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貧困国ってそう簡単に抜け出せないのでしょうか?
もう各国が支援も何十年としてたりしてても

現状は貧困で病気や飢餓が多い
国自体がまだダメ

未だに現状のTvなど見ると悲惨ですよね


自分が小学生の頃にXXはこんな貧困で苦しんでるとか
授業で習いました
1円募金も カンボジアなどにしてました


それから25年も経ちますが現状を調べると未だに貧困

ずーーーっと
アフガニスタン、 カンボジアとか取りあげられると昔から変わってない

どこかから独立すると貧困国が生まれる
タジキスタンなんかもまだまた水、電気、ガスはまともでないと貧困の国って知ったり・・・

抜け出すにはどれくらい年月がかかるのでしょうか?
もしかしてあと50年60年と半世紀が過ぎてもアフリカなんか
あんな状態なんでしょうか?

A 回答 (6件)

一番の貧困国といったらアフリカでしょう。



アフリカは、英仏が入って来る前は、それなりに
やってきたのです。
あそこは、大した労働などしないでも食物が手に入る
土地ですから。

しかし、英仏が彼らの土地を取り上げました。
民族、宗教、伝統を無視して勝手に国境を引いて
しまいました。
それどころか、一家の働き手4000万人を奴隷と
して輸出しました。

お陰で、社会や家庭が崩壊し、餓えに苦しみ
内戦が絶えなくなりました。

貧困から抜け出すためには、まず政治が安定
しなければなりません。
しかし、内戦が絶えません。

その次に経済です。
昔のような原始農業に後戻りは出来ません。
好むと好まざるとに関わりなく、
資本主義体制下でやっていかねばなりません。

その為には教育が必要ですが、そんなインフラは
ありません。

無い無いづくしです。

誰か強力な指導者が出て、アフリカ合衆国の
ようにしないと無理でしょうね。

日本はここまで来るのに2000年掛かっています。
現代はスピードアップされていますが、それでも
数百年掛かるのではないでしょうか。
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>>スイッチを押せば電灯が灯る。

蛇口をひねれば綺麗な水がでる。それは当たり前のことではないんです。

>スイッチを押したら電灯が灯るのは当たり前じゃないか。蛇口をひねったら水が出るのも当たり前。

そんなことも知らないのか?
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結局は教育なのです。

福沢諭吉は「学問のススメ」を著した。日本は、飛鳥時代に中国から漢字を輸入し、平安時代にはひらがな、カタカナも創案しました。文字は貴族から武士、武士から商人、商人から百姓と時代を追うごとに普及していきました。平安時代には僧侶が貴族に学問を教えた。家庭教師みたいなものです。源氏物語や枕草子は平安時代の貴族の女性が著した文学作品でした。鎌倉時代には僧侶が武士に学問を教えた。室町時代には僧侶は商人に教えた。江戸時代には寺子屋で百姓にも教えた。福沢諭吉はそうした日本の歴史を振り返って改めて学問の意義を大衆に強調して訴えたわけです。

ところが貧困国というのは、こういった歴史が全くないのです。日本と比べれば1000年以上も遅れている国がごまんとある。

カンボジアに至っては、共産主義に狂ったポルポト政権が知識階級を虐殺し、または都市から農村に強制的に追放しました。手のひらにマメがない。さては資本家だなと殺された。眼鏡をかけているだけで、労働者階級でないとみなされて殺された。後に残ったのは子供も無学無教養な農民だけだった。

カンボジアは国民のほとんどがクメール人でクメール語が通じる恵まれた条件にあったにもかかわらず、クメール・ルージュ時代(ポルポト政権)の傷跡をいまだに克服できないのです。

1960年代に相次いで独立したアフリカ諸国はもっと酷い。ヨーロッパ諸国の都合で勝手に国境線を引かれて、ヨーロッパ諸国の都合で無理矢理独立させられたようなもので、国民には国民という意識が育っていません。奴隷貿易時代から引きずる部族対立を克服できないのです。ヨーロッパ諸国はそうした部族対立を利用して分断統治していた。

そういう国で教育を始めようにもどこから手をつけてよいか分からない。
だから日本が奈良時代に遣隋使や遣唐使を送ったり、学僧を送ったり、先進国から高僧を招いたりしていた時代から始まっている。だから日本と比べて1400年ぐらい遅れている計算になりましょうか。そういう遅れをたかだが5,60年で取り戻せるわけがない。

学校を建てようにも建てる金が無い。建築資材がない。建築会社もない。
学校を建てても生徒が集まらない。教育の意味が国民に全く理解されていない。
そもそも、そういう国はあまりにも人口密度が低すぎる。例えば、コンゴ共和国の人口密度は9人/km²。そんな国に学校を建てても子供の足で何kmも歩かないと学校に到着しないのです。10km四方に小学校を一つ建てると計算して1学年何人のクラスになるのでしょうか。
学校を建てても教師がいない。教師がいても教科書がない。教科書を作ろうにも部族も言語もばらばらで共通の言語がない。だからコンゴ共和国は宗主国だったフランスの言語であるフランス語が公用語なのです。だからコンゴ共和国では中国人、韓国人、日本人、ベトナム人を集めてフランス人教師にフランス語で習うといったやり方だったわけです。4人集めて麻雀を始めるわけじゃあるまいし。
想像を絶する世界です。

今、日本の子供たちはあらゆるものに恵まれ、それが当たり前と信じて、それでも足りないと文句をいう。しかし世界では決してそれは当たり前のことではない。スイッチを押せば電灯が灯る。蛇口をひねれば綺麗な水がでる。それは当たり前のことではないんです。
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支援が支援になっていない現実もあるようです


支援される一部の国では私的に支援物資、支援金の横領などあります。

お金以外でも農業技術、工業技術、学校建設などの支援があります

なんせ現状がゼロやマイナスからです

日本の様に昔から土地や気候が農作業に適してたりもしません。
食べ物すら作れません

なのでおっしゃるように現状は貧困です

この先日本の様に豊かになるのは無理でしょう。

私が小さい頃に聞いた現状と変わりません
逆に子供が銃を持って武装、宗教抗争・・

100年経っても現状は貧困でしょうね
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アフリカは、支援が必要な国では無い。


そうさしたのは、支援している側だからです。
原住民の生活を奪ったからで、しょうか。
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この国の支援のおかげだね。



でも、この国も、そろそろ他国の心配をする暇が無くなってきてるとこまできております。

この国でさえ、危ないのですから、貧困国など一溜りもありません。

弱肉強食が、この世界のルールなのです。

強者に生まれたことを心から有り難く感じることですね。
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