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このたび学校で日本刀の魅力についてプレゼンしようと思っています。そこで、わからないことがありましたので質問します。

・日本刀の発祥はどこか。
もともと日本独自のものなのか。
それとも大陸から伝わった刀の製法を高度化させて作ったものか。

・多くの日本刀にある「反り」は何のためにあるのか。

・日本刀の魅力、醍醐味といえば?

回答よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

私は刀剣鑑賞歴20年のいわゆる愛刀家ですが、20年勉強していても分からないことが多く、刀とは奥の深いものだと感じています。

先ず発祥についてですが、古墳時代より以前に朝鮮半島から輸入され始め、やがては製法も伝わり自国で作刀するようになったというのが定説です。この時期の刀は<直刀>(ちょくとう)と呼ばれ、反りが全く無い真っ直ぐな刀剣でした。『古事記』などに出てくる草薙の剣などはこの<直刀>形式であるというのが定説です。三種の神器の一つはこの草薙の剣ですが、天皇でも直接見る事は出来ませんから、おそらく今は錆に覆われていると思われます。日本で刀剣の生産が盛んになったのは、日本各地で良質な砂鉄が発見され、大陸や朝鮮半島から伝わった製鋼法が日本独自の発展をし<たたら>という製法で盛んに良質の鋼が得られた平安時代以前のある時期(諸説あって不明)に製鋼法が確立したといわれています。この製鋼法はかなり大掛かりで、一度に数百キロの鋼を得るために3日間から5日間に渡って職人が不眠不休で携わったといいます。今でも島根県の<日刀保たたら>で年に数回実施されています。現代刀工のほとんどはここで造られた鋼を購入して作刀されています。因みに刀剣の素材を<玉鋼>と言うようになったのは極最近で、研究者によっては明治に入ってからだとも言われています。反りについてですが回答された方々の中で誤解されているようですが、<直刀>から反りのある<湾刀>(わんとう)に変化したのは平安時代中期であろうと言われていますが、現存する平安時代中期の作品が極端に少なく、未だに研究が進められています。反りの機能は騎馬戦が主流の平安時代から鎌倉時代に馬上から徒歩で戦っている敵兵を斬撃するのに有利であるとの説が一般的でしたが、最近の研究では東北地方の<蕨手刀>(わらびてとう)が柄付近で大きく反っていて、その斬撃力が抜群であったことから、中央の武士が反りのある刀の重要性に気付き作刀させたというのが最近の有力説です。では何故反りがあると斬撃力が増すかというと、斬る物体に対してスイカ割のような真っ直ぐな斬りつけ方より、反りのある刀で斬りつけた方が、物体に対して刀身が斜めに斬り込まれます。この両者の斬撃時の物体に対しての方の断面が<直刀>より<湾刀>の方が鋭利になるのです。因みに騎馬戦が主流だったのは平安時代から鎌倉時代で片手で刃長80cmの<太刀>(たち)を使いました。左手は当時の主力兵器である弓と手綱を握っていたので、自然と<太刀>は片手で使うのが常識です。因みに騎馬武者が同じ騎馬兵と戦う時には敵の喉などを突く戦術が主流でした。これはこの時期の<太刀>が全体的に細身で片手で使いやすく、柄元で大きく反り、切先にゆくに従って反りが少なくなっている刀が多い事で説明が出来ます。南北朝時代には刃長90cm以上で、物によっては刃長2mにも及ぶ<大太刀>(おおだち)が出現しますが、これは刀の性能云々とは関係なく、単に敵を威嚇することが目的でした。一時期の平安も間もなく室町時代後期から<応仁の乱>で知られる全国的に戦乱の世になると、徒歩で戦う兵が多くなり騎馬戦では弓から槍を使う武者が多くなります。片手で刀を抜き打ちする技が広まり、その為に抜き打ちに適した刃長の短い(2尺強)刀が流行します。片手で扱うために、柄も短くなり、刀身のなかご(柄に入る刀身部分)も短くなりました。戦乱が収まり江戸時代に入ってからは様々な剣術流派が道場を構え<素肌剣術>と呼ばれる稽古が流行ります。これは甲冑を装備した時代とは異なり、普段着を着た状態でどの様に敵と戦うかを追求した剣術が多くなったためで、<素肌剣術>が盛んになると刀の使い方や形状にも変化が起きます。刀は両手で使うように稽古を重ね、柄は両手用に長くなり、刀の刃長は2尺3寸が多くなり、突きを有利にする為に反りが浅くなります。特に大阪新刀と呼ばれる刀の一群は<直刀>に近い程までに反りが浅くなる物もありました。これは今の剣道の様に防具を着けて稽古をしていた影響で、刀の使い方が若干の変化をしたものです。最後に日本刀の醍醐味ですが、これは十人十色ですのでこれ、という特定は困難です。先ずは実際に実物の刀を見て、出来れば刀剣専門店で手に取ってみなければその素晴らしさは分かりにくいと思います。学校でのプレゼンということでは実際に教室に本身の日本刀を持ち込むのは困難でしょうが工夫のし所でしょう。私の場合は江戸時代の初期に活躍した<国広>とい刀工が好きです。<国広>は南北朝時代の刀を多く再現したことで大きな評価をされています。作風は幅広で反りが深くダイナミックな刃紋を焼いて、見る者を圧倒します。他には<妖刀>で有名な<村正>です。実は<村正>は切れ味が抜群で、刃こぼれしにくい粘り強さがあり戦国時代の武将に大人気でした。徳川家に数多く祟って、怪我人や死人が多数出たと言われていますが、それだけ<村正>の刀が多く出回っていて、徳川家でも愛用者が多かっただけの話です。日本刀はかつては最先端の製鋼法を必要とし、その為に日本の冶金学が飛躍的に進歩しました。又、刀に不可欠な鞘、鍔などの<拵え>と呼ばれる外装品の加工技術と芸術性はそれぞれの時代の要請に応える形で進化し、世界的に比類無き高度な技術と芸術性を今に伝えています。刀は鎌倉時代末期から南北朝時代の作刀技術が頂点で、それ以降の刀は前時代の刀を超える名刀は殆ど見られなくなります。理由は製鋼自体が全国どこでもできるようになり、又、流通の進化で刀工がどこにいようとも様々な鋼を入手出来たことで、刀工自身の個性が薄くなり刃紋等で独自性を表現する以外にすべがかくなってきたことがありました。現代でも数多くの刀工がいらっしゃいますが、残念ながらほとんどは見た目の美しさだけで、居合道や試斬(試し斬り)に耐えうる刀は殆ど造られていません。これは戦後のGHQの占領統治の一環で刀を<武器>ではなく<美術刀剣>として作刀するように法制化(武器等製造法)されたことが原因で、実用を前提として修行、作刀しなくなったためです。私が今までお会いした刀工の方々はほとんどが本来武器である刀を<芸術品>としてとらえ、ご自身も刀工ではなく<芸術家>を標榜してはばからない方が大多数です。極端な刀工は武用の刀を造って欲しいとお願いすると「私は芸術家だ!物を斬るための刀は造らない!そんな刀が欲しいなら刀屋で安物の刀でも買って使いなさい!」という人がいました。この刀工は人間国宝のご子息で過去に大きな美術刀剣団体の会長を歴任した方でしたので、多くの刀工に比べて極端にプライドが高かったのでしょう。しかし、そんな日本でも武用に徹した作刀を追求している刀工は少なからずいらっしゃいます。刀は本当に神秘的で日本人のDNAに確実に美しいと感じる遺伝子を残しています。教え子さんにそれを伝えるために奮闘して、日本人の美意識の再発見に貢献される事を切に願います。長文で済みませんでした。
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刀剣商です



刀の面白いことといいますか
勉強当初になるほどとおもうことがありました。

反り具合、形など鎌倉時代から江戸後期までに
いろいろと変わっていきます。
それはその時代時代の戦闘方法の変化によって
変わっていきました。

もっとも本来の戦闘においては槍が主流で
刀は現代の歩兵軍人が携帯しているピストルより
少し上くらいの用途だったと聞いています。
槍=ライフル 刀=ピストル
(余談 短刀は敵将の首を斬るときに用いた)

平安鎌倉においては刃渡り3尺や4尺
(刃が始まる部分から先の長さ)
の刀を敵将が振りかざしているだけで
あっちには強そうな豪将がいるからひきあげるべ
なんて意外と平和的だったところもあるみたいです。
相手を威圧するために用いたと言う事もできます。

室町も中ごろになるとご存知のように
戦国時代に突入します
刀の定寸は、刃渡り大体2尺3寸以上を
ひとつの目安にしていますが
このころの戦闘では反りは深く
長さも2尺~2尺1寸くらいの刀が大量に
つくられています。
戦法が騎馬主流になり 片手でも振れるように
短くなり、反りが深いのは 相手を振り払った
ときの反動を抑えるためと言われています。

ただ 反りが深いのではなく、走りながら馬上から
相手を振り払うため 手元から刃がはじまって少し先くらいから
反りが付き、反動をおさえ刀を抜きやすく合理的に
考えられたスタイルになっています。
もっとも相手が騎馬武者で鎧兜を着ている場合は
ほぼ疵つけることは難しいでしょう。
時代劇ではバッタバッタと倒してますが・・・

江戸時代にもなり平和な時代が訪れると
真っ直ぐな反りの無い刀が現れます。
その当時に流行した剣術スタイルに合った
デザインで あなたもご存知の 突き です
一撃必殺なので反りなんていりません^^;

かなりおおまかですが、時代の戦法や流行に
左右されながら変貌をとげています
刀に限ったことではありませんが
そこには合理性があるがゆえの変貌です・

刀の魅力は初心者の場合と、収集をかさねて
目がこえてきた人ではかなり違いますが
簡単なところでは初めて刀を握ったとき
身震いするかもしれません。
その時にはじめてなんらかの魅力が
わかるかとおもいます。

また、本来、殺人を目的として作られた武器
日本刀ですが、武器を国の宝、国宝に
指定している国は日本だけです。

いまの第一人者の刀匠でも鎌倉時代などの
刀を作ることはできません。
永遠のテーマとなっているところです。

武器としてではなく世界に誇れる美術品ですね。

参考になれば幸いです
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反りのある日本刀が出現したのは、平安時代中期ということです。


それ以前は反りのない直刀だったようです。
魅力の一つとしては、刀工の名が刻まれていることも挙げられると思います。
要するに、武器だけど芸術作品でもある。
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1,日本刀の発祥はどこか」


日本において、刀は、中国から日本に伝わったもので
それに創意工夫をして日本刀にしたのです。

中国の刀と異なるのは、その製造法や形状にあります。
あと、使用方法にも違いがあります。
中国のは片手で扱うモノが多いのですが、
日本刀は両手で扱うモノのが基本です。

これは日本人の身体が小さいからだと推測されます。

尚、倭寇などで日本刀の優秀性を認めた中国は
日本刀を手本に、苗刀というのを製造していました。

2,多くの日本刀にある「反り」は何のためにあるのか
(1)斬れ味をよくする為です。
 馬上から斬るために反りを入れるようになったのです。
 曲率が大きいほど斬るには有利ですが、半月刀の
 ように大きいと、突きには不向きです。
 日本刀は、突きも出来るように、曲率を小さくして
 あります。
 これに対して、専ら突きを得意とするサーブル
 には反りがありません。
(2)刃の部分だけ焼き入れするので、そこだけ膨張して
 自然な反りが出来るのですが、それでは不十分なので
 人工的に反りを入れています。
(3)美観。
 反りがあった方が、キレイです。

3,日本刀の魅力、醍醐味といえば?
(1)美しさ。
(2)斬れ味。
 作家の津本氏が、豚の腰部分で試したことがあるそうですが、
 刃筋が通ると、殆ど手応えを感じなかった、と言っています。
(3)歴史。
(4)強さ。
 あれは鉄板を打ち抜いているものではありません。
 内は柔らかく、外は硬く、というハニカム構造に
 なっています。
 
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>日本刀の魅力、醍醐味といえば?


 世界一美しい武器です。
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知っている事だけ… 反りはしっかり「切れる」為です 刃物は切るものに当てて前後どちらかにスライドすると切れます 反りを作る事によって 普通に振るだけで 自然と引き切る動きになるわけですね。



あと魅力ですが 「剣」「サーベル」など 武器の中でも最強と言われています。 実際 固定した拳銃で 固定した日本刀に 射撃をしたら 刀の刃に当たった瞬間 銃弾は真っ二つ 日本刀は刃こぼれなどは全く無しの結果でした 何度やっても同じでしたよ
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下記は日本刀に関するウィキベディアの記述です。

ご質問の回答がこの中にほぼすべてが含まれていますから参考にしてください。

反りは人を切るの不可欠のもので、これがないと切ることは殆ど不可能で、直刀は殆ど打撲によって相手に損傷を与えることができるだけなのです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …
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