



僕は、元創価学会員ですが、或る老婦人のことを思い浮かべました。
その老婦人、信濃町(=創価学会本部)の指導を真に受け、信じ込んで、熱心に信心しています。
勿論、騙されていますが・・・。
創価学会が指導する教義は間違っており、既に、破綻しているのです。
それを知った僕は、脱会しました。
しかし、その老婦人には、「創価学会の指導する教義は、間違っている」とは言えませんでした。
「この人は、既に、80にもなる」
「間もなく、この世を去るだろう」
「今になって、自身の人生を捧げた信仰が間違っていた、などと知ったら・・・」
「50歳くらいなら、人生をやり直せるかもしれないが・・・」
「80にもなったら、もう、やり直せないだろう・・・」
「このまま、何も知らせない方がいい・・・」
そう思って、黙っています。
多分、その老学会員は、これからも、何も知らないまま、やがて、逝くでしょう。
「わたしは、世界一の信仰を持って、幸せだった」と・・・。

世の中には、知らない方がいいこともある、と思うのです。
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幸せに決まっています。



世の中には知らない幸せ・・と言うものもあるのです。
その典型的な例でしょう。
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