■言われた本人がどう感じるかが重要
質問者は、同僚から日々「子供の作り方おしえて!」とか「キミの乳首の色はクチビルから想像できるよ…」といった発言をされているのだとか。「私は男ですがセクハラだと思いますが……」(taka-mattyanさん)という回答があるように、気持ち悪いと感じた人も多いのではないだろうか。
しかし、この質問のポイントは、質問者が「嫌味も感じられず、むしろすがすがしい気分になるので、あまり嫌ではありません」と考えている点。セクハラ問題で優先されるのは、受け手側の気持ちである。
「確かに同僚の言葉自体はセクハラと言われても仕方ない発言かもしれませんが、それを言われた人が不快に思わないならセクハラではありません」(noname#160975さん)
というように、質問者が不快に感じていないのであればセクハラとは呼べないものと思われる。
■何を言われたかではなく、誰に言われたか
さらに、noname#160975さんは、こうもコメントしている。
「セクハラとは『何を言われた(された)か』が問題なのではなく『誰に言われた(された)か』が問題であると言えるほど主観的な問題なんです」
セクハラから離れて考えてみよう。仲の良い友人に言われたら気にならないことでも、初対面の人や嫌いな人に同じことを言われたら、全く印象は変わってくる。両者の違いは、日頃からきちんとコミュニケーションがとれていて、関係性が構築されているかどうか。そして、例え仲が良くても、どんな言動を不快に感じるかはその人や状況によって異なるということも前提となる。
■周囲への気配りも忘れずに
しかし、質問者の言う会話のやりとりが、職場というオフィシャルな場で行われているとなると、もうひとつ考えるべきポイントがある。
「ご質問者様と相手の男性が、二人きりで会話を楽しむ分には一向に構いません。しかし、そういった会話を、毎日聞かされる『第三者』の気持ちをお考えになったことはありますか。(中略)…ご質問者様の知らないところで、お二人の会話を日々苦痛に感じている女性もいると思います」(sunsowlさん)
さまざまな立場や性格の人が集まるのが職場という場所。性的な話を聞くのが苦痛と感じる人も存在するので、周囲への配慮も忘れずにしたいものだ。
どのくらいの力で殴られたら痛いと感じるかを決めるのは、殴った本人ではなく殴られた人であるように、セクハラかどうかを決めるのはあくまでそれを言われた本人。「自分の常識は相手の非常識」とよく言われるが、今回の騒動を機に、自分の日頃のコミュニケーションに相手を不快にさせている要素はないかなど、振り返ってみるとよいだろう。
(酒井理恵)