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因果応報なんてないですよね?

ていうか、因果応報があったって害を被ったこちらが報われるわけじゃないし、失ったものが返ってくる訳じゃないし、
傷ついた心が癒えることはないし。

結局、傷つけられた人が一方的に損するだけな気がします。

何か今までの人生で経験談があれば教えてください。

報われた経験、そうでない経験などです。

A 回答 (9件)

因果応報



因果→原因と結果
応報→心が受けると報い
因果応報→自分が行ったことに対して、自分の心が受け止めるです

だから、因果律とした方が理解しやすい
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僕は弱いので、何度も負けてます。


特に若い頃は。
カチンとくるかも知れませんが、報われない経験の方が圧倒的に多いのが現状です。
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確かに、かなうむさんの仰る通り。


でもね、被害を被った人が努力していれば、話は違ってくるんだよ。
正義を貫いても、弱かったら意味がない。

差し支えがなければ、動画の感想を聞かせて!
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この回答へのお礼

弱かったら意味がない

結局事実より社会的実力ですか

お礼日時:2023/02/23 20:29

因果応報は本来仏教の教えで、「善因善果」「悪因悪果」「自因自果」の3つがあり、「善因善果」とは、良い種をまけば良い結果が起こり、「悪因悪果」とは悪い種をまけば悪い結果が起こり、そして「自因自果」は自分が蒔いた種が自分に結果として戻ってくるという意味です。


因果応報とは人に対しての言葉ではなく、自分に対しての言葉です。
仏教の教えは、当たり前のことを言っているだけです。
確かに例外もあるとは思いますが、悪いことをすれば捕まるとか、努力をすればチャンスは訪れるとかの例えのようなことです。

私は小学校の時にある人物に無視され、そこから集団無視へとなるのですが、無視をされた仲間を集めて勢力を作り、少しづつその勢力を大きくし、担任や教育指導をも味方につけて対抗しました。
ある日を境に無視は解消しましたが、無視の主謀者と話す友達がいなくなり、誰も支持していないのに村八分にされ、それは中学、高校へと続き、最後は引っ越してゆきました。
近年になってSNSが発達して、再びその男の情報が晒されることを知りました。

スシロー舐め舐め男も外に出られないみたいですし・・。
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因果応報なんてないですよね?


 ↑
そんなモノはありません。

ただ、良い行いをすればそれが周囲に影響を
及ぼす結果、周囲の人から好い反応が
返ってくることがあります。

また、因果応報があるんだぞ、
ということで、悪い行為を事前抑止
する、ということもあります。




何か今までの人生で経験談があれば教えてください。
報われた経験、そうでない経験などです。
 ↑
良いことをしたら、気持ちが良くなった。
悪いことをしたら、罪悪感が・・・。

その程度ですね。
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No.1です。


「強者は弱者の真似ができる理論」を「容姿端麗・勉学優秀・運動神経抜群・面白いことを話せる人」がやるとこうなるということです。

・本当は勉強しなくても頭良いけど普段は頭が悪いふりをすることで得られる効果
 ①段々勉強ができるようになっていくので教師から褒められる。
 ②いじめが発覚した時に普段から頭が悪いふりをしているので「何が悪いのかが分からないふり」をすることができる。
 ③そして教師が騙されるので叱られることはなく「こういうところが悪いんだよ」という説明をして済ませてくれる

・美人だけどブスの立ち回り方をする効果
 ①自分が虐められる側に立った時に「美人な人に嫉妬した人にブスだと思わされてるんだな」と認識する。
 ②虐められていない時でも「以前まではブスだったけど頑張って美人になったのかな?」と思って貰える。

・本当は勉強しなくても頭良い美人が頭悪いふりをしながらブスの立ち回り方をする効果
 ①周りから「この人は美人なのにお高く留まることはない」と思われない
 ②敢えて自分が一番発言力が強い立場にならないことで、もしいじめが発覚しても教師から「何で虐めたのか」と聞かれた時に「一番発言力が強い人に合わせないと自分が虐められるかもしれないから」と言い訳することができる
 ③虐められている間はブス等の弱者にも平等に接することで自分が虐められている理由を知らない人からは「何でこんなに良い人が虐められているんだろう?」と周りに思わせることができる。
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偽の坊さんの説法に騙されないように。


お布施とは、信徒の気持ちです。
悪い事をした人は、いずれ心が苦るしくなる。
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お釈迦様は、対機説法で困っている人の悩み事を解決なされました。


お釈迦の説法を聞いて心が楽になった人は、何かお礼がしたいと言いました。

そこで、お釈迦は私の説法のお礼ならば受け取ることはできないとおっしゃいました。
お釈迦は、あなたが心から喜んで私にお布施をしたいのならば、私は喜んで受け取るだろうとおっしゃいました。

お釈迦様は、自分の心を楽にするとは、自ら考えて行動して、私のような乞食同然の出家者に施しをして助けたいと心から思う気持ちなんだよ、と説かれたのでした。
良い事をした人は、心が楽になる。
悪い事をした人は、心が苦になる。
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因果応報は無いですね。


因果応報が無いという根拠としてはまず「強者は弱者の立ち回り方を真似できる理論」について触れる必要があります。
「強者は弱者の真似ができる理論」とは「いじめ・人間関係」カテゴリーに当てはめて例えると、「ブスは美人の立ち回り方を真似することはできないけど美人はブスの立ち回り方を真似をすることができる」が挙げられます。
どういうことかというと、美人がブスだと思い込んでいるふりをしてブスの立ち回り方を徹底的に真似るということです。虐められている間にこれをすることで「ブスだと思わされているのかな?」と周りに思わせることができるという寸法です。
「容姿端麗・勉学優秀・運動神経抜群・面白いことを話せる人」みたいな人にこの「強者は弱者の立ち回り方を真似できる理論」をその人に一つでも劣る部分があったら勝てないんですよね。当然自分は平然と他人を陥れるけど自分が虐められる側に立っても上手く立ち回って周りを同情させることができるんです。勿論そんな凄い人が社会的に落ちぶれるわけもなく。
なので因果応報は無いと思います。
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この回答へのお礼

難しくてよくわからないです

お礼日時:2023/02/23 15:21

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