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こんばんわ
高校時代に同い年の近所の友人が登校拒否になりました。
彼とは幼稚園から中学までずっと同じ学校でした。
スポーツ推薦だったために、高校の授業について行けないという理由なのかは、定かじゃありませんがそういう理由と聞いています。その時に久々に幼稚園時代の園長先生と会って言っていた言葉
『若いうちの1年や2年長い人生の中で何てことないのに』が気になって仕方ありません。若いからこそ、1年や2年が重要でないかと思うのです。就職しても再び専門学校に入り学ぶ人や、ニートまたフリーターなどの若者が増える今になって、あの時の園長先生の言葉の真意を知りたくなりました。真意を教えて貰わぬままに園長先生が他界したことが残念です。皆さんの解釈を教えてくださいお願いします。

A 回答 (7件)

私は40代ですが、園長先生の言う「若いうちの1年や2年は長い人生の中で何てことない」という意見に同感です。



あなたが、若いからこそ1年や2年が重要なんじゃないかって思うのは、まだ若いから、若くなくなった後のことを考えられないからそう思うだけですよね。

でも、長い人生、若くなくなってからの方がずっとずっと長いんです。若さはかけがえのないものだけど、若くなくなってからが人生の本番なんですよ。そう考えないと、15年ぐらい子供をやって、その後15年ぐらい若いと言われる時期を過ごし、あとの60年は若さを失ったことを嘆いて生きることになりますよ?そんなの嫌でしょ?

健康で体力があって、頭もクリアで考え方も柔軟で、人生がたっぷり残ってて、いくらでもやり直しがきく若い時期にどれだけ躓いてもいいから、若くなくなってからの長い年月、笑って生きられればいいと考えた方がいいってことですよね。
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この回答へのお礼

人生80年良い人生を過ごせる礎を築こうと思います。

お礼日時:2011/03/21 21:04

人生何十年の中で1年2年は極一部ってことがいいたかったのではないでしょうか


若い時の1年2年はまだ人として成長し続けている途中だから
何かに夢中になったりしてそのことだけで年をとってしまう
なんてことなく過ぎてしまうってことがいいたかったのではないでしょうか
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この回答へのお礼

今という時間を大切に生きようと思います。ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/03/21 21:02

こんばんは。



>あの時の園長先生の言葉の真意を知りたくなりました。

その言葉の前後、そしてその方の日常の言動が解らない事には、
ご本人のみしか、その真意は知りえないでしょうね。

ですから、これ以降、『想像』になります。

『青春時代』と言う歌の歌詞に、

♪ 青春時代が 夢なんて 
   後から ほのぼの 想うモノ
  青春時代の 真ん中は 道に迷って いるばかり

と言う一節があります。

ですから『“私位の歳になると”若いうちの
1年や2年長い人生の中で何てことないのに』となるかと思います。

そして『シニア世代同士の会話』では、当たり前のように、
『若いうちの1年や2年長い人生の中で何てことないのに』と
出てくると思います。

今の時代、『その1年2年間を“イジメに合い続けて、耐えている”』方も
表に出ないだけであって、相当数いると感じます。

その方々にとっては“それは日々地獄”のはずです。
(それによって『自らの人生に幕を引く方もいる』のが、現実です。)

それを乗り越えて、歳を重ねる事に、またそれ以上の
様々な艱難辛苦をなめた時、自身の人生のほかの事と比較した時、
『イジメ』が軽く感じたり、
『イジメ』から学ぶモノ、気づくものがあるはずです。

また数学的に言えば、『20年間の1~2年間は5%~10%』です。
しかし『80歳の方にとってに1~2年間は1.125%~2.5%』です。

その1~2年間の“比重”は明らかに違います。

しかし、変わらぬものが一つだけあります。

それは20年にしろ80年にしろ、『一瞬一瞬、1日1日の積み重ね』と言うことです。

どの『一瞬、1日が欠けても』、20年にも80年にもなりませんモノね^^。

…以上『個人的解釈』で・し・た。

それでは。
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この回答へのお礼

75を越えた園長の言葉一つ一つに重みがあった事を気づく毎日です。

お礼日時:2011/03/21 21:06

還暦過ぎたおじさんの立場から・・・・


私の遠縁に当たる若者(今年30才くらいでしょうか)
中学時代に登校拒否になり夜間高校に行きました。
この頃はバイクを乗り回し手が付けられませんでした。
     
その後自動車整備学校へ行き自動車ディーラーに就職しました。
今では1級整備士から自動車検査員(車検の検査が出来る準公務員資格)まで取って今では結婚し3児にも恵まれ、家も建てて両親を呼んで暮らしています。
    
話してみてもとてもしっかりした地に足の着いた考え方をしています。
これは中学時代余り勉強しなかった事で後々苦労した事が、今になって考え方に生きているようです。
回り道をしたけれど、その途中で色々経験し自分なりに生き方が判ったのでしょう。
    
私も振り返って見るに失敗した、苦労したという経験こそ、その後の生き方に影響をしています。
若い時から挫折もなく、ストレートにエリートと呼ばれる職に就いた人に限って一旦挫折をするとうつ、自殺などという騒ぎを起こします。
若い時に苦労して挫折して(当然失敗の連続です)こそ器の大きい、懐の深い、人の痛みが分かる人間に育ちます。
    
今日本人で一番ノーベル賞に近いと言われているiPS細胞の山中伸弥教授でさえ、若い頃整形外科に入ったけれど不器用で「邪魔中」と呼ばれた事もあるそうです。
その後も紆余曲折を経て今の地位を築かれたのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%AD% …
     
私は人生の中で無駄という事はないと思っています。
失敗しても、挫折しても、必ずそれが生きています。
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この回答へのお礼

失敗や躓きをどう肥やしに変えるかが重要と言う事でしょうかね。

お礼日時:2011/03/21 21:08

私は恐らくその園長先生ほど年輪を重ねていないでしょうが、思うところを少し。



若いうちに任される仕事はだいたいやることが限られています。責任もあまり大きくありません。つまり、所属する組織に与える影響は大きくありません。そのため失敗したとしても致命的な事態になることが少なく、許されやすいように思います。
また仕事に対する経験も少ないですし、何しろ若いぶん将来伸びることを期待されていますから、責めるより伸びてもらおうという周囲の考えもあると思います。「若いうちにたくさん失敗しろ」という言葉もありますが、こういったところから生じたものだと考えます。

齢をとり責任ある立場になったとして、そのときにする失敗は往々にして所属する組織に大きな影響を与えます。場合によっては自身の馘首を賭けないといけなくなるほど、深刻な事態になるかも知れません。また齢もとってますから、若いひとと同じように将来性を期待するのも難しい。
つまり年をとってしまうと、してもいい失敗や浪費してもいい時間は少なくなる(あるいは、なくなる)という考え方が大勢のようです。個人的には、こういった考え方があっても同調しかねますが…。

だから「時間を浪費することがあったとしても、若いんだから致命的なことにはならない。やり直しはいくらでもきくんだ」というお考えがあっての発言ではないでしょうか?
付け加えると、今は(昔の主流だった)年功序列も崩れて若い人にもどんどん重要な仕事が任される時代ですから、園長先生の若い頃とは背景がかなり異なっているでしょう。質問者様と意見の相違が見られるのは、そういうことが原因ではないかと思います。
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この回答へのお礼

社会構造が変わっても変わらない何かを見つけたいです。

お礼日時:2011/03/21 21:13

おそらく挫折した経験のある人にしか言えない言葉だと思います。



私も高校生の時は、他人が挫折するのを見て、いち早い現状復帰とその機会の喪失を憂えていた者です。今思えば、何も分かってはいなかった。後年挫折を経験し、乗り越えるまでは。

スポーツ推薦というのは時として酷な結果も受け入れなければいけません。なにせそれで大成できる人はほんの一握りなんですから。
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この回答へのお礼

園長は借金やらで随分苦労したと聞いています。

お礼日時:2011/03/21 21:16

 <就職しても・・・


 質問者様は自分の将来についてしっかりとした考えを持っている方なのでしょうね。
 あくまで想像ですが、私の解釈を申しますと、園長先生様は「失敗や挫折を経験しても大丈夫、何度でもやり直せる」という意味の励ましの言葉を仰ったんだと思います。
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この回答へのお礼

私もあいだみつお氏の『今からここから』という言葉が大好きです。

お礼日時:2011/03/21 21:18

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