街中で見かけて「グッときた人」の思い出

 今話題のこの人が過去作ったとされる曲ですが、

仮に耳が聞こえる大学教授が作った曲だったとした場合は

評価されるレベルの曲なのでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

CDを購入して2度ほど聞きました。


マーラーやショスタコービッチににたところがあって
その時代の同国の人なら同じ感じになっても自然ですが
今の作曲家の曲に昔の旋律ぽいものが出てくるのは疑問を感じていました。

人には性格があってその人の描いた絵とか文字にはその人らしさがでますよね。
でも過去の時代のエッセンスがちりばめられた曲は価値があるのか疑問でした。

クラシックはできることはすべてやりつくしているから
過去の上塗りのような、極端なことを言えば映画音楽見たいな感じになってしまうと思う。

でも作曲した新垣隆さんは相当一生懸命に書いた曲で全く台無しにされてしまうことには同情したくなるが
作曲家の感性が伝わってこないことは残念です。
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「交響曲第1番」をちょっと聞きましたけど、日本のクラシック畑であの程度の音楽を作る音楽関係者(作曲だけで食ってる人は現代ではあまりいないはず)はたくさんいます。

つまり「玄人っぽい作曲」ではあると思います。とても綺麗にまとめた小慣れた印象で、その辺の素人ではまず真似は出来ないでしょう。

ただ、現代のクラシック界で一作曲家として名前を売る為には「アーティスティック(独創性とか作家性とも言い換えられる)」であることが最低条件なのでしょうから、「その辺にたくさんいる作曲職人」程度では作曲家としては成り立たないのだと思います。現に、古典~1900年くらいの西洋音楽史を準えた「アカデミック」さはあるものの、独自性や新しさの欠如を指摘している音楽関係者もいたみたいです。
それが、新垣さんが「教授」ではあっても「作曲家」ではなかった理由だと思います。

で、この交響曲ですが、玄人には「いかにもっ‘ぽい’」とそこそこ評価されるとしても、素人にはまず無理。久石譲レベルの馬鹿でもわかるような音楽じゃないと、日本国内ではなかなか一般大衆には売れないのは言うまでもないでしょう。
で、この「佐村河内が作ったとされる曲」が売れていたのも、結局「聴覚障害者」ってだけのことなんですよね。金スマでも取り上げられていたみたいですし。恥ずかしいことです。


他の曲に関しては知りません。(元々佐村河内って人もよく知らないので。)
「佐村河内が数分メロディーを起こして、それを新垣さんが一曲としてまとめた」って曲があるらしいんですが、こちらは玄人には耐えられない代物なのではないかと、予想します。


新垣さんも、クラシック畑では無理でも、今後は映画音楽のような大衆音楽の方向に進めば、持ち前の技術力も存分に生かせて久石ナンチャラなんかよりもはるかにマシな映画音楽が出来るんじゃないですかね。大衆音楽をやってくだけなら「独創性」は必ずしも必要ではありませんからね。
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高く評価されるレベルですよ



冬木透先生並ですね\(^^;)...

zzzzzzzzzzzzzzzzzz
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