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よく、自分のやったことが返ってくるとはいいますが、それは誰かが見えるからなんでしょう。
そうでなければ、正確な計算が行えません。逆に自分が意図的に何かに報復している時は、
きちんと最初の経緯から見てくれてるんでしょうか?
因果応報とはいいますが、どこまで正しい計算なのか非常に怪しいと思っております。
そしてどこからどこまでという区切りもありません。
今のところ全く計算があっておりませんので、大分損をしております。
一人ではなく、親子を関連したものと考え、世代を超えたものを考えれば、
人類誕生から計算しなくてはなりませんので、
誰にも正確に計算できないということになります。

私に一つ言えることがあれば、全く平等ではないということです。
そして、神なんていないと思っております。
もし神がいたら、私への数々の悪行は叩き潰されていなければおかしいからです。
結局因果なんてものは、その価値が見えるものが、原因となるものを独自に解釈して
勝手な結果をもたらすことになっているのだと感じております。

因果の価値が見える人。アドバイスや反論等の回答よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

osietさん こんにちは。



このテーマは深いですね。私の個人的な認識をお話します。

因果を考える場合、本人が考える場合と他人が事後に考える場合があります。
比較的簡単に説明できる他人が事後に考える場合をお話します。

他人が因果を考える場合は、たまたまその事を見つけたり日も付けたりして
ストーリーをつける、後付けかと思います。

本人が自分の人生の経験に因果を考える場合、この場合は本人の心理的な
成長も因子として入ってくるかと思います。
過去の経験の記憶はその当時の心理状態で心に記録しています。
心が成長してくると心の状態や出来事の整理の仕方が変わってくるので、
「あれ、昔のことはああいう解釈でいいんだっけ?」とか、
「このやりかた続けててよかったんだっけ」と
心の持ち方や、感じ方整理の仕方に
意識的・無意識的に抵抗が発生してくるかと思います。
そのとき、昔は表面的には主張しなかった、苦しみや悲しみが出てきたり、
因果的な感覚も発生してくるかと思います。
こちらは、この文章で伝えられることが出来るかどうか自信がないのですが、
今私が考えている因果観はこんな感じです。

あと神様の話。
おっしゃるとおり平等ではないかと思います。
ただ人それぞれに人生に考え方があるように、
自分にとって納得が出来る状態にするために、
死ぬまでずーっと続く終わることのない心の成長があるのかと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>>こちらは、この文章で伝えられることが出来るかどうか自信がないのですが・・・
よくわかります。
人間の心理は一定ではありませんから、
時が経てば同じ出来事を昔とは全く違った解釈をすることがあります。
知識や見識も増えて捉え方が変わってくるというのもあるのでしょうね。
一心不乱に何かに打ち込んでいる時には気づきもしないことが、
時間の空いた時にわかるようになったりもしますね。

>>自分にとって納得が出来る状態にするために・・・
そうですね。不満とは欲求が満たされないということですから、
どうしても当初の欲求が満たされなければ、違う形で納得という状況に心を変化させるしかありませんね。

お礼日時:2010/08/18 21:49

意外と周囲の世界というのは狭く、ネットの発展でさらに狭くなっていますし、自分の知らないところで自分がうわさされていたりします。


たとえば。あなたが仕事で利益のために誰かを裏切ったり、不当な行為をする。そのようなことが多ければ「彼はそういう人間だ」とうわさは広まり自分が困ったとき、誰も助けてはくれないでしょう。
反対に、自分よりもまず先に相手をたてるようなジェントルなことをしていれば、あなたが窮地に陥ったとき他たすけてくれる人は多いと思います。

極端な例では軍隊で部下をいじめm不当にしごく上官は、前線に行けば後ろから撃たれることもあります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうですね。噂を信じて人を見捨てることはよく行われている行為です。
ですので、人間は常にパーフェクトな行動をとっていなければ悪い噂が立って困ったことになりますね。
悪い噂が立つのは、たいてい集団から外れている人間です。集団のトップに立っている人間でも、
実際に集団から浮いていれば、何をしようと悪い噂は立ちます。集団から外れた者と同じ悪事をしていても集団にうまく溶け込んでいれば、悪い噂は立ちません。集団から外れてしまえば、悪い噂を立たせようと、罠を仕掛けられる場合だってあります。

ですので、仕方のないことかもしれませんが、極端に噂を信じ過ぎるのはどうかと思います。

お礼日時:2010/08/18 21:30

>>因果応報とはいいますが、どこまで正しい計算なのか非常に怪しいと思っております。



犯罪行為で、人を大勢殺し、大儲けして豪華な暮らしをしながら、一生を終える人はいます。逆に、人の為に自己犠牲をやりながらも、騙されたり、お礼をされることなく貧く、病で苦しみながら一生を終える人もいるでしょう。

因果応報とは、この世だけで精算されるものじゃあありません。前世療法とか、霊界通信などの本を読まれると分かりますが、因果応報とは、次の生まれ変わりの人生とか、その次の次の人生にまでも含めて帳尻を合わせます。なので、現在の人生だけをとると、計算は合わないことになりますね。

ちなみに、あの世には、データバンクがあって、すべて行動を記録しています。

>>もし神がいたら、私への数々の悪行は叩き潰されていなければおかしいからです。

上記に書いたように、因果応報は、「この世」限りではなく、来世・来来世などまでも含んでいます。なので、自分に対する悪行を行っている人がとても豊かで豪華な人生のまま死期を迎えることもあります。
そして、この世は、魂修行の場として設定されているので、そういうことも認められた世界です。そして、何度も生まれ変わった人生をトータルしたら帳尻は合うようになってます。

なので、不治の病とか、身障者になるとか、騙されるとかは、前世・前前世になんらかの問題行動があったといえるかもしれません。ただ、ヘレンケラーのように、自ら志願して「不幸な目にあっても頑張ることはできる」ということを示すため、なんらの負債がないけど、障害のある体になる計画をたてる方もいますので、「前世の悪行の報い」と断定はできませんが・・・・。

そういうことで、質問者さんがイロイロと悪行の被害者になっているなら、前世に他人に対し、酷いことをした報いを現在受けているという可能性もあります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

前世、後世については、私には見えませんので、現状ではよくわかりません。
因果応報があると考えれば、そのような世界がないと、現世での帳尻が合わないような気がしますが、
実際に他人になれるわけではありませんし、常に一緒いるのは自分自身だけです。
他人の帳尻については、表面的な一部分しかわかりません。
自分自身の帳尻すら正確には把握できないかもしれません。
あの世のデータバンクが今見れればいいですが・・・。その評価って正しいんですかね?

この世は魂の修行の場ですか。lv4uさんは、回答で述べられた、「前世療法」や「霊界通信」を
お読みになって、その意見を信じてらっしゃるのですね。
私自身の前世の成り立ちを見れれば理解できますが、見えないとよく理解できません。

しかし、そのような考え方があるということは参考になりました。

お礼日時:2010/08/18 21:17

私も神はいないと思っていますが、「やったことが返ってくる」は、


そうこともあると思っております。


「情けは人のためならず」や「人を呪わば穴二つ」などの
やったことが返ってくるというのは物質的な話ではなく、
精神的な感じ方の話の方が納得できます。

他人のためにプラスになることを意識して続ける人はポジティブに考えやすくなり、
逆に人に対して行った悪いことを気に病んでいる人は自分に対して起こることにも、
悪意を感じやすくなります。

特に上の2つのことわざなどを意識してやっていた方は、
自己催眠的な力も働いて自分の身におきた何かをそのおかげ、そのせいだと
強く思うために自分のやったことが返ってきた、と感じる現象が起こっているのでしょう。


極端な例で言うと、普段他人のためにプラスになることをして
ポジティブな思考をしている人が交通事故で足を骨折したら
「人に対してやってきたことがあったから、あんな事故でも死なずにすんだ」と思い
何か人に対してやった悪いことを、忘れられずに気にしている人が同じ事故にあえば
「自分がやったことのせいで事故にあってしまった!」と思うかもしれません。


実際にそのことを意識したりよく口にする人ほど、何かが返ってきているはずです。
誰かが見えるその誰かは、きっと本人だけなのだと思います。
ただ、「情けは人のためならず」のような考え方は精神衛生上も
非常にプラスになると思うので、私自身も意識した上で実践したいと思っています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私がいうのもなんですが、
世の中には、特に「情けは人のためならず」を
「自分への見返りポイント」と勘違いしているような人が大勢見受けられます。
それに影響されてしまったのか、私も最近では「自分への見返りポイント」のために
他人に情けをかけようと考えがちです。

最近では、心から情けをかけているように見える人を見かけることは、非常に稀です。

しかし、unacowaさんの言うとおり、精神衛生上はプラスになるかもしれませんね。

>>他人のためにプラスになることを意識して続ける人はポジティブに考えやすくなり、
逆に人に対して行った悪いことを気に病んでいる人は自分に対して起こることにも、
悪意を感じやすくなります。

この部分は参考になりました。どうもありがとうございます。

お礼日時:2010/08/18 21:01

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