【あるあるbot連動企画】フォロワー20万人のアカウントであなたのあるあるを披露してみませんか?

あの戦争に負けた理由はなんですか。

A 回答 (8件)

国力差。


日米の、どちらかが負けるまで対立は終わらなかった。
戦争をして負けるか。
戦争をしないで負けるか。
する方が、勝機はあった。
悪くない負け方だったのかもしれない。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

天皇制や国民性は戦争の勝敗に寄与しましたか?

お礼日時:2017/05/03 16:15

国力の違いです。



GDPで10倍もの違いがある国には勝てません。

個々の戦術のまずさもありましたが、どうあがいても
勝てる戦争ではありませんでした。

米国もそれを知っていたので、あえて日本を挑発
誘導した訳です。

日露戦争では、日本は当時最強だった英国と同盟し
戦争開始と同時に、米国大統領ルーズベルトに
調停を依頼しています。

それだけではありません。
明石大佐を使って、ロシアのレーニン革命を支援
したりしていました。

やるべきことを総てやっていたのです。

あの戦争にはそういった姿勢が欠けていました。

しかし、やるべき事を総てやっても、やはり
勝てなかったでしょう。

31代大統領フーバーは、あの戦争をしかけた
ルーズベルト(フランクリン)を、日本を無理矢理戦争に引きずり込んだ
凶器の男、という書見を残しています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

天皇制や国民性は戦争の勝敗に寄与しましたか?

お礼日時:2017/05/03 16:20

帝国海軍の攻撃に米軍海軍が負けて、フイリッピンに逃げて作戦変更で爆撃機


よる攻撃に変更で帝国海軍の空母の艦載機が飛び立ったあとに、爆撃機による
空母攻撃されて撃沈されて、艦載機の帰るところが無くなり海え墜落、
空母と艦載機を狙われて戦力が落ちていき、サイパンまで追い込まれて
帝国海軍の戦力消滅して日本の負けでこの時に、白旗揚げていれば
沖縄戦・原爆は無かった。
    • good
    • 0

日本がどのようなプランで戦争をしていたか調べていたら、


負けないプランもあったことがわかりました。

無謀な戦争というのも戦後のプロパガンダで
「太平洋戦争とは、日本が仕掛けた無謀な侵略戦争だった」というのが、
戦後、広く我が国を覆っている「常識」ですが、
この「無謀な侵略戦争」は「狂信的な軍国主義者」たちが仕掛けたもので、
国民はその被害者だったとこの「常識」は続く。
そこには「軍部に騙された無知なる国民」という、
当時の国民全体への侮蔑も潜んでいる考え方だといえると思います。

当初の戦略通り、持久戦に持ち込んでいれば、
アメリカとの講和に持ち込めるチャンスはあった。

「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか (WAC BUNKO)
ジェームズ・B・ウッド (著), 茂木弘道 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/dp/4898316875/

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h22/jog …
    • good
    • 0

独断と偏見かもしれませんが、不吉な事を言うとそれが現実になると信じる日本文化に基づく美辞麗句の作戦命令に代表される具体性のない、希望的観測による戦争指導。

やってみなければ分からないとする計画性のなさです。現実を見つめる冷徹な態度のなさもその一つです。米軍の戦闘詳報を読むとよく分かります。
    • good
    • 0

あの戦争とはどの戦争?太平洋戦争(大東亜戦争)?


それならば、
1.軍略の要となる参謀達の軍略の欠如
  情報能力の欠如
  レーダー等は爆弾を積むのに邪魔になるからといって搭載しない。
  敵国のことを知ることは非国民だとして戦う相手の情報を入手しない
  これらが、兵士ならわかるが、作戦参謀や国家主導者がこの考えだったので、作戦能力も欠如していた。
2.補給能力の欠如
  日本に必要なのはシーレーンの確保なのだか、それに沿った行動を行っていない。
  補給が途絶えれば軍はなにもできなくなるのだが、精神論のみで補給がおざなりになった。
  駆逐艦、巡洋艦も補給艦の護衛にまわれば補給路が確保されるし、潜水艦も通商破壊にまわれば
  敵の補給路の遮断につながるのであるが、これらの艦は敵の戦闘艦のせん滅のみを優先し
  護衛や通商破壊といった概念にとぼしかった
  このためせっかく南方資源を確保したにも関わらず、その資源が有効活用できなかった。
3.アジアの解放が名目のみになってしまった。
  中には真剣に考えていた人もいたようだが、首脳部はこのことを活用するつもりはなかった。
  アジアの人をやはり格下とみていたようだ。
  もし真剣に取り組んだのなら、インドや西アジアの解放にもつながり、それができれば蒋援ルートなど
  阻止できたのだが・・・
4 攻撃優先で防御は邪道だという考えがあった。
  このため、戦争後半は防御態勢がまったく整っておらず、優秀は戦闘員が多く失われ、また防空体制もまったくなかった。

当時の日本軍の世界からの評価は
兵士は世界トップクラスであるが将校は最低と言われていた。
あながち間違いではなさそうだ。
中には評価されている将校もいるが・・・
陸軍でいえば、今村均や栗林忠道などかな?
    • good
    • 0

竹槍不足と訓練不足です

    • good
    • 0
この回答へのお礼

真面目に言うてます?

お礼日時:2017/05/03 16:21

(思考も実力も)弱かったから

    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


おすすめ情報