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昨年、出雲大社と八重垣神社に参拝しました。

出雲大社に行った際、当時祓社の存在を知らずにその前を素通りし、そのまま参拝してきてしまいました。
『4拍手』等の参拝方法は知っていたのですが。。。
(1)祓社を通らなかったことはどれほど意味を持つものなのでしょうか。

また、弾丸で同日に八重垣神社にも参拝したのですが、夕暮れ時に行ったため焦ってしまい、参拝の前に紙を浮かべておまじないができる池へ直行してしまいました。
もちろん後からちゃんとお参りしたのですが。。。
(2)随分失礼なことをしてしまったなと個人的に思っているのですが、客観的に見てもやはり相当失礼なことでしょうか。

もう一度双方の神様へ参拝しなおした方がいいかなと思う一方、距離・予算・時間共に余裕のない私にとっては容易ではありません。

(1)(2)について、それぞれがどれほどの重みを持っているのか、ご存知の方、ご回答よろしくお願いいたします。

A 回答 (1件)

神道というのは唯一教義を持たない信仰です。

教義は無いと言うことは決まりなどないんですよ。敬神崇祖コレだけです。神道にあるのは「神職の作法」だけです。私達一般人の作法など定められていません。だから参拝に行ったときには神主さんや巫女さんの指示に従って動くだけなんです。
私達が拝殿前で行っているのは略式の参拝。参拝というのは昇殿参拝の事です。
江戸時代まで、神仏習合で神社と寺の差はあまりありませんでした。というか多くが寺が管理していました。
その中で専門職を強めるために神職になった人は吉田神道から免状を貰う事が多くなりました。でも吉田神道も国が認めたものではありません。それまでは格のある神社では一般人は鳥居から中には入れなかったんです。だから一般人の正式な参拝法等ありませんでした。
明治時代に定められたのは伊勢神道、皇室神道と一般の神社神道の“神職の作法”です。後に分裂して出雲大社等の四拍手が生まれましたが、コレも神職の作法です。
以降、新政府の政策により神道国家となりましたが、このときには作法など決まっていません。
で、戦後神社本庁が出来たときに、一般人はどのように参拝すればいいのかという問いに対し、「一参考例」として神職の作法を基にした“二礼二拍手一礼”が示されたのです。つまり決まりではなく参考でしかありません。

ということで、参拝、しかも拝殿前での参拝は手を合わせるだけでも充分なんです。神道は神社神道だけではありません。神社本庁は国家の施設でも代表でもなんでもない一宗教法人です。日本には幾つもの神道がありますから、参拝法も一つではありません。「これが正しい参拝法だ」などと言っているのはインチキ常識家だということです。

参拝の時間を云々するのもデタラメです。神社の祭礼には夜間に行うものの方がはるかに多いんです。日中の行事があるものでも中心は実は夜間だというものも多いです。祭礼のときの夜店も夜ですよね。つまり夜間に参拝してはいけないという決まりなどないんです。
仏教の影響で陰=邪気という概念が生まれ、そこから夜は邪気が強まるから参拝するなという迷信が生まれました。なので不審者に間違われないようにだけ気をつければ時間を気にする必要はないです。

冒頭に書いたように、神道は決まり事などない教義のない唯一の信仰です。(神社神道以外には教義を作ったところがあります。)強いて言えば唯一の教義は「敬神崇祖」だけです。
ですから、先にマジナイをやって参拝したのなら悔いる必要等ありません。逆に御籤を先に行い、その結果不足があれば神に願って守ってもらい、吉であれば神に感謝してより大きくしてくれるように願うという考え方だって出来ますよね。

形式や教義を持てばそれだけ天の理から離れるということです。
例えば自然現象は実に複雑で、一つの理論で全ての現象を網羅することは不可能です。必ず例外とかバラツキが出ます。ではそのバラツキは存在してはいけないものでしょうか?だったら健康人以外は生きる価値なしでしょうか?そもそも健康って何だという事になります。
教義や作法はある意味便利ではありますが、それに縛られてしまうと排他的にならざるを得なくなります。一番やってはいけないことは、作法や常識とやらに縛られて迷いや不安を生ずる事です。せっかく安堵を得るために参拝したのに不安になってどうするんですか。だったら参拝など行かないほうが楽でしょ。
作法を間違えた、マナーを間違えたなどと気にすることが最悪の凶作用なんですよ。
お参りに行けたという安堵だけで充分なんです。
それでも気が急いていたということは、それ自体「心を落ち着けて神に詣でなかった」という不足はありますよね。なので家でもいいから手を合わせ反省と感謝すればそれで充分なんです。それが敬神崇祖の基本です。

それでも気になるのなら家の外か、窓を明けて神社の方角を向かって参拝すればよろしい。
これは遥拝といって古来から行なわれている参拝法です。昔は簡単には参拝できませんでした。よって各地域に遥拝所というものが設けられ、伊勢の神宮や靖国神社に向かって遥拝すれば参拝と同じとされました。
さらに護国神社、神明神社など分社が祭られたのも、ここに行けば本社本宮に参拝したのと同じとされるためです。東京大神宮も伊勢神宮の分社です。別宮だから別の宮ではありませんよ。そこも遠ければ家でその方向を向いても充分ということなんです。神棚も祀られている御神札の宮の別宮なんですよ。

祓社を配している神社は少ないですよね。これは祭事の際に祓社、祓い戸の大神を祀っている神社で祓い清めてから本社の祭事に入るというものです。もちろん祓い戸の神々達を祀っているので、こちらを拝してから行くのは大変に結構ですが、そもそも無いところも多いのですから「行かないといけない」というほどのものではありません。
それに、手水や鈴も「清め祓え」ですから祓い戸の神に詣でているのと同じことですよ。二重にしなければいけないなんて、かえって変でしょ?
気にしなくて充分です。
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この回答へのお礼

Michael-mさん、ありがとうございます。

『神道にあるのは神職の作法だけ』というのは知りませんでした。
そうだったのですね。
二礼二拍手一礼ですら戦後に広められた参考の作法ということは目からウロコでした。

いろいろと囚われすぎていたようです。
『お参りに行けた』ということを大事に胸に留めておきたいと思います。

とても丁寧に教えてくださってありがとうございましたm(__)m!
大変勉強になりました。

お礼日時:2014/02/06 18:42

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