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名古屋近辺の者です。
明治も10年台になると人口200人程度の小さい村でも10~20台の大八車を持ち
それを利用して副業に運搬業をしている村があります。
その村では農業が主で専門の車を製造する職業の人も無かったようです。
大八車は車輪など製造するのは大変難しいと思います。主な街には大八車を作る
業者があったのでしょうか? また大八車でも質の上下があって一概に言えないと思いますが
明治の10年ごろ値段は如何ほどだったのでしょうか?

A 回答 (1件)

名古屋周辺とのことですが、1~3月はその年代、何していたでしょうか?


わたし、東日本在住ですが、1~3月、農家は仕事が無かったので、生活用品やら農業用品など色んな道具を作っていました。
明治20年頃、大八車を村の人多数で作っていたようです。大工の家に図面が有って、それに合わせて木を挽いて、なので、タダか米(一俵か半俵)出来ないのが車輪の外周に貼る鉄板、車輪と車輪をつなぐ鉄の軸。
それは遠くても鍛冶屋に頼んでいて買ってくる。(ふるい大八車をばらして鉄製品などを再利用したかもしれません)

なので、値段は無い。

昔はたいていの物が村で作る。(家も、小屋も。土蔵は作れなかったとか聴いた記憶有り)
今で言うと、合掌造りの白川郷の屋根の葺き替えの「結い」みたいに。

勿論、農村でも、農業の他に大工さん、石屋さん、加治屋さん、染め屋さん、等は村(町内会)に、地区(学区)に、或は郡に有りましたから、生きていくための道具はどうにかなったはずです。
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この回答へのお礼

大層参考になるご意見ありがとうございます。
当地では現在残っている農地では夏は米が作られていますが
冬は何も作られず放置されています。
しかし明治時代の記録を見ると大麦・小麦が沢山作られていた
記録がありますから冬場も結構仕事があったものと思います。
又草鞋なども作って名古屋に売りに行ったようです。
でも何と言っても夏場に比べて暇があったものと思われます。
だから其の時間を利用して教えて頂いたような作業をした可能性は
大だったかもしれません。
貴重なご意見ありがとうございます。

お礼日時:2015/12/12 18:46

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