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QA161
The second part is not later than 600 B.C.; for 1) the chariot-races at Pytho, which commenced in 586 B.C., are unknown to the writer of the hymn, 2) the temple built by Trophonius and Agamedes for Apollo (ll. 294-299) seems to have been still standing when the hymn was written, and this temple was burned in 548. We may at least be sure that the first part is a Chian work, and that the second was composed by a continental poet familiar with Delphi.
第二編は紀元前600年を降らない。理由1)ピトンでの二輪戦車競走、これは紀元前586年に始まったもので、この讃歌の詩人は知らない。2)アポローン(Il.294-299)のためにトロポニウスとアガメデスにより建てられた神殿はこの讃歌が書かれた時はまだ建っていたと思われるが、この神殿は548年に焼失した。
(したがって)すくなくとも、第一編はキオス人の作であること、第二編はデルポイに詳しいギリシャ本土の詩人によって編纂されたのは間違いないと思う。

質問
(1)a Chian workについて
 Chianの読みはカイアン(英)、キオス(日)のようである。
Gの島名。冠詞aがあるので、「キオス人の作」で正しいでしょうか。
(2)Pytho was the chthonic enemy of Apollo,(free-dic)とあるので、Delphiの
  (中の)地名だろうか。

A 回答 (1件)

見事に訳されていると思います。



(1) 「キオス人の作」でよいと思います。
ホメロスはキオス島で生まれたという説があるんですね。

(2) at Pytho = at Pythian Festival ではないでしょうか。
その Pythian Festival が行われたのは Delphi の地です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%A5% …

お示しの Free Dictionary の定義は、大蛇の名前ですね。
日本の『古事記』に須佐之男命が八俣の大蛇を退治する話がありますが、それを連想させます。
ただし、この大蛇(Python)は、悪いやつというイメージはなくて、デルポイの番人。それをアポロが殺して、デルポイの神殿の神石の下に葬ったとのこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%A5% …

(3) その他

> デルポイに詳しいギリシャ本土の詩人によって編纂された

ここにある familiar with Delphi の Delphi は、「デルポイの神殿」のことを指しているとも思えるのですが、どうでしょうか。
第2歌を書いた(歌った)詩人(作者)は、まだ「デルポイの神殿」が「建っていた」頃にその讃歌を書いたと思われるので。
従って、familiar with も、「詳しい」というか、「本土の人」だから、「建っている神殿を自分の目で見て知っていた」から「親しい」のではないでしょうか。
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