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名前ってなんなんでしょう。
人は人を、姓と名を組み合わせた”名前”で区別しますよね。わたしはこれはいろいろな場面で不都合が生じてしまうと思っています。必要ないのでは?と思うときさえあります。

例えば病院。診察のとき名前で確認されたり、薬に「お名前を必ず改めてください」と書かれてるのを見たりして、同姓同名がいたらどうなるんだ?と思うときがあります。
もう”姓名”はやめにして、全国民にひとりひとり違う”番号”をつけ、病院や学校、職場など人をしっかり管理・区別しなければいけない場ではそれを使うようにすればいいと思います。そして家族や友人などの人付き合いでは、親や自分が考えた”愛称”で呼ばせればいいのです。例えば自己紹介するとき、「GR07512です。ユウと呼んでください」など。その方がシーンにあった使い方ができるし、他人と違う確固たる”自分”を認識しやすいのでは。

こう考えるのも、私が姓名ともありふれた名前を持っており同姓同名を非常によく見てきたからです。なんでこの人は自分と全く違う人間なのに、同じ名前なんだろう?不快感ではありませんが奇妙な感じがしました。物だって、性質や特徴によって皆違う名がついているのに。もちろん親がつけてくれた名は大事に思っています。でも本名と全然ちがう愛称で呼ばせている人もいる・・・では本名とは何?苗字だって先祖代々受け継がれてきた大事なものという考えはわかりますが、同じものはいくらでもあり受け継ぐかどうか本人が決めれないのは少しおかしいのでは・・・

このような考えは危ないですか?
友達に話したら、結構ひかれました・・・
みなさんは、どう思われますか?

A 回答 (11件中1~10件)

 残念ですが、名前は自己のためにあるではなく、他者のためにあるものなのです。


 あなたは、名前が自分の本質と連動したものなら、個の名前だけ名前を用意すれば、名前と(自分が思うところの)本質のずれが解消され、『私=私の名前』で『他人=他人の名前』で『私の名前=他人の名前』なら『私=他人』という奇妙な錯誤が生じなくなるのではないだろうか、とお考えでしょうが、名前は個を構成するあまたの属性の一つにすぎません。
 もし、『名前=本質』ならば、あなたが恋人と父親の双方から同時に「**ちゃ~ん」「**」と、呼びかけられた途端、あなたは分裂してしまうということにはならないでしょうか。
 また、スーパーでトマトを買う際に、あなたは緑の硬いトマトと熟れた赤いトマトを区別して買ってはいないでしょうか。あなたの考えだと、双方のトマトはまるきり同じものとなってしまいませんか。逆に、トマトの一つ一つに異なったラベルをつけて売っている店はありませんよね。
 この例のように、名前は幅を持っているもので、ピンポイントで特定のなにかを指し示すようなものではないのです。
 まさか、「面積の**パーセントが波長**ナノメートルに色づいたリンゴだよ~」なんて八百屋さんはいませんよね。科学技術の世界ではピンポイントで対象を示さねばならないからこそ先のようなものいいになりますが、日常世界においてはあいまいさを含ませておいたほうが効率的だからこそ、『姓+名』という個人の識別法を多くの人類が古来から採用してきたのではないでしょうか。

 #2さんがいささか酷いものいいをしていたようですが、あなたのように『名前=本質』としてしまう錯誤はさほど珍しかったり異常なものではなく、そうした錯誤の延長線上に、言霊信仰や民話などに見られる「本当の名前を知られたので絶対服従せねばならない」という物語類型があることを考えると、こうした錯誤は言語を使用するヒトの脳のクセといったものなのかもしれませんね。
 
 余談。
 チャールズ・シュルツ氏の『ピーナッツ』シリーズに、父親が家族全員の名前を番号にしてしまった『55555』というキャラクターがいるのをご存知ですか?

 おまけ。
 記号と記号の意味するものの関係については、Wikiの『シニフィアンとシニフィエ』の項をお読み下されれば、よろしいのではないかと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%8B% …


 
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この回答へのお礼

>『名前=本質』
私はたぶんこのような考えを持っているのだと思います。何をするにも名前、ですから。あの人のことを考えるにもまず名前。あの人=名前なんです。世界が私を認識するから私が存在すると言う人がいますが、それなら自分の名前がなければ自分は存在しないんじゃないかと思います。

>恋人と父親が「**ちゃ~ん」「**」と同時に呼んだら自分は分裂してしまう
そうですね・・・それはないですね。でももしかしたら本当のところ分裂してるのかもしれません。でも本名とまったく違うあだ名で呼ばせてる人を見ると(本名で呼んだら怒る)、じゃあ親がつけてくれた名前はなんなんだ、なんのための名づけ?と思ってしまうのです。

>緑の硬いトマトと熟れた赤いトマトを区別して
確かにトマトも、いいトマトと悪いトマトいろいろありますね。こういうことですか?「赤いトマトと、青いトマト」=「2丁目の田中五郎さんと、5丁目の田中五郎さん」ん?なんか違う。ようするに名前とは場面場面で違うあいまいさを含んだものってことですから、本当に特定の事柄を指しているわけではない。だから私の恋人と父親が私を違う呼び名で呼ぶのは、恋人と父親の中の”私”が全く一致しているわけではないから、ってことでしょうか。姓と名をあわせた本名も、本当に”本名”ではないってことになりますね。本名というのは存在しないことになります。

『ピーナッツ』の『55555』知らなかったです。スヌーピーですよね。『記号と記号の意味』についても調べてみます。
ありがとうござました。

お礼日時:2007/10/04 21:45

 それをネタにしたSFドラマがイギリスで製作されたことがあります。

「プリズナーNo.6」というタイトル。1967年というからもう40年ですか。いまだに根強いファンを持つ作品です。興味がおありでしたらごらんになってはいかがでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
「プリズナーNo.6」興味を持ちましたので、今度図書館で見てみます。

お礼日時:2007/10/04 21:50

>GR07512です。

ユウと呼んでください」
と言って、呼んでもらえなかったらどうします?
だいたい人の常として、ながったらしい番号でなんか呼びません。
あんた、おまえ、等でしょうね。それでいいんでしょうか?
仮に「鈴木優子」と言う名前があるからこそ、イヤでも「鈴木さん」「優子さん」「ユウ」と呼ばれるわけです。
なのであなたを「ユウ」と呼ばない人は、あなたを近しく思わない人。
呼んでくれる人は近しい人。とハッキリ分かれます。
そういうドライな発想をする人がいることを否定しませんが
多くの人は「ひく」でしょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>ユウと呼んでください」と言って、呼んでもらえなかったらどうします?
呼んでもらえなかったら・・・どうなるのでしょう。不便でしょうね。私は人の呼び名はひとつでもいいんじゃないかと思ってるんです。ちなみに私はユウではありませんがもし私に対するマイナス感情によりユウと呼ぶのがイヤでも、呼べと言ってるのだしそれしかないのだから呼ぶしかないんじゃないでしょうか。そこに親しみを込めなければいいわけです。それくらいしゃべり方や言葉のトーンで表現できます。
それでもユウと呼びたくない場合・・・難しいですね。あんたおまえは馴れ馴れしくて熟年夫婦みたいですから、アナタとかキミですかね。それでもやっぱりしゃべり方等で感じ方は変わってきますから・・・・難しいですね。考えさせられました。

お礼日時:2007/10/04 20:30

ところで、あなたは自分のパソコンの型番を暗記していますか?



番号では覚えがたいという理屈は、広く知られています。
パソコン通信時代からのネット人らの間では :-)

zob14165が私を示す番号です。
でも、私は、自身としそぺ以外の番号を、既に思い出せなくなっているのです。掲示板は今でも稼働しているにもかかわらず…

番号制は、実際には非常に不便なものです。

名前が出るだけで特定されるってのは、米国の社会保障番号とか極古い時代の実名を伏す文化とか、不便ってのもありましたから、実名じゃない名前を社会的に認知させることも考えられないことでは無いと思います。

そういえば、当時、パソコン通信仲間がバイクのナンバーを公表したとき、その知らない人のバイクの居場所を、既に認知していた私がいました。
1919という覚えやすい番号だったんですけどね :-D

余談ですが、実害がある場合、自分の戸籍上の名前を変えられる場合があると聞いています。
戸籍107条に定められ…家庭裁判所に相談…かな。
逆に、同姓同名の人でもいなければ、そうそう自分で名前は選べない。

あと、どうでもいいんだけど、総国民に名字がつけられた法令は、逆に持ち続けてきた名字を公にできるようになった法令でもあったと言う。すべての日本人が名字を持っていたわけも無いけど、禁じられながら名字を持った農民とかも珍しくはなかったとかなんとか、詳細未確認。

#出戻りvaidurya
#世界的には何人ものvaiduryaがいることも知っている
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>番号制は、実際には非常に不便なものです。
番号は、覚えにくいですね。私も自分のPCの型番なんか覚えてません・・・でも電話番号や〒番号は覚えていますよ。学籍番号とか、覚えなければ困る場面が出てくるものはさすがに暗記しています。

>実害がある場合、自分の戸籍上の名前を変えられる場合があると聞いています。
変えられるようですね。でも同姓同名が多いというのは理由にならなかったと思います。さすがに右向いても左向いてもってわけじゃないですからね・・・基本的に名前は自分で選べないものですね。

禁じられながら名字を持った農民ですか。これも興味深いです。調べてみます。

お礼日時:2007/10/04 20:15

有名な話ですが、数年動物に育てられ、その期間名前を与えられなかった子供がいて、多分二人、寿命が短かったそうな。


あれ?迷信だっけ?

科学的根拠はありませんが、名前には、識別や、便宜的な理由よりほかに、重要な意味があるのかもしれません。

言霊、というものはあるのでしょう。有名な本「水からのメッセージ」でしたっけ?がありますよね。
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この回答へのお礼

それはアマラとカマラですか?狼に育てられたという。実際は育てられたのではなく単なる野生児だったそうですが。数年で死んでしまったのは名前を与えられなかった以前の理由じゃないかと思います・・・

言霊ですか。確かに口にすると何かが変わるというのはあるでしょうね。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/04 19:58

日本で国民全員に名字が義務付けられたのは明治時代になってからです。

つまりここ100年ちょっとのことなんですね。それまでは、農民なんかは名前だけで、「七尾村の吾郎」という感じで呼ばれていました。鉄道も全国に普及していなかった当時では、多くの人が自分の村からほとんど出ないまま一生を終えたので隣の隣の村に同名の人がいてもさして困らなかったのです。
なぜ明治時代に名字が義務付けられたのかというと、徴兵制になったからです。兵隊の管理のために名前だけだと「吾郎」だけだとどの吾郎かわからないからです。それじゃ番号でもいいじゃねえかと思うかもしれないですけど、番号にすると#2さんの回答のように「おい、へ三六九五八七はム五六九八二一を連れて伝令に行って来い」「お言葉でありますが軍曹殿自分はヘ三六九七五八であります。なお、ム五六九八二一は先ほど負傷して後方に下がりました」「いえ、ム五六九八二一はここであります!」などとややっこしくなります。もちろん、軍隊でもそれぞれの兵士に番号はつけてごっちゃにならないようにしていますが。
しかも確率的にいえば名字+名前の組み合わせは単純でいて意外にごっちゃになることを防げます。「田中一郎」のようなありがちな名前でも、「田中」さんがいっぱいいても、「一郎」さんがいっぱいいても、「田中一郎」となると同姓同名になる確率は相当ぐぐっと下がります。だから世界中の国で名字+名前が採用されているのです。

また、昔の中国などでは姓と名の他に「字(あざな)」を使っている場合があります。例えば、三国志で有名な劉備玄徳。一般的には、彼は「劉玄徳」さんと呼ばれます。お母さんなどの家族などが「備」と呼べるのです。「劉備」さんと呼べるのは義兄弟の関羽や張飛くらいです。なぜこんなややっこしいことをしていたのかというと、呪いをかけるときに相手の本名が必要だからです。誰かが劉備に呪いをかけたいと思ったら紙に「劉備」と書かなければならないのです。逆にいえば、書けば呪いがかけられることになります。もし、「劉玄徳」だけなら本名が書かれていないので呪いは成立しません。本名を知られないために字を使っていたのです。こういう風習は意外に世界中にあります。

なお、私はkanase62さんとは逆に滅多にない名前を持っています。そんな私からすれば、名前が珍しいのもそれはそれで困ったことがあります。それは「名前が出れば俺だとバレる」ということです。もし私が警察のご厄介になりニュースで名前が流れたら「ああ、eroero1919が捕まった」と私を知る人全員に知られてしまいます。「同姓同名の別人だ」と逃げ切ることはまあ無理でしょう。ですので大多数の同姓同名の中に埋没できるkanase62さんがちょっとうらやましいときもあります。「木は森に隠せ」って言葉もありますしね。
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この回答へのお礼

丁寧な回答ありがとうございます。

七尾村の吾郎さんで通じていた時代が少しうらやましい・・・私も、番号制のみで管理するのは無理があるとは思います。五郎だけでも到底無理ですよね。でも田中一郎で確立はぐぐっと下がるといってもゼロではなく、同じ場に遭遇する可能性もないわけではない。そのときにはファースト田中とセカンド田中にわけられる。それは悲しいものがあると思うわけです・・・

>本名を知られないために字を使っていたのです。
字(あざな)はとても興味深いです。調べてみます。本名を知られないために。それほど名前=自己だったんでしょうか。

>それは「名前が出れば俺だとバレる」ということです。
それも不便なことが多々あるかもしれません。でも私が事件の容疑者として名前が流れたら年齢と職業もバレるのですから、さすがに私を知る人には「kanase62ではないか」と思われると思われます。それに私は震災を経験しましたが地震などで亡くなった人の名前はニュースで流れます。何百人も。そのときに同姓同名が多いと非常に困る場合もあります。

お礼日時:2007/10/04 19:50

いくらありふれた名前であっても


あなた自身の名前であり、たまたま他にも同じ名前があるかもしれませんがそれはあなたの名前ではありません

でもなんとなくわからなくもないです

たとえば、携帯ですが、同時に同じ番号が複数の携帯につくことはありませんから
完全に一意ですよね(いろいろ条件はあるけど)

名前の変わりに、携帯を鳴らしてもらえばいいのかも
名前のところに携帯番号が書いてあればいいのかも・・・・

SNSでもそうですね
実際には「会員番号」みたいなのが振られていてそれで区別するのですが自分でハンドルネーム決めます
ハンドルネームが他の人と同じにできないところもありますからね

でも携帯とかハンドルとかは「本当の自分を隠す」「本当の自分から距離を置く」作用があると思います
自分であることの感覚は薄くなると思います
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>同じ名前があるかもしれませんがそれはあなたの名前ではありません
私の名前でありその人の名前でもある、とも言えるのでは。
そこに込められた意味ということでしょうか。

>「本当の自分を隠す」「本当の自分から距離を置く」作用があると思います
携帯は本当の自分を隠す?難しいですね。ハンドルはなんとなくわかりますが・・・

お礼日時:2007/10/04 06:31

不思議に思うのは、なぜ番号がメインなのか、ということです。


本名メインで番号がサブで良いような気がするのですが。
同姓同名をたくさん見てきたからこそそう考えてしまうのでしょうね。
番号なら被ることはない、みんな1人だけの個人だ、と。

姓は由緒あるものですし、名は親が心をこめて真剣に考えるものです。
漢字って芸術的だと思いますけどねー、例え同姓同名だって、
その1文字1文字に込めた意味は違うと思います。
番号では個性も何もなく、意味を持たない無機質なものになります。
愛称をつけるくらいなら本名に付属ナンバーをつければいいような。

それにしても、管理、区別はすでにされていると思うのですが。
学生にはその人だけの学籍番号がありますし。
わざわざ本名をナンバーにする必要はないのでは。
他の人も言っているように番号は間違えやすいですし、ケタがどんどん
増えて行ってしまいます。番号に確固たる自分を見出すのは難しそうです。

生まれてきたときに本名+その人だけのIDが作られる、というのは良いと思いますが。
病院で言うなら、病院番号○○番の鈴木さん、って感じに
その病院だけでの番号を割り振ればいいと思いますね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>本名メインで番号がサブで良いような気がするのですが。
人付き合いでは愛称で呼ばれるのですから、それが”メイン”だと思えるようにはなってくるんじゃないでしょうか。姓と名のように、どっちが主役というわけでも考えてないです。それに番号だって、それが一生ものなら愛着も湧いてくるのでは。私は小さい頃自分の出席番号とか電話番号にも執着してました。

>漢字って芸術的だと思いますけどねー、例え同姓同名だって、
>その1文字1文字に込めた意味は違うと思います。
そうなんです。漢字はすごいです。私の名も両親が素晴らしい意味を持って名づけてくれました。でも見た目は同じ。人に説明しないとわかってはもらえないのです・・・少し、くやしいです。でもそれがほんとの個性なのかもしれませんね。自分の中身というか。

>それにしても、管理、区別はすでにされていると思うのですが。
されている場もありますが、やはり一個人として、社会全体で通用するものは必要ではと考えます。病院や薬局でも初診でふらっと行ったときには名前で確認されますから。

>生まれてきたときに本名+その人だけのIDが作られる
名はいいとしても、姓は不要になってくる場合もあるのでは。すくなくとも本人は選択できるようにした方がいいんじゃないでしょうか。赤ちゃんには無理なので成人してから、とか。

お礼日時:2007/10/04 06:23

新しい考え方というより、古典的なSFの手法ですな。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。
確かにこういうのってよくSFやってそうですね。

お礼日時:2007/10/04 05:47

うん、狂ってると思う。


理由
1.もしそれが合理的なら、アメリカやヨーロッパなどですでに使われていると思う。
2.誰がその番号を名前にするのか?
 例えばキミが親になって、出生届を出し行ったたとする
「名前は"SEX19190721"です」
「ブー!すみません、その名前は既に使われています。別の名をお願いします」
「では、SEX69691919で……」
「それも既に使われています。別の名でお願いします」
3.病院で
「OMA961961931さん、お薬出ました」
「はい」
「OMA96961931さんですね」
「違います、ONA93196931です」
「すみません、あなたではありません。OMA961961931さ~ん、お薬出ました」
4.学校で
校長「ANA96193169先生、1学期も終わろうとしているのに、まだクラス全員の名前を覚えていないのですか?」
担任「申し訳ありません、夏休み中に必ず暗唱できるように頑張ります」
校長「2学期始まっても覚えていない場合は担任を外すこともあり得ますからね」
担任「お言葉を返すようですが、だったら校長は6年生の担任の名前を全員覚えておられるのですか?1組の先生の名前は言えますか?」
校長「うっ、ONA4545…」
担任「ONA4545191955は4年2組の担任です!」
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
やっぱり狂ってますか。

>1.もしそれが合理的なら・・
欧米や欧州は名前に対する価値観、歴史的背景も日本とまた違うでしょうからわかりませんが私は合理性のみ求めているわけではありません。でもまあ、今のところ現実的でないのは十分わかっていますよ。

>2.誰がその番号を名前にするのか?
私が考えているのは、出生届をだしたら自動的に国から与えられる番号です。なのでかぶらないし、fujimaru00さんのように親が意味を持って?つけることは残念ながらできないです。

>まだクラス全員の名前を覚えていないのですか?
先生が生徒を呼ぶときには愛称でいいですから、生徒の”番号”を覚える必要はありません。あくまで名簿などの文字上の管理ですので。生徒の電話番号や住所をいちいち覚えている先生なんていないですよね。
でも、薬は”番号”で管理ですね・・・その場合、やはり袋に書いたものを確認ですかねぇ。

う~~~~~ん、それでも文章中でも英数字の羅列はかなりわずらわしいですね。わざわざわかりやすい例を書いて頂いてありがとうございます。

お礼日時:2007/10/04 05:44

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