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私はヴェルディの『マクベス』『オテロ』『ファルスタッフ』などのシェイクスピア原作のオペラは傑作とは思えません。シェイクスピアの作品はすでに有名でありオペラにする必要性が感じられないからです。私はオペラ化されることで原作が広く知られるようになる作品がオペラとしてあるべき形のように思えてなりません。
このような視点からのヴェルディのシェイクスピア原作のオペラに対する批判は聞いたことがないのですがオペラ好きな人たちはどう思われますか?

A 回答 (5件)

CD DVDで研究すれば そうかもしれませんが


ライブに行く人は 駄作に高い金は払いませんから、駄作と気がつかないのです。
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こんにちは。



質問者さまの意図をつかみかねて回答を控えていましたが,他の回答者さまへのお礼を読んでいて思い当たる部分がありましたので。

ヴェルディがシェイクスピアを非常に深く敬愛していたことは比較的よく知られています。(だからこそ,あれだけの数のシェイクスピア原作のオペラを作っているのですが。)
その愛情の結果として,台本・ストーリーへのこだわりが強く,客観的な成功/失敗,あるいは,傑作/駄作の判断はともかくとして,そのあたりが,質問者さまが思っているオペラのイメージと食い違うのかもしれませんね。
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この回答へのお礼

写真家の不肖・宮嶋こと宮嶋茂樹が「人間である前にカメラマンであれ」という言葉を言いましたが、私はヴェルディに「シェイクスピア敬愛家である前にオペラ作家であれ」と言いたい気持ちです。

お礼日時:2007/12/08 22:41

 「シェイクスピアの作品はすでに有名でありオペラにする必要性が感じられない」という質問者様のご意見は、ヨーロッパでは実は逆でして、イギリスの内外でシェイクスピアの作品化にいろいろな分野の制作者が挑戦して来ました。

イギリス以外の国では「誰某は○○(国名)のシェイクスピアだ」と言ったりもします。それほどの偉大な作家なので、音楽関係者もほっておくはずはなく、ベルリオーズやプロコフィエフも音楽を書いています。シェイクスピアであるがゆえにヴェルディはオペラ化に挑戦した、と考えたほうが素直だと思います。傑作かどうかについては、いろいろ意見があるということで。
 余談ですが、聴衆の意識の変化とともに、オペラの内容が批判されることはあります。例えば、「アイーダ」は奴隷制度を肯定しているとか、オペラの女は娼婦ばかりだとか、意識の進んだ聴衆からいろいろ言われてきましたし、一々ごもっともだと思います。そのように思っている関係者もいます。質問者様の意見は文学的内容に向かっていて、一つの正論だと思います。では、オペラファンはなぜオペラを好むのかといえば、アリアにはまる奴もいれば、イタリア語が好きな奴もいれば、モナコ・ファンもいればと、十人十色の趣味があるんです。オペラ好きが集まると、アリアを歌いだしたり、シミオナートの歌唱の批評を展開したりと、話題は音楽論に向かいますが、オペラの文学的完成度の低さに腹を立てるオペラファンは滅多にいないですね。
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この回答へのお礼

私もシェイクスピアの作品化に音楽関係者が挑戦すること自体を否定するものではありませんし、また、シェイクスピアの作品のオペラ化自体を否定するものでもありません。
しかし、私はヴェルデのシェイクスピア作品のオペラ化は間違いであり、ヴェルディのシェイクスピア原作のオペラは失敗作であると思います。
そして、そのヴェルディのシェイクスピア原作のオペラの失敗の根本的な原因は、ANo.1の回答とANo.2の回答に対するお礼で書いたとおり、ヴェルディのオペラ制作に対する基本的な姿勢の誤りにあるような気が私はしてなりません。
そうした意味で、私はR・シュトラウスのマイナーな交響詩『マクベス』の方がヴェルディのオペラ『マクベス』よりオペラ的な音楽作品ではないだろうかと感じます。

お礼日時:2007/12/07 03:38

オペラファンの人は、音楽を聴きたいのであって、原作にはあまり興味がないという人が多いと思いますよ。



もちろん、作品を深く知ろうとすれば、原作を読んで、それを作曲家がどのように解釈したのか? ということになると思うのですが・・・。

とにかく、オペラファンにとっては、一にも二にも、音楽なのだと思います。 そういう人が、ほとんどというのが現実だと思うな~。

 >私はオペラ化されることで原作が広く知られるようになる作品がオペラとしてあるべき形のように思えてなりません。

これについては、どうかなと思います。 オペラは、多くの経費が掛ります。 初演だけで、そのままお蔵入りの作品多数。 オペラによって、原作を世間に認知させるのは、あまりに効率が悪すぎる気がします。

それに、ワグナーなどのように、自分で台本を書く人もいますから。 
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。
私もオペラは音楽が中心の芸術であると思いますので、オペラはDVDを見るよりCDをよく聞きます。
私がヴェルディのシェイクスピア原作のオペラが気に入らない理由は、正にmadvally88様がおっしゃるように、原作はある意味でどうでもいいのに原作に泥濘し過ぎる作品だからなのです。
例えば、R・シュトラウスのオペラ『ばらの騎士』は荒唐無稽的な話(日本で言えば『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』のような時代劇?)でありながら、その本当はありえない話にR・シュトラウスの音楽付くことで、その本当はありえない話をありえる話のように観客に感じさせてしまう作品だと私は思います。
そして、それがオペラのマジックであり、オペラの真骨頂ではないだろうか?と私は思うのです。
ところが、ヴェルディのシェイクスピア原作のオペラは、それとは正反対に「シェイクスピアとはこうなんですよ」と屋上屋を架すように観客に訴える非オペラ的作品のように私は感じてしまうのです。
私はヴェルディのシェイクスピア原作のオペラは、シェイクスピア原作のオペラというより、シェイクスピア原作のドキュメンタリー映画のように感じられてしまうために、どうしても好きになれないのです。

お礼日時:2007/12/07 03:01

原作を有名にすることがオペラの使命とは思いません。


原作を翻訳なしで読むのがいい人,
劇で観るのがいい人,
映画化されたものがいい人,
オペラがいい人と,人それぞれだと思います。

以下,私の場合ですが,
私はイタリア語やドイツ語は分かりませんが
オペラは文学ではなく音楽として楽しんでいます。
粗筋しか知らないもの,粗筋すらよく知らないまま
聴いているもの,オペラ全曲を知らずに一部だけを
聴いて,それでも楽しめているものなど,いろいろです。
文学的要素をもっと理解できればオペラをもっと深く
楽しめるかもしれませんが,今の聴き方でも
私は楽しめています。
もし,私に古い英語を聞き取る力があったとしても,
原作の朗読を聞くよりは,或いは自分で読むよりは
音楽の方がいいです。
劇で観るよりも,オペラの方がいいです。
私(オペラがいい人)の場合の感想です。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。
『マクベス』がフランスで初演された時に「ヴェルディはシェイクスピアを理解していない」とフランスの新聞が酷評しましたが、私は少なくともヴェルディのシェイクスピア原作のオペラについては「ヴェルディはオペラを理解していない」と思います。
原作をオペラ化する場合は、原作を膨らませるか、あるいは原作を削るか、という2つの方法があると思うのですが、シェイクスピアをオペラ化するなら間違いなく後者の方法だと思います。
それは、美容師が髪をカットして髪型を作るような仕事であり、オペラ作家はヘアデザイナーのような役割を果します。
しかし、ヴェルディは髪をカットするのではなく、自分が髪をカットすべきお客さんの横で、まるでペアピースを作るように、もう一つのシェイクスピア作品を作ろうとして、そして失敗した、というのがヴェルディのシェイクスピア原作のオペラのような気がして私はならないのです。
ヴェルディのシェイクスピア原作のオペラを聞くと私は「おいヴェルディよ、曲だけでなく原作から自分で書けよ」と言いたくなってしまうのです。

お礼日時:2007/12/07 02:28

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